第5話 挨拶はいつもケセラン・パソラン
それから私たちは様々なものを指差して名前を確認した。
太陽がソラで、空がミレだった。
テーブルがトロンソで、食事がパレッサ。
家がモーロで、道がダラ。
ナナリエは私の手を引きながら街を案内してくれた。
ナナリエは、私より少しだけ背が高い。というか、この身体は腕も脚も細くて、ちょっとだけ歩きにくい。
私が石畳に躓きそうになるたびに、ナナリエは「あ、しまった」という顔をした。
だけど、彼女は少し歩くのが早い。
私も、この街並みの続きを知りたくて、自然と早足になる。
この街はイギリスのコッツウォルズ――蜂蜜色の石造りの古い街並みに似ているなと思った。
歩くだけで楽しい。
淡い色の草花が揺れてのどかな空気が満ちている。
異国......なのか。
いや、......異星なのかもしれない。
だけど彼女のひんやりと心地よい手の感触が、吹き抜ける柔らかい風が、私が今ここにいることを感じさせてくれた。
太陽がひとつ、ふたつと順に建物の向こうに沈んでいくまで、私たちは言葉を確かめ合った。
さんざん歩き回って、ナナリエは私を蜂蜜色の大きなお屋敷に連れていった。この街の宿だろうか?
従業員たちが勢揃いしてナナリエを出迎えた。私も後をついて門をくぐると、従業員たちの視線を感じた。歓迎でも拒絶でもなく、一瞬の困惑の雰囲気を彼らから感じた気がした。
しかし、ナナリエが静かだけどはっきりした声で何かを告げると、皆の張り詰めていた視線がふっと柔らかくなった。
一番年配の男性従業員が「承知いたしました」と言うように深々と頭を下げ、ナナリエは誰に案内されるでもなく、まっすぐ二階の中央の部屋へと向かった。
ふかふかの円形の布団らしきものに2人でゴロンと寝転がって、私たちは夜通し夢中で喋っていた。
ときどき宿の従業員らしきひとが恭しい顔で訪ねて来たが、その度にナナリエは丁寧に追い返していた。
窓の外を見ると街灯もないのに、ほんのり緑色に明るかった。オーロラが空一面に広がっていたのだ。アイスランドのグロッタ灯台行きのツアーで見た夜空を思い出した。この国は緯度が高いのだろうか。
もっと言葉を習得したら、ナナリエに聞いてみよう。
翌朝、パレッサ、つまり食事を取るために部屋を出ると、不思議な光景が続いた。
従業員らしき男性や女性が、次々に胸にそっと手を当て、
「ケセラン」
と、ナナリエに言うのだ。
その度にナナリエは、
「パソラン」
と、胸に手を当てて応える。
ケセラン・パソラン?
「ねえ、ケセラン、パソランってなに?」
私が聞くと、ナナリエは「ああ!」と気づいたような表情をした。
ナナリエは、左手でワンピースの裾を持ち、右手で自身の胸の辺りを軽く押さえ、優雅に礼をした。
「ケセラン」
私もなるほどと合点がいき、同じ仕草で、
「パソラン」
と返した。
ナナリエは静かに微笑む。
意思が通じる度に、ナナリエはほんの少しだけ笑ってくれるのだ。
朝食を食べながら話を聞くと、どうやら、朝も昼も夜も、会った時も別れる時も、挨拶はいつも「ケセラン」「パソラン」らしい。
そして手のひらを見せて手を振ることは最大級の拒絶を表すらしく、ナナリエに出会うまで、道ゆく人にさんざん手を振っていたことを思い出し、初歩的なミスをした自分の不甲斐なさに絶望した。
まあ、三秒後には忘れていたのだけど。