第24話 証拠品
8回目の朝、俺は天井の箱を外した。
精密ドライバーで皿ネジを2本。線は天井裏で固定されている。箱側の差し込みを抜いて、箱だけを外す。裏の凹みから、黒いカートリッジを抜く。振ると、音がした。
毎回ここにある、最初の状態のままだ。
俺はそれを、明け方のコンビニで買ってきた小さなジッパー袋に入れた。箱も別の袋に入れた。指紋を残さないように、と考えてから、自分の指紋はもうそこら中についていることに気づいた。
9年住んだ部屋だ。当たり前だった。
◇
7回目までの俺は、一人で何とかしようとしていた。
調べる。逃げる。隠れる。全部、自分の内側で完結する方法だった。
理由ははっきりしている。説明できないからだ。
「3日前に戻ります」と言った時点で、話は終わる。誰も信じない。信じないどころか、心配される。心配されて、病院を勧められて、時間だけが過ぎる。
だから俺は、自分の頭の中だけで戦ってきた。
7回死んだ。
1. 今回の変更条件:他人を巻き込む
2. 結果:これから
3. 次の変更条件:結果次第
俺は袋を鞄に入れて、家を出た。
考え方を、逆にした。
7回目、俺は「居場所が分からなければ殺せない」と考えた。それは間違っていた。向こうは俺を見つけた。60キロ離れて、誰にも言わなかったのに。
なら、隠れる意味がない。
隠れる意味がないなら、逆をやる。
俺の居場所を、できるだけ多くの人間に知らせる。俺が何を持っていて、何を主張しているかを、記録として残る形で。
人は、見られているところでは殺しにくい。
少なくとも、これまでの7回は、全部、俺が一人のときだった。
留置所、という選択肢も考えた。何かやって、鉄格子の中で20日の朝を迎える。人の目はある。鍵は外からかかっている。
だが、装置を預けて相談に行った男が、その足で暴れて留置されたら、証拠ごと信用が消える。それに、留置される保証もない。任意で帰されたら、それで終わりだ。
積むのは、信用のほうだ。
◇
9時、管理会社と、沼田課長に電話をかけた。管理会社の答えは前と同じだった。図面に記載なし。課長には体調不良で今週は出られない、とだけ言った。課長は「分かった、無理すんな」と言って、それで終わった。
◇
9時40分、警察署。
交番で話したら、署に行ってくれと言われた。生活安全課、と紙に書いてもらった。
窓口の若い警察官は、丁寧だった。
「──それで、どういったご相談でしょうか」
「自宅の天井に、身に覚えのない機器が取り付けられていました」
俺は袋を2つ、カウンターに置いた。箱と、その裏に差さっていた黒いカートリッジ。
彼は身を乗り出した。
「これですか」
「はい。火災報知器の隣についていました。管理会社に確認しましたが、図面に記載がないそうです」
彼の表情が、少し変わった。
「盗聴や盗撮の可能性がありますね。レンズは」
「ありません。マイクもないと思います」
「では、これは何を」
「分かりません」
奥から、年配の職員が出てきた。
同じ説明を、もう一度した。今度は少し詳しく。管理会社の回答。設置されたのが自分の留守中であること。同じ形のものが職場にもあること。
「職場にも」
「はい。データセンターの、サーバラックの背面に」
「それは、会社の設備ではなく」
「資産管理台帳に載っていません」
年配の職員は、袋の上から箱を指で押した。
「お預かりして、鑑定に回すことはできます。ただ」
「時間がかかりますか」
「正直に申し上げて、数週間はかかります。中身が何かによっては、もっと」
数週間。
俺に残っているのは、あと66時間だ。
「もっと早くはなりませんか」
「事件性がはっきりしていれば、優先度は上がります」
「命を狙われていると思っています」
彼は俺の顔を見た。
その目には、疑いよりも、慎重さがあった。この人はたぶん、こういう相談を何度も受けている。本当のものと、そうでないものを、いくつも見てきている。
「そう思われる根拠を、伺ってもいいですか」
俺は口を開いて、閉じた。
言えることは、ほとんどなかった。
7回死んだ、とは言えない。
この機器が動くところは、一度も見ていない。動いたとすれば、俺が死んだときだけだ。
「......勤務先で、記録が改竄されている形跡があります。深夜に20分から23分ほど、入退館の記録と監視カメラが止められていました。私が非番の日に、3回」
「それは、あなたが確認したものですか」
「はい」
「その記録は、いまお持ちですか」
持っていなかった。
入退館のログなら、俺の権限で読める。だが今回の3日間で、俺はまだ建物に入っていない。6回目に引いたものは、あの朝に全部消えた。
そして何より。
持ち出したところで、20日の朝には消える。
「......印刷したものは、ありません」
「では、それはあなたの記憶ということですね」
「はい」
彼は頷いた。責める顔ではなかった。ただ、事実を整理する顔だった。
「黒瀬彰さん」
彼は、相談票に俺が書いた名前を読み上げた。
「この機器はお預かりします。写真も撮らせてください。それから、被害届というよりは、まず相談として記録を残します。パトロールの重点箇所に、ご自宅を入れることはできます」
「それは、いつから」
「今夜からです」
「ありがとうございます」
礼を言いながら、俺は分かっていた。
外を回ってもらっても、意味がない。
7回のうち5回は、あの建物の運用室で死んだ。1回は自宅、1回はたぶん、鍵のかからない個室の中だ。
「あの」
帰り際、俺は振り返った。
「3日以内に、何か動いてもらうことはできませんか」
彼は少し驚いた顔をした。
「3日、というのは。何か根拠がありますか」
俺は答えられなかった。
答えられないまま、頭を下げて、署を出た。
◇
昼、俺は喫茶店に入って、コーヒーを飲んだ。
やれることを、書き出した。頭の中で。
■残り64時間でできること
・司法:間に合わない
・報道:連絡はできる。だが取材と裏取りに時間がかかる
・ネットに公開:拡散はする。だが証拠がないと相手にされない
・会社に告発:7階に情報が渡る
全部、遅い。
この社会は、3日で人を救うようにできていない。
当たり前だ。ふつう、3日で死ぬと分かっている人間はいない。
だが、と俺は思った。
俺の目的は、この3日で決着をつけることじゃない。
1回、生き延びればいい。
生き延びれば、この3日間は消えない。警察に預けた装置は、20日の朝になっても警察にある。相談記録も残る。パトロールの記録も残る。
積み上がる。
そのために必要なのは、証拠の量だ。
多ければ多いほど、消えにくくなる。
もう一つ、装置がある。
No.7ラックの背面。あそこにある黒い箱。
あれも押さえたい。
だが俺が5階に行けば、俺は建物の中に入ることになる。7回のうち5回、俺が死んだ場所だ。
行きたくない。
◇
23時55分、雷が鳴った。
窓の外が一度白くなって、少し遅れて音がした。
いま、あの5階で監視画面が赤くなっている。誰かが受話器を取っている。忙しい夜になる。
俺はその音を、天井の穴の下で聞いていた。線が2本、垂れ下がっている。箱はもうない。警察にある。
◇
9月18日、4時50分。
記憶が戻ってきた。
7回目の死。ノックが2回。開いたドア。黒い革靴。見ようとして、見えなかった顔。12秒だけの勝利。
あの個室で死んだ。入店から7時間もたたずに、当てられていた。
全部、頭に収まった。
俺は天井を見上げたまま、しばらく動かなかった。
残り時間、48時間。
◇
昼過ぎ、俺はスマホを取り出した。
芦原千種のトーク画面を開いた。
指が止まった。
巻き込むな。4回目からずっと、俺はそう自分に言い聞かせてきた。話しても消える。心配させるだけだ。俺の言葉は彼女には一度しか届かない。
だが今回は、消えないかもしれない。
1回生き延びれば、彼女の記憶も残る。彼女が撮った写真も残る。彼女の証言も残る。
危なくないか、とは考えた。
だが、7回とも、来たのは俺のところだ。狙われているのは俺で、彼女じゃない。ラックの前に立つのは、写真を撮る数十秒だけだ。
大丈夫だ、と結論した。
俺が見ていたのは、装置のほうだった。
俺は打った。
> 変な頼みがある
> サーバルームのNo.7ラック、背面の下段に台帳にない機器が付いてる
> 名刺入れくらいの黒い箱で、線が2本出てる
> 写真だけ撮っておいてくれないか
既読はすぐについた。
> え、なんですか急に
> 黒瀬さん、今週ずっと休みですよね
> おかげでシフトぐちゃぐちゃです
> 私、今夜から夜勤に回されました
> 前から気になってた
> 俺が撮ると角が立つから
嘘だった。
> 沼田さんに言ったほうがよくないですか
> 沼田さんには言わないでほしい
> 頼む
しばらく、既読のまま止まった。
1分か、2分か。
彼女が何を考えているのかは、分からなかった。
> わかりました
> どうせ夜は暇なんで、深夜に見てきます
> 助かる
> シフトの分と合わせて、貸し2です
> 焼肉な
> 高いですよ
俺はスマホを裏返して、冷めたコーヒーを飲み干した。
悪くない、と思った。
これで、証拠が2つになる。警察に預けた自宅の装置と、職場の装置の写真。撮影者は俺じゃない第三者だ。そのほうが信用される。
彼女は手が早い。深夜の空き時間に、5分もかからず撮ってくるだろう。
◇
9月19日、2時40分。スマホが震えた。
> 撮れましたよ
> ほんとにありましたね、これ
写真が3枚、送られてきた。
No.7ラックの背面。下段の隙間。黒い箱。細い線が2本。
俺が何度も見たものと、寸分違わなかった。
> ありがとう
> 助かった
> で、これ何なんですか
> まだ分からない
> 分かったら話す
> 焼肉のときに聞きます
俺は画面を消して、天井を見上げた。
線が2本、箱のない天井から垂れている。
少しだけ、前に進んだ。
残り時間、26時間。
今回は、いける気がしていた。