第三十四話 魔法学校と、褐色の光(後編)
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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魔法学校での日々の膨大な学びと、コードリア領の冒険者ギルドを駆け巡る過酷な実戦。さらに、魔犬「ギン」と結ばれた魂の回廊から流れ込む魔力。それらに磨かれたアイラは、常人離れした速度で頭角を現していった。
気づけば三年が経ち、彼女は21歳。圧倒的な実力をひっさげた「首席卒業生」として、名誉学長であるモルガナの元で行われる、一年間の過酷な特別修行を受けに、山の館へ招待された。
スラッと美しく伸びた四肢は並の男性よりも高く、その恵まれた長身と、強い日差しに焼けたつやめく褐色の肌は、周囲の者たちから一際目を引く圧倒的な存在感を放っていた。
対するモルガナは、幼い見た目――雪のような肌をした10才の少女の姿。アイラはしゃがんでやらなければ視線が合わないような身長差であったが、モルガナから溢れる無尽蔵の魔力。そのたなびきがアイラを恐怖させていた。
(魔法使いとして強くなれるって聞いたから首席の授業とやらを受けたものの、なんだいこの化け物は!本当に人間なのかい?!)
アイラは腰に着けていた冒険者家業用のポーチに手をかけ、ナイフを密かに握りしめた。大魔女の一瞬の動きさえも逃さないよう、目を大きく見張る。
「ーーアイラ、といったかしら。ギンがお世話になっているようね」
鈴を転がすような、しかしその場を支配する圧を感じさせるモルガナの声が、広間に響いた。その声を聞いたアイラは指先を僅かに震わせながら呼吸も上手くできずにいた。
それを不思議がりながら、白銀の毛皮をした若魔犬「ギン」は元気よくモルガナの足元へ駆けて行く。
「魔女さま、お久しぶり!俺、アイラと楽しく狩りをしてたんだよ!俺も冒険者さっ!」
モルガナは足元をくるくる回るギンを撫でてやりながら、アイラの様子にくすりと笑った。
「貴女は魔法の勘が鋭いようね。戦いの勘かしら。素晴らしいことだわ。でも、今は神経を解きなさい。私は貴女の敵ではないわ」
「敵ではない」という言葉に、アイラははっと正常な意識を取り戻した。そして、首席に贈られる「一年間の特別修行」がどれほど得難いものになるか自覚し、モルガナと揃いの琥珀色をした瞳を爛々と輝かせた。
「モルガナ様。謹んで、お願い申し上げます」
アイラは珍しく畏まった口調でそう告げると、床に膝をつき騎士の最敬礼をモルガナに捧げた。
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大魔女の修行、それに挑むのはアイラだけではなかった。そこには、この時18歳に成長していた領主の息子・アスタの姿もあった。
12歳で学校を卒業して以来、領地経営のための教育の傍ら、モルガナに教えを乞うていたアスタは、弟子入りの順では、アスタがアイラを「妹弟子」として迎え入れる形となる。
しかし、実際に顔を合わせてみれば、自分よりも遥かに高い身長や、冒険者としての豊富な場数を踏んできたその野性的な佇まいは、アスタに圧倒的なインパクトを与えた。
「よろしくな、アスタ少年。魔法でない手合わせなら私が教えられることもあるだろう」
「あ、はい...よろしくお願いします、アイラさん...!」
いつしかアスタは、彼女を「妹弟子」どころか、初めて出来た頼もしい「姉貴分」として深く慕うようになっていった。修行の合間、アスタがアイラの冒険者としての活動にも自らついていくようになるのは、そう時間はかからなかった。
二人は互いの背中を預け合い、寝食を忘れて切磋琢磨し合った。
そして、モルガナの元での過酷な一年間が終わりを迎える頃には、アイラはアスタに肩を並べるほどの、正真正銘の「天才魔法使い」へと進化を遂げていたのだった。
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モルガナの館での修行をすべて終えた日、アイラは一つの重大な決意を胸に、アスタの前に立った。
「アスタ。今までありがとうな。...あたしは、ここでの修行を終えたら、本来の目的だった『南の騎士団』に戻って、そこに入団するつもりだ」
それは、彼女がずっと追い求めていた夢の続きだった。しかし、その言葉を聞いた瞬間、アスタの表情が激しく歪んだ。
「待ってくれ、アイラ...!」
引き止めようと伸ばされたアスタの手は微かに震えていた。あふれ出る感情をもう抑えきれなくなったのか、彼はそのまままっすぐにアイラの目を見つめ、切実な想いを吐き出した。
「す、好きだ、アイラ!...この一年間、君のひたむきで剛毅な姿を見てきた。将来、僕が領主として立つときその隣にいるのはアイラのような人が良いと思ったんだ...だから、そ、その...け、結婚を見据えてーー」
「待て!...待ってくれアスタ!」
ずっと「可愛い弟」としてしか見ていなかったアスタからの、あまりに不器用で、しかし嘘偽りのない真剣な愛の告白。不意打ちを食らったアイラは、驚愕に琥珀色の目を丸くした。
「急に何を...私は南に帰らねばならんし、そもそも、お前とそのような仲になるなど考えたこともーー」
「それでも! 例えこの愛には答えてもらえなくても! 僕はまだ、貴女と魔法の探求が、冒険がしたいんだ...っ!」
その言葉は、アイラの胸を激しく撃ち抜いた。涙をこぼしながら必死にすがるアスタの真剣な眼差しに触れ、彼女の中で何かが音を立てて崩れていった。
胸の奥が締め付けられるような感覚に、アイラは大きく息を呑む。
――この少年の涙を見たとき、もう自分は、あの懐かしい南の海原だけを見つめて生きることはできないと、彼女の心はすでに悟っていた。
南の騎士団への道を曲げ、アイラはベイスの町にその身を留めることを静かに決意するのだった。
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魔法学校の支援制度における卒業条件には、「国や領の公的職に就くこと」が厳格に定められていた。その条件に従い、アイラはコードリアの騎士団へと正式に入団する。
コードリア領の厳冬が過ぎ去り、穏やかな春の光が差し込む大広間。コードリア辺境女伯たるエレアノーリエが待つその場所で、アイラの叙任式が執り行われようとしていた。
多くの騎士や領民たちが見守る中、アイラは背筋をピンと伸ばして進み出た。
強い日差しに焼けた美しい褐色の肌を揺らし、彼女はエレアノーリエの前で床にひざまずく。
「ーーアイラ。主君であるコードリア辺境女伯様に忠義を尽くし、この身を捧げ、弱きを助け、領地の平和を守ることをここに誓います」
その声は、広間の隅々にまで響き渡るほど力強く、微塵の迷いもなかった。
誓いの言葉を聞き届けたエレアノーリエは、厳かな表情のままゆっくりと腰の剣を抜いた。
そして、ひざまずくアイラの右肩、そして左肩へと、抜いた剣の平らな部分をポン、ポンと優しく、しかし確かな重みをもって当てていく。
冷たい鉄の感触が、アイラの背筋にピリリと心地よい緊張感を走らせた。この伝統的な儀礼をもって、彼女は晴れて「コードリアの騎士」として正式に認められたのである。
日々の厳しい職務に励む中で、アイラは領主を継ぐ者として住民のために泥臭く奮闘し、一人で重圧と戦い続けるアスタの本当の姿を、誰よりも間近で目撃するようになった。
スマートに振る舞おうとしながらも、裏では住民のために奔走し、ボロボロになりながらも笑顔を絶やさないアスタの優しさと苦悩。その背中を見守るうち、アイラの胸にはいつしか「この男の傍に立ちたい、支えたい」という強い願いが芽生えていた。
季節が巡り、ある穏やかな夕暮れの風が吹き抜ける中、アイラはついに自らの想いにケリをつける決心をした。
訓練終わりの静かな庭園で、足を止めたアスタに向かって、アイラは真っ直ぐに歩み寄る。その頬は少しだけ赤らんでいたが、その瞳はどこまでも力強かった。
「あー、何年前だったか。お前の思いがあのときから変わっていないのであればそれに答えたくなった...」
「え...?」とアスタが息を呑んで目をパチクリさせる。その隙を与えず、アイラはさらに踏み込み、ハッキリと言い放った。
「いや、はっきり言おう。結婚してくれ、アスタ=コードリア。領主としてのお前を支え共にあると誓う。そして、たまには一緒に冒険にでも出掛けよう」
それはあまりにも直球で、しかし彼女らしい愛情の詰まった言葉だった。
その告白の意味を脳が理解するまで、アスタは完全に言葉を失い、ポカンと口を開けたまま呆然と立ち尽くした。だが、一拍遅れてそれが現実だと気づいた瞬間、あふれ出る感情をもう堰き止めることはできなかった。
「あ、ああ...っ!」
アスタはこらえきれずに出た涙をそのままに、アイラの胸へと勢いよく飛び込み、その温かい体にぎゅっとしがみついた。
「お前は、私の前では泣いてばかりではないか」
アイラは呆れつつも、愛おしげにアスタを抱きしめ頭を撫でてやるのだった。
以降、ベイスの町を優しく導く未来の領主夫婦としての歩みを、二人は確かな絆でしっかりと踏みしめていくのだった。