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第12話 虹の泉——供養のつもりが、餌だった

「個体記録の照会は王都でもできるから」

 ナナリエはそう言って庁舎を出た。
 どうやら私の戸籍を照会しようとしていたらしい。

「私ももう琥珀宮での公務は終わったから、ここに用はないの」

 琥珀宮政務院の混雑状況から、ここでの照会は見送ることにしたのだ。

 どうもこの琥珀宮はこの国で一番古い都市らしく、
 結環の儀という由緒ある祭典の所轄であるため、今が一番繁忙しているという。

「西は不便だから」

 ナナリエはつまらなそうに言った。
 こんな素敵な街なのに彼女はあまり関心がないみたい。


 これからカレンダエの首都、――ナナリエは王都と言っていた。そこへ行くという。

 私たちは、蜂蜜色の門をくぐって庁舎敷地外に出た。
 街に出るまでの道は緑地公園のようで、ゆるやかな遊歩道だった。
 
 散歩をする人たち、ベンチで陽に当たっている人たち、
 そして、花を抱えて木々の向こう側へ消えていく人たちがいた。
 
 「あっちに何かあるの?」

 見えない木々の向こう側が気になった。
 見えないと、見たくなる。

 「ああ、向こうには......」

 ナナリエはすぐには答えなかった。

 「あなたの星にはあるものかしら」

 さっきの“環かん”と“晶盤しょうばん”の説明の時から、ナナリエは私の文化背景を気にするようになっていた。

 「えーっと、用途は?」

 ナナリエは少し考えてから言った。

 「循環......?」

 珍しく、疑問系。

 循環ってなんだ?浄水場かなにか、か?

 ナナリエは無言で林の中へ入っていった。
 街の喧騒は遠くなり、心地よい風が、木の枝と私たちの髪を揺らす。

 水の音。
 
 やっぱり浄水場?

 違う、聞き覚えがある。

 水の湧く音。

「虹の泉......?」

 目の前に広がるのは、あの虹色の泉だった。

 ナナリエと出会った、あの場所。

 透明な水の奥で、ゆらゆらと色が揺れている。
 底が見えないのに、不思議と静かで――目を離せない。

「......ここ、何?」

 ナナリエは優しさフィルターを諦めたように話し始めた。

「ここは、脈が止まって、呼吸が停止し、蘇生不能と判断された個体を――」

 重い単語を、無表情で淡々と並べるナナリエ。
 いや、優しさフィルター再装着してほしいな......

「――循環へ戻すための、分解の場所よ」

 蘇生不能。
 
 循環に戻す。

 蘇生不能って言ったよね?
 戻すって、なにに?
 まさか。
 死んだあと、もう一回、動く......?
 いやいやいや!
 それって、ゾンビ的な?
 いや、でもゾンビって腐ってるよね?
 分解って言ってるし......え、じゃあ何?スープ状のゾンビ?

 思考が変な方向に滑る。

「蘇生不能な人を、蘇らせるってこと?」

 私は恐る恐る聞いた。
 知りたい気持ちはいつも止められないけど、人々の死生観に触れるのは、やっぱり慎重になる。

「蘇生不能な者が、再度生命活動を再開させることは不可能」

 ナナリエは表情を変えない。

「蘇生不能な者はここで分解される」

 その表情で、蘇生不能を連発しないで......

「分解された構成要素は、土壌や大気へ再分配される」

 分解、再分配、理屈はわかるよ。

「じゃあ、ここに入ると......跡形もなく消えちゃうの?」

「跡形もなく消える?」
 ナナリエはわずかに首をかしげた。

「分解されても、“消える”なんてことはないわ」
 瞳に虹が灯る。

「形が変わって、それがまた新たな物質になるのよ」
 淡々としている。

「“消える”なんて、観察者の主観に過ぎないわ」
 怖いくらいに客観性を徹底している。

「......これって、酸性が強くて溶ける、とかってやつ......?」

 私は理解しようと、必死だった。

 ナナリエは一瞬だけ考えて、
「性質として近い部分もあるけれど、それでは説明が不十分ね」
 と、静かに言った。

「これは液体ではなく、分解と再構成を担う生体群よ」

 生体群!?

「微細な粒子が満ちていて、有機物を取り込み、分解し、別の形へと組み替える」

 さらっと言うけど。

「......それって、生き物の中に入るってこと?」

「そうとも言えるわね」

 背筋が冷える。

 ――ネイ!

 あの時のナナリエの声が、頭の中で蘇った。

 私は、はっとして泉を見た。

 両手でこの泉の水を掬おうとしていた、自分の姿。

 ナナリエに手を掴まれた、あの瞬間。

 もし、あのまま、この中に手を突っ込んでいたら?

 皮膚がほどけて、中に入り込んで、分解されて、そのまま、どこかに――

「......!」

 思わず一歩下がった。

「危険ではないわ」
 ナナリエが言う。
「適切な状態で接触すれば問題はない」

 適切な状態って何?どういう条件?普通に触ったらアウトってこと?全然安心できない!

 私の恐怖が冷や汗になって背中を滑り落ちた時、甘い花の匂いがした。

「......ナナリエ様?」
 やわらかな声が、背後から差し込んだ。

 振り返ると、蜂蜜色の環を胸の前でかざす女性が、柔らかく会釈していた。
 花束を抱えている。

「王女殿下ではありませんか」

 あ、昨日のお茶会の――
 名前の聞き取れなかった――

「......マトリカリア」
 ナナリエが名を呼ぶ。
 あー!そう、そんな感じの名前。覚えられない......!

 マトリカリアはおっとりと「ケセラン」と言い、
 ナナリエと私が「パソラン」と応じると、ゆっくりと泉へと視線を向けた。

「お参りにいらしたのですか?」
「いいえ。説明していたところよ。蘇生不能な個体を分解する場所」

「まあ......」
 マトリカリアは静かに頷いた。
「この泉は、とてもよく“還る”場所ですものね」

 還る。

 やっぱり共通認識なの!?

「分解も、均一に進みますし」

 おっとりとした口調でナナリエに同意している。
 そういえばお茶会の時も、この子はずっとナナリエの言葉を肯定し続けていた。
 ――どんな話でも、迷いなく。
 
「個体差はございますけれど、最終的には皆、同じようにほどけていきますの」
 
 ほどける。生々しい。

 というか、どこまでもナナリエに合わせてくるな、この子。
 どんな理屈にも即座に首を縦に振る。......この子、肯定のプロだ。もはや肯定陛下と呼びたい。

「痛みは?」
 気づいたら聞いていた。

「ありませんわ」
 優しい声。
「循環に戻るだけですもの」

 ナナリエも頷く。

「機能的にも、そのように設計されている」

 設計。

 設計って言った。

 私はもう一度、泉を見た。

 綺麗だ。

 信じられないくらい綺麗で、だからこそ、余計に怖い。

 マトリカリアは花束を胸に抱き直した。

「簡単に言いますと――」

 俯き加減に、ふふっと笑う。

「死者を弔う場ですわ」

 ......ん?

 数秒遅れて、理解が追いつく。

「......いや、お墓じゃん」

 ナナリエがわずかに首をかしげる。

 マトリカリアは、柔らかい笑顔を花束に向けて、泉にそっと投げ入れた。
 ......あ、お花を手向けてるんだ

 ちゃんと弔いの場なんだ。
 泉の脇に供えるんじゃなくて、泉の中に入れるんだ。

 ......などと、一瞬優しい気持ちを取り戻していた時、

「セルロースね。炭素源として適切よ」
 ナナリエがまたもや情緒のないことを言った。

「人間の構成物質だけだと偏るのよ」

 なんの話が始まったんだ......?

「水中の微生物の代謝効率が落ちる」

 あ、この虹の泉は微生物が住んでるんだっけ......?
 肉ばかり食べずに、野菜も食べろってこと?

「だから、植物も定期的に入れる必要があるの」

 ナナリエの瞳も虹色。もしかして......ここにも......?

「でないと、泉が濁るわ」

 満足気に、虹の瞳は瞼の中に隠れた。


 ああ。

 ――違う。

 供養じゃなかった。
 餌だった。

「ね。マトリカリア」
 ナナリエは肯定陛下に肯定を求めた。

 肯定陛下は少し引き攣った笑顔で、
「......まあ、そういう面もございますわね」
 と、職務を全うした。

 投げ入れられた花はまだ形を保ち、虹色の水面が、静かに揺れていた。
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「個体記録の照会は王都でもできるから」

 ナナリエはそう言って庁舎を出た。
 どうやら私の戸籍を照会しようとしていたらしい。

「私ももう琥珀宮での公務は終わったから、ここに用はないの」

 琥珀宮政務院の混雑状況から、ここでの照会は見送ることにしたのだ。

 どうもこの琥珀宮はこの国で一番古い都市らしく、
 結環の儀という由緒ある祭典の所轄であるため、今が一番繁忙しているという。

「西は不便だから」

 ナナリエはつまらなそうに言った。
 こんな素敵な街なのに彼女はあまり関心がないみたい。


 これからカレンダエの首都、――ナナリエは王都と言っていた。そこへ行くという。

 私たちは、蜂蜜色の門をくぐって庁舎敷地外に出た。
 街に出るまでの道は緑地公園のようで、ゆるやかな遊歩道だった。
 
 散歩をする人たち、ベンチで陽に当たっている人たち、
 そして、花を抱えて木々の向こう側へ消えていく人たちがいた。
 
 「あっちに何かあるの?」

 見えない木々の向こう側が気になった。
 見えないと、見たくなる。

 「ああ、向こうには......」

 ナナリエはすぐには答えなかった。

 「あなたの星にはあるものかしら」

 さっきの“環かん”と“晶盤しょうばん”の説明の時から、ナナリエは私の文化背景を気にするようになっていた。

 「えーっと、用途は?」

 ナナリエは少し考えてから言った。

 「循環......?」

 珍しく、疑問系。

 循環ってなんだ?浄水場かなにか、か?

 ナナリエは無言で林の中へ入っていった。
 街の喧騒は遠くなり、心地よい風が、木の枝と私たちの髪を揺らす。

 水の音。
 
 やっぱり浄水場?

 違う、聞き覚えがある。

 水の湧く音。

「虹の泉......?」

 目の前に広がるのは、あの虹色の泉だった。

 ナナリエと出会った、あの場所。

 透明な水の奥で、ゆらゆらと色が揺れている。
 底が見えないのに、不思議と静かで――目を離せない。

「......ここ、何?」

 ナナリエは優しさフィルターを諦めたように話し始めた。

「ここは、脈が止まって、呼吸が停止し、蘇生不能と判断された個体を――」

 重い単語を、無表情で淡々と並べるナナリエ。
 いや、優しさフィルター再装着してほしいな......

「――循環へ戻すための、分解の場所よ」

 蘇生不能。
 
 循環に戻す。

 蘇生不能って言ったよね?
 戻すって、なにに?
 まさか。
 死んだあと、もう一回、動く......?
 いやいやいや!
 それって、ゾンビ的な?
 いや、でもゾンビって腐ってるよね?
 分解って言ってるし......え、じゃあ何?スープ状のゾンビ?

 思考が変な方向に滑る。

「蘇生不能な人を、蘇らせるってこと?」

 私は恐る恐る聞いた。
 知りたい気持ちはいつも止められないけど、人々の死生観に触れるのは、やっぱり慎重になる。

「蘇生不能な者が、再度生命活動を再開させることは不可能」

 ナナリエは表情を変えない。

「蘇生不能な者はここで分解される」

 その表情で、蘇生不能を連発しないで......

「分解された構成要素は、土壌や大気へ再分配される」

 分解、再分配、理屈はわかるよ。

「じゃあ、ここに入ると......跡形もなく消えちゃうの?」

「跡形もなく消える?」
 ナナリエはわずかに首をかしげた。

「分解されても、“消える”なんてことはないわ」
 瞳に虹が灯る。

「形が変わって、それがまた新たな物質になるのよ」
 淡々としている。

「“消える”なんて、観察者の主観に過ぎないわ」
 怖いくらいに客観性を徹底している。

「......これって、酸性が強くて溶ける、とかってやつ......?」

 私は理解しようと、必死だった。

 ナナリエは一瞬だけ考えて、
「性質として近い部分もあるけれど、それでは説明が不十分ね」
 と、静かに言った。

「これは液体ではなく、分解と再構成を担う生体群よ」

 生体群!?

「微細な粒子が満ちていて、有機物を取り込み、分解し、別の形へと組み替える」

 さらっと言うけど。

「......それって、生き物の中に入るってこと?」

「そうとも言えるわね」

 背筋が冷える。

 ――ネイ!

 あの時のナナリエの声が、頭の中で蘇った。

 私は、はっとして泉を見た。

 両手でこの泉の水を掬おうとしていた、自分の姿。

 ナナリエに手を掴まれた、あの瞬間。

 もし、あのまま、この中に手を突っ込んでいたら?

 皮膚がほどけて、中に入り込んで、分解されて、そのまま、どこかに――

「......!」

 思わず一歩下がった。

「危険ではないわ」
 ナナリエが言う。
「適切な状態で接触すれば問題はない」

 適切な状態って何?どういう条件?普通に触ったらアウトってこと?全然安心できない!

 私の恐怖が冷や汗になって背中を滑り落ちた時、甘い花の匂いがした。

「......ナナリエ様?」
 やわらかな声が、背後から差し込んだ。

 振り返ると、蜂蜜色の環を胸の前でかざす女性が、柔らかく会釈していた。
 花束を抱えている。

「王女殿下ではありませんか」

 あ、昨日のお茶会の――
 名前の聞き取れなかった――

「......マトリカリア」
 ナナリエが名を呼ぶ。
 あー!そう、そんな感じの名前。覚えられない......!

 マトリカリアはおっとりと「ケセラン」と言い、
 ナナリエと私が「パソラン」と応じると、ゆっくりと泉へと視線を向けた。

「お参りにいらしたのですか?」
「いいえ。説明していたところよ。蘇生不能な個体を分解する場所」

「まあ......」
 マトリカリアは静かに頷いた。
「この泉は、とてもよく“還る”場所ですものね」

 還る。

 やっぱり共通認識なの!?

「分解も、均一に進みますし」

 おっとりとした口調でナナリエに同意している。
 そういえばお茶会の時も、この子はずっとナナリエの言葉を肯定し続けていた。
 ――どんな話でも、迷いなく。
 
「個体差はございますけれど、最終的には皆、同じようにほどけていきますの」
 
 ほどける。生々しい。

 というか、どこまでもナナリエに合わせてくるな、この子。
 どんな理屈にも即座に首を縦に振る。......この子、肯定のプロだ。もはや肯定陛下と呼びたい。

「痛みは?」
 気づいたら聞いていた。

「ありませんわ」
 優しい声。
「循環に戻るだけですもの」

 ナナリエも頷く。

「機能的にも、そのように設計されている」

 設計。

 設計って言った。

 私はもう一度、泉を見た。

 綺麗だ。

 信じられないくらい綺麗で、だからこそ、余計に怖い。

 マトリカリアは花束を胸に抱き直した。

「簡単に言いますと――」

 俯き加減に、ふふっと笑う。

「死者を弔う場ですわ」

 ......ん?

 数秒遅れて、理解が追いつく。

「......いや、お墓じゃん」

 ナナリエがわずかに首をかしげる。

 マトリカリアは、柔らかい笑顔を花束に向けて、泉にそっと投げ入れた。
 ......あ、お花を手向けてるんだ

 ちゃんと弔いの場なんだ。
 泉の脇に供えるんじゃなくて、泉の中に入れるんだ。

 ......などと、一瞬優しい気持ちを取り戻していた時、

「セルロースね。炭素源として適切よ」
 ナナリエがまたもや情緒のないことを言った。

「人間の構成物質だけだと偏るのよ」

 なんの話が始まったんだ......?

「水中の微生物の代謝効率が落ちる」

 あ、この虹の泉は微生物が住んでるんだっけ......?
 肉ばかり食べずに、野菜も食べろってこと?

「だから、植物も定期的に入れる必要があるの」

 ナナリエの瞳も虹色。もしかして......ここにも......?

「でないと、泉が濁るわ」

 満足気に、虹の瞳は瞼の中に隠れた。


 ああ。

 ――違う。

 供養じゃなかった。
 餌だった。

「ね。マトリカリア」
 ナナリエは肯定陛下に肯定を求めた。

 肯定陛下は少し引き攣った笑顔で、
「......まあ、そういう面もございますわね」
 と、職務を全うした。

 投げ入れられた花はまだ形を保ち、虹色の水面が、静かに揺れていた。
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