第8話:清瀬川の拳と霧嶽山の僧
第8話:清瀬川の拳と霧嶽山の僧
高田の手と警察の包囲網をかわし、出雲から西へと逃れた恵太たち四人。彼らが辿り着いたのは、清瀬川の河口に拓けた古い港町だった。その場末の居酒屋で、篠田進は一人の男と運命的な出会いを果たす。
元自衛隊の徒手格闘隊員であり、現在は港の用心棒をしている巨漢――花田和人(はなだ かずひと)。
丸太のような腕と爛々とした眼光を持ちながら、酒を大樽で煽る豪放磊落な男だった。
「ハハハ! 旅の若い衆、いい飲みっぷりだ!」
三節棍を背負った進と意気投合し、酒席が盛り上がっていたその時――奥の座敷から聞こえてきた少女の悲痛なすすり泣きが、居酒屋の空気を凍りつかせた。
事情を聞くと、路上で三味線を弾いて旅費を稼いでいた若い娘と老父が、街の金融業者に騙され、膨れ上がった違法な借金のために身売りを迫られているという。その金融業者の裏にいるのが、高田の傘下で港の肉類流通を仕切る悪徳業者・鄭(てい)だった。
「弱者を食い物にする下衆どもが......!」
肉厚な拳を激しく震わせた花田は、懐から手持ちの現金と時計を引っ張り出すと、親子に逃走用の路銀として強引に握らせた。
「松江、呉原、あの親子を速やかに駅へ連れて行け! 俺はあの肉屋の面を叩き割ってくる!」
「おい花田! 待ちなさいよ!」
制止する葵をよそに、花田は単身、鄭の精肉加工場へと乗り込んでいった。
難癖をつけて加工場を揺さぶり、悪行を詰問する花田。苛立った鄭が解体用の大型包丁を手に「余計な真似をするな!」と襲いかかってくると、花田の我慢は限界を迎えた。
「この悪党が――っ!」
咆哮とともに放たれた花田の右拳が、鄭の顔面を正確に捉えた。
ドカァンッ! と肉と骨が砕ける重い衝撃音が工場内に響き渡る。
一拳目で鼻柱が叩き潰されて血の海となり、二拳目で頬骨が粉砕して目が落ち、三拳目で頭蓋そのものが大きく歪んだ。悪を懲らしめるつもりの打撃だったが――自衛隊で鍛え上げた花田の常軌を逸した質量と破壊力は、人間の肉体の許容量を易々と超えていたのだ。
床に倒れ、ピクピクと全身を痙攣させて即死した鄭。
(しまった......一撃で死にやがった!?)
加工場の従業員たちから凄まじい悲鳴が上がる中、花田は咄嗟に鄭の遺体を足蹴にし、
「おいっ! 死んだふりをして誤魔化すな! 今日のところは見逃してやる!」
と大声で怒鳴り散らしながら、大股でその場を悠々と立ち去った。
「馬鹿かあの人はーっ!? 誰が見ても即死だろうが!」
追いついた智也が頭を抱えて絶叫する。警察や高田の追手が迫る中、お尋ね者となった花田を救うため、智也の判断で彼を清瀬川の上流に聳える「霧嶽山(きりたけさん)」の山岳寺院へ逃げ込ませることとなった。
鬱蒼とした杉林の奥に佇む古い修験寺院・文殊院。
警察の捜査も安易には及ばぬ聖域の境内で、花田は指名手配から身を隠し、罪を逃れるために頭を丸めて出家することを受け入れた。
ジョリ、ジョリ......と鋭い剃刀が、花田の硬い頭髪を削ぎ落としていく。
「汝の法号を『大八(だいはち)』と授ける。これよりは仏の弟子として、その力を殺生ではなく世の平穏のために使え」
厳かな境内の中、剃髪した花田――巨躯の修行僧「大八」は、血に染まった己の大きな手を見つめながら、静かに目を閉じた。
「......大八さん」
境内の隅で様子を見守っていた恵太が、静かに歩み寄る。
「俺たちも、罪を背負って旅をしている。もし......また立ち上がる時が来たら、あなたのその拳を貸してほしい」
大八は薄目を開け、獰猛で純粋な眼光をチラリと覗かせると、低く笑った。
「フン......酒も肉も断たれる寺の暮らしなんぞ、いつまで持つか分からんからな。少年、縁があればまた会おう」
新たな好漢との出会いと、破天荒な出家。
百八の魔星を巡る現代の好漢たちの旅は、さらなる波乱を孕んで加速していくのだった。