第三十九話 お守りの魔女祭りと、受け継がれる温もり
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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ベイスの町は、歴史的な祝祭の日にふさわしい、かつてないほどの最高潮の熱気に包まれていた。
空はどこまでも抜けるような青空に恵まれ、町中には色鮮やかな旗やリボンが飾り立てられている。朝早くから、町魔犬郵便が配った木札の知らせを見て集まった住民や冒険者、そしてたくさんの魔犬たちが、中央広場を中心に大賑わいを見せていた。
広場の特設ステージ周辺では、農犬ギルドと人間たちが協力して育て上げた選りすぐりの極上食材を使った料理の数々が、次々と大鍋や大皿に盛り付けられていく。その芳醇な匂いが周囲に立ち込め、人々の食欲と期待感を否応なく煽った。
さらに、商犬ギルドの周辺では、魔犬たちのための特大のイベントが開催されていた。人間にはただのスパイスや嗜好品であっても、魔犬たちにとっては「極上の酒」に匹敵する特別な香草『アニス』が、この日はなんと無料・無制限で大盤振る舞いされていた。
「うぉぉ、最高だぁ...! 骨の髄まで香りが染み渡るぜ...!」
「うっとりする...これが無制限なんて、夢のようだ...」
あちこちの魔犬たちが、アニスの甘くスパイシーな香りに包まれて、うっとりと幸せそうに目を細め、あるいは気持ちよさそうにひっくり返って「ふにゃふにゃ」になって酔いしれている。
その平和で呆れる光景を見ているだけで、自然と笑みがこぼれてくる。
空を見上げれば、魔法学校の卒業生や生徒たち、そしてその友犬たちが、本番に向けた最終調整と日中の余興を行っていた。空中で優雅に旋回する魔法の飛行機が軌跡を描き、子魔犬たちが放つ光の球がリズミカルに弾け、水魔法の得意な魔犬たちが作り出した水滴が太陽の光を浴びて美しい七色の虹を幾重にも架けていく。
「わあぁ、すごい! 空がキラキラしてる!」
「綺麗ねぇ...!」
町の子どもたちが歓声を上げ、手を叩いて飛び跳ねる。
そして、町の中央通りには、職人たちが総力を挙げて作り上げた豪華絢爛な装飾の台車がドカンと据えられていた。
ありとあらゆる装飾が施され、日が沈むころには、モルガナを迎え入れる準備はこれ以上ないほどに整っていた。
――だが、しかし。
肝心の「主役」であるはずの大魔女モルガナは、いまだに霊峰ヴァルグヴェルドの山頂の館にこもったままだった。
送られた正式な招待状に対し、達筆な「欠席」の一文字だけを突き返してきた彼女は、今頃ふふんと鼻で笑いながら、優雅にティータイムでも楽しんでいることだろう。
「まったく...招待状を断られたくらいで、わたくしが引き下がると思いましたか、モルガナ様?」
ベイスの町の端、山へ通じる街道の入り口に立ったコードリア辺境女伯エレアノーリエは、気品ある美しいドレスの裾をキュッと翻し、勝ち気な笑みを浮かべた。
その足元には、ルクス、ノクス、ヴェントの三匹の子魔犬をはじめ、気合十分のたくさんの魔犬たちが「わんっ!」と頼もしく声を揃えている。
「主役がいないお祭りなんて、絶対にあり得ませんわ! さあ、皆様、お迎えにあがりますよ!」
エレアノーリエの号令の下、町民や魔犬たちの熱い期待を背負った「大魔女拉致作戦」の突撃部隊が、いざ山頂の館へと一斉に動き出したのだった。
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霊峰ヴァルグヴェルドの山頂、静寂に包まれた大魔女の館。
その厳かな執務室で、モルガナは優雅にカップの紅茶を傾け、ふっと息をついていた。
「ふん...あの子たちも、流石に諦めたかしらね。まったく、賑やかなのはいいけれど、私を巻き込もうなんて...」
やれやれといったふうに首を横に振るモルガナだったが、その表情にはどこか、愛おしい弟子たちの騒がしさを面白がるような、微かな笑みが含まれていた。
彼女は、窓の外の遠くから微かに聞こえてくる町の賑やかな音楽の音色を耳にしながら、平穏な一人の時間を満喫しようとした
――その数秒後だった。
――ドガァーーーンッ!!
突如として、館の重厚な正面扉が、凄まじい轟音とともに木端微塵に吹き飛んだ。
「なっ...!?」
驚愕してモルガナが椅子から立ち上がろうとした時には、すでに遅かった。
かつてモルガナ自身が叩き込んだ最高峰の身体強化魔法と転移術式を駆使し、エレアノーリエは一瞬の隙も逃さず、執務室の扉を突き破って文字通り「直滑降」で飛び込んできたのだ。
「お待たせしましたわ、モルガナ様!」
「ちょっと、エレアノーリエあなたねぇ――っ!?」
何か魔法を展開しようと構えたモルガナだったが、その華奢な身なりを狙いすましたかのように、四十の齢を越えても衰えぬエレアノーリエのしなやかで力強い腕が、迷うことなくその背中と膝裏へと滑り込んだ。
次の瞬間、モルガナの小さな体はふわりと宙に浮き、絶対的に逃れられない力加減で
――見事なお姫様抱っこへと捕らえられてしまった。
「なっ、なにを...っ!? 降ろしなさいよ、私をこんな子ども扱いして...っ!」
「いいえ、絶対に降ろしませんわ! 今日という今日は、何が何でも町へ連れて行きますの!」
「話を聞きなさい、私は人混みや酒盛りなんて大嫌いだって言ってるでしょう! こら、暴れるわよ...っ!」
十歳の少女の姿をしたモルガナは、顔を真っ赤に染め上げ、ジタバタと子どもっぽく足をバタつかせて全力で抗議した。
しかし、最愛の師匠を絶対に連れ帰るという気迫に満ちたエレアノーリエの腕力と決意は、もはや鉄の枷よりも堅固だった。
「ルクス、ノクス、ヴェント! 作戦成功ですわ! すぐに町へ引き返します!」
「わぁい! 大成功だーっ!」
「魔女さま、しゅっぱーつ!」
三匹の魔犬たちが嬉しそうに飛び跳ねる中、エレアノーリエは暴れる師匠をお姫様抱っこしたまま、まるで風のように館を飛び出し、一気に麓のベイスの町へと駆け下りていったのだった。
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――ざわめいていたベイスの中央広場に、突如として一陣の風が吹き抜けた。
「おっ...おい、見てくれ!」
「あれは...領主様だ!」
「しかも、抱えてらっしゃるのは...も、もしかして...っ!」
広場の中心に設けられた特設ステージの前に、エレアノーリエがすたすたと降り立ったつと、待ち構えていた数千人の町民たちや、アニスで酔いしれていた魔犬たちの視線が一点に集まった。
そして、次の瞬間――。
――オオァァァァーーーッ!!
地割れのような大歓声と、割れんばかりの拍手がベイスの空を揺らした。
エレアノーリエの腕の中に抱えられていたのは、他でもない、この領地の絶対的な最高権威であり、孤高の大魔女モルガナその人だったからだ。
「なっ、こんなに大勢...っ! 下ろしなさいよ、このバカ弟子っ!」
真っ赤な顔をして顔を両手で覆い隠そうとするモルガナに対し、町民たちは「大魔女様が連れてこられたぞー!」「万歳、領主様万歳!」と大盛り上がりである。
逃げ場を完全に失ったモルガナを前に、町民と魔犬たちはあらかじめ用意していた「おめかしセット」をずずいっと持ち寄った。
「さあさあ、モルガナ様! じっとしていてくださいましね!」
「わ、私はこんなもの着ないと言っているでしょう...っ!」
職人たちが総力を挙げて作り上げた、夜空の星屑を縫い付けたような豪奢な衣装が、ジタバタと抵抗するモルガナの体に半ば強制的に着せられていく。さらに、大魔女の威厳を引き立てるために磨き上げられた豪奢な杖が無理やり握らされ、頭には黒いとんがり帽子がスポッとかぶせられた。
そしてダメ押しとばかりに、職人通り特製の、芳醇な香りを放つ特上ワイン」のグラスが、手にしっかりと握り締めさせられる。
気がつけば、いつの間にか豪華な装飾が施された特製の台車の上に立たされていたモルガナは、あまりの急展開と周囲の圧倒的な熱気に、もはや言葉を失ってプルプルと肩を震わせていた。
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「皆様! お待たせいたしましたわ!」
「おめかし」を施されたモルガナを背後から支えつつ、エレアノーリエは凛とした声を張り上げ、広場全体に響き渡るように宣言した。
「我がコードリア辺境領の礎を築き、いつも私たちを見守ってくださる偉大なるお守りの魔女――モルガナ様のご到着ですわ! さあ皆様、盛大に、盛大に歓迎の拍手を!」
――パチパチパチパチパチパチッ!!
ーーゥォオオオオオーーーーーンッ!!
再び巻き起こる割れんばかりの拍手と、魔犬たちの盛大な遠吠え。
ステージの上に立たされ、特上ワインのグラスと豪奢な杖を両手に持たされたモルガナは、観念したようにふーっと大きな、そして盛大なため息をついた。
「...まったく。あなたという子は、昔から少しも変わっていないわね。本当に、とんでもない弟子と、町を持ったものだわ...」
毒づきながらも、モルガナがそっと顔を上げると、そこには自分を真っ直ぐに見つめる愛弟子エレアノーリエの誇らしげな笑顔があり、その傍らで穏やかに微笑むノランの姿があった。
さらに、広場を埋め尽くす町民たちの満面の笑みや、アニスでほろ酔いになりながら「魔女さまだー!」と尻尾をブンブンと振る魔犬たちの幸せそうな姿が目に飛び込んでくる。
誰一人として悪意はなく、ただ純粋に、自分と一緒にこの日を祝いたくてたまらなかった人々の温かな熱気。
頑なだった大魔女の胸の奥が、じんわりと、心地よい温かさで満たされていくのを感じた。
モルガナはふっと柔らかく、どこか照れくさそうな笑みを浮かべると、手に持ったワインのグラスを掲げた。
「...仕方ないわね。今日だけよ。――...乾杯!」
その声とともに、モルガナがワインを一口含むと同時に、町中から大歓声が爆発した。
――カンパァァァーーーイッ!!!
数千のグラスとジョッキが打ち鳴らされ、夜空を見上げれば、魔法学校の生徒たちと友犬たちが待ち構えていたかのように、壮大な光と色鮮やかな花火のような魔法の光を打ち上げた。
夜空を彩る無数の光が、ワインのグラスと人々の笑顔を黄金色に照らし出す。
酒場での小さな一言から始まったひらめきは、人と魔犬、そして大魔女の心を繋ぐの絆となり、魔法都市ベイスの夜空に、いつまでも温かなともしびを灯し続けるのだった。
そしてもちろん、モルガナの「今日だけ」など通るはずもなく、この祭りは毎年歴々と開催されるようになった。
モルガナは必死の抵抗を試みるものの、力強い弟子によって数年に一度は町へ引きずり出されるのであった。