第5話「初めてのスキル」
第5話「初めてのスキル」
―――――――――――
金曜日・午前7時00分
赤坂レジデンス――1203号室・港区
蓮は、アラームが鳴る数分前に目を覚ました。
ゆっくりと目を開く。
視界に入ったのは、白い天井だった。
綺麗だ。
ひび割れもない。
窓際の隅に、湿気による染みもない。
雨が降ったときに、水滴が落ちる音もしない。
蓮は数秒間、その天井を見つめた。
そして、小さく息を吐く。
以前住んでいた練馬区のアパートには、天井の隅に小さな湿気の染みがあった。
気になるほどではなかった。
ただ――
何年も見続けてきたせいで、すっかり慣れてしまっていた。
蓮はベッドの端に腰を下ろした。
髪は少し乱れている。
サイドテーブルに置いてあったスマートフォンへ手を伸ばす。
画面が点灯した。
そこには、まだ一つのアプリが存在している。
本来なら、存在するはずのないアプリ。
蓮はそれを開いた。
《絶対資産支配システム》
黒瀬 蓮
年齢:21歳
純資産:28億円
物欲:2%
無欲倍率:×25
蓮は、その数字を無表情で眺めた。
そして、最後の一行で視線を止める。
使用可能スキル:《資産分析 EX》
「......」
スキル。
ついに出てきたか。
蓮はその項目をタップした。
画面が切り替わる。
《資産分析 EX》
資産分析 EX
ランク:EX
―――
金融資産を驚異的な速度と精度で理解・分析・評価する能力。
適用範囲:
・財務諸表
・貸借対照表
・損益計算書
・キャッシュフロー
・企業および資産の価値評価
・投資リスク分析
・資本構成および所有関係
・短期・中期の財務予測
注記:
このスキルは未来に関する知識を与えるものではありません。利用可能なデータをもとに、分析の速度と精度を大幅に向上させる能力です。
―――
蓮はすべてを読んだ。
一度。
そして、もう一度。
「......」
少しだけ首を傾げる。
つまり――
俺は財務諸表を、漫画でも読むみたいに読めるってことか?
いや。
さすがに、それは言い過ぎか。
でも、この説明を見る限り......
大体そんな感じなのだろう。
蓮は画面を消した。
ベッドから立ち上がる。
これ以上考え続ける理由はない。
小さなキッチンへ向かう。
電気ケトルのスイッチを入れる。
湯が沸くのを待ちながら、蓮は以前のアパートから持ってきた古い白いマグカップを手に取った。
側面には小さなひびが入っている。
何年も前に買った安物だ。
インスタントコーヒーを入れる。
そこへ熱湯を注ぐ。
すぐにコーヒーの香りがキッチンに広がった。
蓮はゆっくりとかき混ぜる。
そして、一口飲む。
苦い。
熱い。
普通だ。
蓮は手にしたマグカップを見つめた。
「少なくとも、これは変わらないな」
高いコーヒーなんて必要ない。
エスプレッソマシンもいらない。
豪華な朝食も必要ない。
インスタントコーヒーは、インスタントコーヒーだ。
そして、なぜか――
それが少しだけ蓮を落ち着かせてくれた。
―――
午前8時15分
赤坂レジデンス――地下駐車場B2
蓮は、自分の車の前に立っていた。
Mansory P9LM EVO 900。
黒い。
低い。
幅が広い。
そして、攻撃的だ。
その車は、マンションの駐車場の中で明らかに場違いな存在だった。
蓮はしばらく車を見つめる。
それから、手にした駐車カードへ目を落とした。
B2――47番。
蓮は息を吐いた。
隣の48番も、自分の名義になっている。
そこには、以前システムから与えられたもう一台の車が停まっている。
Ghost Series II by MANSORY。
二台。
二つの駐車スペース。
そして、そのどちらも――
本来なら質素な生活を送っているはずの自分には、あまりにも目立ちすぎる。
蓮はジャケットのポケットに手を入れた。
「俺、電車で行けるんだけどな」
そのほうが、ずっと合理的だ。
昨日もそうだった。
その前もそうだった。
電車に乗る。
駅で降りる。
そこから歩く。
シンプルだ。
誰にも注目されない。
蓮はスマートフォンを取り出した。
天気アプリには、晴天と表示されている。
気温は高い。
湿度も高い。
蓮は画面を見つめる。
それから、もう一度車を見る。
「......」
電車なら、駅から大学までまだ十五分くらい歩かないといけない。
暑い。
蒸し暑い。
そして今日は、歩きたい気分ではなかった。
蓮はスマートフォンをポケットに戻す。
「......まあ、いいか」
P9LM EVO 900のドアを開ける。
乗り込む。
ドアが閉まる。
車内は、駐車場よりもずっと静かだった。
蓮はシートベルトを締める。
エンジンを始動する。
低いエンジン音が響いた。
数秒間、蓮は黙っていた。
そして――
車がゆっくりと動き始めた。
―――
午前8時45分
大学駐車場――B1
蓮は、いつもより早く大学へ到着した。
P9LM EVO 900を、昨日と同じ場所へ向ける。
少し暗い駐車場の隅。
メインの通路から離れている。
学生が通ることも少ない場所だ。
蓮は車を停める。
エンジンを切る。
再び車内に静寂が戻った。
蓮は数秒間、そのまま座っていた。
手はまだステアリングを握っている。
「......」
誰にも見られてなければいいけどな。
そんな考えが、自然と浮かんだ。
蓮は車を降りる。
ロックをかける。
そしてエレベーターへ向かって歩き出した。
背後では、P9LM EVO 900がその場に静かに佇んでいる。
黒い。
幅が広い。
攻撃的だ。
そして――
大学の駐車場には、あまりにも目立ちすぎる。
蓮は振り返らなかった。
―――
午前9時00分
大学――経済学部棟・3階
蓮は時間通りに教室へ入った。
そのまま後ろの席へ向かう。
そこには、田中浩平がすでに座っていた。
いつも通り、半分眠そうな顔をしている。
田中が蓮を見る。
「おはよ」
「おはよう」
田中は数秒、蓮を観察した。
そして聞く。
「また車で来た?」
蓮は振り向いた。
「なんでそう思うんだ?」
「いや、なんとなく」
田中は肩をすくめる。
「お前、車で来た奴みたいな顔してる」
蓮は黙った。
「......どういう意味だよ」
「別に意味はない」
田中はあくびをする。
「ただ言っただけ」
蓮は前を向き直った。
「どうでもいいだろ」
「ほら、それだよ」
田中は椅子に背中を預ける。
「お前がどうでもいいって言うときは、大体本当にどうでもいいからな」
二人の会話が続く前に、教授が教室へ入ってきた。
授業が始まる。
今日のテーマは――コーポレート・ファイナンス。
資本構成。
レバレッジ。
企業価値評価。
蓮はノートを開いた。
そして講義を聞く。
最初は、いつも通りだった。
しかし、数分後――
蓮はあることに気づいた。
教授は、資本構成と企業価値の関係について説明している。
黒板に数字が並ぶ。
負債比率。
資本コスト。
レバレッジ。
リスク。
蓮はそれらを見つめる。
そして――
頭の中で何かが変わった。
ただ数字を見ているわけではない。
数字と数字の間にある関係まで理解できる。
負債が増えれば――
金利負担にどのような影響が出るのか、すぐに想像できる。
キャッシュフローが弱くなれば――
流動性にどのような圧力がかかるのか予測できる。
所有構造が変われば――
企業の支配権にどのような影響が出るのかまで見えてくる。
すべてが――
あまりにも明確だった。
蓮はペンを止めた。
「......」
俯く。
ノートの隅に、小さな円を描いた。
その中に書く。
資産分析 EX
そして、その文字を見つめた。
数秒間。
―――
午後12時15分
大学食堂
蓮は、いつもとほぼ同じ場所に座っていた。
人混みから少し離れた隅の席。
カツ丼を注文する。
480円。
数分後、料理が運ばれてきた。
蓮は箸を手に取る。
静かに食べ始める。
食堂の向こう側では、数人の学生が少し大きな声で話していた。
「なあ、聞いた?」
「何を?」
「昨日、会社が一つ倒産したらしいぞ」
「マジで?」
「ああ」
「どこの会社?」
「新宿にある会社。物流会社だって」
「物流?」
「そう。経営がうまくいってなかったらしい」
「借金もかなりあったんだろ?」
「らしいな」
蓮は食べ続ける。
関わるつもりはない。
しかし、その言葉は耳に入ってきた。
物流会社。
新宿。
多額の借金。
頼まれてもいないのに――
頭の中で情報が整理され始める。
新宿の物流会社。
負債比率が高い可能性。
経営上の問題。
キャッシュフローの悪化。
金利負担が大きすぎる可能性。
蓮は咀嚼を止めた。
「......」
小さく首を振る。
俺には関係ない。
蓮は再び食事に戻った。
数分後、カツ丼を食べ終える。
蓮は立ち上がった。
トレーを返却する。
そして、その場を離れた。
―――
午後2時30分
大学――図書館・2階
図書館は、食堂よりもずっと静かだった。
蓮は隅の席に座っている。
目の前には、財務諸表分析についての本が置かれていた。
課題のためではない。
教授に言われたわけでもない。
ただ――
一つ、確かめたいことがあった。
蓮は最初のページを開く。
読む。
次のページ。
また読む。
十分。
十五分。
二十分。
蓮の手は、止まることなくページをめくり続けた。
長い中断もない。
疲労も感じない。
三十分後――
蓮は本を閉じた。
表紙を見つめる。
本の半分まで読み終えていた。
「......」
普通なら――
これほど分厚い本を、本当に理解しながら読むには何日もかかる。
それが今は――
三十分。
蓮はスマートフォンを取り出す。
システムを開く。
《資産分析 EX》
状態:有効
資産分析能力:EX
財務諸表理解:瞬時
データ処理速度:驚異的
蓮は画面を見つめた。
「......」
つまり、単に読む速度が速くなっただけじゃない。
蓮は画面を閉じる。
図書館の天井を見上げた。
俺の考え方そのものが変わってる。
未来を知っているわけじゃない。
予言でもない。
本来なら知り得ない情報を持っているわけでもない。
ただ――
手元にあるデータを、はるかに速く処理しているだけだ。
蓮は本を閉じた。
「気をつけないとな」
そして、本を元の場所へ戻した。
―――
午後3時30分
大学――図書館 → B1駐車場
蓮は駐車場へ向かって歩いていた。
帰りたい。
今日はもう十分に長い一日だった。
しかし、B1へ到着したところで――
蓮の足が止まった。
誰かが自分の車の前に立っている。
佐野悠斗ではない。
警備員でもない。
四十代後半から五十代前半ほどに見える男だった。
グレーのスーツ。
濃紺のネクタイ。
こめかみには、白髪が混じっている。
男はP9LM EVO 900の前に静かに立っていた。
まるで誰かを待っているかのように。
蓮は数メートル離れた場所で立ち止まる。
男が振り向いた。
視線がぶつかる。
男の目は落ち着いていた。
驚いた様子はない。
「黒瀬蓮様でいらっしゃいますか?」
蓮は少し眉をひそめる。
「ああ」
男はすぐに丁寧に頭を下げた。
「お時間を頂戴してしまい、申し訳ございません」
そして顔を上げる。
「私、黒瀬アセットマネジメントの高橋健司と申します」
蓮は黙った。
その会社名を聞いた瞬間、頭が動き始める。
黒瀬アセットマネジメント。
自分が設立した覚えのない会社。
システムから大金を与えられたあと、いつの間にか存在していた会社。
「何の用だ?」
高橋は仕事用のバッグを開いた。
中から一冊のファイルを取り出す。
「こちらの書類を、黒瀬様へお渡しするよう指示を受けております」
蓮はファイルを見る。
「何の書類だ?」
「先日、買収した会社に関するものです」
蓮は眉を寄せた。
「会社?」
「はい」
高橋はファイルを差し出した。
「新宿にある物流会社です」
蓮はファイルを受け取った。
その言葉を聞いて、一瞬だけ動きが止まる。
物流会社。
新宿。
数時間前、食堂で聞いた話とまったく同じだ。
高橋が続ける。
「ヤマト・ロジスティクス株式会社です」
蓮は高橋を見る。
そしてファイルを開いた。
中には、さまざまな書類が入っていた。
財務諸表。
所有関係。
買収関連書類。
企業情報。
蓮は読み始める。
そして今回は――
《資産分析 EX》が発動した。
本来なら何時間もかけて理解するはずの情報が、まるで勝手に整理されていく。
売上。
負債。
資産。
キャッシュフロー。
コスト構造。
蓮はページをめくっていく。
数秒のうちに、会社全体の輪郭が頭の中に浮かび上がった。
負債:48億円。
大きい。
しかし、それだけが問題ではない。
資産:62億円。
建物。
トラックなどの車両。
長期契約。
事業用資産。
そして、まだ価値のあるいくつかの取引関係。
蓮は視線をさらに細める。
この会社は、本当に価値がないわけではない。
最大の問題は――
経営。
負債構造。
効率性。
キャッシュフロー。
そして、ずさんな経営体制。
蓮は最後のページを閉じた。
「......」
この会社なら、立て直せる。
高橋は蓮の様子を見ていた。
「いかがでしょうか?」
蓮は顔を上げる。
「なんで、この会社を買収した?」
高橋は薄く笑った。
「まだ十分な可能性があると判断したためです」
「可能性?」
「はい」
高橋は一度、言葉を区切る。
「そして、黒瀬アセットマネジメントとして、今後も存続させる価値があると判断したためです」
蓮は高橋を見る。
「誰が決めた?」
高橋は一瞬だけ黙った。
そして、落ち着いた声で答える。
「事務上の決裁につきましては、会社の経営陣を通して行われております」
蓮はすぐに意味を理解した。
その会社は自分のものだ。
つまり――
間接的には、自分の名義で行われた決定ということになる。
蓮は息を吐いた。
「俺は頼んでないけどな」
「承知しております」
「それに、今日までその会社が存在することすら知らなかった」
高橋は反論しなかった。
「黒瀬様の事情は理解しております」
蓮は手元の書類を見る。
システムは、自分が興味を持っていないからといって止まるつもりはない。
システムが何かを与えたなら――
また何かを与えてくる。
蓮は少しだけこめかみを押さえた。
「どの書類にサインすればいい?」
高橋が数枚の書類を取り出す。
「こちらでございます、黒瀬様」
蓮は受け取った。
「分かった」
―――
午後4時00分
B1駐車場 → 大学近くのカフェ
蓮と高橋は、大学近くの小さなカフェに座っていた。
店内は比較的静かだった。
何人かの客が、それぞれ離れた席に座っている。
蓮はブラックコーヒーを注文した。
高橋は紅茶を注文する。
テーブルの上には、再び書類のファイルが開かれていた。
蓮は最後のページをもう一度確認する。
そしてペンを取る。
署名。
次のページ。
署名。
次の書類。
署名。
その動きは落ち着いている。
急いでいるわけではない。
それでも――
あまりにも速かった。
やがて、高橋が口を開いた。
「黒瀬様」
「ん?」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「先ほどから、書類を非常に速く読まれておりますが......」
蓮は高橋を見る。
「何か問題あるか?」
「いえ」
高橋は首を横に振る。
「ただ......」
小さく笑う。
「私はこの業界で二十年ほど働いております」
蓮は黙っている。
「ですが、黒瀬様ほどの速度で財務諸表を理解される方を、私は今まで見たことがありません」
蓮は書類へ視線を落とした。
システムの存在を説明することなどできない。
だから、ただ一言だけ答えた。
「数字が分かりやすかっただけだ」
高橋は黙った。
そして、小さく笑う。
「黒瀬様にとっては、そうなのでしょうね」
蓮は答えない。
最後の書類に署名する。
「これで終わりか?」
高橋は書類を確認する。
一枚。
二枚。
そして、頷いた。
「はい」
書類をまとめる。
「すべて完了しております」
高橋は立ち上がる。
一礼する。
「ありがとうございました、黒瀬様」
そして、テーブルを離れていった。
蓮はそのまま座っていた。
ブラックコーヒーは、まだ半分残っている。
その表面を見つめる。
ヤマト・ロジスティクス。
48億円の負債を抱えた会社。
そして今――
その会社は自分のものになった。
蓮はスマートフォンを取り出す。
システムを開く。
画面が切り替わる。
《企業取得完了》
企業取得完了
ヤマト・ロジスティクス株式会社
状態:黒瀬蓮が所有
負債:48億円
資産:62億円
従業員:87名
報酬:
・無欲ボーナス:×30
・12億円
・《企業管理》
企業管理スキル――ランクC
蓮は画面を見つめる。
「......」
さらに12億円。
これで総資産は――
40億円。
そして、自分は会社まで所有している。
蓮はスマートフォンをテーブルに置いた。
「俺、こんなの頼んでないんだけどな」
返事はない。
当然だ。
蓮はコーヒーを飲み干す。
会計を済ませる。
そしてカフェを出た。
―――
午後5時30分
カフェ → B1駐車場 → 赤坂へ向かう道
蓮は車へ戻った。
P9LM EVO 900のエンジンを始動する。
大学の駐車場を出る。
東京の道路は、徐々に車で埋まり始めていた。
夕方。
会社員たちの帰宅時間だ。
ビルの明かりが、一つ、また一つと点灯していく。
蓮は静かに車を走らせる。
しかし、頭の中には先ほどの書類が残っていた。
ヤマト・ロジスティクス。
従業員87名。
負債48億円。
資産62億円。
蓮は息を吐く。
「俺、物流のことなんて何も知らないんだけどな」
それは事実だった。
自分は経済学部の学生だ。
物流の専門家ではない。
経営経験があるわけでもない。
会社経営者でもない。
だが――
一つだけ、状況を変えるものがある。
《企業管理》
新しく得たスキル。
蓮は赤信号で車が停止したタイミングで、システム画面を開いた。
《企業管理》
ランク:C
利用可能なデータに基づき、企業の構造、経営資源、組織、業務プロセスを理解・管理する能力。
蓮は説明を読む。
そして画面を閉じた。
「......」
どうやらシステムは、本気で自分に普通の生活をさせるつもりがないらしい。
信号が青に変わる。
蓮は再び車を走らせた。
―――
午後6時00分
赤坂レジデンス――1203号室
蓮はマンションのドアを開けた。
車の鍵をテーブルに置く。
そして床に座り込んだ。
長い一日だった。
静かに暮らしたかった人間にとっては――
あまりにも長すぎる一日だ。
蓮は窓の外を見る。
東京の空が、徐々に暗くなっている。
ビルの明かりが灯る。
街は、決して完全には止まらない。
蓮はスマートフォンを手に取る。
システムを開く。
メイン画面が表示された。
純資産:40億円
物欲:2%
無欲倍率:×30
蓮は、それを見つめる。
40億円。
それでも、特別な喜びは感じなかった。
何かを買いたいとも思わない。
金を見せびらかしたいという欲求もない。
今の生活を変える理由もない。
そのとき――
新しいウィンドウが表示された。
《次の報酬条件》
次の報酬条件
《他者の問題を一つ解決せよ》
他者の問題を一つ解決すること。
報酬:
・新規スキル
・5億円
・達成項目:【問題解決者】
蓮はその文章を読む。
一度。
二度。
「......」
他人の問題を一つ解決しろ。
誰の問題だ?
蓮は画面をロックする。
スマートフォンを置く。
「俺、面倒事なんて探したくないんだけどな」
立ち上がる。
キッチンへ向かう。
急須を手に取る。
緑茶を淹れる。
そして、湯呑みを持ってベランダへ向かった。
ガラス戸を開ける。
東京の夜の空気が、蓮の顔に触れる。
蓮は腰を下ろす。
街を見つめる。
無数の明かり。
無数の人々。
それぞれに、自分の人生がある。
そして、それぞれに、自分の問題がある。
蓮は緑茶を一口飲んだ。
少し苦い。
温かい。
静かだ。
遠くを見つめる。
「......」
だが――
どうやら、問題のほうからやって来るらしい。
いつになるのかは分からない。
誰から来るのかも分からない。
そして、どれほど大きな問題なのかも分からない。
ただ、一つだけ分かることがある。
あのシステムが現れてから――
自分の質素な生活は、少しずつ変わり始めている。
金。
家。
車。
会社。
スキル。
どれも、自分から求めたものではない。
蓮は手にした湯呑みを見つめる。
そして、息を吐いた。
「......面倒だな」
夜はさらに深くなっていく。
しばらくして、蓮は部屋へ戻った。
明かりを消す。
ベッドに横になる。
目を閉じる。
そして――
ようやく眠りについた。
その頃。
新宿のあるオフィスビルでは――
ヤマト・ロジスティクスの87名の従業員が、いつも通り仕事を続けていた。
彼らはまだ知らない。
自分たちの会社に、たった今、新しい所有者が誕生したことを。
21歳の青年。
大学生。
経営者になるつもりなど、これっぽっちもなかった男。
そして、何より皮肉なことに――
富をまったく望んでいない青年。
しかし、この日を境に――
ビジネスの世界は、少しずつ彼のもとへ近づいてくることになる。
蓮が追いかけたからではない。
むしろ――
システムが、彼に黙っているという選択肢を与えなかったからだ。
―――
【NEXT 第6話――「彼女は、金より規則を信じていた」】
「彼女は、金より規則を信じていた」
銀座で開かれるあるビジネスイベントが、蓮を初めての出会いへと導く。
相手は――如月美雪。
エリート警備会社のセキュリティ部門を統括する女性だ。
美雪は、21歳のその青年に普通ではないものを感じ取る。
年齢に似合わないほど、冷静すぎる。
それほどの資産を持っている人間とは思えないほど、質素すぎる。
一方、蓮自身も、自分が足を踏み入れた世界には、簡単には無視できないルールが存在することに気づき始めていた。
そして今回は――
解決しなければならない問題が、ただ、
「俺、やりたくない」
そう言うだけでは避けられないものかもしれない。
[第6話へ続く......]