第三十五話 北の最前線と、新婚夫婦
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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北方コードリア辺境伯領、その騎士団の一隊長を若くして勤めるアイラ=コードリアはその日の訓練終わりに領主エレアノーリエより召還の命を受けて、領主館執務室へ向かっていた。
「失礼いたします!第二隊隊長、アイラ!ただいま参りました!」
「いやだわ、アイラちゃん。そんなに畏まらないで?義母(はは)と義娘(むすめ)じゃない」
「いえ、閣下。騎士団所属の私(わたくし)をお呼びでしたので、そのような訳には参りません!」
アイラは敬礼を解かずに、直立不動のまま動こうとしない。
「...急に呼び出したから拗ねちゃったのかしら?」
「ーーはぁ...お義母様(おかあさま)、私用で騎士団の命令系統を使うのはやめてくださいよ、あたしは毎回団長に冷やかされるんですから...」
アイラはようやく敬礼を解くと、普段通りの口調に戻り、エレアノーリエはそれに機嫌を良くした。そして、にっこり微笑みながら重大任務を言い渡す。
「あら、アイラちゃん。私用というわけでもないのよ?今回来てもらった用事はね...アスタの護衛依頼よ」
「護衛...どこかへ使者として向かうんですかい?特にそのような予定は聞いてないんですが...」
「そうでしょうとも。私(わたくし)が今朝思い付いた行き先ですもの!ズバリ、北の最前線を視察してきてもらうのよ!」
アイラは少しの間驚いた後、厳しい顔をして、エレアノーリエへ一歩詰めよった。
「...北の最前線ですかい。あそこは冒険者や我々騎士団の活動範囲――魔獣や魔物がウゾウゾいやがるところですよ?アスタになぜそのような危険な場所へ行かせるんですか」
その顔は、結婚したての夫を守る妻、そして未来の領主を守る騎士の顔だった。
「そんな怖い顔しないで?むしろこれは、二人へのちょっとした『贈り物』なんだから」
「贈り物...?」
「そう、あなたたち、結婚してから二人でどこかに出掛けるって無かったでしょう?貴女は騎士団の仕事、アスタは領地と魔法の勉強。新婚旅行にも行ってなかったわね」
「ーーそこで、今回の視察よ。アスタに最前線を見てきてもらいたいのも本当だけど、あなたたちにちょっとした旅行ぐらいしてきてほしいのよ」
あんぐりと口を開けて呆れるアイラをよそに、エレアノーリエは「私とノラン様の新婚旅行も冒険旅だったわ~」などと朗らかに笑っている
そして、手元にあった護衛依頼の命令書にポンッと領主印を押すと、アイラに手渡した。アイラは受け取った命令書を一瞥すると、エレアノーリエに向き直った。
「お義母様(おかあさま)、この命令書ではうちの団長は認めないと思いますが...?さすがに次期領主の護衛が隊長一人というのはーー」
「そこは、『コレ』で解決済みよ」
エレアノーリエは、異国の言葉が書かれた箱をフリフリと振って見せた。
「原産国から直輸入の『アニス』ですか...?...まさか!団長の友犬への賄賂で買収したのですか?!」
「買収じゃないわこれも『贈り物』よ~?そしたら何故かその命令書の内容にも何の文句もなかったわ」
「...お義母様(おかあさま)」
そう、騎士団長の友犬は魔犬が夢心地を味わうことができる『魔犬の酒』アニスの、原産国栽培のものが一等お気に入りなのだ。ベイスの町、農犬ギルドが栽培したものであれば魔犬たちは容易に手に入るが、原産国のものとなるとエレアノーリエの伝手がなければ入手困難。それを餌に騎士団長の許可を得ていたのだった。
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「アイラ。こんな北の最前線への調査に付き合わせちゃってごめんよ。母上も急に命令書なんて出すんだから」
後日、寝室で翌日からの旅支度をしながら、アスタはアイラに向かって心底申し訳なさそうな顔をした。
「あぁいや、そんなことはないさ。お、お義母様(おかあさま)にもお考えがあるんだろう...」
アイラはやや口ごもりながら返す。エレアノーリエからは「アスタには旅行のつもり、というのは内緒よ?あの子、緊張しすぎて使い物にならなくなっちゃうもの」と言い含められているのだ。
「あたしは先に寝ているよ。明日は早いからな」
「うん、おやすみ。アイラ」
アイラはそそくさとベッドに入り、少しはやる気持ちを押さえながら眠りにつくのだった。
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翌早朝、アスタとアイラ、友犬の魔犬二匹からなるパーティは、公的な「領主の調査と騎士の警護」という名目でベイスの町の門をくぐり抜けた。
彼らが目指したのは、グランセリア王国北方の最果て、霊峰ヴァルグヴェルトのさらに奥に連なる険しい山脈地帯であった。
そこは冒険者や正規の騎士たちが命がけで挑む北の最前線であり、魔物が吹き出す「地下迷宮」の口が地脈の底で不気味に燻っている場所だ。
一歩足を踏み入れれば、空気の密度が変わり、肌を刺すような冷気と澱んだ瘴気が肌をピリピリと震わせる。そんな中を突き進み、アスタたちは普段は人の立ち入りが規制されている、「最前線」のさらに奧まで入り込んでいた。
険しい岩肌を登りながら、その類いまれなる感知能力から斥候を買ってでた、アイラの友犬「ギン」が鼻をひくつかせ、目を細める。
「...気をつけて。この先の谷間、空気が濁っているぞ」
ギンの言葉に、後ろに続くアイラたちは険しい表情で周囲を見回す。
「ああ。通常の野生の気配とは違うな。...何かが這い回っているような、嫌なざわめきを感じる」
その時、ギンが、ピタリと四肢を止めた。ギンは低く唸り声を上げると、前脚で地面を鋭く踏み鳴らし、周囲の空間へ瞬時に強固な結界魔法を展開してパーティの全方を覆う。
「――前方の岩陰と地下の裂け目か
ら、複数の反応!『魔獣』が『魔物』に追われているみたいだ」
ギンの警告を受け、仲間たちは戦闘準備をして構える。
――魔獣とは、魔法を使う野生動物のことである。人間に危害を加えることはあるが、あくまで彼らは自然界の生態系に組み込まれており、野生動物としての生存本能や明確な生態を持っている。
――一方で魔物とは、 迷宮と呼ばれる地表や海底の裂け目から溢れだす、この世界の法則から外れた「異形のモンスター」である。ただひたすらに瘴気や毒を撒き散らし、周囲のすべてを破壊し尽くすことだけを目的とした、言わば「悪意の塊」のようなおぞましい存在といわれる。
アイラは愛用の剣を抜き放ち、身体強化の魔導式を全身の筋肉へと一気に巡らせた。その美しい褐色の肌に微弱な魔力の光が走り、彼女の爆発的な機動力を生み出す。
戦闘の火蓋は、ギンが切って落とした。
「――来るぞ!」
ギンが放った強固な結界魔法が、押し寄せる魔獣の群れからの体当たりをガッチリと受け止める。激しい衝撃波が周囲の岩を砕くが、ギンの白銀の毛並みは微動だにせず、前衛の壁として完璧に機能した。
「流石だ、なっ!」
ギンの作り出したわずかな防衛の隙間を縫って、アイラが風のように飛び出した。彼女は転移魔法と身体強化・剣技を組み合わせ、襲いかかる魔獣の群れの中へと単騎で切り込んでいく。無駄のない一閃が、魔獣の硬い毛皮を紙細工のように両断し、圧倒的な突破力で敵の陣形を根本から切り崩していく。
「側面はこちらがもらおう」
中衛の位置から戦況を見守っていたアスタの友犬シオンが、戦場の斜め上へと回り込み、バチバチと音を立てる強烈な電撃魔法を放って、迂回しようとした魔獣たちの足をピタリと縛り上げた。
そして、戦場の全体を掌握していたのが、後衛の司令塔であるアスタだった。
「よし、『魔獣』の群れはアイラとギンで十分。...問題は、あの迷宮の裂け目から這い出そうとしている『魔物』の方だな」
アスタは両手を掲げ、その場で巨大な幾何学模様を描く構築術式を展開した。精緻に練り上げられた魔力が、彼の周囲の空間を歪め、凄まじい気圧の刃を編み出していく。
――無詠唱魔法「風刃の旋回陣(ウィンドゲイル)」
アスタが指先を振り下ろした瞬間、空間を切り裂くような高密度の風の束が、迷宮の裂け目から溢れ出ようとしていたおぞましい魔物たちの群れを正確に直撃した。瘴気ごと魔物の肉体を切り刻み、跡形もなく吹き飛ばす圧倒的な範囲攻撃。
魔獣の群れを物理で圧倒するアイラとギン、電撃で撹乱するシオン、そして広範囲の魔物を理論魔法で一掃するアスタ。
それぞれの得意分野と高度な魔法が噛み合った連携により、魔獣と魔物の混成集団はわずか数分で鎮圧されたのであった。
「うん、この程度であれば、騎士団や魔法学校上がりの冒険者たちで問題ないね」
「お前...あれほどの大魔法や、魔犬の結界が使えるやつなんて限られてるのを忘れてんじゃないかい?」
「あっ...あはっ、いやでも!数人で対処すればーーいや、そうだな。母上には規制の継続を進言しよう」
こうした視察を「最前線」拠点数ヶ所ごとに行い、道中魔獣や魔物に襲われたが危なげもなく全行程を終えることができた。
帰路にて、夕暮れの陽光が山肌を橙色に染める頃、小さな街道沿いにポツリと佇む、旅人向けの古い酒場が見えてきた。長旅の疲れと心地よい疲労感に包まれながら、アスラはふと足を止めてニヤリと笑った。
「ねえ、皆。ここまで頑張ったんだしさ、久しぶりに冒険者っぽく、ここでパーっとやっていかないか?」
「はっ、相変わらずだな、お前は。...まあ、任務は完璧に完了したし、私も少し喉が渇いていたところだ」
アイラが肩をすくめながらも楽しげに笑い、シオンとギンも「やれやれ」といった様子でそれぞれの尻尾を揺らした。
こうして二人と二匹は酒場の一番奥の木製のテーブル席に陣取った。
旅の無事を祝って頼んだエールや強い酒が運ばれてくると、アスタはその底知れない酒豪っぷりを発揮し始めた。母エレアノーリエ譲りの化け物じみた酒豪の血を引くアスタは、どれほど酒精の高い酒を煽っても顔色一つ変えず、ニコニコとした笑顔のまま次々と杯を空けていく。
対するアイラも、冒険者時代から筋金入りの酒飲みではあったが、さすがに夫であるアスタの底なしの胃袋と肝臓の強さには敵わず、十数杯を重ねたあたりから普段のキリッとした表情が少し緩み、頬をほんのりと赤らめ始めていた。
「...ふう。なんだかんだで、楽しかったな、アスタ」
すっかりいい気分になったアイラは、トロリとした潤んだ瞳でアスタを見つめ、小さく息をついた。その背中は普段の「騎士団隊長」としての威厳を少しだけ脱ぎ捨て、一人の女性としての柔らかい愛らしさを纏っている。
やがて、すっかり夜が更けた酒場の外へ出たときのこと。
新鮮な夜風を浴びて酔いが回ったのか、アイラはわずかに足元をふらつかせた。
「おっと...少し、飲み過ぎたかね...」
「おや、珍しいな、アイラがそんな風になるなんて」
自分よりも背が高く、がっしりとした体格の妻を振り返り、アスタは悪戯っぽく微笑むと、その場で両手を広げた。
「ほら、歩けないなら、こうすればいいだろ?」
「なっ、何を...」
アイラが言い返す隙を与えることもなく、アスタはこっそりと全開の身体強化魔法を自身の腕と足に発動させた。見た目の体格差を魔法で補い、アスタは自分よりも背の高い妻アイラをふわりと綺麗に「お姫様抱っこ」で軽々と抱え上げてしまったのだ。
「ちょっ、アスタ! お前、魔法でズルをしたな!? 降りるぞ、恥ずかしい!」
「いいじゃないか、夫の特権だろ? ほら、落とさないようにしっかり首に捕まっててよ、アイラ隊長!」
顔を真っ赤にしてジタバタと抗議するアイラと、それに負けじと得意満面の笑顔を浮かべるアスタ。
そんなラブラブすぎる新婚夫婦の足元、あるいは少し後ろをトボトボと歩いているのが、相棒であるシオンとギンの二匹の魔犬だった。
ギンは呆れたように大きなため息をつき、シオンは尻尾をダラリと下げながら、空を見上げて冷ややかな視線を二人に向ける。
北の最前線の厳しさ、魔物と魔獣の脅威を乗り越えた夜。
賑やかな笑い声と、愛しい相棒たちに囲まれながら、新婚夫婦の温かな足音は、静かなベイスの町へとゆっくりと続いていった。