第34話 二度目がない
4時50分。9月17日、火曜日。
12回目だ。黒瀬彰、31歳。11回死んだ。
◇
起きて、俺は昨日の続きを頭の中で並べた。
昨日、というのは正確じゃない。あの作業は3日後の未来に消えて、いま俺の頭の中にしか残っていない。
だが感覚としては、昨日の続きだった。
残り43件。
今回は速かった。
抽出条件は覚えている。突合の手順も、参照する記録の場所も、越境の経路も、全部頭に入っている。
11回目には10時間かかると見積もった作業が、半分の時間で終わる目処が立った。
同じ作業を2回やれば、誰でも速くなる。
9年間、俺の仕事は「一度きり」の連続だった。
似た障害には何度も当たった。手も速くなったし、勘もついた。だが、同じ障害を同じ条件で、もう一度やり直せたことは一度もない。
いま、俺は同じような3日間を繰り返しやっている。
◇
9月17日、20時。夜勤。
落雷対応は片手で流した。手順はもう身体に入っている。復旧は0時30分に終わった。
城戸さんに「早すぎませんか」と言われた。
「慣れてるので」
嘘ではなかった。
1時から、突合を再開した。
朝までに、18件片付いた。
◇
9月18日、遅番。
定型業務を回しながら、合間に11件。
17時20分の食堂には行かなかった。今回は、あの人に会う必要がない。会って確かめることは、前回で済んでいる。
◇
9月19日、20時。3日連続の変則勤務の、最後の夜。
定例ログ点検の当番を片手で流しながら、残りを潰した。
4時。
63件、全部終わった。
■発動履歴(過去1年・63件)
1. 重大な意思決定の直前 28件
稟議、契約、人事、投資、取引の可否
2. 天候・設備の異常が予想される日 19件
3. 深夜の定時(3時50分〜4時15分) 11件
4. 分類不能 5件
1番が28件。
これは、はっきりしている。
あの人は、重要な判断をする前に、必ず視る。
契約を結ぶ前。人を採る前。金を出す前。
例外がない。過去1年、秘書室名義の連絡のうち28件が、金額の大きい意思決定の直前に飛んでいる。逆に、その手の意思決定で連絡が出ていないものを、俺は見つけられなかった。
そこで一度、手を止めた。
当たり前だ、と思ったからだ。
視えるなら、視る。重要なことほど視る。
それは、俺が同じ能力を持っていてもそうする。
こんなものは癖じゃない。ただの合理的な行動だ。
癖というのは、本人が意識していない偏りのことだ。
合理的な行動からは、弱点は出てこない。
俺は椅子の背にもたれた。
俺が障害調査でやってきたことを思い出す。
ログを読むとき、一番大事なのは、書かれていることじゃない。
書かれていないことだ。
あるはずのログがない。出るはずのエラーが出ていない。動くはずの処理が動いた形跡がない。
異常は、たいてい、そこにある。
見る方向を、変えた。
あの人が視た場面ではなく、視ていない場面を探す。
4時20分。
俺は63件の一覧を、別の軸で並べ直した。
案件ごとに束ねる。
結果は、すぐに出た。
■同一案件について、2回以上発動しているもの
0件
その数字を、3回見た。
1件もない。
稟議のデータ不整合。21時33分の連絡で、提出を翌日に振り替えさせた。翌日以降、その稟議システムについての連絡は一度もない。
取引先の破綻。10時40分の指示で、決済を止めた。記事が引いた会議録の範囲で、その取引先を見直した形跡はない。
4年前のコンペ。提案書を差し替えて、受注した。その案件についても、俺が持っている記録の範囲では、追跡の形跡がない。
一度、手を打った案件については。
二度と、視ていない。
俺は立ち上がって、運用室の中を一往復した。
落ち着け。
別の説明がつかないかを、先に潰す。
説明1:一度対処すれば、それで解決するから
→ ありえない。世の中の問題は、一度手を打って終わりになるものばかりじゃない。稟議システムの不整合なんて、原因を潰さなければまた出る。実際、他社では再発している。
説明2:追跡の発動はしているが、連絡が発生していないだけ
→ 可能性はある。視ても、何も指示する必要がなければ、桐生さんへの連絡は飛ばない。
2番目は、潰しきれない。
だが、と俺は思った。
俺自身が、証拠になる。
◇
11回目。
俺はあの人の目の前に座って、こう言った。
「白河社長。あなたは、1時間先が視えますね」
あの人は8秒、静止した。視た。
そして「そうですか」と言って、帰れと言って、去った。
それから、何も起きなかった。
自分の能力を、赤の他人に言い当てられた。
ずっと隠してきたものを、委託先の常駐要員に、正面から指摘された。
あの人がしたのは、その場で8秒視て、食堂を出る前にスマートフォンを短く操作したことだけだ。
普通は、それだけでは済ませない。俺の身辺を洗う。処理を前倒しにする。1時間後、2時間後、翌朝と、何度でも視直す。
視直したかどうかは、俺には分からない。分かるのは、結果だけだ。
4時50分の処理は、いつも通り実行された。
なぜか。
俺の件は、もう「処理済み」だからだ。
8ヶ月前にM-08を読んで、あの人は俺を案件として立て、実行を発注した。半年前から準備が始まって、装置を置いて、記録を止めた。
その時点で、あの人の中で、この件は終わっている。
あとは、決まった時刻に処理が走るのを待つだけだ。
だから、俺が何を言っても、案件は開き直さない。
視るには視る。目の前でも8秒視たし、4時前後の定時確認でも視る。
だが、それは「実行の直前確認」であって、案件そのものの再検討じゃない。
俺はこういう人を、何十人も見てきた。
運用の現場でよくある事故がある。
誰かが対策を打つ。報告書に「対応済み」と書く。ステータスを「クローズ」にする。
そこから先、その人はもうその案件を見ない。
同じ現象がまた起きても、「あれは対応済みだから別件だろう」と考える。実際には同じ原因なのに、クローズしたという事実のほうを信じる。
俺は、それで何度も深夜に叩き起こされてきた。
あの人は、有能だ。
有能な人ほど、自分の処理を信じる。
俺はノートに書いた。
■癖(確定)
1. 重大な意思決定の直前には、必ず発動する
2. 一度「処理済み」と認識した案件については、二度と発動しない
2番の下に、俺はもう1行足した。
→ 完璧な観測能力を持つ人間の、唯一の死角は、
「もう見なくていい」と判断した場所にある
4時30分。
俺はノートを閉じた。
持ち帰るものは、頭に入れた。63件。4分類。0件。そして2つの癖。
◇
4時50分。
背後で床が鳴った。
俺は振り返らなかった。
後頭部が熱くなって、口の中にコインの味が広がって、膝が落ちた。
床に頬をつけたまま、俺は目だけを上に向けた。
◇
(13回目)
視界の端から色が抜けていく。
あの人は、いま、この結果を報告で受け取る。
処理完了。特記事項なし。
そして、この案件を閉じる。
(──閉じさせればいい)