第三十六話 新任魔犬調停官と、子犬の大事件
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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「魔犬調停官」レオンの子供ーーオルタとカノンが15才の成人を迎えてから、見習いとして魔犬役場で働き始めて5年の歳月が流れていた。
かつては人見知りが激しく本の陰に隠れていたオルタは、膨大な行政知識と冷静な洞察力を備えた知的で聡明な青年に成長していた。一方のいささか突撃癖のあったカノンは、その底抜けに明るいエネルギーをポジティブな行動力へと昇華させ、誰からも愛される快活な女性官僚となっていた。
そして、二人の友犬であるスミレとタンポポもまた、それぞれ友の背中をしっかりと支える、頼もしく美しい成犬へと成長を遂げていた。
「よくぞここまで成長してくれました。これより二人に、正式な『魔犬調停官』の地位を授けます」
コードリアの領主館、その厳かな大広間にて。領主エレアノーリエから直接、重みのある調停官の証が手渡された。式典の空気を緊張感と誇らしさで満たしながら、オルタとカノンは胸を張ってその辞令を受け取る。
「っはぁー、緊張した...」
式の後、魔犬役場の執務室にて、双子の兄オルタは深いためいきを吐いていた。
「ぷっくく、オルタの緊張した顔、面白かったよ!...それにしても、なんで授与の順番はオルタが先なの?小さい頃は『カノンちゃん~』って私の後を着いてきてたのに!」
「それは今関係ないだろ!僕が兄だからだよ!」
オルタは赤面しながら、カノンの軽口をいさめる。そんな双子のやりとりを、友犬の二匹はやれやれと眺めているのだった。
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だが、感動の余韻に浸る間もなく、最初の初仕事が彼らを待ち構えていた。それは、人間たちの町へ正式に降りて暮らすことを希望する、若い子魔犬たちの適性面接である。
「さあ、元気にいこう!」
面接会場として用意された中庭に、カノンの明るい声が響き渡る。
「ええっと、皆二列になってーーギルドとか魔法学校に興味がある子は僕の方に、それ以外の冒険者や町の人とかに興味がある子はカノンの方にならんでね!」
事前に決められた分担通りに子犬を整列させ、一匹一匹の特技、個性、要望をまとめ面接をしていく。スミレとタンポポは列の整頓に勤め、滞りなく進んでいくかと思われたがーー
「オイラのほうがお前より強い牙を持っているから、いい冒険者の友達になれるんだからなっ!」
「なんだと?!僕だって君より魔法が得意だから、その冒険者とやらより強い魔法使いと友達になるんだ!!」
それぞれの列に並んでいた子犬二匹が、暇をもて余した会話から、言い争いに発展してしまっていた。
誇示し合ううちに言い争いは激化し、ついに本気の戦闘になり、止めに入ったオルタとカノン、スミレとタンポポは、暴れ回る子犬たちの仲裁に汗水たらして追いかけ回されるはめになる。
その大混乱の隙を突いて、一匹の子犬がスルスルと包囲網を抜け出した。
黒、茶、白の鮮やかなトライカラーの毛皮を持ったその子犬は、興味津々に周囲の景色に目を輝かせると、そのまま役場の敷地を飛び出して町へと駆けていってしまったのである。
喧嘩の仲裁がようやく収まったとき、子犬の一匹から、「ねぇ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。さっきねぇ、一匹お外へ行っちゃったよ?」と衝撃の事実が二人と二匹の耳に入ってきた。
「なんですって?!...タンポポ、追うわよ!匂いで追跡して!」
「わふんっ!」
カノンは瞬時に身体強化の魔法を発動させ、相棒のタンポポを従えて弾丸のようにその後を追った。
「ま、待って、カノン!僕も行くよ...!」
オルタも慌てて後を追おうとしたが、もともと運動が得意ではない彼を見かねて、賢い友犬スミレがそっと背中を差し出した。
「オルタ、僕の背中に乗りなよ」
「ありがとう、スミレ...!それじゃあ、『軽量化(ライト・ウエイト)』!」
自分自身に軽量化の魔法をかけたオルタは、スミレのしなやかな背中に飛び乗り、風を切り裂く勢いで逃げ出したトライカラーの子犬の背中を必死に追いかけたのだった。
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ものめずらしい町並みに飛び出したトライカラーの子犬は、最初に商犬ギルドが経営する「魔犬喫茶」へと潜り込んだ。
人間たちに可愛がらせる代わりに極上の干し肉やクッキーをもらえるこの楽園で、子犬はちゃっかりと愛嬌を振りまき、人間たちから存分に頭をなでてもらった。皿に残ったミルクをきれいに舐め取ると、子犬は尻尾をパタパタさせながら人間の客に話しかけた。
「ねぇねぇ、ここ以外に、なんか面白いところってなぁい?」
「うん?山から降りて来たてなのかい?それなら、あそこの『職人通り』に行くといいよ。いろんな職人さんや、働くお兄ちゃん犬たちがいて活気があるからね」
その言葉を聞いた瞬間、子犬の好奇心は最高潮に達した。すぐに喫茶店を飛び出し、職犬ギルドが立ち並ぶ職人通りへと向かった。
「おぉーーい!コイン!コインはー?!」
慌ててバイト代を渡そうと出てきた、店長の魔犬が大声で呼び止めるが、子犬は弾けたポップコーンのように道を曲がって行ってしまった後だった。
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職人通りに足を踏み入れた子犬は、金槌の音や、魔法の炎が燃え盛る工房の活気ある光景に目を丸くした。
目を輝かせて歩いていると、その一角で、屈強な大型魔犬が鍛冶の仕事の合間に一息ついている場面に出くわした。その魔犬は、頭がシャキッと冴え渡る魔犬特有の嗜好品――ハーブの一種である「アニス」を気持ちよさそうに噛んで楽しんでいた。
「おじちゃん、それなぁに?」
首をかしげて子犬が尋ねると、大型魔犬はフッと豪快に笑ってみせた。
「おぅ、チビすけ。初めて見る顔だな。これはな、俺たち魔犬にとっての酒みたいなもんさ。『アニス』って言って、近くの農犬ギルドの畑で栽培されてるんだ。...まあ、お前みたいな子供には刺激が強すぎるから、絶対に行っちゃいけねぇぞ」
だが、好奇心旺盛な子犬にとって、「行ってはいけない」という言葉は「今すぐ行け」という合図に等しかった。忠告をすっかり聞き流した子犬は、目をきらきらとさせながら、農犬ギルドが管理するアニス畑へと一直線に走り出した。
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農犬ギルドが管理する「アニス」の畑に到着した子犬は、まず一面に広がる圧倒的な緑の光景に息を呑んだ。しかし、近づくにつれて鼻腔を突いてきたのは、あまりにも刺激的で芳醇すぎる香りだった。
「くんくん...うわぁ、いい匂い...なんだか、頭がクラクラしてきたぞ...?」
強力なアニスの香気にあてられ、子犬はあっという間に酔っぱらいのようになってしまった。足元はフラフラになり、理性はどこかへ吹き飛んで、テンションは最高潮。
「キャウ、キャォオーン!もっといっぱい面白いものを探すんらぁ~!」
完全にハイになった子犬は、まるで暴走馬車のように町中へ向けて突進していった。
その頃、町中では「町魔犬郵便」の配達魔犬が、大切なお使いの真っ最中だった。
小包をしっかりと抱えて角を曲がった瞬間、勢いよく飛び出してきた子犬と激突。
「わぷっ!?」
「うきゃーーっ!」
盛大に衝突した衝撃で、配達魔犬が持っていた小包の包み紙が破れ、中身が派手に道路へ散らばった。それは、焼き立てでホカホカだった「びっくりパン」だった。無惨にも地面に転がり、砂まみれになって到底食べられない状態になってしまった。
「あ、あわわ...僕の、配達の小包が...っ! これじゃあお仕事が台無しだよぉ...!」
配達魔犬はその場に座り込み、大粒の涙をぽろぽろと零して大泣きし始めた。一方の酔っぱらった子犬は、へらへらと笑いながら「あはは、なんかぶつかったかもぉ~」と、そのまままたどこかへ走り去ってしまう。
そこへ、ようやく息を切らせたオルタとカノン、そしてスミレとタンポポが追いついた。
「待ちなさい――って、ああっ! 荷物が大変なことに...!」
カノンが絶句する中、オルタは慌てて大泣きしている配達魔犬の元に駆け寄った。
「大丈夫だよ、落ち着いて。君は悪くないからね」
そう言うと、オルタはそっと両手を伸ばし、魔犬たちの間で秘技と噂される「究極のナデナデ」を繰り出した。耳の付け根から首筋にかけて、魔犬がとろけるような絶妙なリズムと力加減で優しく撫で続ける。
「ふにゃ...あ、...落ち着いてきたよ...お兄ちゃんありがとう...」
配達魔犬の涙が段々と止まり、うっとりとした表情に変わる。
「よし、壊してしまったびっくりパンの補填は僕たちが責任を持って行うよ。一緒に配達先のお客さんのところへ謝りに行こう。そのあとで魔犬役場に正式な報告書と手続きをしに行くから、カノン!」
「任せて! タンポポ、あの子の足取りは私が絶対に逃さないわよ!」
カノンは再びタンポポを従え、酔っぱらい子犬の逃げた方向へと猛スピードで追跡を再開したのだった。
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町を駆け抜けた子犬が迷い込んだのは、ベイス=アルカ魔法学校の実験室棟だった。
窓の隙間からこっそり忍び込んだ子犬の鼻先を捉えたのは、甘くてたまらない極上の香りだった。引き寄せられるように辿り着いた先には、大きなボウルに入ったふかふかの生クリーム。
あまりの美味しそうな見た目に我慢できなくなった子犬は、「ちょっとだけなら...」と前足の先につけて、ペロリとなめてしまった。
「んまーーいっ!」
初めて口にする、刺激的なまでの甘さに、子犬は夢中になってクリームをなめ始めた。
ペロペロと甘味を堪能した直後、子犬の体が激しい光に包まれた。
「んへぇ?!...な、なに?!」
「ぼわんっ!」という派手な音とともに、子犬のふさふさした体はみるみるうちに、ピンと立った耳としなやかな尻尾を持つ「一匹の三毛猫」へと変化してしまったのだ。
「にゃ...にゃにゃっ?! 僕が猫ににゃっちゃったぁーーっ!?」
自分の姿を見て、子犬は完全に酔いも冷めて青ざめた。人間や他の魔犬たちに見つかったら大騒動になる。恐怖と後悔に駆られた子犬は、すっかりしょんぼりしながら、唯一の頼みの綱である「魔犬役場」へと戻ろうとひた走った。
魔犬役場が内包されている領主館の敷地までたどり着いたものの、子犬はそこでピタリと足を止めた。
勝手に脱走して、町中で大騒動を起こしてしまった後ろめたさから、これ以上足が進まない。館の扉の前で、情けない姿のまま「にゃー、にゃー」と涙目でうろうろと鳴き続けるしかなかった。
その悲しげな鳴き声に執務室から気付いて通りかかったのは、領主エレアノーリエだった。
「あら?珍しいわね、こんなところに猫ちゃんが...って、待ちなさい。これは変化魔法の気配...?」
エレアノーリエは鋭い洞察力でそれがただの猫ではないことを見抜き、精密な魔法妨害の応用技術を瞬時に発動させた。手のひらから放たれた淡い光の粒子が猫の体を包み込むと、解呪の波紋が広がり、ぼわんと再び光が弾けた。
「わふっ!」
元のトライカラーの子犬の姿に戻った瞬間、緊張の糸が切れたのか、子犬は「怖かったよぉ...!」とばかりにワンワンと泣き叫び始めた。エレアノーリエは優しくその体をしっかりと抱きかかえ、落ち着くまでその頭を優しく撫でてやった。
「よしよし、もう大丈夫よ。よく頑張って戻ってきたわね」
そこへ、息を切らせたカノンとタンポポが飛び込んできた。
「あっ、いた! 確保したわよ...って、叔母さま、じゃなかった...エレアノーリエ様!?」
カノンが目を丸くする中、ちょうどそのタイミングで、オルタとスミレも補填手続きの書類を抱えながら魔犬役場に到着した。カノンがエレアノーリエの腕から子犬を無事に回収しているのを確認し、オルタは胸を撫で下ろして深く息をついたのだ。
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夕暮れ時の魔犬役場。一連の大騒動が一段落したあと、新任の調停官となったオルタとカノンは、先輩であり、父のレオンの前に直立不動で立たされていた。
「二人とも、初任務から盛大にやらかしてくれたな!」
レオンの呆れ交じりの叱責が飛ぶ。しかし、レオンはすぐに表情を和らげ、言葉を続けた。
「だが、オルタが町魔犬郵便の被害に対して迅速かつ的確な補填とケアの対応をしたこと、そしてカノンが迷わず素早い判断で追跡をやり遂げたことは見事だった。そこは褒めてやる」
ホッと胸をなで下ろすオルタとカノンだったが、その背後で控えていたスミレとタンポポの表情は青ざめていた。
白銀の毛並みを揺らしながら指導役のクゥが恐ろしいほどの威圧感をまとって歩み寄ってきたからだ。
「お前たち! 子犬の一匹すら未然に抑え込めず、気配察知の練度が甘すぎるにもほどがある!」
「ひっ...!」
「今回の失態、魔犬としての誇りに泥を塗る大罪だ。二度目はないと思いなさい!」
クゥはさらに、脱走した本犬の子犬の方を向いて、威圧感をそのままに叱責を続けた。
「魔犬役場の手続きなく、飛び出していくなど言語道断です!町に降りられる許可は、どんなに努力してもあと半年は遅らせてもらいます!死ぬ気で反省しなさい!」
クゥの容赦ない猛烈な雷が落ち、スミレとタンポポ、そしてトライカラーの子犬はは耳をペチャンと畳んでシュンと縮こまるしかなかった。
さらに、この一連の騒動の一端となった人物――「猫になる生クリーム」をあろうことか魔法学校の実験室に放置していた教員ルチアは、事態を重く見たエレアノーリエに執務室へと厳重に呼び出されていた。
現場からこっそり逃げ出そうとしたところを、主任教授のミナによって首根っこをガッチリと掴まれ、エレアノーリエの目の前へと引きずり出されていた。
「ルチア、あなたという人は...! 危険な変化魔法薬を学校の実験室に無造作に放置するなど、管理が甘すぎるにもほどがあります!」
エレアノーリエの冷徹で厳しい怒りの声が室内に響き渡る。ミナ主任教授も腕を組み、冷ややかな視線を浴びせかけている。
しかし、当のルチアはスカートの裾をいじりながら、ぷいと顔をそむけてボソッと呟いた。
「だって...ニャンニャン鳴く魔犬ちゃんたちの姿も、一度くらい間近で見てみたかったんだもん...」
そのふてくされた言い訳を聞いた瞬間、エレアノーリエの頭の中で何かがプツリと切れた。
「――今、何とおっしゃいました?」
「ひっ...!」
その日から、魔法学校の歴史において語り継がれる伝説が生まれた。
大の大人の天才魔女が、領主様と主任教授から魔物も逃げるほどの説教を延々と浴びせられ、あまりの恐怖と正論の嵐に文字通り涙目になって「もう二度と変な薬は作りません...」と平謝りする羽目になったのである。
こうして、新米調停官たちの波乱万丈すぎる初仕事の幕は、賑やかで少し痛い教訓とともに、温かな夜の帳(とばり)の中へと溶けていったのだった。