大野進、暴漢に襲われるのこと
雨の降る街道で、高田の手下に囲まれていた大野進。その絶体絶命の場に乱入してきたのは、気味の悪い黒炎を纏う追手ではなく――爆音とともに夜の泥を跳ね上げて走ってきた一台の改造バイクだった。
「おいおい! 俺の縄張りでコソコソやってんじゃねえよ!」
バイクから跳び降りたのは、濡れたジャージを肌脱ぎにし、背中から腕にかけて躍る九頭の青龍――この地の旧家・篠田家のひとり息子である篠田進(しのだ すすむ)だった。
手に持ち上げた一尺の三節棍を疾風のごとく振り回し、進は追手たちへ殴りかかる。
豪快な怪力で二人を打ち倒したものの、相手は魔星の気気配を纏う異形の者たちだ。関節を無視した不気味な動きで間合いを詰められ、進が足元をすくわれかけたその瞬間――。
シュッ、と一筋の風が切った。
大野進が路上から拾い上げたただの竹箒の一撃が、追手の頸椎と膝裏を正確に穿つ。一瞬にして形勢は逆転し、異形の刺客たちは闇の中へと逃げ散っていった。
「な......なんだお前!? 落ち武者みたいな格好しやがって......!」
荒い息を吐く進に、陰から走り寄ってきた恵太、智也、葵の三人が声をかける。
「大丈夫ですか!? 俺たち、あの男を追ってきた高田の手下を目撃して......」
「......怪我はないか、若者」
大野は静かに竹箒を捨てると、進の構えを冷徹な目で見つめた。
「お前の体躯と筋力は見事だが、踏み込みが浅く、腕力だけに頼っている。本物の戦場なら、最初の三息で喉を突かれて終わりだ」
「なんだと......!? 落ち武者風情が、ぬかすな!」
頭に血が上った進が、鋭い踏み込みとともに三節棍を繰り出す。
――次の瞬間。
鈍い衝撃とともに、進の巨躯が街道の砂利の上に転がっていた。
何が起きたのかすら分からない。大野の指先が、進の喉元数ミリの地点でピタリと止まっていたのだ。軸足を払われ、重心を完全に破壊された姿勢のまま、進は動くことすらできなかった。
「......参ったか」
「あ......あっ......!」
進の額から冷や汗がポタポタと落ちる。圧倒的な実力差。警察・防衛省の総師範を務めた本物の「武芸」の威圧感に、地元の暴れん坊の自負は一瞬で打ち砕かれた。
進はそのまま泥の中に両手を突き、頭を深く擦り付けた。
「お師匠......! 俺に......俺に本当の武芸を教えてください!」
――こうして、負傷した大野の手当ても兼ね、恵太たちは篠田家の巨大な屋敷へ身を寄せることとなった。
それからの数日間、広大な庭先では壮絶な稽古が繰り広げられた。
かつて出雲のたたらの山々を鎮めるために先祖が背負ったという、背中の「九龍の紋身」。その不名誉な刺青をもてあまし、力だけを誇示してきた進だったが、飲み込みは驚くほど早かった。大野が指南する「柄の溜め」と「軸足の締め」を、乾いた砂が水を吸うように吸収していく。
傍らでは葵が「いいわねそれ、私にも教えなさいよ!」と大野の棒術を興味津々で盗み見し、智也は母屋でスマホを叩きながら、全国で多発し始めた「魔星の憑依データ」を狂ったように分析していた。
そして、恵太は。
汗と泥にまみれて木棍を振るう進たちの姿を、重い眼差しで見つめていた。
(俺が解き放った魔星のせいで、この人たちの日常も、この国も壊れ始めている......)
その恵太の横に、稽古を終えた大野が静かに歩み寄る。
「松江と言ったな。お前は......内に凄まじい業と、逃れられぬ罪の匂いを纏っているな」
「......大野さん。俺は、取り返しのつかないことをしたんだ。助けたくて伸ばした手が、世界を壊した」
恵太が絞り出すように吐露する。大野は手拭いで汗を拭うと、静かに応えた。
「お前が解き放ったものが何であれ、この世界は最初から理不尽と不条理で満ちている。放たれた矢は戻らん。だが少年......己の犯した罪から目を背けず、泥の中で立ち続けようとする眼差しが、お前のその拳にはある。誇りを取り戻す戦いは、ここからだ」
その時だった。
重厚な門が、爆音とともに内側へ向かって吹き飛んだ!
砕け散る木片と煙の向こうから、不気味な足音が近づいてくる。高田修司が送り込んだ本気の暗殺部隊――そして、その中心で皮膚を黒く変色させ、関節をあり得ない方向に折り曲げながら異様な気配を放つ「魔星の憑依者」だった。
「見つけたぞ、逃亡者の大野進......! それに、伏魔殿の鍵となったガキどもをなぁ......!」
異形の男が、声帯の潰れたような掠れ声で嗤う。
「お師匠、ここは俺にやらせてください」
篠田進が、大野から授かった一振りの重い木棍を肩に担ぎ、背中の九頭の青龍を狂おしく躍らせながら前に出た。
「俺はもう、ただの暴れん坊じゃねえ。お師匠から貰ったこの腕......正しい道のために使ってみせる!」