第四十三話 突進婚約者コンビと、とある魔犬のさらなる受難
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年との出会いを境に魔犬たちは町へ降り、人々との暮らしを紡ぎ始める。
そして、モルガナの弟子となった第三王女エレアノーリエを、領主として迎えたベイスの町は、人と魔犬が共に笑い合う魔法都市へと変貌していった――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ベイス=アルカ魔法学校の廊下は、いつだって生徒たちの活気と、微かに漂う魔力の残滓で満ちていた。
だが、その平穏な学び舎の中で、一匹のオス魔犬――名はガロン。プラチナゴールドの美しい毛並みを誇る彼は、今、この世の終わりのような絶望的な顔をしていた。
「ねえガロン、ちょっと聞いてよ! 今日の魔法史の課題、私の方が絶対に上手くまとめられる自信があるのよ!」
「なにを言うアイリス! 私の書いた論理構成の方が、教師のウケが良いに決まっているぞ!」
並んで歩くアイリスとユリウス。その二人の間に挟まれているガロンは、両側の人間からくっつかれて離れられなくなっていた。
――いや、正確に言えば、彼らが自ら離れないのではない。二人と一匹という特異な「魂の回廊」で結ばれた三人である。日常のふとした魔力の揺らぎや、人間どちらかの感情が高ぶるたびに、磁石のようにガッチリくっついて離れられない現象が引き起こされるのだ。
「あのな、お前たち...! なんでこう毎回、俺の体を挟んで密着するんだ! いい加減に離れろ!」
「だって、ガロンが真ん中にいると落ち着くんだもの!」
「そうだぞ! ほら、アイリス、あまり引っ張るな、僕の制服が伸びてしまう!」
歩くにも、階段を昇るにも、授業を受ける机の席に至るまで、二人と一匹はベッタリとくっついたままだった。
しかし、思春期に差し掛かる年頃であるユリウスにとって、婚約者のアイリスと四六時中密着しているのは恥ずかしさとパニックの極みである。
「うおおおおっ、またくっついたぁっ!? なんできみはいつもこう...!」
ユリウスは耳まで真っ赤に茹でダコのように染め上げ、頭から湯気を立てて絶叫する。アイリスはそんなユリウスを面白がりつつも、ふっと柔らかく微笑んで彼の腕をさらにグイと引き寄せた。
ガロンはといえば、ユリウスに盾として位置を変えられ、両側から挟み撃ちにされる苦痛に耐えかね、通路の真ん中で「もうダメだ...」と白目を剥くのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
しかし、トラブルは「くっつく現象」だけでは終わらなかった。
二人の人間から日々注がれる熱すぎる愛情、そして有り余る魔力の供給過多が、ガロンの体に思わぬ異変をもたらしたのである。
それは、魔導理論の授業中だった。
「――よって、無詠唱における魔力の収束率は、黄金比率を保ちつつ...って、おい、ガロン?」
教壇で講義をしていた教師が、ふと視線を止めて言葉を詰まらせた。
教室の隅、アイリスとユリウスの足元にいたはずのガロンの体が、突如として激しいプラチナゴールドの光を放ち始めたのだ。
「ん...? なんか、体が...熱い...?」
ガロン自身が困惑の声を漏らした瞬間、彼の体はまるでポンプに空気を送り込まれたかのように、爆発的にモフモフと膨れ上がっていった。
もともと立派だった体躯が、みるみるうちに通常の魔犬の数倍、いや、神話に登場するような巨大な「神獣サイズ」へと変貌していく。
「な、なんだこれ...っ!? 狭い、体が天井に――」
ガロンが叫び終えるよりも早く、その巨大化したモフモフの頭部は教室の天井を豪快に突き破り、ギギギッと木片と石灰を飛び散らせながら、学校の青空へと頭を覗かせる大惨事に発展した。
「「うわあああっ!?」」
教室中が悲鳴とパニックに包まれる。教師は腰を抜かし、周囲の生徒たちは机の下へと慌てて潜り込んだ。
だがしかし。
そんな大パニックの真ん中で、当のアイリスとユリウスの反応は全く違っていた。
「わあ...っ! ガロンがすごくと大きくなったわ!」
「す、すごいぞ! まるでおとぎ話の神獣のようだ...!」
恐怖するどころか、二人の瞳をキラキラと輝かせる。そして、なんと彼らは「ガロン、もっと大きくおなり!」と面白がり、巨大化したガロンのモフモフの毛並みをスルスルと見事な手並みでよじ登り始めたのだ。
「おいっ! 何をやっているんだお前たち! 降りろ、重――いや、重くはないが、こそばゆいからやめろ――っ!」
天井の穴から頭を突き出した巨大ガロンが、情けない声を上げて身悶えする。しかし、アイリスとユリウスはその巨大な頭の上まで登りきると、まるで征服者のように並んで立ち、ポケットから取り出したハンカチを旗のようにヒラヒラと振って大はしゃぎした。
「やったわ! 私たちのガロンが一番大きいわよ!」
「見ろ! 王子の私が率いる最強の魔獣だ!」
頭の上で無邪気に跳ね回る二人の重みと好奇心に耐えかね、ガロンは天井の穴からポロポロと涙をこぼしながら絶叫した。
「頼むから俺を下ろしてくれ...! お前たちの魔力と好奇心で、俺の腰が抜けちまう...っ!」
――――――――――――――――――――――――――――――
そんな賑やかすぎるそして周囲をいつも巻き込むドタバタの日々を過ごしながらも、時が経ち、アイリスとユリウスは魔法学校の三年生へと進級していた。
成長した二人は、いつしか魔法学校の中で常にトップを争うライバル同士として名を馳せていた。
朝から晩まで「どちらが今日の小テストで首席をとるか」で火花を散らし、校庭のあちこちで派手に魔法を激突させるのが日課になっていた。
「今日の総合実技、私の炎魔法のコントロールの方が正確だったわ!」
「なにを言う! 私の展開した障壁魔法の密度こそ完璧だったはずだ!」
今日も今日とて、校庭の真ん中で言い合いを始める二人。その足元で、いつもその衝突の巻き添えを食らっているガロンは、前足で顔を覆い、盛大な深々とため息をついていた。
「いい加減にしろ...お前たちのせいで、俺の毛並みが焦げただろうが...」
「「うるさい、ガロンは黙ってて!」」
「ひどいぞ!」
そして、運命の日は訪れた。
卒業と主席決定をかけた、実技試験の最中。負けず嫌いなアイリスとユリウスの魔力が限界を超えて激突し、互いのプライドがぶつかり合った瞬間――。
――ドゴォォォォンッ!!
学校の広大な演習場の半分を跡形もなく吹き飛ばす、かつてない規模の大爆発が巻き起こった。砂煙が晴れた後には、見事に焼け野原となったクレーターと、ススまみれになってピクリとも動かない二人の姿があった。
そのすさまじい爆発音と圧倒的な魔力の奔流は、遠く霊峰ヴァルグヴェルドの山頂まで届いていた。
――いや、それを面白そうに遠視で覗き見ている人物がいた。
大魔女モルガナである。彼女はフッと笑みを浮かべると、小さな手を一振りした。
「有り余る魔力を持て余しているようね。...二人まとめて山へいらっしゃい」
モルガナのクスクスと笑う声が風に乗る。
「その暴走気味の『魂の回廊』の仕組みも、徹底的に直してあげる。せいぜい覚悟なさいな、主席合格者のお二人...?」
その言葉が終わるが早いか、空を切り裂くような転移陣が光り輝き、気絶していたアイリスとユリウス、そして巻き添えを食らったガロンの姿は、一瞬にして姿を消したのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
気がつくと、アイリスとユリウスが転がっていたのは、霊峰ヴァルグヴェルドの奥深くにある大魔女モルガナの薄暗い館の一室だった。
「いったた...ここはどこかしら...?」
「うう、頭が割れるように痛い...」
フラフラと起き上がった二人の前に、腕を組んだモルガナが冷ややかな、しかしどこか楽しげな視線を向けて立っていた。
「お目覚めかしら、主席さんたち」
「「モルガナさま...!?」」
青ざめる二人に向かって、モルガナはピシャリと言い放つ。
「学校を吹き飛ばして、ガロンに迷惑をかけるなんていい度胸じゃない。あなたたちのその有り余る魔力と、暴走しがちな性根を、今日からみっちり私の特製メニューでしごき直してあげる。学校は二人とも主席で卒業させてあげるわ...覚悟しなさい」
そこからの日々は、まさに地獄絵図ならぬ「超スパルタ修行」の連続だった。
朝から晩までモルガナの理不尽な魔法陣の構築を課され、少しでも喧嘩をしようものなら、二人の体は強制的に縛り付けられるか、逆さまに天井から吊るされる。
だが、そのおかげで、いつも二人の暴走に巻き込まれて神経をすり減らしていたガロンにとっては、思わぬ副産物があった。
「ふぁあ...よく眠れた...」
モルガナが厳しく二人を監視しているおかげで、アイリスもユリウスも修行に必死になり、ガロンの前後足を引っ張って「どちらの部屋で寝るか」で争う暇すらなかったのだ。
モルガナの館の隅っこで、ガロンはふかふかの絨毯の上に体を伸ばし、心からの安息を噛み締めていた。
(...ああ、素晴らしい。あの二人が魔女さまにしごかれて静かになっている今のうちに、僕は一生分の昼寝をさせてもらう...!)
苦労性の魔犬・ガロンは、遠くから聞こえてくるアイリスとユリウスの「モルガナ様、お許しくださいっ!」という悲鳴を子守唄がわりに、ようやく訪れた平和な眠りに落ちていくのだった。