第19話 人生を懸けても
江川商店に向かう道すがらとっくに網膜に焼き付いた景色を改めて見回すとやはりと言うか雰囲気が違う。人気が少なく、偶に誰かを見かけたかと思っても、元気だけが取り柄と言わんばかりの島民たちが蜃気楼に悪戯されているかのように、会話もろくにかわさずにすれ違っている。
「まるで都会みたいね」
「あっはっは。斗鬼和島もついにシティー化に一歩前進したか」
紅魅も同じことを思ったらしい。どこか殺伐とした空気をほぐそうとでもしたのか、くすりと笑って会話を始めた。
「でも無理もないわ、隣に住んでいる人が実は殺人犯かもしれない。普段テレビや本でしか見ることのなかったこと、対岸の火事どころか別次元の火事が今やこの島全体を襲っているんだもの」
違った、むしろもっと殺伐としそうな内容だ。
「それにしたってちょっとやりすぎだと思うけどな。井戸端会議くらいいつも通りにすればいいものを」
「それはそうだけど、殺人犯と笑顔で与太話なんて出来ないし、したくないのよ。
都会人は、顔も知らない隣人が殺人犯だとしたら驚くでしょうし、恐怖心も覚えるでしょう。でもきっとそれでお終い。
一方のこの島ではだいたいが知り合い。普段からくだらない四方山話を積み重ねてきた誰かが凶悪な素顔を隠していたってのが分かったのよ。疑心暗鬼のレベルは比べ物にならないでしょうね」
「そう言うもんかね」
紅魅はちらりと僕の方を見ると性格の悪い笑みを浮かべた。
「あたしを信頼してくれる警戒心の薄い暁人には理解できない考え方かもね」
「ほざけ小娘」
「ふふふ。ま、そんなもの抜きにしても今のあたし達には話しかけ辛いと思うわよ。なにせ龍臣と懇ろな仲で、なおかつあたしに至ってはお爺ちゃんを殺されたばかりなんだから。案外、あたし達の視界の外ではいつも通りに根も葉もない噂話に興じているかもしれないわね」
こいつ、人が言い難かったことを......本当、どんなメンタルしてやがるんだか。
「近しい人が亡くなる。もしかしたら死神か何かと思われているかもしれないわね」
「......はっ、そんな死神との会話を江川さんはよくもまぁ許可してくれたもんだな」
「あたしと江川さんは仲良しだからね」
「仲良し?」
不純な気配が微かに漂った。だがそんなものは杞憂だと言わんばかりに紅魅はまた笑う。
「安心なさい、とても健全な関係だから」
「元々不安になってないから安心しろよ」
「あら、それは失敬」
そんな毒にも薬にもなりそうな話をしているとようやく江川商店にやってきた。普段は商品をじっと眺めるものや、誰かと話しているお母さま方がたむろしているのだが、今は閑古鳥が鳴いている。江川さんはそんな中で僕たちを見つけるや否や早々に手招きした。
「おお、待ってたぞ。まったく、ちょっと殺人事件が起きたくらいでどいつもこいつも情けない。こんな時だからこそ護身グッズくらい買いにくりゃいいのにだーれも来やしないから暇してたんだ」
「あら、警察の人は来てくれたんじゃないんですか?」
「欲しいのは客だよ。しかめっ面の男どもが来たところで営業妨害以外の何物でもない」
「残念ながらあたし達だって商品を買いに来たわけじゃないんですけど。知ってますよね」
「ああ、それはもちろん。だがまぁ、お前らも16歳、いい加減いい大人だ。碁羅さんに話を聞きに来たんだろ。それ相当の誠意ってもんが必要なんじゃないか?」
「......あらあら」
この親父は......まぁいい。
そして僕たちはジュースを一本ずつ手のひらに収めた。財布の中身はまだまだお子様極まりないのだから仕方ないだろう。
「それでお前ら、原田の奴の遺体はどうなった?」
「どうなったって、荼毘に付されましたよ」
「そうか......そいつは残念だ」
「残念って......」
そうか、公子だけでなく原田にも斗鬼和花を使えってのか。
「ケチな野郎だったが俺はあいつのことが嫌いじゃなかった。もうすぐ斗鬼和花の種も見つかりそうだし出来れば使ってやりたかったんだけどな」
「見つかりそうってどういうことですか?」
「なぁーに、今起きているのはとんでもない事件だが幸か不幸か斗鬼和花が大きく絡んでやがる。碁羅さんが斗鬼和花の伝説によればどこそこが怪しいですとでもいえば警察の馬鹿どもは国家から渡されたおもちゃを使っていそいそ調べてくれるだろうよ」
「公権力を私的に使っちゃダメですよ」
「うるせぇ、使えるもんは何でも使うのが俺たち流だ」
頭の上に手のひらを置かれたので丁寧に払っておいた。
「じゃあそろそろ僕たちは行きますね」
「ああそうか、今碁羅さん疲れてるから粗相するんじゃねーぞ」
碁羅さんの部屋に繋がる扉を開けると以前見たより明らかに机の上に積まれた書物の量が増えており、ホワイトボードに『斗鬼和姫の伝説における死の重要性』と赤ペンで目立つように書かれていた。
「碁羅さん、入りますよ」
返答がないことに首を傾げたがすぐに得心がいった。入った時は本の山で隠れていたがどうやらその裏で眠りに入っていたらしい。開きっぱなしのパソコンの前でスヤスヤと寝息を立てている。
「よっぽど疲れているのね」
「まぁ碁羅さんにとっては良くも悪くも自分の研究が火を噴くタイミングだろうからな。昨日も警察に色々説明やら解説やらしただろうし眠くもなるさ」
「彼女の一声で警察は動くかしらね」
「さぁな、だが警察の機動力はバカにならない。本当に有力な情報だったら桜の代紋を印籠代わりにどこでも調べるだろうよ」
手慰みに近くにあったチェーンロックの鎖を弄りながら安らかな寝顔に一瞬放っておくかと思ったが、すぐさま首を横に振る。碁羅さんには悪いが僕たちだって今は少しでも情報が欲しいのだ。心に小鬼を宿して声をかけるべく一歩近づくと彼女の手に隠れている何かのノートが見えた。
「夕斗?」
手の隙間から微かだが確かにそう読めた。筆圧が濃く、少し角ばった字で夕斗と書かれている。元の自分の名前だというのにアレルギーでも発症したかのように身体が疼いてしまうのだからなんとも哀れなことだ......
なんで僕の名前が?
「碁羅さん、起きてください。すいません、先日お会いした夢浦と真砂です。お話を聞く約束してたんですけど」
紅魅はノートを一瞥した後に碁羅さんを起こしにかかる。
ああもう、最近はいつもこうだよ。普段はもうちょっとクールを気取ってるんだけどなぁ......
先ほど宿した小鬼が痛いほど激しい動きを始めたことが分かった。まだ覚えはないがきっと初恋を自覚した時はこんな風になるのだろう......もっとも、この感覚はとても甘美と呼べるそれではないが。
「はははは」
夕斗の先を読むべく僕は目を尖がらせる。
「暁人? どうしたの?」
「いや、別に」
紅魅の次の句を防ぐように碁羅さんが小さく目を動かした。うつらうつらと僕たちを認めると即座に背筋を伸ばす。
「うわっ!?」
「ちょっと、落ち着いてください」
「ああ、すいません。私寝ちゃってたんですね」
顔を何度かこすっている時、どうやらノートに目がいったらしい。慌てた手つきで引き出しにそれをしまい、パソコンを閉じた。
「いやぁ、お恥ずかしいです。学生さんにだらしないところ見せちゃいましたね」
「いえいえ。色々あってお疲れでしょうから仕方ないですよ」
「夢浦さんの方がよほどお疲れでしょうに、しっかりしていて尊敬します」
「あの。ちょっといいですか?」
「はい?」
息を吐いて、心を落ち着かせるように努める。
「覗く気はなかったんですけど、今碁羅さんが直したノートに夕斗って人の名前が見えたんですよ。
夕斗さんって誰なんですか」
きちんと虚勢が張れていただろうか。気になるが、確かめる術はない。
「夕斗さんですか」
秘密を覗き見されたというのに、口を真一文字に閉めたかと思ったら何事もなかったようにすっと立ち上がった。いい歳の取り方をしている。僕もこうあるべきだ。
「貴方達は斗鬼和姫の物語について詳しいことを聞きに来たんですよね。だとしたらその質問にも関係していることです」
「斗鬼和姫と? どういうことです?」
「私はここ最近――と言っても、50年くらい前から今に至るまでの間ですから全然最近じゃないですね。とにかくこの斗鬼和島で謎の失踪を遂げた人たちを調べているんですよ。夕斗さんもその一人です」
「何でそんなことを調べているんですか?」
彼女は僕と紅魅の顔を順に見た後に「これはまだ仮説の段階だということを念頭に置いてください」と前置きをした。
「連続殺人事件の犯人を捜す為です」
「犯人を、失踪者と今回の事件とに関連があると思ってるんですね」
紅魅が即座に言葉を挟む。
「はい。私は原田さんのお葬式でも言った通りこの事件の犯人は斗鬼和姫の物語に出てくる化け物だと考えています。つまり今を生きる真っ当なる生者ではなく、過去死んだ末に生き返った方が犯人ということです」
「それなら何故失踪者を調べているんですか?死んだ人なんていくらでもいるでしょう」
僕の質問に答えたのは碁羅さんではなく紅魅だった。どこかバカバカしそうだ。
「そんなの決まってるじゃない。普通死んだら火葬するからよ。斗鬼和花が咲くには死体が必要だけれど火葬したら死体は残らない。事故死だろうと、病死だろうとお葬式までされたら死体はなくなるからね」
そうだった。だから江川さんも公子の死体を大切に保管しているんだった。
「その通りです。こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、ちゃんとした死体が残るとしたら事故か何かで亡くなってしまいそのまま放置されてしまっている方。死体すら見つかっていない失踪者の方々である可能性が高い。
私の仮説が正しければ、失踪者の中に犯人はいます」
なるほど、納得はできる。あくまでも斗鬼和姫の伝説が正しかったという前提の下ではあるが。
「でも、失踪者が死んでいるとは限らないじゃないですか」
「確かに仰る通りです。本土の方にこっそり移り住んでいる可能性もあるでしょう。しかしそれは死んでいる場合を否定するものではありません」
「斗鬼和島の外から死体を持ってきたってことも......」
「暁人、あんたどうしたのよ。まるで失踪者が犯人じゃないと思いたがっているみたいじゃない」
......惨めったらしいな僕。
「ああそうだな。悪い、ちょっと考え方が偏っていたみたいだ」
「しっかりしてちょうだいよね」
しっかりか......夕斗よ、ガキに言われちゃお終いだぞ。
「いえいえ、構いませんよ。ほんの少しでも疑問があればドンドン言ってください。議論とは色々な意見を昇華させより高度な発見に繋げるためにすることなんですから」
碁羅さんは空気をリセットするように咳払いをした。ありがたい心遣いである。
「じゃあまずは斗鬼和花について詳しく教えてくれますかね」
「うーん、恐縮ですが逆に貴方はどの程度知っているんですか?」
「どのくらいって......死体に根付く赤い花で、その花から人が産まれるってことくらいですかね」
「大体はそれでOKです。斗鬼和花とは死体に根付く花、より正確に言えば死体に埋めた種が死体の養分を吸って成長するんです」
「死体の養分を?」
「養分だけじゃありませんよ、斗鬼和花と言うものは貴方達が思ってるよりずっと貪欲な花なんです。死体に根を張ったら、遺伝子情報や記憶まで吸っていく。死者の人生を追体験するような花だということです。きっと斗鬼和花は人間のことを知りつくしたいんでしょう。それが彼らの知的好奇心なのか、それとも私達人類を凌駕する存在になりたがっているのか。好奇心が止まりませんね。
花たちの大きさは成人男性かそれ以上にも及び、どこか面妖ながらも美しい形をしているそうですよ。
見てみたいですねぇ」
恍惚としているところ悪いが、実物は悍ましかったぞ。
「と、いっても実際に見れる人は限られているそうですけれどね」
「どういうことですか?」
「斗鬼和花や、斗鬼和花が根付いた死体を見ることが出来るのは斗鬼和花と遺伝子を共通している人間だけ。要するに斗鬼和花から産まれた子供ですね。自分と遺伝子を共通しているものにしか姿を見せないなんて恥ずかしがり屋で困ってしまいます。
もっとも触ることはその子供でも出来ないらしいですけどね」
「随分とファンタジーな生態じゃないですか」
「確かにその通りです。しかし、島に残っている文献はどれもそうだと言っているんですよ。ここは私の仮説ですが、生殖能力もなく個体数が極めて少ない斗鬼和花が生き残るためそういう進化をしたのではないかと」
「確かに発見すらできないなら生き残りには有利でしょうけれど......にわかには受け入れられないですね」
「もしくは発現元である斗鬼和姫の両親たちが血を分けた存在以外には姿を見せることも忌むべきことだと言わんばかりに私達人間を恨んだ末の能力かもしれませんね」
「もっと受け入れ難い仮説ですね」
紅魅が納得できないと言うように手を動かした。しかし碁羅さんはそんな態度は予想通りだと言わんばかりに微笑む。
「そうでしょう。私もこうして説明している身ではありますが完全に信じられる生態ではないと思っています。しかし、だからこそ意味があるんですよ」
「はい?」
「これまでの定説も、常識も、なんなら倫理観ですら覆し得る。人間死んだら終わりと言う神が定めた摂理さえも壊す植物ですよ。もし発見できたとしたら世紀の大発見なんてものじゃありませんよ! 人類史上最大の発見です!」
声に力が乗っていく。
「あり得ないのが良いんです。普通じゃないのが良いんです。常識的じゃないのが良いんです。そうでなければ意味がない。普通の研究をして、普通の発見をして、普通の生活をすることなんて何にも刺激的じゃない。
ロマンを求め、パイオニアになる。そうすれば......」
「碁羅さん?」
碁羅さんは紅魅の言葉に気づき慌てて口を手で閉じた。そして苦笑いを浮かべる。
「すいません。少々ヒートアップしちゃいました。何せロマンを求めてこういう職業についたので」
「素晴らしいですね。あたしも碁羅さんみたいに熱中できるものを見つけたいです。ねぇ、暁人」
突然話を僕に振った。先ほどから一向に喋らない僕に気を回してくれたのだろうか。
「ああ。そうだな」
「お2人ともまだまだ若いんですからそのうち見つかりますよ」
碁羅さんは僕を真っすぐに見て、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「人生全部を懸けても良いと思える、何かを」