第33話 発動履歴
9月18日、20時。フロアから人が消えた。黒瀬彰、31歳。11回目の、遅番の夜だった。
俺は運用室の端末に向かって、秘書室名義の連絡を、片っ端から引き出した。桐生紗英さんの名前が入っているものも、その前任者のものも、全部だ。
社内連絡ツールには、送信者と時刻が全部残っている。
俺はそれを、一度も気にしたことがなかった。誰がいつ何を送ったかなんて、運用保守には関係がない。
いま、それが一番の資料になる。
まず、今日の17時27分の直後を見た。秘書室名義の連絡は、出ていない。食堂で見たあの操作が何だったのかは、分からない。視た1時間の中で、秘書室に流す必要がなかっただけかもしれない。出るのは、必要なときだけだ。それでも、出るときは記録に残る。
過去1年、秘書室名義の連絡は、1,842件あった。
多い。
当然だ。秘書室は社内向けの連絡窓口でもある。会議の案内、備品の申請、健康診断の日程、年末年始の営業日。
この中から、発動の痕跡だけを抜き出さなければならない。
ノイズをどう落とすか。
この作業ばかり、やってきた。
膨大なログの中から異常を見つけるとき、最初にやるのは「正常の形」を決めることだ。
正常が分かれば、そこから外れたものが浮かび上がる。
■正常な秘書室連絡の条件
・平日の日中(9時〜18時)に送信されている
・内容が総務・庶務・人事に関するもの
・宛先が全社または特定部門
■異常の条件(どれかに当てはまるもの)
・深夜や早朝、あるいは内容に対して唐突な時刻に送信されている
・内容が技術・設備に関するもの
・緊急性がある
抽出条件を書いて、実行した。
該当:63件
1,842件から、63件。
1年で63回。
その一覧を、俺はスクロールした。
見覚えのある文面が並んでいた。
「まもなく基幹系に影響が出る可能性があります。手空きの方は待機をお願いします」
「本日5階の設備巡回は不要です。実施済みの扱いとしてください」
「本日午後の来客対応につき、南側通用口の使用を控えてください」
「本日の朝礼は中止します」
「本日中の稟議提出を、明日午前に振り替えてください」
どれも、ただの業務連絡だ。
単体で見れば、なんの変哲もない。
だが、並べると、2種類あった。
ひとつは、「可能性があります」「念のため」が入っているもの。何かが起きると言っている。
これは知っている。1回目の夜から何度も見てきた、社長の事前アナウンスの書き方だ。
もうひとつは、それが入っていないもの。巡回は不要です。朝礼は中止します。使用を控えてください。何が起きるとも書いていない。ただ、人に何かをやめさせている。
こちらは、気にしたこともなかった。同じ秘書室の名義で出ているのに。
俺は書き方でトラブルの種類を見分けてきた。
「〜の可能性があるため」と書く人は、外れたときの逃げ道を作っている。断定する人は、逃げ道が要らない。
この63件は、逃げ道の有無で割れている。
前者は、これから起きることを教えている。
後者は、これから起きることのために、邪魔なものを片付けている。
俺は次の作業を決めた。
63件のそれぞれについて、送信時刻から60分以内に何が起きたかを調べる。
突合先は、障害記録、入退館ログ、施設の作業記録、社内の議事録。
全部、俺が参照権限を持っているか、越境すれば見られるものだった。
地味な作業になる。
1件あたり10分から15分。63件で、10時間以上かかる計算になる。
時間はない。
だが俺には、時間だけはある。
この周回で終わらなければ、次の周回で続きをやればいい。記録は消えるが、俺の頭には残る。
◇
0時、遅番が終わった。
俺は端末の履歴を消して、退勤した。抽出条件と、63件の日付と時刻を、頭に入れて持って帰った。
9月19日は、日中に何もしなかった。眠って、起きて、また眠った。頭を空けておきたかった。
◇
20時、入館。9月19日の夜勤。この周回の、最後の夜だった。
定例ログ点検の当番だ。それを片手で流しながら、俺はもう片方で突合を始めた。
二重作業には慣れている。この現場ではいつも人が足りていなかった。
俺は目についたものから潰していった。
No.14
連絡:11月某日 21時33分「本日中の稟議提出を、明日午前に振り替えてください」
→ 22時14分、稟議システムでデータ不整合が発生。当日提出分が消失
→ 差:41分
No.22
連絡:1月某日 6時05分「本日は全社休業とします」
→ 6時52分、最寄り路線が全面運休
→ 差:47分
No.31
連絡:3月某日 14時02分「南側通用口の使用を控えてください」
→ 14時45分、通用口前の街路樹が強風で倒れる
→ 差:43分
5件目まで来たところで、俺は手を止めた。
全部、60分以内だった。
これは、発動履歴だ。
あの人が未来を視て、人を動かす必要があるとき、桐生さんに短い連絡が飛ぶ。
桐生さんはそれを、業務連絡の形に整えて社内に流す。
書けば、なぜ知っているのかを問われる。だから、指示だけだ。
その連絡は、社内システムに記録される。
あの人は、記録を止められる。
深夜の23分間、入退館システムと監視カメラを止めた。それができる権限がある。
だが、これは止めていない。
止める理由がないからだ。
「本日の朝礼は中止します」という連絡が、何かの証拠になるとは、誰も思わない。
椅子の背に、もたれた。
9年間、俺の仕事はこれだった。
誰も見ないログを読むこと。単体では意味のない記録を並べて、そこにある形を見つけること。
誰も見ないから、誰も止めない。
止められていない記録が、いま、目の前に1年分並んでいる。
◇
0時を回った。
俺は作業を続けた。
2時。
20件まで突合が終わった。
傾向が、見え始めていた。
■発動が確認できるタイミング(暫定)
1. 重大な意思決定の直前
稟議、契約、人事、投資判断。
→ 20件のうち9件がこれ
2. 天候・設備の異常が予想される日
→ 20件のうち6件
3. 深夜の定時
→ 20件のうち5件
3番のところで、俺は動きを止めた。
深夜の定時。
5件とも、送信時刻が4時前後だった。
3時58分。4時06分。4時10分。4時11分。4時03分。
内容は、どれも似ていた。
「本日早朝の巡回は不要です」
「本日、5階の設備点検は実施済みの扱いとしてください」
「早朝の清掃業者の入館は不要です」
フロアから、人を消すための連絡だ。
5回目の周回で、俺は今夜のシフトを開いている。応援要員の手配が取り消されて、遠隔監視対応になっていた。
あれも、同じ形だ。
人を消す方法は、通知だけじゃない。
4時前後に発動する。
視えるのは、そこから60分。つまり、5時前後まで。
その中に、4時50分が入っている。
自分の呼吸が浅くなっているのに、気づいた。
毎回だ。
毎回、あの人は4時前後に未来を視ている。
視て、4時50分にそこで何が起きるかを確認して、そのために必要な準備を出す。
人を消す。記録を止める。あるいは、何もしない。
それから、俺が死ぬ。
4時10分の通知は、俺のためのものだった。
いつも「助かる」と思っていた、あの1行は。
俺は端末から手を離した。
◇
4時10分。
通知が鳴った。
>【業務連絡】本日早朝の巡回について
> 各位
> 本日5階の設備巡回は不要です。実施済みの扱いとしてください。
> シラカワ・ワークス 秘書室 桐生紗英
いま、というより、数分前に、あの人は視ている。
数分前、7階のどこかで、白河透は8秒間、完全に静止していた。瞬きが止まって、指が止まって、焦点が奥に外れて。
そして5時前後までの60分を、視たはずだ。
その中に、俺がいる。
4時50分に、この運用室の床に倒れている俺が。
初めてだ。
11回目にして初めて、俺は、あの人がいま何を視ているかを知った状態で、その時刻を迎えようとしていた。
4時30分。
俺はノートを閉じた。持ち帰るものは、全部頭に入れた。
63件。抽出条件。突合の手順。20件分の結果。3つの傾向。
4時前後の定時発動。
4時45分。
俺は椅子をドアのほうに向けて、座った。
考えていたのは、ひとつのことだった。
あの人は、4時前後に視る。
その1時間の中に、俺の死が入っている。
だから、その1時間で俺が何をやっても無駄だ。全部、先に視られている。
なら。
あの人が視ていない時間に、全部を終わらせればいい。
◇
4時50分。
背後で床が鳴った。
廊下側じゃない。奥の扉だ。
後頭部の付け根が熱くなって、口の中にコインの味が広がった。
膝が落ちる。床が近づく。
俺は目を開けたまま、天井を見た。
◇
(12回目)
(視ていない時間を、探す)