第四十一話 ノランの孫バカと、「さいしょのまほう」
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年との出会いを境に魔犬たちは町へ降り、人々との暮らしを紡ぎ始める。
そして、モルガナの弟子となった第三王女エレアノーリエを、領主として迎えたベイスの町は、人と魔犬が共に笑い合う魔法都市へと変貌していった――。
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ベイス=アルカの風は、いつでもどこか自由で、冷たく澄んでいた。
この北方魔法都市において、人々は日々の営みの中に魔法という奇跡が馴染みつつあった。だが、その中心にある霊峰ヴァルグヴェルドの麓、コードリア領主館の一室には、今、少しばかり複雑な空気が漂っていた。
「アスタ、本当にこれでいいのかい? 魔犬たちがすっかりしょげ返っているよ」
領主アスタ=コードリアの父親、かつて凄腕冒険者として、稀代の魔法使いとして名を馳せたノランが、腕を組んで窓の外を見下ろしていた。
庭園の隅で、ふさふさとした尾をダラリと下げ、地面に突っ伏している一団の影がある。
――「魔犬(クーシー)」たちだ。
魔犬たちが暮らす霊峰ヴァルグヴェルドでは、領主の子供が生まれると同時に、その生涯の相棒となる魔犬を選抜するための儀式と競走が行われるのが、すっかり暗黙の了解となっていた。かつてアスタの時もそうだったように、それは誇らしい門出であるはずだった。
しかし、その伝統に待ったをかけたのが、他ならぬアスタだった。
彼の妻であるアイラとの間に生まれた一人娘、「アイリス」。本来であればその友犬となる名誉をかけて、魔犬たちの選抜戦が行われるはずだったが、アスタがそれを頑としてストップさせていたのである。
「ダメだよ、父上。...いや、魔犬たちには悪いと思っていますけれどね」
執務机から振り返ったアスタは、真面目すぎるがゆえの苦労顔を作って首を横に振った。
「俺は...生まれたときから魔犬が傍に居たおかげで魔法に苦労しなかったけれど、学校では授業で先生を驚かせるたびに、周りの子たちが距離を取ってしまって...。入学の最大の目的だった『友達作り』に苦労したのが苦い思い出なんです。だからこそ、アイリスには同じ思いをさせたくない」
国内外に知れ渡る名門校となった「ベイス=アルカ魔法学校」には、多くの魔犬が遊びに赴き、気に入った生徒の友犬になるのが伝統になりつつある。それに比べて、生まれたときから友犬がいるというアドバンテージが、かえって我が子の「枷」になると、アスタは考えていた。
「魔犬との出会いも、あらかじめ決められた相棒としてじゃなく、『学校に入ってから、たくさんの子供たちや魔犬たちの中から、自分の意志で知り合う』という形を取らせたいんです。...あの子たちには可哀想だけど、もう少し待ってもらうことにしました」
そのアスタの決意を聞き、庭で待機させられている魔犬たちは「ふおぉん...」と情けない遠吠えを漏らしていた。彼らにとって、数年間もお預けを食らうのは拷問のようなものだったのだ。
だが、そんな父親の深い親心と、魔犬たちの切なさをよそに、当の本人であるアイリスは、金髪の柔らかな髪を揺らしながら、ゆりかごの中でキャッキャと無邪気に笑っていた。琥珀色の瞳には、まだ世界の複雑な仕組みなど映っていない。ただ純粋に、今日という生を謳歌している。
「...まあ、アスタの気持ちも分からなくはないわね」
エレアノーリエはふっと目を細め、我が子を見つめた。
「だけどね、アスタ。9歳で学校に入るとして、そんな長い間魔犬も、アイリス自身も友犬を作らないことに我慢ができるかしら? 生まれたばかりの今でないにしても、学校に入ってからなんてこだわる必要は――」
「あ、母上。アイラと相談して決めたのですが、アイリスの器量次第では魔法学校の入学を三年早めることにしました。その時期ならモルガナ様の魔法の修行も始まらない。魔法の勉強についても周りと同じに始められることになりますし」
母・エレアノーリエの言葉を遮り、アスタはなんでもないことのように、アイリスの早期入学の決定を告げた。それは、娘の才能を疑いもしない、「親バカ」の発言であったのだが、それを上回る「孫バカ」を発揮していた男が黙っていなかった。
「な、なんだって...!? こんなに儚いアイリスをそんな早くに入学させるのかい!? ただでさえ学校は年齢の上限を設けていないから、年上の同級生だってできるんだよ? そんななかに、六歳の可愛い女の子を放り込むなんて...」
――ノランである。魔犬を憐れむ視点から一転、アイリスの揺り籠に駆け寄り、年甲斐もなく目を潤ませていた。
「それに!六歳なんかじゃ魔力を練るのだって慣れてなきゃ負担が大きい!アスタ、君の魔法の練習だって、四歳ぐらいから少しずつ始めて、入学まで五年間かけたんだ。それを...!」
「父上、なにも一切教えないとは言っていません。基本的な魔力の制御だけは僕たちで少しずつ教えて、才覚があればモルガナ様の本格的な修行を受ける前に学校へと――」
「あぁ心配だっ!...この子が学校で大きな同級生に囲まれて怯えないだろうか? 魔法の練習に躓いて泣いたりしないだろうか?」
ノランは、アスタの言うことに聞く耳も持たず、一心不乱に孫の心配をしている。
「父上! あくまでアイリスの器量を見てから決めますから! それに、学校で少しの苦労をするぐらいでないと将来領主になったときに――」
「やっぱりだめだ! そんな幼くしてアイリスを僕たちから離して学校に入れるなんて...。私は心配で、毎日教室を覗きに行ってしまいそうだ!」
やはり、ノランの耳にはアスタの言葉は入っていないようで、アスタは諦めたように肩を落とし、妻のエレアノーリエは愉快そうに微笑んでいる。
ノランは、すっかり白髪の多くなった金髪の頭を抱えると、「うぅーん」と唸りながら何かを考えこむようにウロウロと歩き始めた。それは、魔法理論の原理構築を「十八番」にする彼が、新たな魔法の可能性に気が付いたときに見せる癖であった。
しばらくそうしていると、突然、ノランは顔をあげてエレアノーリエへ振り返った。
「エレア様! 今、魔法学校でシルフェリア魔法帝国から留学生として、王女殿下をお預かりしていますよねっ!?」
「えぇ、ノラン様。リリエラでしたら、最近はすっかり周囲に打ち解けて魔法の鍛錬に励んでいますわ」
「一度お会いできないでしょうか? シルフェリア王国の魔法技術についてお伺いしたことがあるのです!」
「構いませんが、なぜかの国の技術を...?」
突拍子もない夫の願いに、エレアノーリエは不思議がって首をコテンと傾げた。五十を目前にした淑女の振る舞いとしては、いささか幼いものだったが不思議と嫌味にならないのであった。
「幼い子供であっても...特にまだ言葉のしゃべることの出来ないような年の子でも使える、無詠唱魔法が作れるかもしれないのです! それには、シルフェリア魔法帝国に伝わる技法が必要なので、リリエラ殿下にお伺いできればと...。その魔法があれば、アイリスだって無詠唱魔法を習得してから入学ができ、安心というものです!」
孫の将来を心配する情けない顔から一変、ノランの表情は、新たな魔法の可能性に輝いていた。
「まあっ! ノラン様、さすがですわ! さっそくリリエラの元へ参りましょう!」
エレアノーリエも大概、魔法のことになると熱くなりやすかった。ましてや、可愛い孫のためになるのなら、止める理由もないというもの。二人は、慌てる息子・アスタと、ウトウトし始めた孫・アイリスを置いて、魔法学校に向かったのだった。
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魔法学校に着くが早いか、リリエラを探し出し、学長室まで呼び寄せた。
「なんですの? エレアノーリエ学長、それにノラン様まで...。今研究レポートの大詰めでしたのに――」
「殿下、殿下のお国、シルフェリア魔法帝国に伝わる古の技法――たしか、音を重ねて、それを記憶させる独特の技術がありますよね? それを子供にも使える魔法に転用したいのです!」
勢いよく紡がれたノランの言葉に、リリエラの表情がわずかに引き締まる。
「...よくご存じですわね。帝国の宮廷魔道士たちが使う『音律記憶法』のことですわね。 複雑な呪文の代わりに、特定の音の響きやリズムを身体に覚え込ませることで、魔力の経路を強制的に安定させる古い技法ですわ。でも、あれは高度な訓練を受けた魔道士のためのものよ。子供になんて――」
「いや、逆です」
ノランは机を叩いた。
「言葉を用いないからこそ、子供の純粋な感性にはスッと入る。複雑な魔道回路の構築なんて端折ってしまって。音の響きとリズム、その『音の記憶』を起点にして、ごく微量の魔力を光に変えて放つだけなら...どうです?」
エレアノーリエがハッと息を呑んだ。
「それなら...! 魔力回路を傷つける心配もないし、何より爆発的な暴走が起きない。ただの『光の粒』がフワッと浮かぶだけの、無害な仕掛けにできますわね!」
「そう! それです!」
ノランは机の上の羊皮紙を引き寄せ、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
リリエラも、その発想の柔軟さに気圧されながらも、母国に伝わる音律のデータを次々と頭から引き出し、ノランに助言を与えていく。
「ここ、このリズムよ。こう叩くように音の魔力を共鳴させると、子供の喉や手の平の微弱な生体魔力に引っかかって...!」
「よし、組み込みましょう! 詠唱はいらない。呪文を唱える代わりに、ある特定の短いメロディを口ずさむだけでいい。それだけで、手の平からポッと温かい光が灯る...!」
その様子を、追いかけてきたアスタはポカンと口を開けて見守っていた。
父親の暴走癖は、歳を取っても一向に衰えるどころか、ますます冴え渡っている。しかし、その理論の美しさと、子供への安全性が徹底的に配慮されていることには、祖父としての愛情がこれでもかと詰まっていた。
――こうして、数日間の白熱した研究の末、一つの画期的な技術が完成した。
複雑な魔法理論を省略し、音の記憶とリズムだけで誰でも発動できる、完全無詠唱の初期段階用魔法。
名付けて、「さいしょのまほう」。
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その画期的な成果を聞きつけ、山の上の館からすさまじい勢いで転移魔法を使って飛んできたのは、他ならぬ大魔女モルガナであった。
ドカンッ!!
「キャアアアアアァ!! ...っえ?モルガナ様?」
ノランの自室の扉を盛大に魔法で吹き飛ばし、十歳の少女の姿をしたモルガナが鬼気迫る表情で乗り込んできた。
慌てふためく愛弟子・ノランの顔を見るや、モルガナは表情を脱力させ、大きな、大きな溜息をついた。そして、おもむろに何もない空間から椅子を取り出すと、項垂れながら深く腰掛ける。
「あ、あの...モルガナ様?...っひ!?」
ノランの呼びかけに応じて、モルガナはパっと、顔を上げた。彼女の琥珀色の瞳には、強烈な知的興奮と、そしてわずかな絶望の色が浮かんでいた。
「貴方... あんな子守歌のようなリズムと音の記憶だけで、魔力回路の負荷をゼロにして再現するだなんて...。―― そんな馬鹿なアプローチ、どうして今まで誰も思いつかなかったのよっ!」
モルガナは小さな拳で自らの膝を叩いた。
「くっ...! また弟子に先を越されたわ...! 私としたことが、どうしてシルフェリア魔法帝国の古典技術を見落としていたのかしら...!」
「魔力駆動型・結界魔道具」を開発したときと同じ、「大魔女のショック状態」に、ノランは苦笑するしかなかった。
しかし、モルガナはその場でさらにしばらくブツブツと悔しがった後、ふと顔を上げ、実際にその魔法を自分の手で試してみた。
彼女の指先から、カチリ、と心地よい音の響きと共に、夜空の星を閉じ込めたような温かな光の粒がふわりと舞い上がった。
「...っ。」
モルガナの表情から悔しさが消え、代わりに深い感嘆の色が浮かんだ。
「...これ、は...。魔力を『使う』のではなく、魔力と『遊ぶ』ための魔法ね。...幼子に教えるには、これ以上ない最高の発明だわ」
こうして、大魔女の太鼓判が押されたことで、「さいしょのまほう」の安全性と実用性は完全に証明された。
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そして、この「さいしょのまほう」は、ノランたちの手によってすぐに領内へと広められることになった。
最初は、アイリスに魔法を楽しく教えるための個人的な試みだったはずが、ベイス=アルカの広場にその噂が流れるやいなや、瞬く間に子育て世代の間で爆発的なブームを引き起こしたのだ。
「ねえ、見て! ぼくの手、光ったよ!」
「わあ、きれい! 私もやりたい!」
町のあちこちで、小さな子どもたちが手を叩き、歌を思い描きながら、手の平に小さな光の球を灯して遊ぶ姿が見られるようになった。
それは危険な魔力の暴走とは無縁の、まるで色とりどりの花が咲くような、平和で温かな光景だった。
この「さいしょのまほう」によって、魔法は、子どもたちの遊びや歌に完全に溶け込んでいった。シルフェリアの古の音律記憶法と、ベイス=アルカの自由な気風が急速な融合を起こした結果だった。
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「すごいな、アイリス。もうこんなに上手に光を出せるのかい?」
庭先で、アスタがしゃがみ込みながら、愛娘の頭を優しくなでた。
アイリスは金髪を揺らし、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせて、両手を前に突き出した。
「うん! おじいちゃまにおしょわったまほう、おててがピカッてするの! みて、くーちーたちもよろこんでるのよ!」
アイリスの足元では、相変わらず選抜戦をお預けにされてヒマを持て余していたはずの魔犬たちが、すっかりアイリスに懐ききった様子で、その小さな光を追いかけて尻尾をパタパタと振っていた。
――結局、魔犬たちも「アイリスがこの魔法で遊んでいる姿が可愛いから、当分はこのままでいいか」と、すっかり骨抜きにされていたのである。
少し離れたテラスから、その様子を温かい眼差しで見守るノランとエレアノーリエの姿があった。
「ノラン様、やりましたわね。これで、アイリスが魔法学校に行っても心配ではなくなりましたか?」
「はは...。うぅーん。...いや! やっぱり心配です! もう一度アスタに掛け合ってきてみますね!」
ノランがそう言ってアスタとアイリスの下へ向かうと、エレアノーリエは「やれやれ」といった様子で首をすくめた。しかし、その口元には隠し切れない笑みが浮かんでいた。