ホーム›八咫烏シンドローム›第三話:"第三"
← 次の話目次前の話 →

第三話:"第三"

颯真はすでに始めていた。

検索対象を絞る。
八咫烏。
やたがらす。
ヤタガラス。
YATAGARASU。

症候群。
シンドローム。

「組み合わせでやる。スレッドログ、個人サイト、古いブログ、キャッシュ。2007より前」

「私は言い回し拾う」

祝迫は言った。
「俺はネット以外」

颯真が止まった。
「早くない?」

「何が?」

「ネット怪談だろ?」

「誰が決めた?」

颯真が千景を見る。
「こういうところが嫌なんだよ」

祝迫は笑った。
「データしか見ないから“最初”をデータの中だけで探す」

「データじゃない記録もデータだぞ」

「言葉遊び始めたら負け」

「圭吾、それ自分にも刺さってるよ」

千景が止めた。

昼を過ぎた頃。
最初に見つけたのは颯真だった。

「2005」
モニターを向ける。

生活相談系の古い掲示板。

タイトル《最近、道に迷わない》

投稿者は二十代女性と思われる。
"初めて行く場所でも方向が分かります。前は方向音痴でした。駅を出ると、なぜかこっちだと分かるようになりました。同じような人いますか?"

数件の返信。

「脳腫瘍じゃない?」

「GPS見てるだけでは」

「慣れ」

その中に一件だけ違うものがあった。

《それ何回目?》

投稿者。
《何がですか?》

《道が分かった回数。》

《数えてません。最近なら三、四回くらい?》

《三回超えてるなら八咫烏かもしれない。》

そこで話が切れている。
千景は身を乗り出した。

「説明は?」

「ない」

「返信は」

「“八咫烏って何ですか?”が二件。その後、“過去ログ読め”」

「過去ログは?」

颯真はもう開いていた。
指定されたスレッド。
指定されたレス番号。

612。
表示された書き込みは、《今日すげえ雨》

千景が笑った。
「なんだこれ」

「いや」
颯真は真顔だった。
「リンク自体は合ってる」

「削除された?」

「この板、削除してもレス番号は残る。いわゆる“あぼーん”表示になる。差し替わる仕様じゃない」

祝迫が椅子から体を起こした。
「誰かが間違った過去ログを教えた?」

「可能性はある」

「わざと?」

「それも」

千景は紙へ印刷する。

赤鉛筆で記入する。
《2005》
そして、《過去ログ読め→過去ログにない》と書く。

「次は───」
今度は千景が見つけた。
2003年。
小規模なオカルト掲示板。

タイトルは、《兄が変になった》
"うちの兄が最近、行ったことのない場所でも必ず近道を知っています。車で出かけてもナビと違う道を使うのに、必ず早く着きます。本人は勘だと言っています。"

返信。
《それ八咫烏じゃないの?》
《八咫烏だったら近道じゃないぞ。》

投稿者。
《どういう意味ですか?》

その問いに対する回答はない。
千景は声に出して読む。
「“八咫烏だったら近道じゃないぞ”」

赤鉛筆で囲む。

颯真が言った。
「何が刺さった?」

「“近道じゃない”」

「実際早く着いてる」

「うん」

「じゃあ近道だろ」

「この人は距離とか時間の話してないんじゃない?」

「近道って書いてるのに?」

「だから面白いんじゃん」

祝迫が小さく頷いた。
「“どこへの近道か”が書いてない」

颯真が二人を見る。
「お前ら、すぐ文章を怖くするよな」

「怖くしてない。読んでるだけ」

「深読みとも言う」

「測量屋って文学向いてなさそうだな」

「測量に文学性求めるな」

次は祝迫だった。
紙袋からコピーを一枚抜いた。
「2001だ」

「もう持ってたの?」
千景が言う。

「昨日から探した」

「寝てないでしょ」

「三時間は寝た」

「それ寝たって言わない」

資料は個人ホームページの印刷物だった。
背景が黒だったのか、コピーでは文字の周囲が灰色に濁っている。

七月十四日。
《今朝、父がまた八咫烏の話をした。母は怒っていた。あの道を使うなと言っていた。父は笑っていた。近い方を通って何が悪い、と。》

翌日七月十五日
《父は帰ってこなかった。》

それでサイトは終わっていた。
数秒、誰も話さなかった。

颯真が最初に口を開く。
「創作の可能性もあるな」

祝迫が答える。
「当然ある」

「サイト開設時期は?」

「1999年。二年間は普通の日記。仕事、野球、奥さんの愚痴。八咫烏が出るのはここだけ」

「後から改竄」

「サーバー保存ログ見る限り、2001年7月時点で存在する」

颯真が画面を覗く。

「本人は?」

「不明」

「父親の失踪記事」

「まだ見つけてない」

颯真は小さく息を吐いた。
「だから紙は嫌なんだよ。照合できない」

祝迫は平然としている。

「ネットも同じだろ。名前も住所も書いてない」

「検索できるしな」

「検索できるものしか存在しないと思うなよ」

また始まった。

千景は二人の間へプリンを置いた。
「一次休戦!!」

「それ一個だろ」
颯真が言う。

「私のよ」

「じゃあ何で俺らの間に置いた」

「仲良くしないと私が食べるという脅し」

「最初からお前が食うやつじゃん」

千景は蓋を開けた。
しばらくして、祝迫が不意に言った。

「これ、変じゃないか」

「何が?」

「2001年の時点で“また八咫烏の話をした”って書いてある」

千景のスプーンが止まる。

2007年にもあった。

「父親は以前から話してた」

「そう」
祝迫がコピーを指す。
「初出を探してるのに、また“続き”だ」

午後三時。

1998年。
今度は地域掲示板だった。

ログを見つけたのは颯真。

《先日の林道の件ですが、八咫烏に関係する話をここへ書くのはやめましょう。以前と同じことになります。》

返信。

《またですか。》

別の投稿者。
《今回は違うと思います。》

その次。
《毎回そう言う。》

千景はそれを二度読んだ。
三度目に赤鉛筆を持つ。

《以前と同じ》
《また》
《毎回》
三つすべてを囲った。

「何」

颯真が聞く。

千景は答えない。

紙を横へ並べる。

2007。《また八咫烏か》
2005。《過去ログ読め》
2003。《それ八咫烏じゃないの?》
2001。《父がまた八咫烏の話をした》
1998。《以前と同じことになります》
年代を遡るほど、起源に近づく。

そのはずだった。
だが、近づいている感覚がまるでない。

祝迫は腕を組んで紙を眺めていた。
颯真は検索窓へ次々と語句を入れる。
千景は二人の真ん中で赤鉛筆を転がした。

三人とも黙った。
同じ資料を見ながら、考えていることはたぶん全然違う。

颯真は、欠損したデータを探している。
祝迫は、誰がなぜこの部分を残したのかを考えている。
千景は、言葉を見ていた。

「ねえ」
千景が言った。

二人が同時に見る。

「この噂、誰も説明してなくない?」

颯真が言う。
「2007の時点でそうだった」

「違う。全部」

千景は五枚の紙を指で順番に叩いた。
「“八咫烏シンドロームとは何か”を説明してる人が一人もいない」

祝迫の目が細くなる。

千景は続けた。
「都市伝説なら伝えるための形があるでしょう。“こうすると起きる”、“これを見たら危ない”、“こういう怪異がいる”。初めて聞いた人に説明しないと広がらない」

祝迫が頷く。
「口承でもそうだ。むしろ口伝ほど型が必要になる」

颯真は画面を見たまま。
「まとめサイトが消えた可能性」

「それもある」

「元になった書籍」

「ある」

「昔のテレビ番組とか」

「それもある」

千景は笑った。
「だから調べるんでしょ」

颯真が一度だけ息を吐いた。
「分かってる」

さらに一時間。検索する。
見つからない。

「八咫烏シンドローム」という語そのものが出てくる記録は少ない。
だが、「八咫烏」だけなら断片が残っている。
問題は、そのどれもが「既知のもの」として扱われていることだった。

颯真が検索を止めた。
珍しかった。
調査中の彼は基本的に手を止めない。

千景が見た。
「疲れたの?」

「違う」

「糖分いる?」

「いらない」

「じゃあ何よ」

颯真は年代毎に五つのタブを横に並べた。
「順番に読んで」

千景は読んだ。
祝迫と隣から覗き見る。

「読んだけど......?」
千景が言った。

颯真はしばらく答えなかった。
いつもの彼なら、結論から言う。
曖昧な言い方を嫌う男だ。
その颯真が、言葉を選んでいた。

「俺、昨日言ったよな」

「何を?」

「初出のない都市伝説なんてないって」

「言った」

「訂正するか?」
祝迫が楽しそうに聞く。

「いや、しない」
即答だった。
やっと颯真らしい。

「なら?」

「初出はある。ただ俺らが見つけてないだけだ」

祝迫が肩をすくめた。

「はいはい」

颯真は紙を指した。
「でも変なんだよ」

「何が?」

「普通、古くなるほど説明に近づく」

「うん」

「最初の噂なら、“こういうことがあった”、“こう呼ぶことにした”って話が出てくる。その後から省略されていく───。」

祝迫が先を引き取った。
「なのに、これは逆......か」

颯真が頷いた。
「古い記録ほど説明がないんじゃない。最初から説明する必要がないみたいに書いてある」

千景の指先で、赤鉛筆が止まった。

颯真が2007年を指す。
「“また”」

2005。「“過去ログ読め”」
2003。「“それ八咫烏じゃない?”」
2001。「“父がまた”」
1998。「“以前と同じ”」

颯真は椅子の背にもたれた。
「全部、何かの後なんだよ」

部屋が静かになった。
外を車が通る。
上の階から椅子を引く音がした。

千景は赤鉛筆で、年代を上から下へ一本の線で結んだ。

そしてその下に、空白を作る。

「もっと前がある」
千景が言った。

颯真は答える。

「あるはず」

祝迫だけは何も言わなかった。
彼は机の紙を見ている。

「圭吾?」
千景が呼ぶ。

祝迫は少し考えてから顔を上げた。

「もし......」

「うん」

「これ、始まりを探す考え方自体が間違ってたら?」

颯真が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」

「まだ分からない」

「分からないなら言うな」

「だからお前は面白くないんだ」

「圭吾」
千景が促す。
祝迫は紙の端を指で撫でた。

「噂って普通、発生して広がるだろ」

「うん」

「中心から外へ」
彼は机の上の紙を一枚ずつずらした。
「でもこれ、年代をどこまで遡っても、中心に近づいてる感じがしない」

千景はその言葉をノートへ書いた。

《中心がない?》

颯真が即座に横から言う。

「中心はある」

「まだ信じるのか?」

「信じるとかじゃない。情報は発生する。言葉も誰かが最初に使う」

祝迫が笑った。
「じゃあ見つけてくれ、測量屋。できるんだろ?」

「ああ」

「見つけたらコーヒーでも奢る」

「は?安い取引だな。てか、お前もやるんだよ」

千景は笑った。
こういう時だけ、二人がいると助かる。
一人なら、気味が悪いと思ったところで調査を止めていたかもしれない。

三人なら、誰かが異常を見つけても、残り二人が別の角度から壊してくれる。

怪異に逃げない。
偶然にも逃げない。
それが心地よかった。
だから千景は、この時まだ気づかなかった。

三人で調査していることそのものに、すでに「三」という数字が入り込んでいることを。

「飯だ」
突然、颯真が言った。

「唐突に何よ」

「十八時だ」

時計を見る。
本当に六時だった。

祝迫が立ち上がる。
「近くに蕎麦屋あっただろ」

「あそこ閉店した」

「そうか、じゃあ駅前」

颯真がスマートフォンを開く。
「一番近いのは――」

「却下」
千景が即答した。

「まだ何も言ってないぞ」

「“一番近い”って言った」

「徒歩六分、近いに越したことないだろ」

「八分の方行こう」

「なんでよ?」

千景はジャケットを羽織った。
「正しい道より、自分で選んだ道の方がいいでしょう」

颯真が無表情に答える。
「距離に正しいも間違いもない」

祝迫が革鞄を持つ。
「お前ら毎回その掛け合いやるのな?」

千景は赤鉛筆をノートへ挟み、机の上の資料を一つのクリアファイルへまとめた。

その時だった。
祝迫が入口で振り向いた。

「千景......」

「何?」

「そこ」

指差す。
千景は机を見る。

「どこ?なに?」

「コーヒー」

午前中に使ったマグカップが置いてある。

千景のマグカップ。
颯真の紙カップ。
その隣にもう一つ空の紙カップがあった。

無地の蓋つき。

三人とも数秒黙った。
最初に話したのは颯真だった。

「俺が買ったやつ?」

「何個買った?」

千景が聞く。

「二つ。俺とお前」

「圭吾は?」

「途中で缶コーヒー買ってきた」

祝迫が自分の空き缶を持ち上げる。

机の上の紙カップは二つ。

千景と颯真。
そして、誰のものでもない一つ。

颯真が近づいた。
カップを持つ。

軽く振る。空だった。
匂いを嗅ぐ。

「ブラックだな」

千景が笑う。
「そこ?」

「他に何を見るんだよ」

「怖がるとか」

「紙コップを怖がってどうする」

祝迫が言った。

「店のロゴは?」

「ない」

「レシート」

颯真がコンビニ袋から取り出した。

購入品。
ブラックコーヒー一杯。
プリン一個。
炭酸水。
サンドイッチ。

「一つしか買ってない」

千景は自分のマグを見る。
祝迫の缶。
颯真の紙カップ。

そして、もう一つ。

四人分。

「誰か来たっけ?」

祝迫が聞いた。

「来てない」

「鹿沼か?」

「ううん、誰も来てないよ」

颯真は紙カップをゴミ箱へ捨てた。

「まぁ、前のやつだろ」

「私、紙カップで飲まないよ」

「じゃあ、知らん」

「それでいいの?」

千景が聞く。

「良くはないけど、調査対象じゃない」

「ドライだなぁ」

「増やすなよ、謎を」

その言い方がおかしくて、千景は笑った。
祝迫も笑った。
颯真だけが先に廊下へ出る。

「飯だ、飯」

三人で部屋を出た。
千景は最後に鍵を掛ける。
エレベーターは四階に止まっていた。

颯真がボタンを押そうとする。

千景は階段へ向かった。

「また階段か?」

颯真が聞く。

「階段の方が好き」

「一階までだぞ」

「知ってる」

祝迫も千景についてくる。

「俺も階段」

颯真が二人を見る。

「なんでだよ!」

祝迫は平然と言った。

「二対一だ」

「あーもう!」

それでも颯真も階段へ来た。

三人で下りる。

その途中。
千景は、ふと妙なことを考えた。

四人目の紙カップ。
どうでもいい。
誰かが以前置いた。
片付け忘れ。
それで説明できる。

なのになぜか、捨てられたことの方が気になった。
あのカップを、残しておいた方がよかったような気がした。

一階へ着く。
颯真が先に外へ出る。
祝迫が続く。
千景は一瞬だけ階段を振り返った。
誰もいない。

「千景!」
外から颯真の声。
「置いてくぞ」

「うん!今行く」

千景は外へ出た。
夜の街には、道がいくつもある。

駅へ向かう最短。
少し遠い商店街。
大通り、裏道。
どれでもいい。

まだ、選べた。

その夜、祝迫から三人のグループチャットへ、一枚の画像が送られてきた。

古い新聞記事だった。
画質が悪く、見出しの一部しか読めない。

《一家四人 白折峠で――》

続けてメッセージ。

《1996年》
《ちょっと変なの見つけた》

千景はベッドの上で画像を拡大した。

事故か、失踪か。
まだ読み取れない。
返信しようとすると、颯真の方が早かった。

《何が変?》

祝迫記事じゃない、裏にメモがある

写真がもう一枚届く。
新聞のコピーの裏面。
古びた赤いボールペンで、短い文字。

《15:07 第三》

その下、別の筆跡で。

《八咫烏?》

千景の眠気が消えた。
胸の奥に、昨日と同じ感覚が生まれる。

懐かしい。
知らないはずなのに。
今度は言葉ではなかった。

15:07
その時刻を見た瞬間千景はなぜか、その次に何が書かれているのか分かるような気がした。

15:19、15:26ときてそして、"第三"。
千景はスマートフォンから指を離した。
まだ、画像にはそこまで写っていない。

どうして知っている───。
グループチャットに、颯真から新しいメッセージが表示された。

《明日、元記事確認する》

祝迫もう手配した

颯真仕事早いな

祝迫まあな

千景はいつもの調子なら何か返していただろう。

だが、その夜は返信しなかった。
スマートフォンを伏せる。

暗い天井を見る。
しばらくして、目を閉じた。

その直前。
頭のどこかで、女の声がしたような気がした。

――そっちは違う。

千景は目を開けた。
部屋には誰もいない。

外を車が一台通った。

それだけだった。

翌朝、三人は一九九六年十一月十二日の地方紙に掲載された、"白折峠で一家が失踪した"という未だ名前の無い事件へ辿り着くことになる。

そしてその事件を境に「八咫烏シンドローム」は、ネットの中だけの噂ではなくなる。
シェア
前の話 →
第二話:揃った三人組
← 次の話
第四話:白折峠一家失踪事件
八咫烏シンドローム作者:然々曰
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません

第三話:"第三"

颯真はすでに始めていた。

検索対象を絞る。
八咫烏。
やたがらす。
ヤタガラス。
YATAGARASU。

症候群。
シンドローム。

「組み合わせでやる。スレッドログ、個人サイト、古いブログ、キャッシュ。2007より前」

「私は言い回し拾う」

祝迫は言った。
「俺はネット以外」

颯真が止まった。
「早くない?」

「何が?」

「ネット怪談だろ?」

「誰が決めた?」

颯真が千景を見る。
「こういうところが嫌なんだよ」

祝迫は笑った。
「データしか見ないから“最初”をデータの中だけで探す」

「データじゃない記録もデータだぞ」

「言葉遊び始めたら負け」

「圭吾、それ自分にも刺さってるよ」

千景が止めた。

昼を過ぎた頃。
最初に見つけたのは颯真だった。

「2005」
モニターを向ける。

生活相談系の古い掲示板。

タイトル《最近、道に迷わない》

投稿者は二十代女性と思われる。
"初めて行く場所でも方向が分かります。前は方向音痴でした。駅を出ると、なぜかこっちだと分かるようになりました。同じような人いますか?"

数件の返信。

「脳腫瘍じゃない?」

「GPS見てるだけでは」

「慣れ」

その中に一件だけ違うものがあった。

《それ何回目?》

投稿者。
《何がですか?》

《道が分かった回数。》

《数えてません。最近なら三、四回くらい?》

《三回超えてるなら八咫烏かもしれない。》

そこで話が切れている。
千景は身を乗り出した。

「説明は?」

「ない」

「返信は」

「“八咫烏って何ですか?”が二件。その後、“過去ログ読め”」

「過去ログは?」

颯真はもう開いていた。
指定されたスレッド。
指定されたレス番号。

612。
表示された書き込みは、《今日すげえ雨》

千景が笑った。
「なんだこれ」

「いや」
颯真は真顔だった。
「リンク自体は合ってる」

「削除された?」

「この板、削除してもレス番号は残る。いわゆる“あぼーん”表示になる。差し替わる仕様じゃない」

祝迫が椅子から体を起こした。
「誰かが間違った過去ログを教えた?」

「可能性はある」

「わざと?」

「それも」

千景は紙へ印刷する。

赤鉛筆で記入する。
《2005》
そして、《過去ログ読め→過去ログにない》と書く。

「次は───」
今度は千景が見つけた。
2003年。
小規模なオカルト掲示板。

タイトルは、《兄が変になった》
"うちの兄が最近、行ったことのない場所でも必ず近道を知っています。車で出かけてもナビと違う道を使うのに、必ず早く着きます。本人は勘だと言っています。"

返信。
《それ八咫烏じゃないの?》
《八咫烏だったら近道じゃないぞ。》

投稿者。
《どういう意味ですか?》

その問いに対する回答はない。
千景は声に出して読む。
「“八咫烏だったら近道じゃないぞ”」

赤鉛筆で囲む。

颯真が言った。
「何が刺さった?」

「“近道じゃない”」

「実際早く着いてる」

「うん」

「じゃあ近道だろ」

「この人は距離とか時間の話してないんじゃない?」

「近道って書いてるのに?」

「だから面白いんじゃん」

祝迫が小さく頷いた。
「“どこへの近道か”が書いてない」

颯真が二人を見る。
「お前ら、すぐ文章を怖くするよな」

「怖くしてない。読んでるだけ」

「深読みとも言う」

「測量屋って文学向いてなさそうだな」

「測量に文学性求めるな」

次は祝迫だった。
紙袋からコピーを一枚抜いた。
「2001だ」

「もう持ってたの?」
千景が言う。

「昨日から探した」

「寝てないでしょ」

「三時間は寝た」

「それ寝たって言わない」

資料は個人ホームページの印刷物だった。
背景が黒だったのか、コピーでは文字の周囲が灰色に濁っている。

七月十四日。
《今朝、父がまた八咫烏の話をした。母は怒っていた。あの道を使うなと言っていた。父は笑っていた。近い方を通って何が悪い、と。》

翌日七月十五日
《父は帰ってこなかった。》

それでサイトは終わっていた。
数秒、誰も話さなかった。

颯真が最初に口を開く。
「創作の可能性もあるな」

祝迫が答える。
「当然ある」

「サイト開設時期は?」

「1999年。二年間は普通の日記。仕事、野球、奥さんの愚痴。八咫烏が出るのはここだけ」

「後から改竄」

「サーバー保存ログ見る限り、2001年7月時点で存在する」

颯真が画面を覗く。

「本人は?」

「不明」

「父親の失踪記事」

「まだ見つけてない」

颯真は小さく息を吐いた。
「だから紙は嫌なんだよ。照合できない」

祝迫は平然としている。

「ネットも同じだろ。名前も住所も書いてない」

「検索できるしな」

「検索できるものしか存在しないと思うなよ」

また始まった。

千景は二人の間へプリンを置いた。
「一次休戦!!」

「それ一個だろ」
颯真が言う。

「私のよ」

「じゃあ何で俺らの間に置いた」

「仲良くしないと私が食べるという脅し」

「最初からお前が食うやつじゃん」

千景は蓋を開けた。
しばらくして、祝迫が不意に言った。

「これ、変じゃないか」

「何が?」

「2001年の時点で“また八咫烏の話をした”って書いてある」

千景のスプーンが止まる。

2007年にもあった。

「父親は以前から話してた」

「そう」
祝迫がコピーを指す。
「初出を探してるのに、また“続き”だ」

午後三時。

1998年。
今度は地域掲示板だった。

ログを見つけたのは颯真。

《先日の林道の件ですが、八咫烏に関係する話をここへ書くのはやめましょう。以前と同じことになります。》

返信。

《またですか。》

別の投稿者。
《今回は違うと思います。》

その次。
《毎回そう言う。》

千景はそれを二度読んだ。
三度目に赤鉛筆を持つ。

《以前と同じ》
《また》
《毎回》
三つすべてを囲った。

「何」

颯真が聞く。

千景は答えない。

紙を横へ並べる。

2007。《また八咫烏か》
2005。《過去ログ読め》
2003。《それ八咫烏じゃないの?》
2001。《父がまた八咫烏の話をした》
1998。《以前と同じことになります》
年代を遡るほど、起源に近づく。

そのはずだった。
だが、近づいている感覚がまるでない。

祝迫は腕を組んで紙を眺めていた。
颯真は検索窓へ次々と語句を入れる。
千景は二人の真ん中で赤鉛筆を転がした。

三人とも黙った。
同じ資料を見ながら、考えていることはたぶん全然違う。

颯真は、欠損したデータを探している。
祝迫は、誰がなぜこの部分を残したのかを考えている。
千景は、言葉を見ていた。

「ねえ」
千景が言った。

二人が同時に見る。

「この噂、誰も説明してなくない?」

颯真が言う。
「2007の時点でそうだった」

「違う。全部」

千景は五枚の紙を指で順番に叩いた。
「“八咫烏シンドロームとは何か”を説明してる人が一人もいない」

祝迫の目が細くなる。

千景は続けた。
「都市伝説なら伝えるための形があるでしょう。“こうすると起きる”、“これを見たら危ない”、“こういう怪異がいる”。初めて聞いた人に説明しないと広がらない」

祝迫が頷く。
「口承でもそうだ。むしろ口伝ほど型が必要になる」

颯真は画面を見たまま。
「まとめサイトが消えた可能性」

「それもある」

「元になった書籍」

「ある」

「昔のテレビ番組とか」

「それもある」

千景は笑った。
「だから調べるんでしょ」

颯真が一度だけ息を吐いた。
「分かってる」

さらに一時間。検索する。
見つからない。

「八咫烏シンドローム」という語そのものが出てくる記録は少ない。
だが、「八咫烏」だけなら断片が残っている。
問題は、そのどれもが「既知のもの」として扱われていることだった。

颯真が検索を止めた。
珍しかった。
調査中の彼は基本的に手を止めない。

千景が見た。
「疲れたの?」

「違う」

「糖分いる?」

「いらない」

「じゃあ何よ」

颯真は年代毎に五つのタブを横に並べた。
「順番に読んで」

千景は読んだ。
祝迫と隣から覗き見る。

「読んだけど......?」
千景が言った。

颯真はしばらく答えなかった。
いつもの彼なら、結論から言う。
曖昧な言い方を嫌う男だ。
その颯真が、言葉を選んでいた。

「俺、昨日言ったよな」

「何を?」

「初出のない都市伝説なんてないって」

「言った」

「訂正するか?」
祝迫が楽しそうに聞く。

「いや、しない」
即答だった。
やっと颯真らしい。

「なら?」

「初出はある。ただ俺らが見つけてないだけだ」

祝迫が肩をすくめた。

「はいはい」

颯真は紙を指した。
「でも変なんだよ」

「何が?」

「普通、古くなるほど説明に近づく」

「うん」

「最初の噂なら、“こういうことがあった”、“こう呼ぶことにした”って話が出てくる。その後から省略されていく───。」

祝迫が先を引き取った。
「なのに、これは逆......か」

颯真が頷いた。
「古い記録ほど説明がないんじゃない。最初から説明する必要がないみたいに書いてある」

千景の指先で、赤鉛筆が止まった。

颯真が2007年を指す。
「“また”」

2005。「“過去ログ読め”」
2003。「“それ八咫烏じゃない?”」
2001。「“父がまた”」
1998。「“以前と同じ”」

颯真は椅子の背にもたれた。
「全部、何かの後なんだよ」

部屋が静かになった。
外を車が通る。
上の階から椅子を引く音がした。

千景は赤鉛筆で、年代を上から下へ一本の線で結んだ。

そしてその下に、空白を作る。

「もっと前がある」
千景が言った。

颯真は答える。

「あるはず」

祝迫だけは何も言わなかった。
彼は机の紙を見ている。

「圭吾?」
千景が呼ぶ。

祝迫は少し考えてから顔を上げた。

「もし......」

「うん」

「これ、始まりを探す考え方自体が間違ってたら?」

颯真が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」

「まだ分からない」

「分からないなら言うな」

「だからお前は面白くないんだ」

「圭吾」
千景が促す。
祝迫は紙の端を指で撫でた。

「噂って普通、発生して広がるだろ」

「うん」

「中心から外へ」
彼は机の上の紙を一枚ずつずらした。
「でもこれ、年代をどこまで遡っても、中心に近づいてる感じがしない」

千景はその言葉をノートへ書いた。

《中心がない?》

颯真が即座に横から言う。

「中心はある」

「まだ信じるのか?」

「信じるとかじゃない。情報は発生する。言葉も誰かが最初に使う」

祝迫が笑った。
「じゃあ見つけてくれ、測量屋。できるんだろ?」

「ああ」

「見つけたらコーヒーでも奢る」

「は?安い取引だな。てか、お前もやるんだよ」

千景は笑った。
こういう時だけ、二人がいると助かる。
一人なら、気味が悪いと思ったところで調査を止めていたかもしれない。

三人なら、誰かが異常を見つけても、残り二人が別の角度から壊してくれる。

怪異に逃げない。
偶然にも逃げない。
それが心地よかった。
だから千景は、この時まだ気づかなかった。

三人で調査していることそのものに、すでに「三」という数字が入り込んでいることを。

「飯だ」
突然、颯真が言った。

「唐突に何よ」

「十八時だ」

時計を見る。
本当に六時だった。

祝迫が立ち上がる。
「近くに蕎麦屋あっただろ」

「あそこ閉店した」

「そうか、じゃあ駅前」

颯真がスマートフォンを開く。
「一番近いのは――」

「却下」
千景が即答した。

「まだ何も言ってないぞ」

「“一番近い”って言った」

「徒歩六分、近いに越したことないだろ」

「八分の方行こう」

「なんでよ?」

千景はジャケットを羽織った。
「正しい道より、自分で選んだ道の方がいいでしょう」

颯真が無表情に答える。
「距離に正しいも間違いもない」

祝迫が革鞄を持つ。
「お前ら毎回その掛け合いやるのな?」

千景は赤鉛筆をノートへ挟み、机の上の資料を一つのクリアファイルへまとめた。

その時だった。
祝迫が入口で振り向いた。

「千景......」

「何?」

「そこ」

指差す。
千景は机を見る。

「どこ?なに?」

「コーヒー」

午前中に使ったマグカップが置いてある。

千景のマグカップ。
颯真の紙カップ。
その隣にもう一つ空の紙カップがあった。

無地の蓋つき。

三人とも数秒黙った。
最初に話したのは颯真だった。

「俺が買ったやつ?」

「何個買った?」

千景が聞く。

「二つ。俺とお前」

「圭吾は?」

「途中で缶コーヒー買ってきた」

祝迫が自分の空き缶を持ち上げる。

机の上の紙カップは二つ。

千景と颯真。
そして、誰のものでもない一つ。

颯真が近づいた。
カップを持つ。

軽く振る。空だった。
匂いを嗅ぐ。

「ブラックだな」

千景が笑う。
「そこ?」

「他に何を見るんだよ」

「怖がるとか」

「紙コップを怖がってどうする」

祝迫が言った。

「店のロゴは?」

「ない」

「レシート」

颯真がコンビニ袋から取り出した。

購入品。
ブラックコーヒー一杯。
プリン一個。
炭酸水。
サンドイッチ。

「一つしか買ってない」

千景は自分のマグを見る。
祝迫の缶。
颯真の紙カップ。

そして、もう一つ。

四人分。

「誰か来たっけ?」

祝迫が聞いた。

「来てない」

「鹿沼か?」

「ううん、誰も来てないよ」

颯真は紙カップをゴミ箱へ捨てた。

「まぁ、前のやつだろ」

「私、紙カップで飲まないよ」

「じゃあ、知らん」

「それでいいの?」

千景が聞く。

「良くはないけど、調査対象じゃない」

「ドライだなぁ」

「増やすなよ、謎を」

その言い方がおかしくて、千景は笑った。
祝迫も笑った。
颯真だけが先に廊下へ出る。

「飯だ、飯」

三人で部屋を出た。
千景は最後に鍵を掛ける。
エレベーターは四階に止まっていた。

颯真がボタンを押そうとする。

千景は階段へ向かった。

「また階段か?」

颯真が聞く。

「階段の方が好き」

「一階までだぞ」

「知ってる」

祝迫も千景についてくる。

「俺も階段」

颯真が二人を見る。

「なんでだよ!」

祝迫は平然と言った。

「二対一だ」

「あーもう!」

それでも颯真も階段へ来た。

三人で下りる。

その途中。
千景は、ふと妙なことを考えた。

四人目の紙カップ。
どうでもいい。
誰かが以前置いた。
片付け忘れ。
それで説明できる。

なのになぜか、捨てられたことの方が気になった。
あのカップを、残しておいた方がよかったような気がした。

一階へ着く。
颯真が先に外へ出る。
祝迫が続く。
千景は一瞬だけ階段を振り返った。
誰もいない。

「千景!」
外から颯真の声。
「置いてくぞ」

「うん!今行く」

千景は外へ出た。
夜の街には、道がいくつもある。

駅へ向かう最短。
少し遠い商店街。
大通り、裏道。
どれでもいい。

まだ、選べた。

その夜、祝迫から三人のグループチャットへ、一枚の画像が送られてきた。

古い新聞記事だった。
画質が悪く、見出しの一部しか読めない。

《一家四人 白折峠で――》

続けてメッセージ。

《1996年》
《ちょっと変なの見つけた》

千景はベッドの上で画像を拡大した。

事故か、失踪か。
まだ読み取れない。
返信しようとすると、颯真の方が早かった。

《何が変?》

祝迫記事じゃない、裏にメモがある

写真がもう一枚届く。
新聞のコピーの裏面。
古びた赤いボールペンで、短い文字。

《15:07 第三》

その下、別の筆跡で。

《八咫烏?》

千景の眠気が消えた。
胸の奥に、昨日と同じ感覚が生まれる。

懐かしい。
知らないはずなのに。
今度は言葉ではなかった。

15:07
その時刻を見た瞬間千景はなぜか、その次に何が書かれているのか分かるような気がした。

15:19、15:26ときてそして、"第三"。
千景はスマートフォンから指を離した。
まだ、画像にはそこまで写っていない。

どうして知っている───。
グループチャットに、颯真から新しいメッセージが表示された。

《明日、元記事確認する》

祝迫もう手配した

颯真仕事早いな

祝迫まあな

千景はいつもの調子なら何か返していただろう。

だが、その夜は返信しなかった。
スマートフォンを伏せる。

暗い天井を見る。
しばらくして、目を閉じた。

その直前。
頭のどこかで、女の声がしたような気がした。

――そっちは違う。

千景は目を開けた。
部屋には誰もいない。

外を車が一台通った。

それだけだった。

翌朝、三人は一九九六年十一月十二日の地方紙に掲載された、"白折峠で一家が失踪した"という未だ名前の無い事件へ辿り着くことになる。

そしてその事件を境に「八咫烏シンドローム」は、ネットの中だけの噂ではなくなる。
シェア
次の話第四話:白折峠一家失踪事件
八咫烏シンドローム作者:然々曰
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません