第11話 蜂蜜色の殿下
広間に、低く、澄んだ声が響いた。
ざわめきが消え、人の流れが割れる。
現れた人物の放つ圧倒的な「圧」に、周囲の空気が一段引き締まった。
光に透ける金色の髪に、蜂蜜色の瞳。
すらりと高い背に、白い装束が映える。
上衣は深い前合わせの長丈シャツで、膝元まで流れる裾が、歩みに合わせて鋭く空気を切る。
その下には、対照的に脚のラインを際立たせる白いスキニーパンツ。
余計なたわみ一つないそのシルエットは、徹底して無駄が削ぎ落とされている。
そして肩から流れるのは、瞳の色と同じ、蜂蜜色のマント。
これは――琥珀の色?
「春うらら」
ナナリエが突然、俳句を読み出したのかと思った。
あ、たしか、春と麗らは季語が重なってるからダメよ、と吉野さんに言われたっけ。
え?吉野さんって誰だっけ。
いや、今、それはどうでもいい。
「ハルジオン殿下......」
課長(という役職名かどうかは知らないが)らしき男性が恐る恐る近寄った。
ハルジオン殿下。
あ、これが噂の......
――理想を言い過ぎる。
――でも、判断は正しい。
カリスマ鬼畜経営者......
“はるうらら”、そうか、ハルお兄ちゃんって意味だ。
ナナリエが「ウララ」は「兄」という意味だと、以前言っていたんだった。
内心で呟く私の前で、ハルジオン殿下は足を止めることなく課長(らしき人)に問いかけた。
「報告を。滞留の規模は」
「は、はい......。結環の儀に向けた系譜照合に八割の人員を投入しております。
残る二割で一般戸籍を対応しておりますが、申請から環への登録完了まで三日の滞りが発生しており......」
「三日だと?」
ハルジオン殿下の眉が、わずかに、しかし不快そうに寄った。
「本来であれば即日付与されるものだと、理解しているのか?」
「おっしゃる通りです......はい」
「人員配置が非合理的だ」
彼は窓口の列に並ぶ人々を、その鋭い眼光で見据えた。
たしかに、並んでいる人たちの様子がばらばらだ。
申請に来た人と、処理が終わった後に登録に来た人。
本来は一度で終わるはずの手続きが、二つに分かれて、同じ窓口に流れ込んでいる。
列がぐちゃぐちゃだ。
「この列にいる者の目的は何か」
「......大半は、季節労働の許可申請や、出生に伴う給付の申請です。これらは照合が済まないと決済できませんので......」
「ならば話は早い。それらは“事後承認”に切り替えだ。窓口では一律で暫定許可を付与しろ。精査は儀式の後に回せ」
課長(っぽい雰囲気の人)が顔を青くした。
「し、しかし殿下、それでは不正受給や不備の懸念が――」
「この列に並ぶ民の、“今日という一日”を奪う正当な理由にはならない」
静かな、しかし有無を言わせぬ断定だった。
「環の記録は残る。不正は後からでも追える」
ハルジオン殿下はカウンター奥の、血統確認の待合に視線を移した。
「系譜照合も同様だ。過去三代に遡って変動がない家系は、照合を省略し確認済みに。疑義があるものだけを抽出して私の机に上げよ。......責任は私が取る」
ええー。省略しちゃうんだ。
お祭りのために家系図確認するほど、血統重視の国っぽいのに、それ後回しにしていいの?
「......殿下が、直接?」
「そうだ。責任の所在を明確にすれば、そなたたちは手を動かせるだろう。本日中にこの滞留を解消するんだ」
あ、これは......
ただの無茶振りではないかもしれない。
ハルジオン殿下は、彼らが「失敗を恐れて停滞している」ことを見抜き、その恐怖を自らが肩代わりしようとしている......のかも?
「......承知いたしました! 直ちに配置換えを!」
現場が弾かれたように動き出す。
窓口では次々と暫定許可の登録がされ始めた。
手渡すものはない。ただ、環をかざした瞬間に処理が完了しているようだ。
滞っていた人の流れが、堰を切ったように動き出す。
ハルジオン殿下はそれを見届けることなく、踵を返した。
すれ違いざま、彼はナナリエに向けて、ほんのわずかに頷いた。
その視線の端で、私を確認された気がした――けれど、確かなことはわからない。
嵐が去った後のような広間で、ナナリエが小さく溜息をついた。
「......相変わらず、理想を言うのが好きね」
ナナリエが、呆れたように、けれどどこか毒気を抜かれたような顔で呟く。
「......この国で不正は“隠せない”。だからできるの、ああいうやり方」
これは私への説明らしい。
ナナリエは、私の違和感を見抜いて先回りして補足してくれたようだ。
......ああ、なるほど。
“後で必ず追える仕組み”があるなら、今止める必要はないのか。
「でも、おかげでみんな明日から自分の生活に戻れそう。......『今日という一日を奪うな』なんて、そんな傲慢な正論、お兄様にしか言えない」
私は、テキパキと動き始めた庁舎を眺める。
窓口で許可登録を終えた母親が、安堵して子供を抱き直す姿が見えた。