ホーム世界を加速させる爆薬破砕
← 次の話目次前の話 →

破砕

 二週間の自宅待機は、拷問だった。
 アパートの部屋で、時間の感覚を失った。午前も午後も、昼も夜も、すべてが同じに感じられた。爆発のない時間。それは時間ですらなかった。窓の外の景色は変わらず、隣の部屋からは相変わらず生活音が聞こえてくるが、世界は完全に停止していた。
 毎日、同じことを繰り返した。午前四時三十分に目覚める。身体が自動的に起床する。十五年間、毎朝この時刻に起きてきた身体は、仕事がなくても同じリズムを刻む。行く場所がない。ベッドに横になったまま、天井を見つめた。天井の染み。雨漏りの跡。それを何時間も見つめ続けた。染みの形は変わらない。昨日と同じ形。明日も同じ形。
 午前七時、起き上がる。洗面所に行き、顔を洗う。鏡に映る自分の顔。無精髭が伸び、目の下の隈が濃くなっている。作業服を着た。現場には行けない。作業服を脱ぎ、また布団に横になった。天井を見る。時間が過ぎる。何も起きない。
 昼、コンビニに行き、弁当を買った。唐揚げ弁当。いつもと同じ。部屋に帰って食べる。箸を動かし、米を口に運び、咀嚼し、飲み込む。味はしない。食事は燃料の補給に過ぎない。動かない身体に、エネルギーは不要だ。
 午後、何もしなかった。窓の外を眺める。山が見える。あの山の中に、トンネルがある。毎日通っていたトンネル。あのトンネルで、今日も発破が行われている。自分のいない発破。別の技士が、代わりに装薬し、結線し、点火している。その事実が、内面を静かに侵食していた。
 夜、ビールを飲んだ。三本、四本、五本。冷蔵庫の中のビールが減っていく。酔わない。アルコールは意識に何の影響も与えない。床に座り、壁に背を預け、暗闇の中でビールの缶を握りしめていた。
 そして、眠れない夜。布団に横になるが、眠りは訪れない。目を閉じても、意識は覚醒したままだ。暗闇の中で、爆発の記憶を反芻した。何千回と見てきた爆発。轟音、衝撃波、粉塵。その記憶だけが、唯一の慰めだった。記憶は次第に薄れていく。鮮明だったはずの映像が、霞んでいく。爆発を忘れ始めていた。
 一週間が経過した。自分が壊れ始めていることを感じていた。手が震える。些細な音に驚き、呼吸が浅くなる。心臓が不規則に鼓動する。動悸。発汗。これは、禁断症状だ。爆発に依存していた。そして今、爆発を奪われ、身体が悲鳴を上げている。
 十日目、現場に電話をかけた。受話器を取る手が震えている。コール音が三回鳴った後、事務員が出た。神谷を呼んでもらった。しばらくして、神谷が出た。
「柊か。何の用だ」
 神谷の声は冷たかった。
「現場の状況を教えてください」
 声は掠れていた。
 神谷はため息をついた。
「切羽面の補強は完了した。工事は再開してる。順調だ」
「発破は」
 その質問だけが、重要だった。
「別の技士が担当してる。山田だ。お前の代わりだ」
 神谷の言葉が、胸を刺した。
 言葉が途切れる。山田。二十代の若手技士。経験は浅いが、真面目な男だ。その山田が、今、代わりに発破を行っている。
「柊、お前は今、休むべきだ。カウンセリングを受けろ。産業医の予約は取ったか」
 神谷の声に、わずかな心配の色があった。
「必要ありません」
「必要あるんだよ」
 神谷の口調が厳しくなる。
「お前は、おかしくなってる。それを自覚しろ。お前は爆発に取り憑かれてる。このままだと、お前は壊れる」
 電話を切った。受話器を置く手が震えていた。別の技士が、代わりに発破を行っている。その事実が、存在理由を否定していた。もう必要とされていない。
 十二日目、産業医とのカウンセリングを受けた。本社のビル、四階。医務室。白い壁、白い天井。消毒液の臭い。待合室で十分間待たされた。壁には健康管理のポスターが貼られている。「心の健康も大切に」そのポスターを見つめていた。
 産業医は五十代の男性だった。白衣を着て、穏やかな顔つきをしている。名前は福田と言った。福田は診察室に招き入れ、向かい合って座った。
「柊さん、座ってください。リラックスしてください」
 福田は柔らかい声で話しかけてくる。
 椅子に座る。背もたれに背中を預けることができず、浅く腰掛けた。
「最近の体調はどうですか。眠れていますか」
「眠れています」
 嘘だった。ほとんど眠れていない。
「食事は摂っていますか」
「食べています」
 これも嘘だった。一日一食、コンビニの弁当を機械的に食べているだけだ。
 福田は顔を見た。医師の目は、嘘を見抜いている。
「柊さん、正直に答えてください。あなたは今、辛いんじゃないですか」
 返事はしない。「辛い」という感覚が、理解できなかった。
「神谷監督から話を聞いています。あなたは最近、発破に異常な執着を見せていると。田代さんの事故以来、あなたは変わった。そして、規則を破ってまで装薬量を増やした」
 福田は資料に視線を落としながら話した。
 黙したままだった。福田の言葉は全て事実で、否定する理由は何もない。
「柊さん、あなたは何を求めているんですか」
 口を閉ざす。自分自身、自分が何を求めているのか、言葉にできなかった。
「爆発ですか」
 福田の言葉が、核心を突いた。
 福田を見つめ返した。福田は穏やかな表情で見つめている。
「あなたは、より強い爆発を求めている。それは、なぜですか。何が、あなたをそこまで駆り立てるんですか」
 無言のままだった。診察室の壁時計の秒針が、規則正しく時を刻んでいる。三十秒が経過した。
 福田はため息をついた。
「柊さん、私の診断では、あなたは業務に戻るべきではありません。あなたは今、精神的に不安定です。このまま発破業務に戻れば、重大な事故につながる可能性があります。あなた自身が危険ですし、周囲の作業員も危険に晒されます」
「私は、問題ありません」
「問題があります」
 福田の口調が強まった。
「柊さん、あなたは助けが必要です。専門のカウンセラーを紹介できます。休職して、しっかり治療を受けるべきです」
 椅子から立ち上がった。
「失礼します」
 診察室を出た。廊下を歩くと、足音が反響する。改めて、自分が追い詰められている状況だということを理解した。会社は、現場に戻すつもりはない。発破技士としてのキャリアを失いつつあった。それは容認できないことだった。発破なしでは、生きられない。
 二週間が経過し、本社に呼ばれた。会議室の長いテーブルが目に入り、その向こうの窓からは町の景色が見える。安全管理部長、工事部長、人事部長。そして神谷。四人が待っていた。指定された席に座る。
 人事部長が口を開いた。
「柊技士、産業医の診断書を受け取りました」
 部長は資料を手に取った。
「産業医の見解では、あなたは現在、発破業務に従事すべき状態ではないとのことです。精神的な不安定さがあり、業務復帰は時期尚早であると」
 応じない。予想通りの結論だった。
「会社としては、あなたを別の部署に異動させることを検討しています。資材管理部門、あるいは事務部門への異動です。発破業務から離れて、しばらく別の仕事に従事してもらいます」
 人事部長は反応を待った。
「異動?」
「はい。あなたの技術と経験は貴重です。会社はあなたを失いたくありません。ですが、現状では発破業務を担当させることはできません」
 部長へ視線を注いだ。
「私は、発破技士です」
「それは理解しています。ですが、現状では発破業務を担当させることはできません。これは、あなたのため、そして他の作業員のための決定です」
 人事部長は毅然とした口調で話す。
 工事部長が口を開いた。
「柊技士、これは会社の決定です。あなたの安全のため、そして他の作業員の安全のための決定です。異動を受け入れてください」
「私は、問題ありません」
 繰り返す。
「問題があるんだ」
 神谷が声を荒げた。
「お前は、自分が壊れてることに気づいてない。お前は、爆発に取り憑かれてる。このままだと、お前は死ぬ。田代みたいに、腕を失うか、もっと悪い結果になる」
 神谷へ視線を向けた。神谷の目には、怒りと心配が混ざっていた。
 人事部長が続けた。
「柊技士、今日ここで決定を下すことはしません。一週間、考える時間を与えます。異動を受け入れるか、あるいは休職するか。どちらかを選んでください」
「考える必要はありません」
 立ち上がった。
「辞めます」
 会議室が静まり返った。四人の視線が集まる。
「退職します」
 はっきりと告げた。
 人事部長が慌てた様子で口を開く。
「柊技士、落ち着いてください。そんな即断は――」
「決めました。今日付で退職します」
 会議室を出た。
 廊下を歩くが、誰も追ってこない。エレベーターに乗った。鏡に映る自分の顔は疲弊していたが、目にはわずかな光があった。
 退職。その言葉を口にした瞬間、何かが解放されたような感覚を覚えた。会社に縛られる必要はない。規則に従う必要もない。神谷の心配を受け入れる必要もない。自由になった。そして決めていた。次に行く場所を。
 軽トラックに乗り込み、会社の駐車場を出る。アパートには向かわない。ある場所に向かった。車で三時間。
 そこには、巨大なダムがあった。高さ八十メートル、幅二百メートル。コンクリートの巨大な構造物。車を止め、ダムを見上げた。このダムは老朽化により、解体されることになっていた。そして、解体工事には発破技士が必要だった。新聞の求人広告でこの工事のことを知っていた。
 工事現場の事務所を訪れた。プレハブの建物。ドアを開けると、事務員が振り返った。
「発破技士の求人について、話を聞きたい」
 事務員は現場監督のところに案内した。現場監督は六十代の男性だった。日焼けした顔、白髪混じりの髪。名前は吉田と言った。
「発破技士か。経験は?」
「十五年です」
「前の会社は?」
「辞めました」
「理由は?」
 答えなかった。吉田は顔を数秒間見つめた。吉田は何かを読み取ったようだった。
「まあ、いい。経験があるなら、それでいい。ダムの解体は、トンネル工事とは違うぞ。規模が全然違う。大丈夫か?」
「大丈夫です」
「いつから働ける?」
「明日から」
 吉田の表情が緩んだ。
「気に入った。明日から来い。朝七時に、ここに来てくれ」
 事務所を出て、ダムを見上げる。巨大なコンクリートの壁。このダムを、破壊する。トンネルの岩盤とは比較にならない規模の破壊。内面に、久しぶりに期待感が芽生えた。
 軽トラックに乗り込み、アパートに帰る。荷物をまとめる必要がある。といっても、荷物はほとんどない。作業服、工具、ノート。それだけだ。離婚届を探した。まだ郵送していなかった。封筒に切手を貼り、近くのポストに投函した。これで、すべてが終わった。会社、妻、過去。すべてを捨てた。そして新しい場所へ向かう。より大きな爆発がある場所へ。
 翌日、ダム解体現場に到着した。朝七時。空は曇っていた。ダムは山間部にあり、周囲は深い森に囲まれている。事務所で手続きを済ませた。ヘルメット、作業服、安全靴。すべて支給された。
「今日は、戸川さんと一緒に作業してもらう。戸川さんはベテランだ。いろいろ教えてもらえ」
 吉田の指示を受け、ダム堤体に向かう。
 コンクリートの壁が、目の前にそびえている。トンネルの切羽面とは、スケールが違う。壁に近づき、手を触れた。冷たく、硬い。トンネルの岩盤とは違う硬さだ。人工物の硬さ。表面には無数の亀裂が走っている。老朽化の証だ。
「新入りか」
 背後から声がかかった。
 振り返ると、老人が立っていた。六十代後半、痩せた体格。顔には深い皺が刻まれ、目は鋭い光を放っている。作業服は古く、何度も洗濯されて色褪せている。
「俺は戸川。発破技士だ」
「柊です」
「柊か。よろしく」
 戸川は見つめた。
「お前、経験者だな。目を見れば分かる」
「はい。十五年です」
 戸川の口元が緩んだ。
「俺は五十年だ。十五歳の時から、ずっと爆発を見てきた」
 五十年。自分の三倍以上の経験。戸川という男に興味を持った。
「ダムの解体は初めてか」
「はい」
「トンネルとは違うぞ。規模が全然違う。装薬量も、爆発の大きさも、すべてが桁違いだ」
 戸川はダムを見上げた。
「このダムを完全に破壊するには、三ヶ月かかる。毎日、発破だ。毎日、爆発を見られる。最高だろう」
 小さく肯いた。戸川の言葉に、共感した。
「お前、爆発が好きだな」
 戸川の言葉が、核心を突いた。
 返事をしなかった。答える必要がなかった。戸川は既に、本質を見抜いている。
 戸川の表情に、理解の色が浮かんだ。
「分かるよ。お前の目を見れば。お前は、爆発を愛してる」
 何も語らない。戸川の言葉は、誰も口にしなかった真実だった。
「俺もそうだ」
 戸川は遠くを見つめた。
「五十年間、俺は爆発を見続けてきた。何千回、何万回。数えきれないほどの爆発。だが、まだ足りない。もっと見たい。もっと強い爆発を。もっと美しい爆発を」
 戸川の中に自分を見た。五十年後の自分。爆発を追い続け、老いてなお爆発を求め続ける男。
「お前も、そうだろう」
 戸川が顔を向けた。
「そうです」
 戸川は満足そうな表情を見せた。
「いいぞ。お前は、いい発破技士になれる。いや、もうなってるな。十五年もやってれば、爆発の何たるかが分かってくる」
 その日から、戸川と共に働き始めた。ダムの解体は、トンネル工事とは全く異なっていた。まず、装薬量が桁違いに多い。一回の発破で使用するダイナマイトは、数百キログラム。トンネルで使っていた量の、十倍以上だ。
 装薬孔も、桁違いに多い。三百本、四百本。それらすべてに、ダイナマイトを装填する。作業は丸一日かかることもあった。
 そして、爆発の規模。それは、今まで見たどの爆発よりも大きかった。
 初めての発破の日。戸川と共に、ダム堤体に装薬孔を開けた。電動ドリルで、コンクリートに穴を開けていく。ドリルの音が、山に反響する。装薬孔の数は、三百。深度は五メートル。二人で装薬作業を行った。
「一つの孔に、ダイナマイトを十本入れる」
 戸川が指示を出す。
 十本。三キログラム。トンネル工事の五倍の装薬量。興奮を抑えきれなかった。手が震えている。それは恐怖ではない。期待だ。
 装薬作業は丸一日かかった。三百本の装薬孔。合計三千本のダイナマイト。九百キログラムの爆薬。今まで扱った中で、最大の装薬量だった。装薬しながら、明日の爆発を想像していた。九百キログラムのダイナマイトが、一斉に爆発する。その規模は、想像を絶する。
 翌日、発破が実行された。退避距離は、五百メートル。トンネル工事の退避所とは比較にならない距離。戸川と共に、退避地点に立った。他の作業員たちも集まっている。総勢二十人。全員がダムから五百メートル離れた丘の上に立っている。
「準備はいいか」
 吉田が作業員たちに声をかける。
「いい」
 戸川が応じた。
「発破、開始」
 吉田がスイッチを押す。
 瞬間。世界が揺れた。
 轟音。それは、今まで聞いた中で最大の音だった。音というより、空気そのものの振動だった。鼓膜が内側から押される。地面が振動する。足元が揺れる。空気が震える。
 ダム堤体の一部が、内側から崩壊していく。コンクリートの塊が、宙を舞う。人間の胴体ほどの大きさのコンクリート片が、数十個、空中に飛び散る。それらは放物線を描いて落下する。
 粉塵が、巨大な雲となって立ち上る。白い雲。それは高さ百メートルまで上昇し、風に流されていく。
 爆発は、三十秒間続いた。三十秒間、轟音と振動が続いた。そして、静寂。粉塵が晴れていく。ダム堤体には、巨大な穴が開いていた。
 動けなかった。今見た爆発。それは、想像を遥かに超えていた。規模、音、衝撃。すべてが、桁違いだった。身体は震えていた。興奮で、全身が震えていた。
「どうだ」
 戸川が声をかけてくる。
「すごいだろう」
 肯いた。言葉が出なかった。喉が渇き、心臓が激しく鼓動している。
「これが、ダムの解体だ」
 戸川は満足そうな表情を見せた。
「トンネルとは、比べ物にならないだろう」
 ダム堤体を眺めた。崩壊した部分。そこには、巨大な穴が開いている。直径二十メートルほどの穴。その穴の周囲には、亀裂が走っている。
 内面に、新しい感情が芽生えていた。渇望。より大きな爆発への、渇望。九百キログラムのダイナマイト。もっと大きな爆発が可能だ。一トン、二トン。どこまで大きくできるのか。それを知りたかった。
 その夜、新しいアパートで一人、ビールを飲んでいた。ダム現場の近くの町。人口三千人ほどの小さな町。築三十年の木造アパートの一室を借りた。六畳一間。前のアパートと同じだ。窓からは、山が見える。
 ノートを開く。今日の発破のデータを記録する。装薬量、装薬孔の数、爆発の規模。ペンを走らせた。そして、考えた。もっと大きな爆発を起こすには、どうすればいいか。装薬量を増やす。雷管の配置を変える。頭の中で、計画が形成されていく。
 ドアがノックされた。立ち上がり、ドアを開ける。戸川が立っていた。手にはビールの缶を六本、ビニール袋に入れて持っている。
「飲もうぜ。新入りの歓迎だ」
 戸川を部屋に入れた。二人は床に座り、ビールを飲んだ。戸川は部屋を見回した。
「何もないな。お前、ミニマリストか」
「必要なものが、ないだけです」
 戸川の口元が緩んだ。
「俺もそうだ。俺の部屋も、何もない。爆発以外、何も必要ない」
 二人は黙ってビールを飲んだ。しばらくして、戸川が口を開いた。
「今日の発破、どうだった」
「すごかった」
「だろうな。俺も、初めてダムの解体を見た時は、感動したよ。トンネルの発破とは、次元が違う。規模が違う。美しさが違う」
 戸川はビールを飲んだ。
「だが、これはまだ序の口だ」
 戸川へ視線を向けた。
「ダムの本体を破壊する時は、もっと大きな爆発になる。その時は、一回の発破で一トン以上のダイナマイトを使う。一トンだぞ。想像できるか」
 一トン。想像を超える量だった。想像しようとした。一トンのダイナマイトが、一斉に爆発する。その規模は、今日見た爆発の何倍になるのか。
「お前、楽しみだろう」
 戸川の表情が和らいだ。
「はい」
「俺もだ」
 戸川は窓の外の暗闇へ視線を向けた。
「俺はな、若い頃、事故で仲間を三人失った」
 戸川へ視線を注いだ。戸川の表情が、わずかに曇った。
「発破事故だ。不発の処理中に、遅発が起きた。俺は退避していたが、三人は現場にいた。三人は、爆発に巻き込まれた。即死だった」
 戸川の声が、低くなった。
 静寂が落ちる。田代の事故を思い出した。田代は腕を失ったが、命は助かった。戸川の仲間たちは、命を失った。
「あれから四十年以上経つ。だが、俺は忘れられない」
 戸川はビールを飲んだ。
「三人の名前は、山本、田中、佐藤。みんな二十代だった。俺より若かった」
 戸川は顔を向けた。
「俺はその日から、爆発の中に彼らを探している」
 戸川の言葉の意味を考えた。爆発の中に、死者を探す。それはどういうことか。
「分かるか。爆発の中に、彼らがいるんだ。爆発を見るたびに、彼らの姿が見える気がする」
 戸川の目が、遠くを見ている。
「俺は、彼らに会うために、爆発を見続けてる」
 完全には理解できなかった。戸川の言葉の中に、何か深い真実があることは感じた。
「お前も、いつか分かる」
 戸川は腰を上げた。
「お前も、爆発の中に何かを探すようになる。それが何なのか、今はまだ分からないだろうが」
 戸川は残りのビールを渡した。
「じゃあな。また明日」
 戸川は部屋を出て行った。ドアが閉まる音。一人、残された。
 ビールを飲みながら、戸川の言葉を反芻していた。爆発の中に、彼らがいる。自分が爆発の中に何を探しているのか、まだ理解していなかった。いつか分かる日が来る。そう感じていた。
 二週間が経過した。毎日、戸川と共に発破作業を行った。ダムは少しずつ、破壊されていく。毎日の爆発。それは、生きる理由だった。朝起きて、現場に行き、装薬し、結線し、発破する。その繰り返し。毎日の爆発は、微妙に異なっていた。装薬量、装薬孔の配置、爆発の結果。すべてが変化していた。
 ある日、気づいた。爆発に慣れ始めている。最初は圧倒された爆発も、十回、二十回と見ているうちに、感動が薄れていく。轟音は相変わらず大きいが、心を揺さぶる力が弱まっている。より強い刺激を求め始めていた。
 三週間目のある日、装薬作業の休憩中、二人はダム堤体の前に座っていた。
「戸川さん、装薬量を増やしたら、どうなりますか」
 戸川へ視線を注いだ。
「増やしたら、爆発の規模が大きくなる。当たり前だ」
「どれくらい増やせますか」
 戸川は少し間を置いた。
「設計上は、今の一・五倍までなら可能だ。それ以上増やすと、ダムの構造が想定外の壊れ方をする可能性がある」
 一・五倍。目が輝いた。
 戸川は続けた。
「だが、それは危険だ。設計外の装薬は、予測不能な結果を招く。最悪の場合、ダム全体が一気に崩壊する」
「でも、可能ですよね」
 戸川は見つめた。その目には、警戒の色があった。
「お前、何を考えてる」
 答えなかった。
 戸川の表情に苦味が浮かんだ。
「分かった。お前は、もっと大きな爆発が見たいんだな。俺も若い頃、同じことを考えた。もっと大きく、もっと強く。だが、それは危険だ」
「分かっています」
「分かってない」
 戸川は首を振った。
「お前は、まだ分かってない。爆発は、制御を超えると、人を殺す。俺の仲間のように」
 言葉が途切れる。
「勝手なことはするな。約束しろ」
 戸川の声に、強い響きがある。
 応じない。戸川はため息をついた。
 その日の夜、一人で現場を訪れた。深夜、午前二時。誰もいない現場。月明かりが、ダム堤体を照らしている。懐中電灯を持って、ダムに近づいた。
 明日の発破のために、すでに装薬が完了している。三百本の装薬孔に、それぞれ十本のダイナマイトが装填されている。その装薬孔の一部に、追加のダイナマイトを装填することにした。
 軽トラックの荷台から、ダイナマイトの箱を取り出す。現場から、こっそりダイナマイトを持ち出していた。百本のダイナマイト。三十キログラム。
 二十本の装薬孔を選んだ。それらは、ダム堤体の中央下部に位置している。各孔に、五本のダイナマイトを追加で装填した。装薬棒で押し込む。孔は満杯になった。
 合計百本、三十キログラムの追加装薬。これで、明日の発破は通常より約三パーセント強力になる。どんな結果になるか、予測できない。それが求めるものだった。予測不能な爆発。
 作業を終え、現場を後にする。誰にも気づかれなかった。
 翌日、発破が実行された。朝九時。作業員たちが退避地点に集まる。戸川の隣に立った。戸川は何も気づいていない様子だった。
「発破、開始」
 吉田がスイッチを押す。
 電流が主線を流れる。雷管に達する。起爆。
 爆発。
 今回の爆発は違った。轟音が、通常より明らかに大きい。耳が痛む。地面の振動も、通常より強い。足元が大きく揺れる。
 ダム堤体の崩壊が、予想より広範囲に及ぶ。中央下部だけでなく、その周囲も崩れ始めている。コンクリートの破片が、退避地点の方向に飛んでくる。
「伏せろ!」
 誰かの叫び声。
 作業員たちが地面に伏せる。伏せた。爆発を見続けていた。顔を上げて、ダムを見ている。
 コンクリートの破片が、十メートルほどの場所に落下した。重い音を立てて、地面に衝突する。人間の頭ほどのサイズ。もし当たっていたら、即死だった。
 爆発が終わった後、現場は騒然となった。作業員たちが起き上がり、互いに無事を確認し合っている。
「何が起きた!」
 吉田の怒声が響く。
「今の爆発、おかしいぞ!」
 戸川が視線を注いだ。その目には、疑念があった。
「柊、お前、何かしたのか」
 答えなかった。答える必要を感じなかった。
 吉田が装薬孔を確認しに行った。他の作業員たちも付いていく。戸川も向かった。
 吉田が装薬孔を調べている。数本の孔を確認した後、吉田は振り返った。
「装薬量が、設計より多い。誰かが追加で装薬した」
 吉田は作業員たちを見渡した。
「誰だ。誰がやった」
 誰も答えない。吉田は視線を向けた。
「新入りの柊、お前か」
 静寂。数秒の沈黙。そして、肯いた。
「俺です」
 吉田の表情が強張った。
「なぜだ。なぜ勝手に装薬量を変えた」
「より効率的な破壊のためです」
「効率?」
 吉田の声に怒気が満ちる。
「お前のせいで、死人が出るところだった。破片が飛んできただろう。あれが誰かに当たっていたら、どうなっていたと思う」
 無言のまま。
 吉田は睨みつけた。
「お前、クビだ。今すぐ出ていけ。二度と、ここに来るな」
 肯いた。予想していた結果だった。
 戸川が口を開いた。
「監督、柊は経験者です。もう一度チャンスを――」
「ダメだ」
 吉田は首を振った。
「こいつは危険だ。ルールを守れない。現場に置いておけない」
 現場を去った。荷物をまとめ、軽トラックに乗り込み、エンジンをかける。戸川が追いかけてきた。車の窓を開ける。
「柊、待て」
 戸川が息を切らしながら近づいてくる。
「お前、何を求めてるんだ」
 戸川の声には、怒りではなく、心配があった。
 答えなかった。自分でも、明確には分かっていなかった。
「お前は、爆発の中に入りたいんだな」
 戸川の言葉が、核心を突いた。
 戸川へ視線を注いだ。戸川の目には、理解があった。同じものを求める者同士の、理解。
「やめろ。そんなことをしたら、お前は死ぬ」
「死ぬつもりはありません」
「だが、お前は死に向かってる。分かるか。お前は、自分を破壊しようとしてる」
 言葉が途切れる。
「柊」
 戸川は腕を掴んだ。
「俺には分かる。お前は、俺と同じだ。爆発に取り憑かれてる。だが、俺は生き延びた。五十年間、爆発を見続けながらも、生き延びた」
 戸川は鋭い眼差しで、こちらを見つめた。
「お前も、生き延びろ。爆発に飲み込まれるな」
 何も言えなかった。
「柊」
 戸川が最後に告げた。
「俺には、分かる。お前は、もう引き返せないところまで来てる。だが、それでも言う。やめろ。爆発の中に入るな」
 窓を閉める。エンジンをかける。戸川は車から離れた。
 現場を離れる。バックミラー越しに、戸川の姿が小さくなっていく。また仕事を失った。後悔はなかった。より大きな爆発を見た。それだけで、十分だった。
 町を出た。山道を走る。どこに行くべきか、分からない。一つだけ、確信があった。次の爆発を探す。より大きな爆発を。
 町を出て三十分ほど走った時、携帯電話が鳴った。路肩に車を止め、電話に出る。
「もしもし」
「一成?」
 聡子の声だった。驚いた。聡子からの電話は、離婚届を渡された日以来、なかった。
「どうした」
「あなた、今どこにいるの」
 聡子の声には、緊張があった。
「山の中だ」
「山の中? あなた、また現場で働いてるの」
「いや。今、辞めたところだ」
 聡子は沈黙した。数秒の沈黙。そして、聡子の声が続いた。
「一成、私、あなたに会いに行くわ」
「なぜだ」
「話したいことがあるの。大事な話。今、あなたはどこの山にいるの」
 周囲を見回す。山道。看板がある。「岩倉峠」と書いてある。
「岩倉峠だ」
「分かった。二時間で行く。そこで待ってて」
 電話が切れた。聡子が来る。なぜ。離婚届はもう郵送した。もう、二人の間には何もないはずだ。
 車を降りる。岩倉峠は、山の中腹にある展望台だった。そこからは、谷が見下ろせる。遠くには、ダムが見える。働いていたダム。小さく見えるが、その巨大さは変わらない。
 展望台のベンチに座る。十一月の冷たい風が吹いている。聡子を待った。
 二時間後、車のエンジン音が聞こえた。振り返ると白い車が見えた。聡子の車だ。車が止まり、聡子が降りてきた。
 聡子は厚手のコートを着ていた。髪は短く切ったままだ。聡子は近づき、隣に座った。
「久しぶり」
「離婚届は、郵送した」
「受け取ったわ。ありがとう」
 聡子は谷の向こうを見つめた。
「でも、それで話は終わりじゃないの」
 聡子へ視線を注いだ。
「一成、あなた、まだ爆発を追いかけてるのね」
「ああ」
「あなた、死ぬつもりなの」
 応じない。
 聡子は顔を向けた。その目には、涙があった。
「一成、お願い。やめて。もう、やめて」
「何をだ」
「爆発を追いかけるのを。あなた、自分を破壊しようとしてる。私には分かるの」
 聡子は涙を拭った。
「あなたは、最初からそうだった。空虚だった。でも、今は違う。今のあなたは、爆発に飲み込まれようとしてる」
 黙したまま。
「私、怖いの」
 聡子は続けた。
「あなたが、いつか爆発の中で死ぬんじゃないかって。田代さんみたいに、身体を失うんじゃないかって。いえ、もっと悪いことになるんじゃないかって」
「心配するな。俺は、死なない」
「嘘」
 聡子は首を振った。
「あなたは、死に向かってる。自分では気づいてないかもしれないけど」
 聡子はベンチから腰を上げた。そして、前に立った。
「一成、お願い。爆発から離れて。普通の生活をして」
「普通の生活?」
 聡子を見上げた。
「俺には、それができない」
「できるわ。あなたは、ただ忘れてるだけ」
「忘れてない」
 ベンチから腰を上げた。
「俺は、最初から爆発しかなかった」
 聡子は見つめた。そして、諦めたように笑った。
「そうね。あなたは、最初からそうだった。私が、それを受け入れられなかっただけ」
 聡子は背を向けた。
「さようなら、一成。もう、会うことはないわ」
 聡子は車に戻った。エンジンがかかり、車が動き出す。聡子の車が見えなくなるまで見送った。
 一人、展望台に残された。遠くにダムが見える。そのダムを見つめた。あそこで、爆発を見た。もう戻れない。
 次の場所を探す必要がある。もう現場はない。会社を辞め、ダムの現場も追い出された。もう行く場所がない。
 軽トラックに乗り込むが、エンジンをかけない。ハンドルに額を押し当てた。
 もう、終わりなのか。
 爆発のない人生。
 それに耐えられるのだろうか。
 自分の手を眺める。この手で、何千回と爆発を起こしてきた。もうその手は何もできない。
 エンジンをかける。どこに行けばいいのか分からなかった。
 一週間後、戸川の訃報を聞いた。
 新聞の片隅に、小さな記事があった。「ダム解体現場で発破技士死亡」記事を読むと、戸川の名前があった。心臓発作。現場で倒れ、病院に搬送されたが、死亡が確認された。六十八歳。
 新聞を置く。戸川が死んだ。五十年間、爆発を見続けてきた男が、死んだ。
 葬儀は、ダムの近くの町で行われた。小さな葬儀場。参列者は二十人ほど。ダムの現場の作業員たちで、吉田もいた。
 最後列に座る。誰も話しかけなかった。吉田はこちらを見たが、何も言わなかった。
 僧侶が読経する。線香の煙が立ち上る。遺影の中の戸川は、笑っていた。
 戸川の死を悼むことができなかった。何も感じなかった。戸川は死んだ。それは事実だ。内面に、悲しみはなかった。
 戸川の死は「爆発しなかった出来事」だった。爆発のない出来事は、意味を持たない。
 葬儀が終わった後、葬儀場を出た。駐車場で、軽トラックに乗り込む。
 戸川は死んだ。五十年間、爆発を見続けた男は、最後は心臓発作で死んだ。爆発の中ではなく、ベッドの上で。
 それが戸川にとって幸福だったのか、不幸だったのか、分からなかった。
 エンジンをかける。町を出る。山道を走る。
 もう行く場所がない。運転を続けた。
 そして決意していた。
 いつか、最後の爆発に辿り着く。
 その日まで、生き続けると。
シェア
前の話 →
起爆
← 次の話
殉爆
世界を加速させる爆薬作者:森本 凛
目次を見る
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム世界を加速させる爆薬破砕
← 前の話目次次の話 →

破砕

 二週間の自宅待機は、拷問だった。
 アパートの部屋で、時間の感覚を失った。午前も午後も、昼も夜も、すべてが同じに感じられた。爆発のない時間。それは時間ですらなかった。窓の外の景色は変わらず、隣の部屋からは相変わらず生活音が聞こえてくるが、世界は完全に停止していた。
 毎日、同じことを繰り返した。午前四時三十分に目覚める。身体が自動的に起床する。十五年間、毎朝この時刻に起きてきた身体は、仕事がなくても同じリズムを刻む。行く場所がない。ベッドに横になったまま、天井を見つめた。天井の染み。雨漏りの跡。それを何時間も見つめ続けた。染みの形は変わらない。昨日と同じ形。明日も同じ形。
 午前七時、起き上がる。洗面所に行き、顔を洗う。鏡に映る自分の顔。無精髭が伸び、目の下の隈が濃くなっている。作業服を着た。現場には行けない。作業服を脱ぎ、また布団に横になった。天井を見る。時間が過ぎる。何も起きない。
 昼、コンビニに行き、弁当を買った。唐揚げ弁当。いつもと同じ。部屋に帰って食べる。箸を動かし、米を口に運び、咀嚼し、飲み込む。味はしない。食事は燃料の補給に過ぎない。動かない身体に、エネルギーは不要だ。
 午後、何もしなかった。窓の外を眺める。山が見える。あの山の中に、トンネルがある。毎日通っていたトンネル。あのトンネルで、今日も発破が行われている。自分のいない発破。別の技士が、代わりに装薬し、結線し、点火している。その事実が、内面を静かに侵食していた。
 夜、ビールを飲んだ。三本、四本、五本。冷蔵庫の中のビールが減っていく。酔わない。アルコールは意識に何の影響も与えない。床に座り、壁に背を預け、暗闇の中でビールの缶を握りしめていた。
 そして、眠れない夜。布団に横になるが、眠りは訪れない。目を閉じても、意識は覚醒したままだ。暗闇の中で、爆発の記憶を反芻した。何千回と見てきた爆発。轟音、衝撃波、粉塵。その記憶だけが、唯一の慰めだった。記憶は次第に薄れていく。鮮明だったはずの映像が、霞んでいく。爆発を忘れ始めていた。
 一週間が経過した。自分が壊れ始めていることを感じていた。手が震える。些細な音に驚き、呼吸が浅くなる。心臓が不規則に鼓動する。動悸。発汗。これは、禁断症状だ。爆発に依存していた。そして今、爆発を奪われ、身体が悲鳴を上げている。
 十日目、現場に電話をかけた。受話器を取る手が震えている。コール音が三回鳴った後、事務員が出た。神谷を呼んでもらった。しばらくして、神谷が出た。
「柊か。何の用だ」
 神谷の声は冷たかった。
「現場の状況を教えてください」
 声は掠れていた。
 神谷はため息をついた。
「切羽面の補強は完了した。工事は再開してる。順調だ」
「発破は」
 その質問だけが、重要だった。
「別の技士が担当してる。山田だ。お前の代わりだ」
 神谷の言葉が、胸を刺した。
 言葉が途切れる。山田。二十代の若手技士。経験は浅いが、真面目な男だ。その山田が、今、代わりに発破を行っている。
「柊、お前は今、休むべきだ。カウンセリングを受けろ。産業医の予約は取ったか」
 神谷の声に、わずかな心配の色があった。
「必要ありません」
「必要あるんだよ」
 神谷の口調が厳しくなる。
「お前は、おかしくなってる。それを自覚しろ。お前は爆発に取り憑かれてる。このままだと、お前は壊れる」
 電話を切った。受話器を置く手が震えていた。別の技士が、代わりに発破を行っている。その事実が、存在理由を否定していた。もう必要とされていない。
 十二日目、産業医とのカウンセリングを受けた。本社のビル、四階。医務室。白い壁、白い天井。消毒液の臭い。待合室で十分間待たされた。壁には健康管理のポスターが貼られている。「心の健康も大切に」そのポスターを見つめていた。
 産業医は五十代の男性だった。白衣を着て、穏やかな顔つきをしている。名前は福田と言った。福田は診察室に招き入れ、向かい合って座った。
「柊さん、座ってください。リラックスしてください」
 福田は柔らかい声で話しかけてくる。
 椅子に座る。背もたれに背中を預けることができず、浅く腰掛けた。
「最近の体調はどうですか。眠れていますか」
「眠れています」
 嘘だった。ほとんど眠れていない。
「食事は摂っていますか」
「食べています」
 これも嘘だった。一日一食、コンビニの弁当を機械的に食べているだけだ。
 福田は顔を見た。医師の目は、嘘を見抜いている。
「柊さん、正直に答えてください。あなたは今、辛いんじゃないですか」
 返事はしない。「辛い」という感覚が、理解できなかった。
「神谷監督から話を聞いています。あなたは最近、発破に異常な執着を見せていると。田代さんの事故以来、あなたは変わった。そして、規則を破ってまで装薬量を増やした」
 福田は資料に視線を落としながら話した。
 黙したままだった。福田の言葉は全て事実で、否定する理由は何もない。
「柊さん、あなたは何を求めているんですか」
 口を閉ざす。自分自身、自分が何を求めているのか、言葉にできなかった。
「爆発ですか」
 福田の言葉が、核心を突いた。
 福田を見つめ返した。福田は穏やかな表情で見つめている。
「あなたは、より強い爆発を求めている。それは、なぜですか。何が、あなたをそこまで駆り立てるんですか」
 無言のままだった。診察室の壁時計の秒針が、規則正しく時を刻んでいる。三十秒が経過した。
 福田はため息をついた。
「柊さん、私の診断では、あなたは業務に戻るべきではありません。あなたは今、精神的に不安定です。このまま発破業務に戻れば、重大な事故につながる可能性があります。あなた自身が危険ですし、周囲の作業員も危険に晒されます」
「私は、問題ありません」
「問題があります」
 福田の口調が強まった。
「柊さん、あなたは助けが必要です。専門のカウンセラーを紹介できます。休職して、しっかり治療を受けるべきです」
 椅子から立ち上がった。
「失礼します」
 診察室を出た。廊下を歩くと、足音が反響する。改めて、自分が追い詰められている状況だということを理解した。会社は、現場に戻すつもりはない。発破技士としてのキャリアを失いつつあった。それは容認できないことだった。発破なしでは、生きられない。
 二週間が経過し、本社に呼ばれた。会議室の長いテーブルが目に入り、その向こうの窓からは町の景色が見える。安全管理部長、工事部長、人事部長。そして神谷。四人が待っていた。指定された席に座る。
 人事部長が口を開いた。
「柊技士、産業医の診断書を受け取りました」
 部長は資料を手に取った。
「産業医の見解では、あなたは現在、発破業務に従事すべき状態ではないとのことです。精神的な不安定さがあり、業務復帰は時期尚早であると」
 応じない。予想通りの結論だった。
「会社としては、あなたを別の部署に異動させることを検討しています。資材管理部門、あるいは事務部門への異動です。発破業務から離れて、しばらく別の仕事に従事してもらいます」
 人事部長は反応を待った。
「異動?」
「はい。あなたの技術と経験は貴重です。会社はあなたを失いたくありません。ですが、現状では発破業務を担当させることはできません」
 部長へ視線を注いだ。
「私は、発破技士です」
「それは理解しています。ですが、現状では発破業務を担当させることはできません。これは、あなたのため、そして他の作業員のための決定です」
 人事部長は毅然とした口調で話す。
 工事部長が口を開いた。
「柊技士、これは会社の決定です。あなたの安全のため、そして他の作業員の安全のための決定です。異動を受け入れてください」
「私は、問題ありません」
 繰り返す。
「問題があるんだ」
 神谷が声を荒げた。
「お前は、自分が壊れてることに気づいてない。お前は、爆発に取り憑かれてる。このままだと、お前は死ぬ。田代みたいに、腕を失うか、もっと悪い結果になる」
 神谷へ視線を向けた。神谷の目には、怒りと心配が混ざっていた。
 人事部長が続けた。
「柊技士、今日ここで決定を下すことはしません。一週間、考える時間を与えます。異動を受け入れるか、あるいは休職するか。どちらかを選んでください」
「考える必要はありません」
 立ち上がった。
「辞めます」
 会議室が静まり返った。四人の視線が集まる。
「退職します」
 はっきりと告げた。
 人事部長が慌てた様子で口を開く。
「柊技士、落ち着いてください。そんな即断は――」
「決めました。今日付で退職します」
 会議室を出た。
 廊下を歩くが、誰も追ってこない。エレベーターに乗った。鏡に映る自分の顔は疲弊していたが、目にはわずかな光があった。
 退職。その言葉を口にした瞬間、何かが解放されたような感覚を覚えた。会社に縛られる必要はない。規則に従う必要もない。神谷の心配を受け入れる必要もない。自由になった。そして決めていた。次に行く場所を。
 軽トラックに乗り込み、会社の駐車場を出る。アパートには向かわない。ある場所に向かった。車で三時間。
 そこには、巨大なダムがあった。高さ八十メートル、幅二百メートル。コンクリートの巨大な構造物。車を止め、ダムを見上げた。このダムは老朽化により、解体されることになっていた。そして、解体工事には発破技士が必要だった。新聞の求人広告でこの工事のことを知っていた。
 工事現場の事務所を訪れた。プレハブの建物。ドアを開けると、事務員が振り返った。
「発破技士の求人について、話を聞きたい」
 事務員は現場監督のところに案内した。現場監督は六十代の男性だった。日焼けした顔、白髪混じりの髪。名前は吉田と言った。
「発破技士か。経験は?」
「十五年です」
「前の会社は?」
「辞めました」
「理由は?」
 答えなかった。吉田は顔を数秒間見つめた。吉田は何かを読み取ったようだった。
「まあ、いい。経験があるなら、それでいい。ダムの解体は、トンネル工事とは違うぞ。規模が全然違う。大丈夫か?」
「大丈夫です」
「いつから働ける?」
「明日から」
 吉田の表情が緩んだ。
「気に入った。明日から来い。朝七時に、ここに来てくれ」
 事務所を出て、ダムを見上げる。巨大なコンクリートの壁。このダムを、破壊する。トンネルの岩盤とは比較にならない規模の破壊。内面に、久しぶりに期待感が芽生えた。
 軽トラックに乗り込み、アパートに帰る。荷物をまとめる必要がある。といっても、荷物はほとんどない。作業服、工具、ノート。それだけだ。離婚届を探した。まだ郵送していなかった。封筒に切手を貼り、近くのポストに投函した。これで、すべてが終わった。会社、妻、過去。すべてを捨てた。そして新しい場所へ向かう。より大きな爆発がある場所へ。
 翌日、ダム解体現場に到着した。朝七時。空は曇っていた。ダムは山間部にあり、周囲は深い森に囲まれている。事務所で手続きを済ませた。ヘルメット、作業服、安全靴。すべて支給された。
「今日は、戸川さんと一緒に作業してもらう。戸川さんはベテランだ。いろいろ教えてもらえ」
 吉田の指示を受け、ダム堤体に向かう。
 コンクリートの壁が、目の前にそびえている。トンネルの切羽面とは、スケールが違う。壁に近づき、手を触れた。冷たく、硬い。トンネルの岩盤とは違う硬さだ。人工物の硬さ。表面には無数の亀裂が走っている。老朽化の証だ。
「新入りか」
 背後から声がかかった。
 振り返ると、老人が立っていた。六十代後半、痩せた体格。顔には深い皺が刻まれ、目は鋭い光を放っている。作業服は古く、何度も洗濯されて色褪せている。
「俺は戸川。発破技士だ」
「柊です」
「柊か。よろしく」
 戸川は見つめた。
「お前、経験者だな。目を見れば分かる」
「はい。十五年です」
 戸川の口元が緩んだ。
「俺は五十年だ。十五歳の時から、ずっと爆発を見てきた」
 五十年。自分の三倍以上の経験。戸川という男に興味を持った。
「ダムの解体は初めてか」
「はい」
「トンネルとは違うぞ。規模が全然違う。装薬量も、爆発の大きさも、すべてが桁違いだ」
 戸川はダムを見上げた。
「このダムを完全に破壊するには、三ヶ月かかる。毎日、発破だ。毎日、爆発を見られる。最高だろう」
 小さく肯いた。戸川の言葉に、共感した。
「お前、爆発が好きだな」
 戸川の言葉が、核心を突いた。
 返事をしなかった。答える必要がなかった。戸川は既に、本質を見抜いている。
 戸川の表情に、理解の色が浮かんだ。
「分かるよ。お前の目を見れば。お前は、爆発を愛してる」
 何も語らない。戸川の言葉は、誰も口にしなかった真実だった。
「俺もそうだ」
 戸川は遠くを見つめた。
「五十年間、俺は爆発を見続けてきた。何千回、何万回。数えきれないほどの爆発。だが、まだ足りない。もっと見たい。もっと強い爆発を。もっと美しい爆発を」
 戸川の中に自分を見た。五十年後の自分。爆発を追い続け、老いてなお爆発を求め続ける男。
「お前も、そうだろう」
 戸川が顔を向けた。
「そうです」
 戸川は満足そうな表情を見せた。
「いいぞ。お前は、いい発破技士になれる。いや、もうなってるな。十五年もやってれば、爆発の何たるかが分かってくる」
 その日から、戸川と共に働き始めた。ダムの解体は、トンネル工事とは全く異なっていた。まず、装薬量が桁違いに多い。一回の発破で使用するダイナマイトは、数百キログラム。トンネルで使っていた量の、十倍以上だ。
 装薬孔も、桁違いに多い。三百本、四百本。それらすべてに、ダイナマイトを装填する。作業は丸一日かかることもあった。
 そして、爆発の規模。それは、今まで見たどの爆発よりも大きかった。
 初めての発破の日。戸川と共に、ダム堤体に装薬孔を開けた。電動ドリルで、コンクリートに穴を開けていく。ドリルの音が、山に反響する。装薬孔の数は、三百。深度は五メートル。二人で装薬作業を行った。
「一つの孔に、ダイナマイトを十本入れる」
 戸川が指示を出す。
 十本。三キログラム。トンネル工事の五倍の装薬量。興奮を抑えきれなかった。手が震えている。それは恐怖ではない。期待だ。
 装薬作業は丸一日かかった。三百本の装薬孔。合計三千本のダイナマイト。九百キログラムの爆薬。今まで扱った中で、最大の装薬量だった。装薬しながら、明日の爆発を想像していた。九百キログラムのダイナマイトが、一斉に爆発する。その規模は、想像を絶する。
 翌日、発破が実行された。退避距離は、五百メートル。トンネル工事の退避所とは比較にならない距離。戸川と共に、退避地点に立った。他の作業員たちも集まっている。総勢二十人。全員がダムから五百メートル離れた丘の上に立っている。
「準備はいいか」
 吉田が作業員たちに声をかける。
「いい」
 戸川が応じた。
「発破、開始」
 吉田がスイッチを押す。
 瞬間。世界が揺れた。
 轟音。それは、今まで聞いた中で最大の音だった。音というより、空気そのものの振動だった。鼓膜が内側から押される。地面が振動する。足元が揺れる。空気が震える。
 ダム堤体の一部が、内側から崩壊していく。コンクリートの塊が、宙を舞う。人間の胴体ほどの大きさのコンクリート片が、数十個、空中に飛び散る。それらは放物線を描いて落下する。
 粉塵が、巨大な雲となって立ち上る。白い雲。それは高さ百メートルまで上昇し、風に流されていく。
 爆発は、三十秒間続いた。三十秒間、轟音と振動が続いた。そして、静寂。粉塵が晴れていく。ダム堤体には、巨大な穴が開いていた。
 動けなかった。今見た爆発。それは、想像を遥かに超えていた。規模、音、衝撃。すべてが、桁違いだった。身体は震えていた。興奮で、全身が震えていた。
「どうだ」
 戸川が声をかけてくる。
「すごいだろう」
 肯いた。言葉が出なかった。喉が渇き、心臓が激しく鼓動している。
「これが、ダムの解体だ」
 戸川は満足そうな表情を見せた。
「トンネルとは、比べ物にならないだろう」
 ダム堤体を眺めた。崩壊した部分。そこには、巨大な穴が開いている。直径二十メートルほどの穴。その穴の周囲には、亀裂が走っている。
 内面に、新しい感情が芽生えていた。渇望。より大きな爆発への、渇望。九百キログラムのダイナマイト。もっと大きな爆発が可能だ。一トン、二トン。どこまで大きくできるのか。それを知りたかった。
 その夜、新しいアパートで一人、ビールを飲んでいた。ダム現場の近くの町。人口三千人ほどの小さな町。築三十年の木造アパートの一室を借りた。六畳一間。前のアパートと同じだ。窓からは、山が見える。
 ノートを開く。今日の発破のデータを記録する。装薬量、装薬孔の数、爆発の規模。ペンを走らせた。そして、考えた。もっと大きな爆発を起こすには、どうすればいいか。装薬量を増やす。雷管の配置を変える。頭の中で、計画が形成されていく。
 ドアがノックされた。立ち上がり、ドアを開ける。戸川が立っていた。手にはビールの缶を六本、ビニール袋に入れて持っている。
「飲もうぜ。新入りの歓迎だ」
 戸川を部屋に入れた。二人は床に座り、ビールを飲んだ。戸川は部屋を見回した。
「何もないな。お前、ミニマリストか」
「必要なものが、ないだけです」
 戸川の口元が緩んだ。
「俺もそうだ。俺の部屋も、何もない。爆発以外、何も必要ない」
 二人は黙ってビールを飲んだ。しばらくして、戸川が口を開いた。
「今日の発破、どうだった」
「すごかった」
「だろうな。俺も、初めてダムの解体を見た時は、感動したよ。トンネルの発破とは、次元が違う。規模が違う。美しさが違う」
 戸川はビールを飲んだ。
「だが、これはまだ序の口だ」
 戸川へ視線を向けた。
「ダムの本体を破壊する時は、もっと大きな爆発になる。その時は、一回の発破で一トン以上のダイナマイトを使う。一トンだぞ。想像できるか」
 一トン。想像を超える量だった。想像しようとした。一トンのダイナマイトが、一斉に爆発する。その規模は、今日見た爆発の何倍になるのか。
「お前、楽しみだろう」
 戸川の表情が和らいだ。
「はい」
「俺もだ」
 戸川は窓の外の暗闇へ視線を向けた。
「俺はな、若い頃、事故で仲間を三人失った」
 戸川へ視線を注いだ。戸川の表情が、わずかに曇った。
「発破事故だ。不発の処理中に、遅発が起きた。俺は退避していたが、三人は現場にいた。三人は、爆発に巻き込まれた。即死だった」
 戸川の声が、低くなった。
 静寂が落ちる。田代の事故を思い出した。田代は腕を失ったが、命は助かった。戸川の仲間たちは、命を失った。
「あれから四十年以上経つ。だが、俺は忘れられない」
 戸川はビールを飲んだ。
「三人の名前は、山本、田中、佐藤。みんな二十代だった。俺より若かった」
 戸川は顔を向けた。
「俺はその日から、爆発の中に彼らを探している」
 戸川の言葉の意味を考えた。爆発の中に、死者を探す。それはどういうことか。
「分かるか。爆発の中に、彼らがいるんだ。爆発を見るたびに、彼らの姿が見える気がする」
 戸川の目が、遠くを見ている。
「俺は、彼らに会うために、爆発を見続けてる」
 完全には理解できなかった。戸川の言葉の中に、何か深い真実があることは感じた。
「お前も、いつか分かる」
 戸川は腰を上げた。
「お前も、爆発の中に何かを探すようになる。それが何なのか、今はまだ分からないだろうが」
 戸川は残りのビールを渡した。
「じゃあな。また明日」
 戸川は部屋を出て行った。ドアが閉まる音。一人、残された。
 ビールを飲みながら、戸川の言葉を反芻していた。爆発の中に、彼らがいる。自分が爆発の中に何を探しているのか、まだ理解していなかった。いつか分かる日が来る。そう感じていた。
 二週間が経過した。毎日、戸川と共に発破作業を行った。ダムは少しずつ、破壊されていく。毎日の爆発。それは、生きる理由だった。朝起きて、現場に行き、装薬し、結線し、発破する。その繰り返し。毎日の爆発は、微妙に異なっていた。装薬量、装薬孔の配置、爆発の結果。すべてが変化していた。
 ある日、気づいた。爆発に慣れ始めている。最初は圧倒された爆発も、十回、二十回と見ているうちに、感動が薄れていく。轟音は相変わらず大きいが、心を揺さぶる力が弱まっている。より強い刺激を求め始めていた。
 三週間目のある日、装薬作業の休憩中、二人はダム堤体の前に座っていた。
「戸川さん、装薬量を増やしたら、どうなりますか」
 戸川へ視線を注いだ。
「増やしたら、爆発の規模が大きくなる。当たり前だ」
「どれくらい増やせますか」
 戸川は少し間を置いた。
「設計上は、今の一・五倍までなら可能だ。それ以上増やすと、ダムの構造が想定外の壊れ方をする可能性がある」
 一・五倍。目が輝いた。
 戸川は続けた。
「だが、それは危険だ。設計外の装薬は、予測不能な結果を招く。最悪の場合、ダム全体が一気に崩壊する」
「でも、可能ですよね」
 戸川は見つめた。その目には、警戒の色があった。
「お前、何を考えてる」
 答えなかった。
 戸川の表情に苦味が浮かんだ。
「分かった。お前は、もっと大きな爆発が見たいんだな。俺も若い頃、同じことを考えた。もっと大きく、もっと強く。だが、それは危険だ」
「分かっています」
「分かってない」
 戸川は首を振った。
「お前は、まだ分かってない。爆発は、制御を超えると、人を殺す。俺の仲間のように」
 言葉が途切れる。
「勝手なことはするな。約束しろ」
 戸川の声に、強い響きがある。
 応じない。戸川はため息をついた。
 その日の夜、一人で現場を訪れた。深夜、午前二時。誰もいない現場。月明かりが、ダム堤体を照らしている。懐中電灯を持って、ダムに近づいた。
 明日の発破のために、すでに装薬が完了している。三百本の装薬孔に、それぞれ十本のダイナマイトが装填されている。その装薬孔の一部に、追加のダイナマイトを装填することにした。
 軽トラックの荷台から、ダイナマイトの箱を取り出す。現場から、こっそりダイナマイトを持ち出していた。百本のダイナマイト。三十キログラム。
 二十本の装薬孔を選んだ。それらは、ダム堤体の中央下部に位置している。各孔に、五本のダイナマイトを追加で装填した。装薬棒で押し込む。孔は満杯になった。
 合計百本、三十キログラムの追加装薬。これで、明日の発破は通常より約三パーセント強力になる。どんな結果になるか、予測できない。それが求めるものだった。予測不能な爆発。
 作業を終え、現場を後にする。誰にも気づかれなかった。
 翌日、発破が実行された。朝九時。作業員たちが退避地点に集まる。戸川の隣に立った。戸川は何も気づいていない様子だった。
「発破、開始」
 吉田がスイッチを押す。
 電流が主線を流れる。雷管に達する。起爆。
 爆発。
 今回の爆発は違った。轟音が、通常より明らかに大きい。耳が痛む。地面の振動も、通常より強い。足元が大きく揺れる。
 ダム堤体の崩壊が、予想より広範囲に及ぶ。中央下部だけでなく、その周囲も崩れ始めている。コンクリートの破片が、退避地点の方向に飛んでくる。
「伏せろ!」
 誰かの叫び声。
 作業員たちが地面に伏せる。伏せた。爆発を見続けていた。顔を上げて、ダムを見ている。
 コンクリートの破片が、十メートルほどの場所に落下した。重い音を立てて、地面に衝突する。人間の頭ほどのサイズ。もし当たっていたら、即死だった。
 爆発が終わった後、現場は騒然となった。作業員たちが起き上がり、互いに無事を確認し合っている。
「何が起きた!」
 吉田の怒声が響く。
「今の爆発、おかしいぞ!」
 戸川が視線を注いだ。その目には、疑念があった。
「柊、お前、何かしたのか」
 答えなかった。答える必要を感じなかった。
 吉田が装薬孔を確認しに行った。他の作業員たちも付いていく。戸川も向かった。
 吉田が装薬孔を調べている。数本の孔を確認した後、吉田は振り返った。
「装薬量が、設計より多い。誰かが追加で装薬した」
 吉田は作業員たちを見渡した。
「誰だ。誰がやった」
 誰も答えない。吉田は視線を向けた。
「新入りの柊、お前か」
 静寂。数秒の沈黙。そして、肯いた。
「俺です」
 吉田の表情が強張った。
「なぜだ。なぜ勝手に装薬量を変えた」
「より効率的な破壊のためです」
「効率?」
 吉田の声に怒気が満ちる。
「お前のせいで、死人が出るところだった。破片が飛んできただろう。あれが誰かに当たっていたら、どうなっていたと思う」
 無言のまま。
 吉田は睨みつけた。
「お前、クビだ。今すぐ出ていけ。二度と、ここに来るな」
 肯いた。予想していた結果だった。
 戸川が口を開いた。
「監督、柊は経験者です。もう一度チャンスを――」
「ダメだ」
 吉田は首を振った。
「こいつは危険だ。ルールを守れない。現場に置いておけない」
 現場を去った。荷物をまとめ、軽トラックに乗り込み、エンジンをかける。戸川が追いかけてきた。車の窓を開ける。
「柊、待て」
 戸川が息を切らしながら近づいてくる。
「お前、何を求めてるんだ」
 戸川の声には、怒りではなく、心配があった。
 答えなかった。自分でも、明確には分かっていなかった。
「お前は、爆発の中に入りたいんだな」
 戸川の言葉が、核心を突いた。
 戸川へ視線を注いだ。戸川の目には、理解があった。同じものを求める者同士の、理解。
「やめろ。そんなことをしたら、お前は死ぬ」
「死ぬつもりはありません」
「だが、お前は死に向かってる。分かるか。お前は、自分を破壊しようとしてる」
 言葉が途切れる。
「柊」
 戸川は腕を掴んだ。
「俺には分かる。お前は、俺と同じだ。爆発に取り憑かれてる。だが、俺は生き延びた。五十年間、爆発を見続けながらも、生き延びた」
 戸川は鋭い眼差しで、こちらを見つめた。
「お前も、生き延びろ。爆発に飲み込まれるな」
 何も言えなかった。
「柊」
 戸川が最後に告げた。
「俺には、分かる。お前は、もう引き返せないところまで来てる。だが、それでも言う。やめろ。爆発の中に入るな」
 窓を閉める。エンジンをかける。戸川は車から離れた。
 現場を離れる。バックミラー越しに、戸川の姿が小さくなっていく。また仕事を失った。後悔はなかった。より大きな爆発を見た。それだけで、十分だった。
 町を出た。山道を走る。どこに行くべきか、分からない。一つだけ、確信があった。次の爆発を探す。より大きな爆発を。
 町を出て三十分ほど走った時、携帯電話が鳴った。路肩に車を止め、電話に出る。
「もしもし」
「一成?」
 聡子の声だった。驚いた。聡子からの電話は、離婚届を渡された日以来、なかった。
「どうした」
「あなた、今どこにいるの」
 聡子の声には、緊張があった。
「山の中だ」
「山の中? あなた、また現場で働いてるの」
「いや。今、辞めたところだ」
 聡子は沈黙した。数秒の沈黙。そして、聡子の声が続いた。
「一成、私、あなたに会いに行くわ」
「なぜだ」
「話したいことがあるの。大事な話。今、あなたはどこの山にいるの」
 周囲を見回す。山道。看板がある。「岩倉峠」と書いてある。
「岩倉峠だ」
「分かった。二時間で行く。そこで待ってて」
 電話が切れた。聡子が来る。なぜ。離婚届はもう郵送した。もう、二人の間には何もないはずだ。
 車を降りる。岩倉峠は、山の中腹にある展望台だった。そこからは、谷が見下ろせる。遠くには、ダムが見える。働いていたダム。小さく見えるが、その巨大さは変わらない。
 展望台のベンチに座る。十一月の冷たい風が吹いている。聡子を待った。
 二時間後、車のエンジン音が聞こえた。振り返ると白い車が見えた。聡子の車だ。車が止まり、聡子が降りてきた。
 聡子は厚手のコートを着ていた。髪は短く切ったままだ。聡子は近づき、隣に座った。
「久しぶり」
「離婚届は、郵送した」
「受け取ったわ。ありがとう」
 聡子は谷の向こうを見つめた。
「でも、それで話は終わりじゃないの」
 聡子へ視線を注いだ。
「一成、あなた、まだ爆発を追いかけてるのね」
「ああ」
「あなた、死ぬつもりなの」
 応じない。
 聡子は顔を向けた。その目には、涙があった。
「一成、お願い。やめて。もう、やめて」
「何をだ」
「爆発を追いかけるのを。あなた、自分を破壊しようとしてる。私には分かるの」
 聡子は涙を拭った。
「あなたは、最初からそうだった。空虚だった。でも、今は違う。今のあなたは、爆発に飲み込まれようとしてる」
 黙したまま。
「私、怖いの」
 聡子は続けた。
「あなたが、いつか爆発の中で死ぬんじゃないかって。田代さんみたいに、身体を失うんじゃないかって。いえ、もっと悪いことになるんじゃないかって」
「心配するな。俺は、死なない」
「嘘」
 聡子は首を振った。
「あなたは、死に向かってる。自分では気づいてないかもしれないけど」
 聡子はベンチから腰を上げた。そして、前に立った。
「一成、お願い。爆発から離れて。普通の生活をして」
「普通の生活?」
 聡子を見上げた。
「俺には、それができない」
「できるわ。あなたは、ただ忘れてるだけ」
「忘れてない」
 ベンチから腰を上げた。
「俺は、最初から爆発しかなかった」
 聡子は見つめた。そして、諦めたように笑った。
「そうね。あなたは、最初からそうだった。私が、それを受け入れられなかっただけ」
 聡子は背を向けた。
「さようなら、一成。もう、会うことはないわ」
 聡子は車に戻った。エンジンがかかり、車が動き出す。聡子の車が見えなくなるまで見送った。
 一人、展望台に残された。遠くにダムが見える。そのダムを見つめた。あそこで、爆発を見た。もう戻れない。
 次の場所を探す必要がある。もう現場はない。会社を辞め、ダムの現場も追い出された。もう行く場所がない。
 軽トラックに乗り込むが、エンジンをかけない。ハンドルに額を押し当てた。
 もう、終わりなのか。
 爆発のない人生。
 それに耐えられるのだろうか。
 自分の手を眺める。この手で、何千回と爆発を起こしてきた。もうその手は何もできない。
 エンジンをかける。どこに行けばいいのか分からなかった。
 一週間後、戸川の訃報を聞いた。
 新聞の片隅に、小さな記事があった。「ダム解体現場で発破技士死亡」記事を読むと、戸川の名前があった。心臓発作。現場で倒れ、病院に搬送されたが、死亡が確認された。六十八歳。
 新聞を置く。戸川が死んだ。五十年間、爆発を見続けてきた男が、死んだ。
 葬儀は、ダムの近くの町で行われた。小さな葬儀場。参列者は二十人ほど。ダムの現場の作業員たちで、吉田もいた。
 最後列に座る。誰も話しかけなかった。吉田はこちらを見たが、何も言わなかった。
 僧侶が読経する。線香の煙が立ち上る。遺影の中の戸川は、笑っていた。
 戸川の死を悼むことができなかった。何も感じなかった。戸川は死んだ。それは事実だ。内面に、悲しみはなかった。
 戸川の死は「爆発しなかった出来事」だった。爆発のない出来事は、意味を持たない。
 葬儀が終わった後、葬儀場を出た。駐車場で、軽トラックに乗り込む。
 戸川は死んだ。五十年間、爆発を見続けた男は、最後は心臓発作で死んだ。爆発の中ではなく、ベッドの上で。
 それが戸川にとって幸福だったのか、不幸だったのか、分からなかった。
 エンジンをかける。町を出る。山道を走る。
 もう行く場所がない。運転を続けた。
 そして決意していた。
 いつか、最後の爆発に辿り着く。
 その日まで、生き続けると。
シェア
← 前の話
起爆
次の話 →
殉爆
世界を加速させる爆薬作者:森本 凛
目次
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません