ホーム欲のない俺に、最強の資産システムが降ってきた ~望んでないのに、金も家も車も会社も美女も増えていく~第3話「家はいらない。……いや、静かな部屋なら欲しい」
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第3話「家はいらない。……いや、静かな部屋なら欲しい」

第3話「家はいらない。......いや、静かな部屋なら欲しい」

―――

水曜日 7時05分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。

ゆっくりと目を開ける。

数秒間、ただ頭上の白い天井を見つめていた。

悪夢は見ていない。

大きな音もない。

何かに起こされたわけでもない。

ただ、妙な感覚があった。

昨日とは何かが違う。

そんな気がする。

蓮は上半身を起こし、ベッドの端に腰を下ろした。

しばらく顔を手でこする。

それから、ベッド脇の折り畳み式テーブルに視線を落とした。

そこにはスマートフォンが置かれている。

そして昨日から自分の人生を変えてしまった、あのアイコンがまだ画面の中に存在していた。

蓮はスマートフォンを手に取る。

一度、画面に触れる。

システムが開いた。

《絶対資産支配システム》

黒瀬 蓮
年齢:21歳

純資産:10億円
物欲:2%
無欲倍率:×20

状態:稼働中

蓮は、その数字をしばらく見つめた。

18億円。

それでも、まだ他人の金のように感じる。

昨夜、目を閉じたときも、その数字は存在していた。

そして今朝、目を覚ましても、やはり存在している。

夢ではない。

送金ミスでもない。

誰かの悪ふざけでもない。

蓮は画面をスライドさせる。

何も変わっていない。

そのままシステムを閉じた。

「......」

スマートフォンを元の場所に戻す。

蓮はベッドから立ち上がった。

小さなキッチンへ向かう。

電気ケトルのスイッチを入れる。

まだ静かなアパートの中に、水が温められていく音が響いた。

蓮は、縁に小さなひびの入った白いマグカップを手に取った。

彼が持っている唯一のマグカップだ。

インスタントコーヒーを入れる。

お湯を注ぐ。

スプーンを入れる。

数回かき混ぜる。

それで終わり。

蓮はマグカップを窓際まで運んだ。

カーテンを少しだけ開ける。

東京の空は、まだ灰色だった。

厚い雲が低く垂れ込めている。

ここ数日降り続いていた雨は、ひとまず止んでいる。

だが、空気にはまだ湿気が残っていた。

蓮はコーヒーを一口飲む。

苦い。

熱い。

いつも通りだ。

周囲を見回す。

25平方メートルほどのこのアパートは、何も変わっていない。

一部屋。

小さなキッチン。

狭い浴室。

布団を干すくらいしかできない、小さなベランダ。

高価なソファもない。

大きなテレビもない。

装飾品もない。

そもそも必要のない家具もない。

蓮は小さく頷いた。

「十分だ」

もう一口、コーヒーを飲む。

「これで十分だ」

単純な言葉だった。

だが今となっては、その言葉を自分自身で信じることが、少しだけ難しくなっていた。

昨夜、システムは総資産18億円という金額を彼に与えた。

それなのに今朝も、蓮は狭いキッチンに立ち、ひびの入ったマグカップでインスタントコーヒーを飲んでいる。

蓮は、もう一度スマートフォンを見る。

「じゃあ、今は......」

システムを開く。

最後の通知が、まだ残っていた。

《居住環境の選択》

居住環境を選択してください。

以下から一つを選択:

1.港区の高級マンション
2.世田谷区の住宅街にある戸建て住宅
3.渋谷区の高級マンション

蓮は三つの選択肢を読む。

そして、もう一度読む。

「家......」

二番目の選択肢を見る。

世田谷。

住宅街。

家族向け。

比較的静かな環境。

戸建て住宅。

蓮は、その選択肢を頭の中ですぐに却下した。

「俺、家なんていらない」

三番目へ移る。

渋谷。

高級マンション。

その雰囲気を想像する。

高層ビル。

人。

車。

繁華街。

蓮は小さく息を吐いた。

「俺はこれもいらない」

そして一番目。

港区。

赤坂。

高級マンション。

蓮は黙った。

その地域について、蓮はそれほど詳しくない。

赤坂。

知っているのは、ビジネス街やホテル、高級レストラン、大企業、そして生活費の高い地域として名前が挙がることが多い、という程度だ。

普通の大学生が住む場所ではない。

蓮は、もう一度自分のアパートを見回した。

下の階から聞こえてくるテレビの音。

隣の部屋から聞こえる洗濯機の音。

時々聞こえる隣人の足音。

壁は薄い。

特別うるさいわけではない。

それでも......。

蓮は静かに息を吐いた。

「もし引っ越すなら......」

指が画面の上で止まる。

「......俺は、もう少し静かな場所がいい」

三つの選択肢を、もう一度見る。

「今のまま」という選択肢はない。

当然だ。

蓮は、システムがそんな簡単な選択肢を用意してくれないことくらい、すでに分かっていた。

「本当に、じっとしてくれないな」

蓮は一番目の選択肢を押した。

《選択完了》

選択結果:

1.港区の高級マンション

詳細:

- 所在地:東京都港区赤坂三丁目
- 専有面積:78㎡
- 階数:15階建て12階
- 設備:コンシェルジュ、ジム、ラウンジ、地下駐車場
- 価格:4億8000万円
- 支払い状況:完済

引っ越し手続きはシステムによって手配されます。
関連書類は24時間以内に送付されます。

蓮はすべてを読み終えた。

黙ったまま。

「......」

専有面積を見る。

78平方メートル。

今の住居の三倍以上だ。

所在地を見る。

赤坂。

そして階数。

12階。

蓮は少しだけ首を傾げた。

「俺は、ただ静かな場所が欲しいだけなんだけどな」

スマートフォンの画面をロックする。

マグカップのコーヒーは、ほとんど残っていない。

蓮は最後の一滴まで飲み干した。

それからマグカップを洗う。

喜んでいるわけではない。

嬉しいわけでもない。

何億円もする高級住宅を手に入れた人間のような興奮もなかった。

ただ一つ、単純な考えだけが残っていた。

少なくとも、今より静かかもしれない。

蓮は部屋へ戻る。

そして、いつも通り大学へ行く準備を始めた。

―――

8時30分

アパート → 練馬駅 → 西武池袋線 → 池袋駅 → 大学

再び雨が降り始めていた。

土砂降りではない。

ただ、道を濡らし、朝の空気を少し冷たく感じさせる程度の細かな雨だった。

蓮は折り畳み傘を開いた。

傘の一部分は、すでに少し壊れている。

風が吹くたびに、生地が不安定に揺れた。

蓮はしばらくそれを見た。

「まだ使える」

そのまま歩き続ける。

練馬駅へ向かう道は、いつもと変わらない。

同じ店。

同じコンビニ。

同じ交差点。

同じように電車へ急ぐ人々。

その中を歩いている21歳の大学生が、10億円を超える預金残高を持っていることを知る者は誰もいない。

そして蓮自身も、それを誰かに伝える必要を感じていなかった。

駅へ入る。

電車に乗る。

いつものように、席を探すこともしない。

立ったまま。

片手で吊り革を掴む。

視線は窓へ向ける。

窓ガラスには雨粒がいくつも付いていた。

ぼんやりと自分の顔が映っている。

灰色のTシャツ。

色褪せ始めた黒いジャケット。

ジーンズ。

ソールが少し黄ばんできた白いスニーカー。

蓮は自分の姿を見る。

そして、システムから与えられた新しい住所を思い出した。

赤坂。

港区。

高級マンション。

蓮は薄く笑った。

「俺、あそこに住むんだよな」

もう一度、自分の服を見る。

「......この格好で」

近くにいた乗客が、ちらりと蓮を見る。

蓮は気にしない。

電車はそのまま池袋へ向かって走り続けた。

蓮は息を吐く。

赤坂そのものは問題ではない。

新しい家も問題ではない。

彼が少しだけ落ち着かない理由は、別のところにあった。

変化。

ここ三年間、蓮の生活はほとんど変わらないパターンで続いていた。

起きる。

大学へ行く。

食べる。

帰る。

勉強する。

寝る。

単純だった。

静かだった。

それが今、システムによって崩されようとしている。

蓮は窓の外の雨を見る。

「......せめて、引っ越すだけで済んでくれ」

―――

10時00分

大学――経済学部棟・3階

授業は時間通りに始まった。

昨日と同じ教授が教壇に立っている。

黒板には、金融政策と金融政策がインフレに与える影響について書かれていた。

蓮はいつもの席に座る。

ペンがノートの上を走る。

一つ。

次の項目。

授業には、ちゃんとついていっている。

だが、時々その思考は一つの場所へ戻っていた。

赤坂。

蓮はページの隅に、小さくメモを書く。

『赤坂』

そして、それを線で消した。

隣では、田中 浩平が俯いている。

机の下に隠したスマートフォン。

親指が素早く動いていた。

蓮がちらりと見る。

田中が気づいた。

顔を上げる。

「誰にも言うなよ」

蓮は黒板へ視線を戻した。

「聞いてない」

「そこが問題なんだよ」

「なら、そのまま隠してろ」

田中は笑いを堪える。

数秒後、再び蓮へ身を寄せた。

「蓮」

「ん?」

「さっきから、ずっとぼーっとしてないか?」

「してない」

「俺がまだ言い終わってないのに答えただろ」

蓮が振り向く。

田中は目を細めた。

「やっぱり何かあるだろ」

「何もない」

「嘘つけ」

蓮は黙った。

田中はしばらく蓮を見る。

「大学のことか?」

「違う」

「家族か?」

「違う」

「金か?」

蓮のペンが止まった。

ほんの一瞬だけ。

そして答える。

「違う」

田中はゆっくり頷いた。

「そっか」

蓮は再びノートを取る。

田中はすぐにスマートフォンへ戻らなかった。

「本当に何かあったなら、話していいからな」

蓮が振り向く。

今度の田中の表情には、冗談がなかった。

蓮は数秒間、友人を見つめた。

「そうだな」

「ん」

「何かあったらな」

田中は小さく笑った。

「それでいい」

そして、再びスマートフォンを見る。

蓮はノートへ視線を戻した。

そこには、さっき自分で書いた一つの言葉がある。

引っ越し。

その下に、無意識のうちにもう一つの言葉を書いていた。

システム。

蓮はすぐに線を引いて消した。

そして止まる。

頭の中を、あることがよぎった。

《機密保持》

利用者は、許可なくシステムの存在を他者へ開示してはならない。

蓮は、その書き消した文字を見つめた。

「......」

手のひらで、その部分を隠す。

今は考える必要がない。

少なくとも、今は。

―――

12時15分

大学食堂

昼の食堂は、それなりに混んでいた。

蓮はいつもの隅の席を選ぶ。

ラーメンを注文した。

「400円です」

支払いを済ませ、丼を持って席へ戻る。

熱い湯気がスープの表面から立ち上っている。

蓮は少し息を吹きかける。

食べる前にスマートフォンを開いた。

システムからの通知はない。

あるのはクラスのグループメッセージだけだった。

【クラスB】

鈴木:
「金曜日の金融経済セミナー、誰か参加する?」

数秒後。

田中:
「無料で飯が出るなら行く」

すぐに鈴木から返信が来た。

鈴木:
「出ない」

田中:

「じゃあ行かない」

蓮は画面を見る。

ほんの少しだけ、笑いそうになった。

本当に、ほんの少しだけ。

それからアプリを閉じる。

セミナー。

以前の蓮は、こういうセミナーにそれなりに参加していた。

大きなキャリアを築きたいからではない。

ただ、普段の授業では聞けない話を、誰かが説明してくれることに興味があった。

だが今は、すべてが少し違って見える。

蓮はラーメンの丼を見る。

「18億......」

そこで止まる。

声に出す必要はない。

俯いて食べ始める。

隣のテーブルでは、何人かの大学生が仕事について話していた。

「そこの会社、新卒の初任給が年収500万円らしいぞ」

「500万? 少なくない?」

「でもボーナスが大きいらしい」

「俺なら外資に行きたいな」

「なんで?」

「給料が倍くらいになるから」

蓮はスープを一口飲む。

聞くつもりはなかった。

だが、その会話は十分に聞こえてきた。

年収500万円。

蓮は無意識に計算する。

18億円を500万円で割る。

360年。

蓮は咀嚼を止めた。

「......なんで俺、こんな計算してるんだ?」

もう一度、俯く。

意味がない。

金は金だ。

彼らは働く。

自分は大学へ行く。

そして自分は自分のままだ。

蓮はラーメンを最後まで食べた。

―――

15時30分

大学 → 池袋駅 → 西武池袋線 → 練馬駅

雨はまだ降っていた。

練馬駅を出る頃には、まだ夕方になりきっていないにもかかわらず、空はすでに暗くなっていた。

街灯が点き始める。

濡れた歩道。

水たまりに車の光が映っている。

蓮は傘を開く。

靴が水を踏む。

「......」

そのまま家へ向かう。

同じ道。

同じコンビニ。

同じ建物。

同じアパート。

しかし自分の部屋の前まで来たところで、蓮は足を止めた。

ドアの下に何かがある。

茶色い封筒だった。

蓮は眉を寄せる。

腰を屈め、それを拾う。

差出人の名前はない。

封筒を開く。

中には一つの鍵と、一通の書類が入っていた。

蓮はゆっくりと読む。

黒瀬 蓮 様

このたび、赤坂レジデンスへのお引っ越し手続きが完了したことを、謹んでご案内申し上げます。所有権関連書類、鍵、および必要事項を準備しております。

住所:
東京都港区赤坂三丁目・赤坂レジデンス1203号室

鍵は明日、木曜日の午前10時よりご利用いただけます。

ご不明な点がございましたら、下記の連絡先までお問い合わせください。

黒瀬アセットマネジメント

蓮は黙った。

「黒瀬アセットマネジメント......」

その名前を見た瞬間、昨日の出来事を思い出した。

三日前に設立されたという会社。

自分の口座へ10億円を振り込んだ会社。

そして、自分が一度も設立した覚えのない会社。

蓮は書類を見つめる。

「......」

自分の名前が、自分の知らない書類に次々と登場している。

その事実は、やはり好きになれなかった。

だが今のところ、彼にできることは、その現実を受け入れることだけだった。

蓮はドアを開ける。

中へ入る。

照明をつける。

25平方メートルのアパートが、いつものように彼を迎えた。

何も変わっていない。

小さなキッチン。

折り畳み式テーブル。

ベッド。

布団。

狭い浴室。

蓮は封筒をテーブルに置く。

そして、それを見つめる。

「明日か」

小さく息を吐く。

「本当に引っ越すんだな」

蓮は床に座った。

ノートパソコンを開く。

昨日と同じように、北海道の田舎暮らしを扱ったドキュメンタリーを再生する。

ナレーターの声が部屋を満たす。

農地。

冬。

都市部から遠く離れた小さな村。

蓮は壁にもたれた。

ドキュメンタリーの音が心地いい。

外では雨が降り続いている。

数分間、蓮はシステムのことを考えなかった。

金のことも。

新しいマンションのことも。

ただ映像を見ていた。

―――

20時00分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は風呂を終えた。

髪はまだ濡れている。

肩にタオルをかけ、床に座る。

手にはスマートフォン。

システムを開く。

《現在の総資産:18億円》

《物欲:2%》

《無欲倍率:×20》

蓮は、その数字を見つめる。

「明日......」

そこで言葉を止めた。

明日は引っ越しだ。

赤坂。

78平方メートルの高級マンション。

価格4億8000万円。

すでに支払い済み。

蓮はスマートフォンを床に置く。

「俺、新しい場所なんて必要ないんだけどな」

天井を見る。

「でも......」

隣人のテレビの音を思い出す。

洗濯機の音。

薄い壁。

それから、新しいマンションを想像する。

12階。

大きな窓。

もしかしたら防音もしっかりしているかもしれない。

もしかしたら、今より静かかもしれない。

蓮は息を吐く。

「もし本当に静かなら......」

肩をすくめる。

「......まあ、悪くないか」

それだけだ。

他に理由はない。

蓮は横になる。

外の雨が少しずつ弱くなっていく。

雨樋から落ちる水の音が、ゆっくりと聞こえている。

蓮は目を閉じる。

明日が、このアパートで過ごす最後の日になる。

―――

木曜日 9時00分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は早く目を覚ました。

目覚ましは鳴っていない。

シャワーを浴びる。

着替える。

黒いTシャツ。

灰色のジャケット。

ジーンズ。

いつもの白いスニーカー。

蓮はアパートの中央に立つ。

周囲を見回す。

久しぶりに、彼はこの部屋をただの住居としてではなく見つめていた。

三年間。

蓮はここで三年間暮らした。

テーブルへ向かう。

ノートパソコンを取る。

それからノート。

服を何着か。

財布。

必要なものをリュックへ入れる。

残りは、そのままだ。

布団。

折り畳み式テーブル。

椅子。

調理器具。

蓮はそれらを見つめる。

「システムが引っ越しを手配するって言ってたな」

肩をすくめる。

「本当にやってくれるなら、任せればいい」

自分で苦労する理由はない。

蓮はリュックを背負う。

玄関へ向かう。

そして、一度だけ足を止めた。

後ろを振り返る。

アパートは静かなままだった。

質素だった。

狭かった。

それでも三年間、ここは蓮の家だった。

蓮は感傷的になるわけではない。

ただ、数秒間そこに立っていた。

そして、小さく呟く。

「......じゃあな」

ドアを閉める。

鍵を回す。

古い鍵をポケットへ入れる。

そして駅へ向かって歩き始めた。

―――

10時00分

練馬駅 → 西武池袋線 → 池袋駅 → 東京メトロ千代田線 → 赤坂駅

移動には、およそ45分かかった。

蓮は赤坂駅で降りる。

駅から出たところで、足を止めた。

「赤坂......」

周囲を見る。

高層ビル。

レストラン。

ホテル。

光沢のあるショーウィンドウ。

急ぎ足で歩くスーツ姿の人々。

ブランドバッグを持つ女性たち。

高級車が時々、道路を走り抜けていく。

蓮は自分の服を見る。

黒いTシャツ。

灰色のジャケット。

ジーンズ。

古いスニーカー。

数秒間、黙る。

「俺、電車を間違えた大学生みたいだな」

隣を歩いていた男がちらりと見る。

蓮はすぐに歩き始めた。

スマートフォンのナビに従う。

道は次第に人が増えていく。

だが、不思議なことに、数ブロック歩くと、街の音はそれほど気にならなくなった。

まだ慣れていないからかもしれない。

考えることが多すぎるからかもしれない。

あるいは、今日からここに住むという現実を受け入れようとしているだけなのかもしれない。

蓮は画面に表示された住所を見る。

赤坂三丁目

さらに数分歩く。

そして目的の建物が、目の前に現れた。

―――

10時15分

赤坂レジデンス――東京都港区

建物は15階建てだった。

ガラスと黒い御影石を組み合わせた外観。

派手すぎるわけではない。

だが、蓮が三年間暮らしていたアパートとは、明らかに違っていた。

正面入口には、きちんとした制服を着た警備員が立っている。

蓮が近づく。

「おはようございます。何かお手伝いできますでしょうか?」

警備員が声をかける。

蓮は足を止めた。

「新しく入居する者です」

「承知しました」

「1203号室です」

警備員はタブレットを確認する。

そして再び蓮を見る。

「黒瀬様でしょうか?」

「はい」

「ようこそお越しくださいました」

警備員は丁寧に頭を下げた。

「恐れ入りますが、ご本人確認のできるものを拝見してもよろしいでしょうか?」

蓮は学生証を取り出す。

手渡す。

警備員は数秒確認した。

そして頷く。

「ありがとうございます。登録情報と一致しております」

蓮は学生証を受け取る。

「コンシェルジュがご案内いたします」

「ありがとうございます」

蓮は中へ入る。

正面玄関を抜けたところで、少しだけ足が止まった。

ロビー。

大理石の床。

大きなシャンデリア。

一角には革張りのソファ。

静かな空気。

受付カウンターの向こうには、若い女性が立っていた。

蓮を見ると、女性は笑顔を浮かべる。

「黒瀬様でしょうか?」

蓮が近づく。

「はい」

「赤坂レジデンスへようこそお越しくださいました」

女性は軽く頭を下げる。

「藤原 明子と申します。こちらでコンシェルジュを担当しております」

彼女はカウンターから一枚のカードを取り出した。

「こちらが1203号室のアクセスカードです」

蓮は受け取る。

「ありがとうございます」

「1203号室は12階でございます」

藤原はエレベーターの方向を指す。

「エレベーターは右手にございます。ご滞在中、何か必要なことがございましたら、いつでもお申し付けください」

蓮は頷く。

「分かりました」

藤原は笑顔のまま言った。

「どうぞ快適にお過ごしくださいませ、黒瀬様」

蓮はエレベーターへ向かう。

ボタンを押す。

扉が開く。

中へ入る。

扉が閉まる。

階数表示が上がっていく。

10。

11。

12。

扉が開く。

蓮が降りる。

廊下の奥に、一つの扉がある。

そこには番号が表示されていた。

1203

アクセスカードをかざす。

ピッ。

鍵が開く。

蓮はドアノブを回した。

―――

10時20分

赤坂レジデンス――1203号室

扉が開く。

蓮は中へ入った。

そして、黙った。

「......」

すぐには動かなかった。

広い。

あまりにも広い。

以前のアパートとは比べものにならない。

木製のフローリング。

真っ白な壁。

大きな窓。

現代的なキッチン。

独立した寝室。

浴槽付きの浴室。

蓮は数歩歩く。

リュックはまだ肩にかけたままだ。

それを下ろす。

床に置く。

そして窓へ向かう。

12階から見る東京は、少し違って見えた。

高層ビル。

道路。

車。

遠くに見える東京タワー。

蓮はそれらを見つめる。

「......」

何と言えばいいのか分からない。

やがて、一言だけ口から出た。

「広すぎる」

振り返る。

キッチンへ向かう。

冷蔵庫を開ける。

空。

棚を開ける。

空。

引き出し。

空。

蓮は頷く。

「少なくとも変なものはないな」

リビングへ戻る。

気になる椅子はない。

だから蓮は床に座った。

窓を見る。

灰色の光が外から差し込んでいる。

雨は止んでいた。

部屋の中は、とても静かだった。

蓮は目を閉じる。

隣人のテレビの音がない。

壁の向こうから聞こえる洗濯機の音もない。

上の階から足音が響くこともない。

蓮は目を開ける。

「......静かだ」

システムが現れてから初めて、蓮はこの選択がそれほど悪くなかったのかもしれないと思った。

その直後――

ピコン。

スマートフォンが鳴った。

蓮は取り出す。

《入居完了》

引っ越し手続きが完了しました。

新しい住居へようこそ。

報酬:

- 無欲ボーナス ×22
- 4億円
- 《高級住宅管理スキル》

実績解除:
【初回高級住宅】

蓮は画面を見つめた。

動かない。

4億円。

まただ。

頭の中で自動的に計算する。

18億円に4億円を足す。

22億円。

蓮は息を吐いた。

「また4億......」

スキルの文字を見る。

「それに、新しいスキルか」

数秒後、画面を閉じる。

「俺は、ただ静かな場所が欲しかっただけなんだけどな」

スマートフォンを置く。

満足そうな表情はない。

誇らしげでもない。

ただ、自分に何かを与える理由をいつも用意しているようなシステムに、少し疲れていた。

―――

11時00分

赤坂レジデンス――1203号室

蓮はマンションの中を見て回り始めた。

寝室。

大きなベッド。

今まで使っていた布団より、はるかに大きい。

クローゼットは空。

ワークデスク。

南向きの窓。

蓮は寝室の入口に立つ。

「これ、一人で使うには大きすぎないか?」

しばらくベッドを見る。

「......過剰だな」

クローゼットを開ける。

空。

それはいい。

浴室。

浴槽。

シャワー。

洗面台。

大きな鏡。

すべて綺麗だった。

すべて新品のように見える。

蓮はシャワーを少しだけ出す。

水が流れる。

すぐに止める。

「普通だな」

キッチンの扉を開ける。

冷たい風が顔に当たった。

バルコニーは、椅子二脚と小さなテーブルを置ける程度の広さがある。

目の前には街の景色が広がっている。

蓮はしばらく立っていた。

それからリビングへ戻る。

再び床に座る。

スマートフォンを開く。

《高級住宅管理スキル》

高級住宅やマンションを効率的に管理するための能力。

含まれる能力:

- 防犯システムに関する知識
- 設備管理
- 建物スタッフとの調整
- 物件の維持管理

蓮は最後まで読む。

「......」

システムを閉じる。

「俺、このスキルいらないだろ」

周囲を見る。

「ベッドとキッチンがあれば十分なんだけどな」

蓮は立ち上がる。

キッチンへ向かう。

蛇口を開く。

水が流れる。

数秒間、その水を眺める。

「少なくとも、水は出るな」

蛇口を閉める。

蓮は再びリビングへ戻る。

床に座る。

天井を見る。

「......」

静かだ。

蓮は時計を見る。

11時40分。

スマートフォンを見る。

それから窓を見る。

そして、またスマートフォンを見る。

「......今、俺は何をすればいいんだ?」

答えはない。

蓮は結局、ジャケットを手に取った。

少し外へ出る必要がある気がした。

―――

12時30分

赤坂レジデンス → 赤坂の街 → シンプルな飲食店

蓮は赤坂の通りを歩いていた。

練馬とは違う。

より密集している。

近代的なオフィスビルとレストランが並んでいる。

高価そうな商品を並べた店。

ホテル。

時々、高級車が通り過ぎる。

蓮はどこにも立ち寄らなかった。

そして、二つの高層ビルの間に挟まれるように、一軒の質素な飲食店を見つけた。

吉野家。

蓮は足を止めた。

「ここ......」

周囲の建物を見る。

そして吉野家を見る。

その対比は、かなり分かりやすかった。

蓮は中へ入る。

「いらっしゃいませ」

赤い制服を着た若い店員が声をかける。

蓮は窓際の席を選ぶ。

「牛丼並で」

「かしこまりました」

蓮は座る。

窓の外を見る。

人々が行き交っている。

スーツ。

ブランドバッグ。

革靴。

高級車。

すべてが都市の日常の一部のように動いている。

蓮は自分が違うとは思わない。

少なくとも、料理が運ばれてくるまでは。

「牛丼、お待たせしました」

「ありがとうございます」

目の前に丼が置かれる。

蓮は箸を取る。

食べる。

一口。

そして二口。

味はシンプルだった。

馴染みのある味。

余計なことを考える必要もない。

蓮は窓の外を見る。

「少なくとも......」

咀嚼する。

「......ここなら食費は抑えられるな」

食べ終える。

支払いを済ませる。

そして店を出る。

今、赤坂に住んでいるからといって、高い店で食べる理由はない。

―――

14時00分

赤坂レジデンス――1203号室

蓮はマンションへ戻った。

靴を脱ぐ。

中へ入る。

そしてノートパソコンを開く。

北海道の田舎暮らしを扱ったドキュメンタリーを再生する。

昨日の続きだった。

蓮は床に座る。

雲の隙間から、太陽の光が少しずつ差し込み始めている。

大きな窓から光が入り、部屋が明るくなる。

蓮は画面を見る。

ドキュメンタリーの声が静かに響く。

そのとき――

部屋の隅に何かがあることに気づいた。

小さな箱だった。

黒い箱。

金色のリボンが巻かれている。

蓮は眉を寄せる。

さっきまで、こんなものがあった記憶はない。

動画を停止する。

立ち上がる。

箱へ近づく。

手に取る。

軽い。

差出人を示すものは何もない。

蓮はリボンを解く。

そして箱を開ける。

中には、一つの車の鍵とカードが入っていた。

蓮はカードを取り出す。

読む。

《初回車両報酬》

初回車両報酬。

車両:
ポルシェ911カレラ――MANSORY「Ghost Series II」

鍵は明日から使用可能です。

車両は地下2階、47番駐車区画に駐車されています。

蓮はカードを見る。

それから鍵を見る。

そして、もう一度カードを見る。

「......」

鍵を裏返す。

何も変わらない。

蓮は鍵を箱へ戻す。

「俺、車なんていらないんだけどな」

天井を見る。

「......」

静寂。

蓮は息を吐く。

「どうやら、システムは気にしてないらしい」

再びノートパソコンを手に取る。

動画を再生する。

まるで床に車の鍵が置かれていないかのように。

―――

19時00分

赤坂レジデンス――1203号室

夜がゆっくりと訪れる。

東京の街に明かりが灯り始める。

蓮はバルコニーに座っていた。

キッチンの棚の中に、急須と湯呑みがあるのを見つけた。

いつからそこにあったのかは分からない。

マンションに元々備えられていたものかもしれない。

あるいは、システムが用意したものかもしれない。

蓮は、あまり気にしなかった。

緑茶を注ぐ。

薄い湯気が湯呑みの上に立ち上る。

一口飲む。

目の前には東京の景色が広がっている。

ビルの明かり。

車。

決して完全に空になることのない道路。

動き続ける人々。

蓮はスマートフォンを取り出す。

システムを開く。

《現在の総資産:22億円》

《物欲:2%》

《無欲倍率:×22》

蓮はその数字を見る。

22億円。

頭の中でもう一度計算する。

何も変わっていない。

「つまり、今は......」

湯呑みを見る。

「......22億か」

蓮はお茶を一口飲む。

そして、もう一度街を見る。

「俺は今も、ここで座ってるだけだ」

何も変わった気がしない。

自分は蓮のままだ。

大学生のまま。

質素な服を着たまま。

高価なものより、緑茶を選ぶ。

蓮はスマートフォンの画面を消す。

明日は大学だ。

それが一番大事だった。

蓮は立ち上がる。

湯呑みを持って中へ入る。

バルコニーの扉を閉める。

いくつかの照明を消す。

それから寝室へ向かう。

大きなベッドが待っている。

蓮は横になる。

マットレスは柔らかい。

以前の布団より、ずっと快適だった。

蓮は目を閉じる。

「少なくとも......」

毛布を引き寄せる。

「......ベッドは快適だな」

静寂。

数秒後、呼吸がゆっくりと整っていく。

蓮は眠りについた。

12階の窓の外では、東京が動き続けている。

街の明かりは、完全に消えることがない。

車は道路を走り続ける。

人々はそれぞれの予定を追い続ける。

そして赤坂の高級マンションの一室で、21歳の大学生は、自分が本当に望んだわけでもない新しい生活を始めたばかりだった。

リビングのテーブルの上では、黒い小箱がまだ開いたままになっている。

その中には、一つの車の鍵が置かれている。

ポルシェ911カレラ――MANSORY「Ghost Series II」

その一方で、蓮の口座にある、本人でさえ想像することが難しい金額は増え続けていた。

22億円。

そして蓮は?

眠りにつく直前まで、ただ一つのことだけを考えていた。

明日は大学へ行かないとな。

―――

次話予告

第4話「俺は車なんて必要ない」

(「俺は車なんて必要ない」)

赤坂の新しいマンションで、蓮はポルシェ911カレラの鍵を見つける。

蓮は、それを無視しようとする。

だが、システムはまだ終わっていない。

その車は地下2階、47番駐車区画で蓮を待っている。

そして、蓮がついに確認するため地下へ降りたとき、赤坂で暮らすということが、単なる住所変更ではないことに気づく。

新しい環境は、これまで蓮が守ってきた「普通の大学生としての生活」を、少しずつ隠しにくいものへと変えていく。

そして地下駐車場での予期せぬ出会いが、蓮の人生に新たな人物たちが現れるきっかけとなる。

もちろん――

システムには、蓮が一度も望んでいない次の報酬が、まだ残されている。

【第4話へ続く......】
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第4話「俺は車なんて必要ない」
欲のない俺に、最強の資産システムが降ってきた ~望んでないのに、金も家も車も会社も美女も増えていく~作者:Ren Hazumi
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ホーム欲のない俺に、最強の資産システムが降ってきた ~望んでないのに、金も家も車も会社も美女も増えていく~第3話「家はいらない。……いや、静かな部屋なら欲しい」
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第3話「家はいらない。……いや、静かな部屋なら欲しい」

第3話「家はいらない。......いや、静かな部屋なら欲しい」

―――

水曜日 7時05分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。

ゆっくりと目を開ける。

数秒間、ただ頭上の白い天井を見つめていた。

悪夢は見ていない。

大きな音もない。

何かに起こされたわけでもない。

ただ、妙な感覚があった。

昨日とは何かが違う。

そんな気がする。

蓮は上半身を起こし、ベッドの端に腰を下ろした。

しばらく顔を手でこする。

それから、ベッド脇の折り畳み式テーブルに視線を落とした。

そこにはスマートフォンが置かれている。

そして昨日から自分の人生を変えてしまった、あのアイコンがまだ画面の中に存在していた。

蓮はスマートフォンを手に取る。

一度、画面に触れる。

システムが開いた。

《絶対資産支配システム》

黒瀬 蓮
年齢:21歳

純資産:10億円
物欲:2%
無欲倍率:×20

状態:稼働中

蓮は、その数字をしばらく見つめた。

18億円。

それでも、まだ他人の金のように感じる。

昨夜、目を閉じたときも、その数字は存在していた。

そして今朝、目を覚ましても、やはり存在している。

夢ではない。

送金ミスでもない。

誰かの悪ふざけでもない。

蓮は画面をスライドさせる。

何も変わっていない。

そのままシステムを閉じた。

「......」

スマートフォンを元の場所に戻す。

蓮はベッドから立ち上がった。

小さなキッチンへ向かう。

電気ケトルのスイッチを入れる。

まだ静かなアパートの中に、水が温められていく音が響いた。

蓮は、縁に小さなひびの入った白いマグカップを手に取った。

彼が持っている唯一のマグカップだ。

インスタントコーヒーを入れる。

お湯を注ぐ。

スプーンを入れる。

数回かき混ぜる。

それで終わり。

蓮はマグカップを窓際まで運んだ。

カーテンを少しだけ開ける。

東京の空は、まだ灰色だった。

厚い雲が低く垂れ込めている。

ここ数日降り続いていた雨は、ひとまず止んでいる。

だが、空気にはまだ湿気が残っていた。

蓮はコーヒーを一口飲む。

苦い。

熱い。

いつも通りだ。

周囲を見回す。

25平方メートルほどのこのアパートは、何も変わっていない。

一部屋。

小さなキッチン。

狭い浴室。

布団を干すくらいしかできない、小さなベランダ。

高価なソファもない。

大きなテレビもない。

装飾品もない。

そもそも必要のない家具もない。

蓮は小さく頷いた。

「十分だ」

もう一口、コーヒーを飲む。

「これで十分だ」

単純な言葉だった。

だが今となっては、その言葉を自分自身で信じることが、少しだけ難しくなっていた。

昨夜、システムは総資産18億円という金額を彼に与えた。

それなのに今朝も、蓮は狭いキッチンに立ち、ひびの入ったマグカップでインスタントコーヒーを飲んでいる。

蓮は、もう一度スマートフォンを見る。

「じゃあ、今は......」

システムを開く。

最後の通知が、まだ残っていた。

《居住環境の選択》

居住環境を選択してください。

以下から一つを選択:

1.港区の高級マンション
2.世田谷区の住宅街にある戸建て住宅
3.渋谷区の高級マンション

蓮は三つの選択肢を読む。

そして、もう一度読む。

「家......」

二番目の選択肢を見る。

世田谷。

住宅街。

家族向け。

比較的静かな環境。

戸建て住宅。

蓮は、その選択肢を頭の中ですぐに却下した。

「俺、家なんていらない」

三番目へ移る。

渋谷。

高級マンション。

その雰囲気を想像する。

高層ビル。

人。

車。

繁華街。

蓮は小さく息を吐いた。

「俺はこれもいらない」

そして一番目。

港区。

赤坂。

高級マンション。

蓮は黙った。

その地域について、蓮はそれほど詳しくない。

赤坂。

知っているのは、ビジネス街やホテル、高級レストラン、大企業、そして生活費の高い地域として名前が挙がることが多い、という程度だ。

普通の大学生が住む場所ではない。

蓮は、もう一度自分のアパートを見回した。

下の階から聞こえてくるテレビの音。

隣の部屋から聞こえる洗濯機の音。

時々聞こえる隣人の足音。

壁は薄い。

特別うるさいわけではない。

それでも......。

蓮は静かに息を吐いた。

「もし引っ越すなら......」

指が画面の上で止まる。

「......俺は、もう少し静かな場所がいい」

三つの選択肢を、もう一度見る。

「今のまま」という選択肢はない。

当然だ。

蓮は、システムがそんな簡単な選択肢を用意してくれないことくらい、すでに分かっていた。

「本当に、じっとしてくれないな」

蓮は一番目の選択肢を押した。

《選択完了》

選択結果:

1.港区の高級マンション

詳細:

- 所在地:東京都港区赤坂三丁目
- 専有面積:78㎡
- 階数:15階建て12階
- 設備:コンシェルジュ、ジム、ラウンジ、地下駐車場
- 価格:4億8000万円
- 支払い状況:完済

引っ越し手続きはシステムによって手配されます。
関連書類は24時間以内に送付されます。

蓮はすべてを読み終えた。

黙ったまま。

「......」

専有面積を見る。

78平方メートル。

今の住居の三倍以上だ。

所在地を見る。

赤坂。

そして階数。

12階。

蓮は少しだけ首を傾げた。

「俺は、ただ静かな場所が欲しいだけなんだけどな」

スマートフォンの画面をロックする。

マグカップのコーヒーは、ほとんど残っていない。

蓮は最後の一滴まで飲み干した。

それからマグカップを洗う。

喜んでいるわけではない。

嬉しいわけでもない。

何億円もする高級住宅を手に入れた人間のような興奮もなかった。

ただ一つ、単純な考えだけが残っていた。

少なくとも、今より静かかもしれない。

蓮は部屋へ戻る。

そして、いつも通り大学へ行く準備を始めた。

―――

8時30分

アパート → 練馬駅 → 西武池袋線 → 池袋駅 → 大学

再び雨が降り始めていた。

土砂降りではない。

ただ、道を濡らし、朝の空気を少し冷たく感じさせる程度の細かな雨だった。

蓮は折り畳み傘を開いた。

傘の一部分は、すでに少し壊れている。

風が吹くたびに、生地が不安定に揺れた。

蓮はしばらくそれを見た。

「まだ使える」

そのまま歩き続ける。

練馬駅へ向かう道は、いつもと変わらない。

同じ店。

同じコンビニ。

同じ交差点。

同じように電車へ急ぐ人々。

その中を歩いている21歳の大学生が、10億円を超える預金残高を持っていることを知る者は誰もいない。

そして蓮自身も、それを誰かに伝える必要を感じていなかった。

駅へ入る。

電車に乗る。

いつものように、席を探すこともしない。

立ったまま。

片手で吊り革を掴む。

視線は窓へ向ける。

窓ガラスには雨粒がいくつも付いていた。

ぼんやりと自分の顔が映っている。

灰色のTシャツ。

色褪せ始めた黒いジャケット。

ジーンズ。

ソールが少し黄ばんできた白いスニーカー。

蓮は自分の姿を見る。

そして、システムから与えられた新しい住所を思い出した。

赤坂。

港区。

高級マンション。

蓮は薄く笑った。

「俺、あそこに住むんだよな」

もう一度、自分の服を見る。

「......この格好で」

近くにいた乗客が、ちらりと蓮を見る。

蓮は気にしない。

電車はそのまま池袋へ向かって走り続けた。

蓮は息を吐く。

赤坂そのものは問題ではない。

新しい家も問題ではない。

彼が少しだけ落ち着かない理由は、別のところにあった。

変化。

ここ三年間、蓮の生活はほとんど変わらないパターンで続いていた。

起きる。

大学へ行く。

食べる。

帰る。

勉強する。

寝る。

単純だった。

静かだった。

それが今、システムによって崩されようとしている。

蓮は窓の外の雨を見る。

「......せめて、引っ越すだけで済んでくれ」

―――

10時00分

大学――経済学部棟・3階

授業は時間通りに始まった。

昨日と同じ教授が教壇に立っている。

黒板には、金融政策と金融政策がインフレに与える影響について書かれていた。

蓮はいつもの席に座る。

ペンがノートの上を走る。

一つ。

次の項目。

授業には、ちゃんとついていっている。

だが、時々その思考は一つの場所へ戻っていた。

赤坂。

蓮はページの隅に、小さくメモを書く。

『赤坂』

そして、それを線で消した。

隣では、田中 浩平が俯いている。

机の下に隠したスマートフォン。

親指が素早く動いていた。

蓮がちらりと見る。

田中が気づいた。

顔を上げる。

「誰にも言うなよ」

蓮は黒板へ視線を戻した。

「聞いてない」

「そこが問題なんだよ」

「なら、そのまま隠してろ」

田中は笑いを堪える。

数秒後、再び蓮へ身を寄せた。

「蓮」

「ん?」

「さっきから、ずっとぼーっとしてないか?」

「してない」

「俺がまだ言い終わってないのに答えただろ」

蓮が振り向く。

田中は目を細めた。

「やっぱり何かあるだろ」

「何もない」

「嘘つけ」

蓮は黙った。

田中はしばらく蓮を見る。

「大学のことか?」

「違う」

「家族か?」

「違う」

「金か?」

蓮のペンが止まった。

ほんの一瞬だけ。

そして答える。

「違う」

田中はゆっくり頷いた。

「そっか」

蓮は再びノートを取る。

田中はすぐにスマートフォンへ戻らなかった。

「本当に何かあったなら、話していいからな」

蓮が振り向く。

今度の田中の表情には、冗談がなかった。

蓮は数秒間、友人を見つめた。

「そうだな」

「ん」

「何かあったらな」

田中は小さく笑った。

「それでいい」

そして、再びスマートフォンを見る。

蓮はノートへ視線を戻した。

そこには、さっき自分で書いた一つの言葉がある。

引っ越し。

その下に、無意識のうちにもう一つの言葉を書いていた。

システム。

蓮はすぐに線を引いて消した。

そして止まる。

頭の中を、あることがよぎった。

《機密保持》

利用者は、許可なくシステムの存在を他者へ開示してはならない。

蓮は、その書き消した文字を見つめた。

「......」

手のひらで、その部分を隠す。

今は考える必要がない。

少なくとも、今は。

―――

12時15分

大学食堂

昼の食堂は、それなりに混んでいた。

蓮はいつもの隅の席を選ぶ。

ラーメンを注文した。

「400円です」

支払いを済ませ、丼を持って席へ戻る。

熱い湯気がスープの表面から立ち上っている。

蓮は少し息を吹きかける。

食べる前にスマートフォンを開いた。

システムからの通知はない。

あるのはクラスのグループメッセージだけだった。

【クラスB】

鈴木:
「金曜日の金融経済セミナー、誰か参加する?」

数秒後。

田中:
「無料で飯が出るなら行く」

すぐに鈴木から返信が来た。

鈴木:
「出ない」

田中:

「じゃあ行かない」

蓮は画面を見る。

ほんの少しだけ、笑いそうになった。

本当に、ほんの少しだけ。

それからアプリを閉じる。

セミナー。

以前の蓮は、こういうセミナーにそれなりに参加していた。

大きなキャリアを築きたいからではない。

ただ、普段の授業では聞けない話を、誰かが説明してくれることに興味があった。

だが今は、すべてが少し違って見える。

蓮はラーメンの丼を見る。

「18億......」

そこで止まる。

声に出す必要はない。

俯いて食べ始める。

隣のテーブルでは、何人かの大学生が仕事について話していた。

「そこの会社、新卒の初任給が年収500万円らしいぞ」

「500万? 少なくない?」

「でもボーナスが大きいらしい」

「俺なら外資に行きたいな」

「なんで?」

「給料が倍くらいになるから」

蓮はスープを一口飲む。

聞くつもりはなかった。

だが、その会話は十分に聞こえてきた。

年収500万円。

蓮は無意識に計算する。

18億円を500万円で割る。

360年。

蓮は咀嚼を止めた。

「......なんで俺、こんな計算してるんだ?」

もう一度、俯く。

意味がない。

金は金だ。

彼らは働く。

自分は大学へ行く。

そして自分は自分のままだ。

蓮はラーメンを最後まで食べた。

―――

15時30分

大学 → 池袋駅 → 西武池袋線 → 練馬駅

雨はまだ降っていた。

練馬駅を出る頃には、まだ夕方になりきっていないにもかかわらず、空はすでに暗くなっていた。

街灯が点き始める。

濡れた歩道。

水たまりに車の光が映っている。

蓮は傘を開く。

靴が水を踏む。

「......」

そのまま家へ向かう。

同じ道。

同じコンビニ。

同じ建物。

同じアパート。

しかし自分の部屋の前まで来たところで、蓮は足を止めた。

ドアの下に何かがある。

茶色い封筒だった。

蓮は眉を寄せる。

腰を屈め、それを拾う。

差出人の名前はない。

封筒を開く。

中には一つの鍵と、一通の書類が入っていた。

蓮はゆっくりと読む。

黒瀬 蓮 様

このたび、赤坂レジデンスへのお引っ越し手続きが完了したことを、謹んでご案内申し上げます。所有権関連書類、鍵、および必要事項を準備しております。

住所:
東京都港区赤坂三丁目・赤坂レジデンス1203号室

鍵は明日、木曜日の午前10時よりご利用いただけます。

ご不明な点がございましたら、下記の連絡先までお問い合わせください。

黒瀬アセットマネジメント

蓮は黙った。

「黒瀬アセットマネジメント......」

その名前を見た瞬間、昨日の出来事を思い出した。

三日前に設立されたという会社。

自分の口座へ10億円を振り込んだ会社。

そして、自分が一度も設立した覚えのない会社。

蓮は書類を見つめる。

「......」

自分の名前が、自分の知らない書類に次々と登場している。

その事実は、やはり好きになれなかった。

だが今のところ、彼にできることは、その現実を受け入れることだけだった。

蓮はドアを開ける。

中へ入る。

照明をつける。

25平方メートルのアパートが、いつものように彼を迎えた。

何も変わっていない。

小さなキッチン。

折り畳み式テーブル。

ベッド。

布団。

狭い浴室。

蓮は封筒をテーブルに置く。

そして、それを見つめる。

「明日か」

小さく息を吐く。

「本当に引っ越すんだな」

蓮は床に座った。

ノートパソコンを開く。

昨日と同じように、北海道の田舎暮らしを扱ったドキュメンタリーを再生する。

ナレーターの声が部屋を満たす。

農地。

冬。

都市部から遠く離れた小さな村。

蓮は壁にもたれた。

ドキュメンタリーの音が心地いい。

外では雨が降り続いている。

数分間、蓮はシステムのことを考えなかった。

金のことも。

新しいマンションのことも。

ただ映像を見ていた。

―――

20時00分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は風呂を終えた。

髪はまだ濡れている。

肩にタオルをかけ、床に座る。

手にはスマートフォン。

システムを開く。

《現在の総資産:18億円》

《物欲:2%》

《無欲倍率:×20》

蓮は、その数字を見つめる。

「明日......」

そこで言葉を止めた。

明日は引っ越しだ。

赤坂。

78平方メートルの高級マンション。

価格4億8000万円。

すでに支払い済み。

蓮はスマートフォンを床に置く。

「俺、新しい場所なんて必要ないんだけどな」

天井を見る。

「でも......」

隣人のテレビの音を思い出す。

洗濯機の音。

薄い壁。

それから、新しいマンションを想像する。

12階。

大きな窓。

もしかしたら防音もしっかりしているかもしれない。

もしかしたら、今より静かかもしれない。

蓮は息を吐く。

「もし本当に静かなら......」

肩をすくめる。

「......まあ、悪くないか」

それだけだ。

他に理由はない。

蓮は横になる。

外の雨が少しずつ弱くなっていく。

雨樋から落ちる水の音が、ゆっくりと聞こえている。

蓮は目を閉じる。

明日が、このアパートで過ごす最後の日になる。

―――

木曜日 9時00分

黒瀬アパート――東京都練馬区

蓮は早く目を覚ました。

目覚ましは鳴っていない。

シャワーを浴びる。

着替える。

黒いTシャツ。

灰色のジャケット。

ジーンズ。

いつもの白いスニーカー。

蓮はアパートの中央に立つ。

周囲を見回す。

久しぶりに、彼はこの部屋をただの住居としてではなく見つめていた。

三年間。

蓮はここで三年間暮らした。

テーブルへ向かう。

ノートパソコンを取る。

それからノート。

服を何着か。

財布。

必要なものをリュックへ入れる。

残りは、そのままだ。

布団。

折り畳み式テーブル。

椅子。

調理器具。

蓮はそれらを見つめる。

「システムが引っ越しを手配するって言ってたな」

肩をすくめる。

「本当にやってくれるなら、任せればいい」

自分で苦労する理由はない。

蓮はリュックを背負う。

玄関へ向かう。

そして、一度だけ足を止めた。

後ろを振り返る。

アパートは静かなままだった。

質素だった。

狭かった。

それでも三年間、ここは蓮の家だった。

蓮は感傷的になるわけではない。

ただ、数秒間そこに立っていた。

そして、小さく呟く。

「......じゃあな」

ドアを閉める。

鍵を回す。

古い鍵をポケットへ入れる。

そして駅へ向かって歩き始めた。

―――

10時00分

練馬駅 → 西武池袋線 → 池袋駅 → 東京メトロ千代田線 → 赤坂駅

移動には、およそ45分かかった。

蓮は赤坂駅で降りる。

駅から出たところで、足を止めた。

「赤坂......」

周囲を見る。

高層ビル。

レストラン。

ホテル。

光沢のあるショーウィンドウ。

急ぎ足で歩くスーツ姿の人々。

ブランドバッグを持つ女性たち。

高級車が時々、道路を走り抜けていく。

蓮は自分の服を見る。

黒いTシャツ。

灰色のジャケット。

ジーンズ。

古いスニーカー。

数秒間、黙る。

「俺、電車を間違えた大学生みたいだな」

隣を歩いていた男がちらりと見る。

蓮はすぐに歩き始めた。

スマートフォンのナビに従う。

道は次第に人が増えていく。

だが、不思議なことに、数ブロック歩くと、街の音はそれほど気にならなくなった。

まだ慣れていないからかもしれない。

考えることが多すぎるからかもしれない。

あるいは、今日からここに住むという現実を受け入れようとしているだけなのかもしれない。

蓮は画面に表示された住所を見る。

赤坂三丁目

さらに数分歩く。

そして目的の建物が、目の前に現れた。

―――

10時15分

赤坂レジデンス――東京都港区

建物は15階建てだった。

ガラスと黒い御影石を組み合わせた外観。

派手すぎるわけではない。

だが、蓮が三年間暮らしていたアパートとは、明らかに違っていた。

正面入口には、きちんとした制服を着た警備員が立っている。

蓮が近づく。

「おはようございます。何かお手伝いできますでしょうか?」

警備員が声をかける。

蓮は足を止めた。

「新しく入居する者です」

「承知しました」

「1203号室です」

警備員はタブレットを確認する。

そして再び蓮を見る。

「黒瀬様でしょうか?」

「はい」

「ようこそお越しくださいました」

警備員は丁寧に頭を下げた。

「恐れ入りますが、ご本人確認のできるものを拝見してもよろしいでしょうか?」

蓮は学生証を取り出す。

手渡す。

警備員は数秒確認した。

そして頷く。

「ありがとうございます。登録情報と一致しております」

蓮は学生証を受け取る。

「コンシェルジュがご案内いたします」

「ありがとうございます」

蓮は中へ入る。

正面玄関を抜けたところで、少しだけ足が止まった。

ロビー。

大理石の床。

大きなシャンデリア。

一角には革張りのソファ。

静かな空気。

受付カウンターの向こうには、若い女性が立っていた。

蓮を見ると、女性は笑顔を浮かべる。

「黒瀬様でしょうか?」

蓮が近づく。

「はい」

「赤坂レジデンスへようこそお越しくださいました」

女性は軽く頭を下げる。

「藤原 明子と申します。こちらでコンシェルジュを担当しております」

彼女はカウンターから一枚のカードを取り出した。

「こちらが1203号室のアクセスカードです」

蓮は受け取る。

「ありがとうございます」

「1203号室は12階でございます」

藤原はエレベーターの方向を指す。

「エレベーターは右手にございます。ご滞在中、何か必要なことがございましたら、いつでもお申し付けください」

蓮は頷く。

「分かりました」

藤原は笑顔のまま言った。

「どうぞ快適にお過ごしくださいませ、黒瀬様」

蓮はエレベーターへ向かう。

ボタンを押す。

扉が開く。

中へ入る。

扉が閉まる。

階数表示が上がっていく。

10。

11。

12。

扉が開く。

蓮が降りる。

廊下の奥に、一つの扉がある。

そこには番号が表示されていた。

1203

アクセスカードをかざす。

ピッ。

鍵が開く。

蓮はドアノブを回した。

―――

10時20分

赤坂レジデンス――1203号室

扉が開く。

蓮は中へ入った。

そして、黙った。

「......」

すぐには動かなかった。

広い。

あまりにも広い。

以前のアパートとは比べものにならない。

木製のフローリング。

真っ白な壁。

大きな窓。

現代的なキッチン。

独立した寝室。

浴槽付きの浴室。

蓮は数歩歩く。

リュックはまだ肩にかけたままだ。

それを下ろす。

床に置く。

そして窓へ向かう。

12階から見る東京は、少し違って見えた。

高層ビル。

道路。

車。

遠くに見える東京タワー。

蓮はそれらを見つめる。

「......」

何と言えばいいのか分からない。

やがて、一言だけ口から出た。

「広すぎる」

振り返る。

キッチンへ向かう。

冷蔵庫を開ける。

空。

棚を開ける。

空。

引き出し。

空。

蓮は頷く。

「少なくとも変なものはないな」

リビングへ戻る。

気になる椅子はない。

だから蓮は床に座った。

窓を見る。

灰色の光が外から差し込んでいる。

雨は止んでいた。

部屋の中は、とても静かだった。

蓮は目を閉じる。

隣人のテレビの音がない。

壁の向こうから聞こえる洗濯機の音もない。

上の階から足音が響くこともない。

蓮は目を開ける。

「......静かだ」

システムが現れてから初めて、蓮はこの選択がそれほど悪くなかったのかもしれないと思った。

その直後――

ピコン。

スマートフォンが鳴った。

蓮は取り出す。

《入居完了》

引っ越し手続きが完了しました。

新しい住居へようこそ。

報酬:

- 無欲ボーナス ×22
- 4億円
- 《高級住宅管理スキル》

実績解除:
【初回高級住宅】

蓮は画面を見つめた。

動かない。

4億円。

まただ。

頭の中で自動的に計算する。

18億円に4億円を足す。

22億円。

蓮は息を吐いた。

「また4億......」

スキルの文字を見る。

「それに、新しいスキルか」

数秒後、画面を閉じる。

「俺は、ただ静かな場所が欲しかっただけなんだけどな」

スマートフォンを置く。

満足そうな表情はない。

誇らしげでもない。

ただ、自分に何かを与える理由をいつも用意しているようなシステムに、少し疲れていた。

―――

11時00分

赤坂レジデンス――1203号室

蓮はマンションの中を見て回り始めた。

寝室。

大きなベッド。

今まで使っていた布団より、はるかに大きい。

クローゼットは空。

ワークデスク。

南向きの窓。

蓮は寝室の入口に立つ。

「これ、一人で使うには大きすぎないか?」

しばらくベッドを見る。

「......過剰だな」

クローゼットを開ける。

空。

それはいい。

浴室。

浴槽。

シャワー。

洗面台。

大きな鏡。

すべて綺麗だった。

すべて新品のように見える。

蓮はシャワーを少しだけ出す。

水が流れる。

すぐに止める。

「普通だな」

キッチンの扉を開ける。

冷たい風が顔に当たった。

バルコニーは、椅子二脚と小さなテーブルを置ける程度の広さがある。

目の前には街の景色が広がっている。

蓮はしばらく立っていた。

それからリビングへ戻る。

再び床に座る。

スマートフォンを開く。

《高級住宅管理スキル》

高級住宅やマンションを効率的に管理するための能力。

含まれる能力:

- 防犯システムに関する知識
- 設備管理
- 建物スタッフとの調整
- 物件の維持管理

蓮は最後まで読む。

「......」

システムを閉じる。

「俺、このスキルいらないだろ」

周囲を見る。

「ベッドとキッチンがあれば十分なんだけどな」

蓮は立ち上がる。

キッチンへ向かう。

蛇口を開く。

水が流れる。

数秒間、その水を眺める。

「少なくとも、水は出るな」

蛇口を閉める。

蓮は再びリビングへ戻る。

床に座る。

天井を見る。

「......」

静かだ。

蓮は時計を見る。

11時40分。

スマートフォンを見る。

それから窓を見る。

そして、またスマートフォンを見る。

「......今、俺は何をすればいいんだ?」

答えはない。

蓮は結局、ジャケットを手に取った。

少し外へ出る必要がある気がした。

―――

12時30分

赤坂レジデンス → 赤坂の街 → シンプルな飲食店

蓮は赤坂の通りを歩いていた。

練馬とは違う。

より密集している。

近代的なオフィスビルとレストランが並んでいる。

高価そうな商品を並べた店。

ホテル。

時々、高級車が通り過ぎる。

蓮はどこにも立ち寄らなかった。

そして、二つの高層ビルの間に挟まれるように、一軒の質素な飲食店を見つけた。

吉野家。

蓮は足を止めた。

「ここ......」

周囲の建物を見る。

そして吉野家を見る。

その対比は、かなり分かりやすかった。

蓮は中へ入る。

「いらっしゃいませ」

赤い制服を着た若い店員が声をかける。

蓮は窓際の席を選ぶ。

「牛丼並で」

「かしこまりました」

蓮は座る。

窓の外を見る。

人々が行き交っている。

スーツ。

ブランドバッグ。

革靴。

高級車。

すべてが都市の日常の一部のように動いている。

蓮は自分が違うとは思わない。

少なくとも、料理が運ばれてくるまでは。

「牛丼、お待たせしました」

「ありがとうございます」

目の前に丼が置かれる。

蓮は箸を取る。

食べる。

一口。

そして二口。

味はシンプルだった。

馴染みのある味。

余計なことを考える必要もない。

蓮は窓の外を見る。

「少なくとも......」

咀嚼する。

「......ここなら食費は抑えられるな」

食べ終える。

支払いを済ませる。

そして店を出る。

今、赤坂に住んでいるからといって、高い店で食べる理由はない。

―――

14時00分

赤坂レジデンス――1203号室

蓮はマンションへ戻った。

靴を脱ぐ。

中へ入る。

そしてノートパソコンを開く。

北海道の田舎暮らしを扱ったドキュメンタリーを再生する。

昨日の続きだった。

蓮は床に座る。

雲の隙間から、太陽の光が少しずつ差し込み始めている。

大きな窓から光が入り、部屋が明るくなる。

蓮は画面を見る。

ドキュメンタリーの声が静かに響く。

そのとき――

部屋の隅に何かがあることに気づいた。

小さな箱だった。

黒い箱。

金色のリボンが巻かれている。

蓮は眉を寄せる。

さっきまで、こんなものがあった記憶はない。

動画を停止する。

立ち上がる。

箱へ近づく。

手に取る。

軽い。

差出人を示すものは何もない。

蓮はリボンを解く。

そして箱を開ける。

中には、一つの車の鍵とカードが入っていた。

蓮はカードを取り出す。

読む。

《初回車両報酬》

初回車両報酬。

車両:
ポルシェ911カレラ――MANSORY「Ghost Series II」

鍵は明日から使用可能です。

車両は地下2階、47番駐車区画に駐車されています。

蓮はカードを見る。

それから鍵を見る。

そして、もう一度カードを見る。

「......」

鍵を裏返す。

何も変わらない。

蓮は鍵を箱へ戻す。

「俺、車なんていらないんだけどな」

天井を見る。

「......」

静寂。

蓮は息を吐く。

「どうやら、システムは気にしてないらしい」

再びノートパソコンを手に取る。

動画を再生する。

まるで床に車の鍵が置かれていないかのように。

―――

19時00分

赤坂レジデンス――1203号室

夜がゆっくりと訪れる。

東京の街に明かりが灯り始める。

蓮はバルコニーに座っていた。

キッチンの棚の中に、急須と湯呑みがあるのを見つけた。

いつからそこにあったのかは分からない。

マンションに元々備えられていたものかもしれない。

あるいは、システムが用意したものかもしれない。

蓮は、あまり気にしなかった。

緑茶を注ぐ。

薄い湯気が湯呑みの上に立ち上る。

一口飲む。

目の前には東京の景色が広がっている。

ビルの明かり。

車。

決して完全に空になることのない道路。

動き続ける人々。

蓮はスマートフォンを取り出す。

システムを開く。

《現在の総資産:22億円》

《物欲:2%》

《無欲倍率:×22》

蓮はその数字を見る。

22億円。

頭の中でもう一度計算する。

何も変わっていない。

「つまり、今は......」

湯呑みを見る。

「......22億か」

蓮はお茶を一口飲む。

そして、もう一度街を見る。

「俺は今も、ここで座ってるだけだ」

何も変わった気がしない。

自分は蓮のままだ。

大学生のまま。

質素な服を着たまま。

高価なものより、緑茶を選ぶ。

蓮はスマートフォンの画面を消す。

明日は大学だ。

それが一番大事だった。

蓮は立ち上がる。

湯呑みを持って中へ入る。

バルコニーの扉を閉める。

いくつかの照明を消す。

それから寝室へ向かう。

大きなベッドが待っている。

蓮は横になる。

マットレスは柔らかい。

以前の布団より、ずっと快適だった。

蓮は目を閉じる。

「少なくとも......」

毛布を引き寄せる。

「......ベッドは快適だな」

静寂。

数秒後、呼吸がゆっくりと整っていく。

蓮は眠りについた。

12階の窓の外では、東京が動き続けている。

街の明かりは、完全に消えることがない。

車は道路を走り続ける。

人々はそれぞれの予定を追い続ける。

そして赤坂の高級マンションの一室で、21歳の大学生は、自分が本当に望んだわけでもない新しい生活を始めたばかりだった。

リビングのテーブルの上では、黒い小箱がまだ開いたままになっている。

その中には、一つの車の鍵が置かれている。

ポルシェ911カレラ――MANSORY「Ghost Series II」

その一方で、蓮の口座にある、本人でさえ想像することが難しい金額は増え続けていた。

22億円。

そして蓮は?

眠りにつく直前まで、ただ一つのことだけを考えていた。

明日は大学へ行かないとな。

―――

次話予告

第4話「俺は車なんて必要ない」

(「俺は車なんて必要ない」)

赤坂の新しいマンションで、蓮はポルシェ911カレラの鍵を見つける。

蓮は、それを無視しようとする。

だが、システムはまだ終わっていない。

その車は地下2階、47番駐車区画で蓮を待っている。

そして、蓮がついに確認するため地下へ降りたとき、赤坂で暮らすということが、単なる住所変更ではないことに気づく。

新しい環境は、これまで蓮が守ってきた「普通の大学生としての生活」を、少しずつ隠しにくいものへと変えていく。

そして地下駐車場での予期せぬ出会いが、蓮の人生に新たな人物たちが現れるきっかけとなる。

もちろん――

システムには、蓮が一度も望んでいない次の報酬が、まだ残されている。

【第4話へ続く......】
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欲のない俺に、最強の資産システムが降ってきた ~望んでないのに、金も家も車も会社も美女も増えていく~作者:Ren Hazumi
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