ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第四十話 北の王女と、雪解けの歩み
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第四十話 北の王女と、雪解けの歩み

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年との出会いを境に魔犬たちは町へ降り、人々との暮らしを紡ぎ始める。

 そして、モルガナの弟子となった第三王女エレアノーリエを、領主として迎えたベイスの町は、人と魔犬が共に笑い合う魔法都市へと変貌していった――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 かつては魔獣の脅威におびえる、小さな町だったベイス=アルカは、いまや大陸全土からその名を知られる一大魔法都市へと変貌を遂げていた。

 若き領主エレアノーリエの奮闘によって設立されたベイス=アルカ魔法学校は、創立から三十数年という歳月の間に驚異的な飛躍を遂げた。

 卒業生たちは国の高位貴族や政府の重要ポストに次々と登用され、実力主義に基づく新時代の魔法体系を国中に広めている。

 生徒たちが課外授業の一環として担ってきた「北端魔獣討伐」の功績は国王にすら称えられ、教師陣による最先端の魔法研究は、隣接する大国をも唸らせるほどの水準に達している。

 その結果として訪れたのが、現在の「国際化」であった。

 ベイス=アルカ魔法学校は国内の若者だけに留まらず、隣国の優秀な留学生を迎えるだけの名門校へと足を踏み出していた。


 青空の下、赤く色づいた中庭の並木道を、軽やかな足取りで歩く一人の女性。

 整えられた漆黒の制服に身を包み、風に揺れる美しいプラチナブロンドの短髪。その表情には、長年培ってきた揺るぎない自信と、部下を率いる者特有の凛とした気品が宿っている。アイラ――現在はベイス=アルカ騎士団の大隊長を任されている彼女は、若くして次期騎士団長の呼び声が高い実力派として、町の住民や生徒たちから敬愛を集めていた。


「アイラ大隊長、北門の検問所から連絡が入っています。『お客様』の馬車がまもなく到着するとのことです」


 声をかけたのは、近くに控えていた若い騎士だ。


「分かった。すぐにお迎えに上がろう。...いよいよ、第一号留学生だなーーそれも、あの魔法大国からの」


 アイラは引き締まった笑みを浮かべ、北門の方角へと視線を向けた。

――――――――――――――――――――――――――――――

 シルフェリア魔法帝国。

 それはコードリア領主の北方にそびえる険しい山脈を挟んだ向こう側に広がる、雪と氷に閉ざされた厳格な魔法国家である。

 代々、国家主導で強力な儀式魔法や軍事魔法を研究してきたエリート気質の国であり、その血統と家柄の重さはベイス=アルカの実力主義とは対極に位置していた。

 そのシルフェリア魔法帝国から、鳴り物入りで送り出された第一号留学生。

 馬車がベイス=アルカの北門を通り過ぎ、石畳の上で静かに停まる。御者が扉を開けると、そこから降り立ったのは、一人の少女だった。

 ――リリエラ=フォン=シルフェリア。

 シルフェリア魔法帝国の王女である彼女の姿を見た者たちは、一瞬にしてその場に息を呑んだ。

 雪国出身であることを証明するかのような、透き通るように白い肌。背中まで真っ直ぐに伸びた美しい青髪は、帝国において「王族の証」とされる高貴な色合いそのものだった。そして、彼女の顔立ちを引き締めているのは、凍てつく氷河の輝きを宿した「アイスブルーの瞳」である。

 どこからどう見ても、彼女は正統なる王族の血筋であり、隙の無い淑女そのものだった。

 しかし、その気高い外見の裏で、リリエラの心は激しい孤独と葛藤の嵐にさらされていた。


(...ここが、この国の魔法学校...)


 周囲を見回すリリエラの小さな手が、制服の裾を強く握りしめる。

 彼女がこのベイス=アルカへやってきたのは、表向きはグランセリア王国と、シルフェリア魔法帝国における、「両国の親善と文化交流のための留学」とされている。

 だが、その裏に隠された真実は、帝国宮廷内における権力闘争の果てにもたらされた「同盟のための偵察」、そして事実上の「人質」としての役割だった。


『我が国の技術を越えると噂される魔法学校、その内情を探り、軍事的脅威となるかご覧になっていただきたい。もし、さしたる情報を持って来られないようであらば...お分かりになりますな?』


保守派の重鎮たちから冷たく言い放たれた言葉が、今も耳から離れない。


(私...は見捨てられたの? いえ、あんな古狸の言うことを真に受けてはいけない。きっと陛下(おとうさま)は私(わたくし)に期待を寄せてくださっているーー)


 自分は一体何のためにここにいるのか。母国では「天才王女」ともてはやされていながら、宮廷のしがらみに押しつぶされそうになっていた彼女は、その不安や恐怖を隠すために、過剰なまでのプライドで自らを武装していた。


「――ようこそ、シルフェリア魔法帝国、リリエラ王女殿下。ベイス=アルカ魔法学校へ」


 出迎えたアイラが、凛とした声で敬意を示す。

 しかしリリエラは、そのアイスブルーの瞳を細め、冷ややかに顎を引いた。


「...わざわざお出迎えご苦労。聞いていた通り、ここは身分も秩序もごちゃ混ぜの、奇妙な場所のようね。」


 あえて刺のある言い方をしてしまう自分に、心のどこかで嫌気が差しながらも、リリエラは強がりな表情を崩すことができなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ベイス=アルカでの生活が始まって数日、リリエラは早くも大きなカルチャーショックの連続に直面していた。

 母国では、魔法とは厳格な儀式のもとで選ばれたエリートだけが、血統の誇りにかけて行使するものだった。しかしこの学校では、平民出身の生徒たちが平然と独自の応用魔法を編み出し、しかも教師と生徒がまるで家族のように笑い合っている。

 さらにリリエラを混乱させたのは、学校のあちこちに自由に出入りする「魔犬(クーシー)」たちの存在だった。


「ひっ...! な、何よ、この巨体の獣は...!」


 ある日の放課後、中庭の芝生を歩いていたリリエラは、突如として目の前に現れた一頭の魔犬に遭遇し、思わず身構えて杖に手をかけた。

 シルフェリアでは魔獣といえば討伐対象であり、あるいは厳重に管理された危険な存在でしかない。

 それが、自分の身の丈を越えるような大きな犬たちが人間の生徒たちとじゃれ合い、一緒に日向ぼっこをしている光景など、彼女の常識からは完全に外れていた。

 しかし、その魔犬はリリエラの殺気立った様子に怯えることもなく、トコトコと軽やかな足取りで近づいてきた。

 その毛並みは、雪国で育ったリリエラがこれまで見たこともない、陽だまりのような優しい蜂蜜色をしていた。ふんわりと柔らかそうな毛並みに、ピンク色の鼻先。その魔犬はリリエラの足元でピタリと足を止めると、じっと見上げてきた。


「な、何よ...! 止まりなさい!さもなくばーー」


 リリエラは青髪を揺らし、精一杯の威圧感をこめて睨みつける。

 だが、シャンパンゴールドの魔犬は怖がるどころか、彼女の顔を不思議そうに覗き込み、ふっと鼻先を鳴らした。


「...ねえ、君」


 魔犬が発した声は、頭の中に直接響くような、不思議な優しさを帯びていた。


「...すごく綺麗な青い宝石みたいな目だね。氷みたいに冷たく見えるけど、どこか優しそうないい匂いがする。...ねえ、そんなに固くならないで、笑ったらもっと綺麗なのに」


「っ...!?」


 心を見透かされたような、あまりにも無邪気で直球な言葉に、リリエラは全身の血が逆流するような衝撃を受けた。


「なっ...! な、なにを言ってるのよ、この無礼な犬が...!」


 驚きと恥ずかしさのあまり、リリエラの色白の頬はみるみるうちに真っ赤に染まった。ツンとした冷徹な仮面など一瞬で吹き飛び、彼女は両手で自分の顔を覆い、慌てふためいた。


「わふっ! 顔が真っ赤だよ! あはは、怒ると余計に可愛いね!」

「かわいいって言わないで! 私はシルフェリアの王女よ! 犬ごときに...!」


 赤面しながら必死に威張ろうとするリリエラの姿は、周囲から見ればただの年相応の少女の可愛らしい一幕でしかなかったが、本人にとっては人生最大の屈辱だった。

 その様子を、少し離れた廊下の窓から温かい眼差しで見守る影があった。

 学長室から出てきたエレアノーリエである。彼女は微笑みながら、独り言のように呟いた。


「...あの子も、ようやく本当の自分の顔を取り戻せそうね」


――――――――――――――――――――――――――――――

 その日の夕方、リリエラはエレアノーリエに呼ばれ、学長室の扉を叩いていた。


「失礼するわ...」


 先ほどの動揺が嘘のように、リリエラは氷のような空気を纏わせて入室した。

 広々とした学長室の窓辺には、ティーポットから湯気が立ち上る優雅な空間が広がっていた。エレアノーリエは静かに振り返り、リリエラをソファへと促した。


「お掛けなさい、リリエラ王女。ベイス=アルカの生活には、もう慣れましたか?」

「...驚かされてばかりよ。あんな、魔獣と人間が馴れ合う学校なんて、私の母国では考えられないわ」


 リリエラは不服そうにふいと顔をそむけたが、エレアノーリエは咎めるどころか、クスリと笑った。


「そうでしょうね。厳格な宮廷で『王女』としての仮面を貼り付けて生きることしか教わらなかったあなたにとって、ここはあまりにも自由で眩しすぎる場所なのだから」

「っ...!」


 図星を突かれたリリエラの肩がピクリと跳ねた。エレアノーリエは紅茶を一口含み、まっすぐにそのアイスブルーの瞳を見つめた。


「私もね、昔はあなたと同じだったの。自分の居場所を守るために茨を張り巡らせ、誰にも弱みを見せまいと必死だった。...でもね、ここはそういう場所じゃない。あなたがどんな身分であれ、どんな国から来たのであれ、魔法に向き合う純粋な情熱さえあれば、誰もがただの『一人の人間』として認められる場所なのよ」


 エレアノーリエの言葉には、何十年の苦難を乗り越えてきた者にしか出せない、重みと優しさがあった。

 リリエラの中で、頑なに凍りついていた何かが、音を立てて崩れていくのを感じた。


「ど、どこが同じかしら?貴女に私(わたくし)の何がわかるというのっ!――」

「わかるわ。わかるのよ。宮廷で自分の価値を示すためだけに魔法にすがり、家臣たちの声に惑わされ、冷たい仮面を被る、哀れな王女。それが貴女と、幼い頃の私よ」


 エレアノーリエは、立ち上がりリリエラへ歩み寄った。


「この留学が決まったとき、私は貴女のお父様ーーシルフェリア国王陛下へ謁見する機会を賜ったわ。そしてそのとき、託された願いがあるの」

「お父様の願い...?」

「えぇ。『娘を助けてくれ』とね、非公式のお言葉ではあったけれど、私は確かにその願いを受け取ったわ」


 リリエラは驚愕に目を見開き、唇を震わせた。


「わ、私(わたくし)...見捨てられたわけでは、ないの...?」


 震える声で呟いたリリエラの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「貴女の父王は、そんな方ではないわ。そして、貴女は、貴女自身の足で未来を切り拓くために、ここに導かれたのよ。母国の事情がどうあれ、ここで得た経験と、貴女自身が選んだ絆は、誰にも奪うことのできないあなたの財産になるわ」


 エレアノーリエの温かい言葉に、リリエラはもう強がることをやめ、両手で顔を覆って小さくしゃくり上げた。そのときーー


バターーンッーーー


 リリエラの泣き声を聞き、先ほどの中庭で出会った蜂蜜色の魔犬――彼女がのちに「黄金の相棒」と呼ぶことになる一頭が、学長室に飛び込んできた。


「エレアノーリエ学長!!貴女といえどその子を泣かせるのはっ!」


 魔犬はそう言うと、グルルッとエレアノーリエを威嚇しながらリリエラを守るように、大きな身体で包み込んだ。

 エレアノーリエとリリエラは驚いて見つめ会い、数秒固まったのちに、クスクスと笑い始めて魔犬を混乱させるのであった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 それからの日々は、リリエラにとって人生で最も鮮やかな時間となった。

 過剰なプライドという鎧を脱ぎ捨てた彼女は、持ち前の高い知性と優れた魔法の才能を発揮し、クラスメイトたちと切磋琢磨しながらぐんぐんと成長していった。

 素直さを取り戻した彼女のまわりには、いつしか多くの友人が集まり、蜂蜜色の魔犬はいつも彼女の横にぴったりと寄り添っていた。

 一年間という留学の期間はあっという間に過ぎ去り、帰国の時がやってきた。

 ベイス=アルカの北門。

 出発の馬車の前で、リリエラはエレアノーリエや魔犬たち、そして多くの友人たちに見送られていた。かつての冷徹な「人質王女」の面影はなく、その顔には晴れやかな笑顔と、未来を見据える力強い光が宿っていた。


「エレアノーリエ学長、先生方...本当に、ありがとうございました。私(わたくし)、母国に帰っても、ここで学んだことを決して忘れません」


 リリエラは深く一礼し、その傍らで尻尾をパタパタと振る蜂蜜色の魔犬の頭を優しく撫でた。


「ええ、気をつけてお帰りなさい、リリエラ。貴女なら、どんな荒波が待っていようとも、きっと自分の道を切り拓いていけるわ」


 エレアノーリエが温かい微笑みで見送る中、リリエラは相棒と共に馬車に乗り込み、北の山脈へと続く道へと帰っていった。

――――――――――――――――――――――――――――――

――時は流れ、数十年の歳月が経過した未来。

 シルフェリア魔法帝国とグランセリア王国の国境線は、かつての緊張感から一変し、両国間における堅固な信頼と協力の要となっていた。

 その最前線、帝国の「南の壁」を背負う広大な領地を治めるのは、帝国屈指の名門武家――スードヴァル家であった。

 ある日の国境会談の場。

 外交官や強硬論者たちが居並ぶ重厚な会議室の扉が開き、一人の気高い女性が堂々と足を踏み入れてきた。

 鮮やかな青髪を美しくまとめ上げ、アイスブルーの瞳には揺るぎない度胸と知性が宿っている。彼女の傍らには、歳月を経てもなお気高い佇まいを失わない、一頭の美しい蜂蜜色の毛並みを持つ魔犬が静かに従っていた。


「お待たせしたわね、皆様。...これより、グランセリア王国、コードリア領との共同防衛および魔法技術協定の最終調整を始めましょう」


 かつて「人質・偵察」としてベイス=アルカを訪れた少女は、今や帝国最高峰の魔法使い、スードヴァル辺境伯夫人――リリエラ=フォン=スードヴァルとして、圧倒的な存在感を放っていた。

 彼女はふと窓の外、南の空を見上げ、遠く離れたベイス=アルカの空に思いを馳せながら、誰にも気づかれないように小さく、誇らしげに微笑んだのだった。
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町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年との出会いを境に魔犬たちは町へ降り、人々との暮らしを紡ぎ始める。

 そして、モルガナの弟子となった第三王女エレアノーリエを、領主として迎えたベイスの町は、人と魔犬が共に笑い合う魔法都市へと変貌していった――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 かつては魔獣の脅威におびえる、小さな町だったベイス=アルカは、いまや大陸全土からその名を知られる一大魔法都市へと変貌を遂げていた。

 若き領主エレアノーリエの奮闘によって設立されたベイス=アルカ魔法学校は、創立から三十数年という歳月の間に驚異的な飛躍を遂げた。

 卒業生たちは国の高位貴族や政府の重要ポストに次々と登用され、実力主義に基づく新時代の魔法体系を国中に広めている。

 生徒たちが課外授業の一環として担ってきた「北端魔獣討伐」の功績は国王にすら称えられ、教師陣による最先端の魔法研究は、隣接する大国をも唸らせるほどの水準に達している。

 その結果として訪れたのが、現在の「国際化」であった。

 ベイス=アルカ魔法学校は国内の若者だけに留まらず、隣国の優秀な留学生を迎えるだけの名門校へと足を踏み出していた。


 青空の下、赤く色づいた中庭の並木道を、軽やかな足取りで歩く一人の女性。

 整えられた漆黒の制服に身を包み、風に揺れる美しいプラチナブロンドの短髪。その表情には、長年培ってきた揺るぎない自信と、部下を率いる者特有の凛とした気品が宿っている。アイラ――現在はベイス=アルカ騎士団の大隊長を任されている彼女は、若くして次期騎士団長の呼び声が高い実力派として、町の住民や生徒たちから敬愛を集めていた。


「アイラ大隊長、北門の検問所から連絡が入っています。『お客様』の馬車がまもなく到着するとのことです」


 声をかけたのは、近くに控えていた若い騎士だ。


「分かった。すぐにお迎えに上がろう。...いよいよ、第一号留学生だなーーそれも、あの魔法大国からの」


 アイラは引き締まった笑みを浮かべ、北門の方角へと視線を向けた。

――――――――――――――――――――――――――――――

 シルフェリア魔法帝国。

 それはコードリア領主の北方にそびえる険しい山脈を挟んだ向こう側に広がる、雪と氷に閉ざされた厳格な魔法国家である。

 代々、国家主導で強力な儀式魔法や軍事魔法を研究してきたエリート気質の国であり、その血統と家柄の重さはベイス=アルカの実力主義とは対極に位置していた。

 そのシルフェリア魔法帝国から、鳴り物入りで送り出された第一号留学生。

 馬車がベイス=アルカの北門を通り過ぎ、石畳の上で静かに停まる。御者が扉を開けると、そこから降り立ったのは、一人の少女だった。

 ――リリエラ=フォン=シルフェリア。

 シルフェリア魔法帝国の王女である彼女の姿を見た者たちは、一瞬にしてその場に息を呑んだ。

 雪国出身であることを証明するかのような、透き通るように白い肌。背中まで真っ直ぐに伸びた美しい青髪は、帝国において「王族の証」とされる高貴な色合いそのものだった。そして、彼女の顔立ちを引き締めているのは、凍てつく氷河の輝きを宿した「アイスブルーの瞳」である。

 どこからどう見ても、彼女は正統なる王族の血筋であり、隙の無い淑女そのものだった。

 しかし、その気高い外見の裏で、リリエラの心は激しい孤独と葛藤の嵐にさらされていた。


(...ここが、この国の魔法学校...)


 周囲を見回すリリエラの小さな手が、制服の裾を強く握りしめる。

 彼女がこのベイス=アルカへやってきたのは、表向きはグランセリア王国と、シルフェリア魔法帝国における、「両国の親善と文化交流のための留学」とされている。

 だが、その裏に隠された真実は、帝国宮廷内における権力闘争の果てにもたらされた「同盟のための偵察」、そして事実上の「人質」としての役割だった。


『我が国の技術を越えると噂される魔法学校、その内情を探り、軍事的脅威となるかご覧になっていただきたい。もし、さしたる情報を持って来られないようであらば...お分かりになりますな?』


保守派の重鎮たちから冷たく言い放たれた言葉が、今も耳から離れない。


(私...は見捨てられたの? いえ、あんな古狸の言うことを真に受けてはいけない。きっと陛下(おとうさま)は私(わたくし)に期待を寄せてくださっているーー)


 自分は一体何のためにここにいるのか。母国では「天才王女」ともてはやされていながら、宮廷のしがらみに押しつぶされそうになっていた彼女は、その不安や恐怖を隠すために、過剰なまでのプライドで自らを武装していた。


「――ようこそ、シルフェリア魔法帝国、リリエラ王女殿下。ベイス=アルカ魔法学校へ」


 出迎えたアイラが、凛とした声で敬意を示す。

 しかしリリエラは、そのアイスブルーの瞳を細め、冷ややかに顎を引いた。


「...わざわざお出迎えご苦労。聞いていた通り、ここは身分も秩序もごちゃ混ぜの、奇妙な場所のようね。」


 あえて刺のある言い方をしてしまう自分に、心のどこかで嫌気が差しながらも、リリエラは強がりな表情を崩すことができなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ベイス=アルカでの生活が始まって数日、リリエラは早くも大きなカルチャーショックの連続に直面していた。

 母国では、魔法とは厳格な儀式のもとで選ばれたエリートだけが、血統の誇りにかけて行使するものだった。しかしこの学校では、平民出身の生徒たちが平然と独自の応用魔法を編み出し、しかも教師と生徒がまるで家族のように笑い合っている。

 さらにリリエラを混乱させたのは、学校のあちこちに自由に出入りする「魔犬(クーシー)」たちの存在だった。


「ひっ...! な、何よ、この巨体の獣は...!」


 ある日の放課後、中庭の芝生を歩いていたリリエラは、突如として目の前に現れた一頭の魔犬に遭遇し、思わず身構えて杖に手をかけた。

 シルフェリアでは魔獣といえば討伐対象であり、あるいは厳重に管理された危険な存在でしかない。

 それが、自分の身の丈を越えるような大きな犬たちが人間の生徒たちとじゃれ合い、一緒に日向ぼっこをしている光景など、彼女の常識からは完全に外れていた。

 しかし、その魔犬はリリエラの殺気立った様子に怯えることもなく、トコトコと軽やかな足取りで近づいてきた。

 その毛並みは、雪国で育ったリリエラがこれまで見たこともない、陽だまりのような優しい蜂蜜色をしていた。ふんわりと柔らかそうな毛並みに、ピンク色の鼻先。その魔犬はリリエラの足元でピタリと足を止めると、じっと見上げてきた。


「な、何よ...! 止まりなさい!さもなくばーー」


 リリエラは青髪を揺らし、精一杯の威圧感をこめて睨みつける。

 だが、シャンパンゴールドの魔犬は怖がるどころか、彼女の顔を不思議そうに覗き込み、ふっと鼻先を鳴らした。


「...ねえ、君」


 魔犬が発した声は、頭の中に直接響くような、不思議な優しさを帯びていた。


「...すごく綺麗な青い宝石みたいな目だね。氷みたいに冷たく見えるけど、どこか優しそうないい匂いがする。...ねえ、そんなに固くならないで、笑ったらもっと綺麗なのに」


「っ...!?」


 心を見透かされたような、あまりにも無邪気で直球な言葉に、リリエラは全身の血が逆流するような衝撃を受けた。


「なっ...! な、なにを言ってるのよ、この無礼な犬が...!」


 驚きと恥ずかしさのあまり、リリエラの色白の頬はみるみるうちに真っ赤に染まった。ツンとした冷徹な仮面など一瞬で吹き飛び、彼女は両手で自分の顔を覆い、慌てふためいた。


「わふっ! 顔が真っ赤だよ! あはは、怒ると余計に可愛いね!」

「かわいいって言わないで! 私はシルフェリアの王女よ! 犬ごときに...!」


 赤面しながら必死に威張ろうとするリリエラの姿は、周囲から見ればただの年相応の少女の可愛らしい一幕でしかなかったが、本人にとっては人生最大の屈辱だった。

 その様子を、少し離れた廊下の窓から温かい眼差しで見守る影があった。

 学長室から出てきたエレアノーリエである。彼女は微笑みながら、独り言のように呟いた。


「...あの子も、ようやく本当の自分の顔を取り戻せそうね」


――――――――――――――――――――――――――――――

 その日の夕方、リリエラはエレアノーリエに呼ばれ、学長室の扉を叩いていた。


「失礼するわ...」


 先ほどの動揺が嘘のように、リリエラは氷のような空気を纏わせて入室した。

 広々とした学長室の窓辺には、ティーポットから湯気が立ち上る優雅な空間が広がっていた。エレアノーリエは静かに振り返り、リリエラをソファへと促した。


「お掛けなさい、リリエラ王女。ベイス=アルカの生活には、もう慣れましたか?」

「...驚かされてばかりよ。あんな、魔獣と人間が馴れ合う学校なんて、私の母国では考えられないわ」


 リリエラは不服そうにふいと顔をそむけたが、エレアノーリエは咎めるどころか、クスリと笑った。


「そうでしょうね。厳格な宮廷で『王女』としての仮面を貼り付けて生きることしか教わらなかったあなたにとって、ここはあまりにも自由で眩しすぎる場所なのだから」

「っ...!」


 図星を突かれたリリエラの肩がピクリと跳ねた。エレアノーリエは紅茶を一口含み、まっすぐにそのアイスブルーの瞳を見つめた。


「私もね、昔はあなたと同じだったの。自分の居場所を守るために茨を張り巡らせ、誰にも弱みを見せまいと必死だった。...でもね、ここはそういう場所じゃない。あなたがどんな身分であれ、どんな国から来たのであれ、魔法に向き合う純粋な情熱さえあれば、誰もがただの『一人の人間』として認められる場所なのよ」


 エレアノーリエの言葉には、何十年の苦難を乗り越えてきた者にしか出せない、重みと優しさがあった。

 リリエラの中で、頑なに凍りついていた何かが、音を立てて崩れていくのを感じた。


「ど、どこが同じかしら?貴女に私(わたくし)の何がわかるというのっ!――」

「わかるわ。わかるのよ。宮廷で自分の価値を示すためだけに魔法にすがり、家臣たちの声に惑わされ、冷たい仮面を被る、哀れな王女。それが貴女と、幼い頃の私よ」


 エレアノーリエは、立ち上がりリリエラへ歩み寄った。


「この留学が決まったとき、私は貴女のお父様ーーシルフェリア国王陛下へ謁見する機会を賜ったわ。そしてそのとき、託された願いがあるの」

「お父様の願い...?」

「えぇ。『娘を助けてくれ』とね、非公式のお言葉ではあったけれど、私は確かにその願いを受け取ったわ」


 リリエラは驚愕に目を見開き、唇を震わせた。


「わ、私(わたくし)...見捨てられたわけでは、ないの...?」


 震える声で呟いたリリエラの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「貴女の父王は、そんな方ではないわ。そして、貴女は、貴女自身の足で未来を切り拓くために、ここに導かれたのよ。母国の事情がどうあれ、ここで得た経験と、貴女自身が選んだ絆は、誰にも奪うことのできないあなたの財産になるわ」


 エレアノーリエの温かい言葉に、リリエラはもう強がることをやめ、両手で顔を覆って小さくしゃくり上げた。そのときーー


バターーンッーーー


 リリエラの泣き声を聞き、先ほどの中庭で出会った蜂蜜色の魔犬――彼女がのちに「黄金の相棒」と呼ぶことになる一頭が、学長室に飛び込んできた。


「エレアノーリエ学長!!貴女といえどその子を泣かせるのはっ!」


 魔犬はそう言うと、グルルッとエレアノーリエを威嚇しながらリリエラを守るように、大きな身体で包み込んだ。

 エレアノーリエとリリエラは驚いて見つめ会い、数秒固まったのちに、クスクスと笑い始めて魔犬を混乱させるのであった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 それからの日々は、リリエラにとって人生で最も鮮やかな時間となった。

 過剰なプライドという鎧を脱ぎ捨てた彼女は、持ち前の高い知性と優れた魔法の才能を発揮し、クラスメイトたちと切磋琢磨しながらぐんぐんと成長していった。

 素直さを取り戻した彼女のまわりには、いつしか多くの友人が集まり、蜂蜜色の魔犬はいつも彼女の横にぴったりと寄り添っていた。

 一年間という留学の期間はあっという間に過ぎ去り、帰国の時がやってきた。

 ベイス=アルカの北門。

 出発の馬車の前で、リリエラはエレアノーリエや魔犬たち、そして多くの友人たちに見送られていた。かつての冷徹な「人質王女」の面影はなく、その顔には晴れやかな笑顔と、未来を見据える力強い光が宿っていた。


「エレアノーリエ学長、先生方...本当に、ありがとうございました。私(わたくし)、母国に帰っても、ここで学んだことを決して忘れません」


 リリエラは深く一礼し、その傍らで尻尾をパタパタと振る蜂蜜色の魔犬の頭を優しく撫でた。


「ええ、気をつけてお帰りなさい、リリエラ。貴女なら、どんな荒波が待っていようとも、きっと自分の道を切り拓いていけるわ」


 エレアノーリエが温かい微笑みで見送る中、リリエラは相棒と共に馬車に乗り込み、北の山脈へと続く道へと帰っていった。

――――――――――――――――――――――――――――――

――時は流れ、数十年の歳月が経過した未来。

 シルフェリア魔法帝国とグランセリア王国の国境線は、かつての緊張感から一変し、両国間における堅固な信頼と協力の要となっていた。

 その最前線、帝国の「南の壁」を背負う広大な領地を治めるのは、帝国屈指の名門武家――スードヴァル家であった。

 ある日の国境会談の場。

 外交官や強硬論者たちが居並ぶ重厚な会議室の扉が開き、一人の気高い女性が堂々と足を踏み入れてきた。

 鮮やかな青髪を美しくまとめ上げ、アイスブルーの瞳には揺るぎない度胸と知性が宿っている。彼女の傍らには、歳月を経てもなお気高い佇まいを失わない、一頭の美しい蜂蜜色の毛並みを持つ魔犬が静かに従っていた。


「お待たせしたわね、皆様。...これより、グランセリア王国、コードリア領との共同防衛および魔法技術協定の最終調整を始めましょう」


 かつて「人質・偵察」としてベイス=アルカを訪れた少女は、今や帝国最高峰の魔法使い、スードヴァル辺境伯夫人――リリエラ=フォン=スードヴァルとして、圧倒的な存在感を放っていた。

 彼女はふと窓の外、南の空を見上げ、遠く離れたベイス=アルカの空に思いを馳せながら、誰にも気づかれないように小さく、誇らしげに微笑んだのだった。
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