第四十二話 王宮からの押しかけ王子と、とある魔犬の受難
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年との出会いを境に魔犬たちは町へ降り、人々との暮らしを紡ぎ始める。
そして、モルガナの弟子となった第三王女エレアノーリエを、領主として迎えたベイスの町は、人と魔犬が共に笑い合う魔法都市へと変貌していった――。
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霊峰ヴァルグヴェルドの麓、コードリア領主館は、今、新しい時代の足音に包まれていた。
領主の一人娘、アイリスが六歳となり、いよいよ魔法学校へ入学する時期を迎えていたのだ。祖父の ノランは相変わらずの孫バカぶりを発揮し、その妻エレアノーリエや領主アスタたちが見守る中、入学の準備は着々と進められていた。
だが、その平穏を打ち破るかのように、王宮から一人の「暴走王子」が飛び出してきたのである。
発端は、王宮でのとある会話だった――
グランセリア王家、第三王子――ユリウス=グランセリアは、常々騎士団を率いる南の辺境伯を継ぎたいと夢見ていた。それも、権力欲からではなく、純粋に自らの腕で民草を守る、「騎士」に憧れていたのだ。
しかし、彼は男三人兄弟の末王子。長兄は立太子しており、次兄その人が南の辺境伯を継ぐことが約束されており、まだ齢六つを数えたばかりの自分が名乗り出る土俵もない。さらに言えば、ユリウスには魔法の才能があると判明しており、グランセリアの姓を名乗ったまま、国の魔法技術発展に生涯を捧げることが期待されていた。
ユリウスは剣を振り回す腕白小僧ながら、己に課された使命は心得ている王族であった。魔法で民を導くのも、騎士として民を守るのも、同じほどに大切なのだと、幼い自分のわがままを言い聞かせられるほどには早熟していた。
そんな彼に、思わぬ報告が届く。
「ユリウス殿下、ご婚約のお相手が近々内定されるようにございます」
「...ふむっ!どちらのご令嬢だろうか、申せ」
やや息を切らせた宰相が、ユリウスに真剣な顔で婚約相手の内定を告げに来た。王子は、「あの侯爵家の強気なご令嬢だろうか」、「それとも、魔法の才に秀でているという、伯爵家のご令嬢だろうか」と思案しながら、些かワクワクとした心持ちで宰相の言葉を待った。
「はっ!北の辺境伯令嬢、アイリス=コードリア様にございます」
「アイリス...コードリアというと、北の辺境伯の一人娘ではなかったか?」
「仰る通りにございます」
「ならば、王家に輿入れなど許されぬであろう!辺境女伯になり、婿を取ると聞いておったぞ」
宰相の告げた相手は意外すぎるものだった。未来の辺境伯その人を王家に引き入れるなど、前代未聞であったからだ。しかし、その問題はすぐに払拭された。
「殿下、ご令嬢の輿入れではございません。...殿下がコードリア辺境伯家に婿入りされるのでございます」
「なん...だとっ!」
ユリウスの頭上に雷が落ちた。彼は幼い体を震わせ、うつむいた。
「それは...!それは...!」
「えぇ、殿下」
宰相は目元を抑えるようにしながら、かけていたメガネを直した。そして、王子はがバッと顔をあげ、涙ぐんだ瞳で宰相を見つめた。
「私も辺境伯家の一員として、民を守れるということだなっ!?...すばらしい!すばらしいぞ爺や!陛下(ちちうえ)の天聴に感謝せねばな!」
「ようございましたな、殿下!」
王子と宰相は舞い上がっていた。夢見ていた辺境の騎士団を率いることができる、その喜びに。「北の騎士団を率いて、領主となる妻を支えようではないか」と王子は、自らの人生の目標を大きく変更し、瞳を輝かせた。
そして、豪奢な引き出しのなかから「何か」を取り出し、ポケットへ入れ、壁にかけてあった訓練用の剣を持つと、声高らかに言い放った。
「爺や、では、行かねばならぬな!」
「はい!いってらっしゃいませ...!訓練場にはまだ近衛騎士が居りますゆえ」
この時宰相は大きな間違いを犯していた。王子が「行く」のは訓練場ではないということ。王子がポケットにねじ入れたのは、王家から婚家に送られるしきたりの「あるもの」であったということ。それらに全く気づかなかったのだから。
――ガタゴトと揺れる馬車のなか、王子はポケットにねじこんだものを見つめて、プロポーズの言葉をブツブツと練習していた。
そう、コードリア辺境伯令嬢・アイリスとの婚約を勝ち取った第三王子・ユリウスは、将来騎士団を率いるという夢と、アイリスへの募る想いにはやるあまり、いてもたってもいられなくなっていた。彼は訓練場にいた近衛騎士を巻き込み、単身で王宮からベイスの町へと飛び出してきてしまったのである。
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その頃、コードリア領主館の庭園では。
魔法学校への入学準備に浮かれる館の周りで、アイリスが盛大に暇を持て余していた。彼女は「本物の騎士様ごっこをするんだから!」と、勝手に領主館の倉庫から騎士団の立派な備品を持ち出し、自分に見合わぬ大きな剣をブンブンとめちゃくちゃに振り回して遊んでいたのだ。
そこに、息を切らせ、汗だくになりながら突撃してきたのがユリウスだった。
「はぁ、はぁ...やっと、着いた...!」
「あら? どちらさまですの?」
剣を肩に担ぎ、金髪を揺らしたアイリスが琥珀色の目をパチリと瞬かせる。出会い頭、ユリウスは膝に手をついて荒い息を整えると、ポケットからゴソゴソと取り出した小さな指輪を差し出した。まっすぐな瞳で、熱烈にこう告げる。
「わ、私はユリウスだ! 君の婚約者の第三王子なんだ! 立派に騎士団を率いて、民を守り、君の騎士となって生涯守ると誓う! だから、私と結婚してくれ!」
突然の求婚に、アイリスは目を丸くした。出会って一言目からプロポーズとは、絵本のおとぎ話でも見たことがなかった。しかし、ここでただ面食らうだけのアイリスではない。彼女の脳裏には、手元の勝手に持ち出した剣と、厳格で知られる母・アイラの恐ろしい顔がふとよぎった。
そして、悪いことを思いついたかのようにニンマリと笑うと、アイリスはクルリと人差し指を立てて王子に迫った。
「殿下。わたくしの騎士になると、すべてから守ってくださると、そうおっしゃってくださいましたわね?」
「えっ? あ、ああ! 当たり前だ! 私が必ず君を守り通すぞ!」
「では、お母さまからも?」
「母君から...? む、無論だ! どんな猛獣からだって君を護ってみせるさ!」
「――では、この婚約、喜んでお受けいたしますわ!」
アイリスがニッコリと微笑み、華麗に手を差し出す。ユリウスは不思議な気持ちになりながらも、誇らしげに胸を張った。
しかし、その平和な契約の瞬間は、背後から迫る足音によって一瞬で打ち砕かれた。
「――アイリスッ!!!!」
地響きのような怒声が庭園に響き渡る。振り返ったそこに立っていたのは、鬼の形相を浮かべた母・アイラだった。その手には、愛用の大剣が不気味な光を放っている。
元・敏腕冒険者にして騎士団大隊長も務める彼女にとって、「娘が勝手に騎士団の備品を持ち出して遊んでいたこと」という大罪は、怒りの沸点を超えて余りあるものだった。
「まったく、一体何をしている――!」
アイラが殺気を立ち昇らせながら一歩を踏み出した、その時だった。
「あっ、お母さま! よかったの、この方がね、わたくしのことをどんなものからも守ってくれるってお約束してくれたのよ!」
アイリスは全く怯むことなく、ユリウスの手をギュッと握りしめ、満面の笑みで振り返った。ユリウスも引きつった顔をしながらも、必死にアイラの視線を正面から受け止め、気丈に頷いてみせる。
「そ、そうだ! 私が彼女を一生守る!」
――シュウゥゥ。
アイラの中で燃え盛っていた怒りの炎が、音を立てて鎮火した。
二人の幼児が、手を取り合い寄り添う姿。しかも、その片方は手の付けられないお転婆娘であり、それを守るように背伸びをしているのは、見知らぬ豪奢な服の男の子。あまりのわけのわからなさに、アイラは完全に毒気を抜かれてしまった。
「...はぁ? えっと...ど、どちらの坊ちゃんなんだい...?」
力が抜けたように額を押さえ、アイラは混乱の極みにいた。殺気はすっかり消え失せ、ただの「苦労性の母親」の顔に戻っていた。
その隙を突いて、アイリスはすっとユリウスの隣に歩み寄り、その頬に「チュッ」と音を立てて軽いキスを落とした。
「殿下、本当に守ってくださいましたね。お見事ですわ」
「ふぇっ...!? な、なななっ...!」
不意打ちのキスに、ユリウスは顔を真っ赤に茹でダコのようにさせ、その場でフリーズして硬直してしまったのだった。
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その後、王家から謝罪と正式な婚約打診の書状がコードリア家に届き、晴れて公認の婚約者同士となったアイリスとユリウスは、ベイス=アルカ魔法学校に入学を果たした。
学校でも二人はずっと一緒に過ごし、周囲を巻き込んで相変わらず賑やかな日々を送っていたが、ある日、学校の広大な庭園で「運命の出会い」が訪れる。
草むらの向こうから現れたのは、一匹の堂々たるオス魔犬だった。
その毛皮は、太陽の光を浴びて気高く、そして美しく輝くプラチナゴールドの色合いをしていた。誰にも媚びない隙のない身のこなし、そして遠くを見据える凛々しい瞳。そこからあふれ出ていたのは、紛うことなき「騎士らしさ」だった。
「「わあ...っ!」」
突進型で騎士ごっこが大好きなアイリスとユリウスは、その姿に一目で心を奪われた。
「この子こそ、私たちの相棒にふさわしい騎士だわ!」
「そうだ! 私たちの守護者にふさわしい!」
二人は声を揃えると、同時にその魔犬へと飛びついた。しかし、魔犬はひらりと華麗に身をかわし、やれやれといったふうにため息をつく。
「なんだお前たちは。いきなり飛びついてくるなんて、落ち着きがないな」
「「避けたーー!?」」
驚く二人の前で、魔犬は誇らしげに鼻を鳴らした。
しかし、ここからが本当の戦いの幕開けだった。この気高い魔犬をどちらの相棒にするか、二人の間で激しい名前の争奪戦が勃発したのだ。
「この子の名前は、強大な獅子を象徴して『ガウェイン』だ!」
「なにを言っているの! この子の気高い美しさは『バロン』よ!」
「ガウェインだ!」「バロンよ!」と、魔犬の左右の耳を引っ張り合うように言い争う二人。
頭を抱えた魔犬は、呆れ果てたように頭を振り、低く響く声でこう言い放った。
「...まったく、勝手な子供たちだ。そんなに揉めるなら、間をとって『ガロン』で手を打て。二人ともの友犬になってやるからこれ以上騒がないでくれ...」
その折衷案に、「ガロン...素敵な名前だわ!」「よし、今日から君はガロンだ!」と、二人はあっさり納得し、揃ってガロンに抱きついた。こうして、前代未聞の「二人と1匹による魂の回廊」がガロンと結ばれることになった。
だが、ここからが苦労性な魔犬・ガロンの本当の受難の始まりだった。
「ねえガロン! 今夜は私の部屋で一緒に寝るわよ!」
「いや、私の部屋に決まっているぞ! ガロンは私の騎士だ!」
寮の部屋に戻れば、毎晩のように両側から前後足を引っ張られ、どちらの部屋で寝るのかの大喧嘩が始まる。さらに、学校の選択授業が別々の教室に分かれたときも大変だった。
「今日は薬草学だから、ガロンは私についてきてくれ!」
「いいえ、次の授業は魔法剣の特訓よ! ガロンは私を守るために一緒に来るの!」
廊下の真ん中でガロンの出席をめぐって引っ張り合いが勃発し、ガロンは両側に引っ張られながら、天を仰いで絶叫した。
「...おいおい、落ち着け! 俺をめぐって争うのはやめてくれ!」
その必死な叫び声が、石造りの廊下に悲しく響き渡る。
そんな二人と一匹のドタバタ劇を、少し離れた日陰から、血走った目でキリキリと睨みつけている一団がいた。
――数年間、アイリスの友犬の座を虎視眈々と狙い続けていた魔犬たちである。
「何であいつが、俺たちの努力を差し置いて、あの二人にモテモテなんだ...っ!」
「ずるいぞ! 俺たちだってガウェインでもバロンでも何でもなってやるのに...!」
先輩魔犬たちの嫉妬の視線が突き刺さる中、ガロンは今日も今日とて、二人の熱すぎる愛の重さに耐えながら、必死に友たちを統率するのだった。