第3話 幼馴染の子
暖かくて、柔らかい。
ぼんやりとする脳みそが何とか起きようとしているのが分かる。だが、どういうわけか頭が上手く回ってくれない。
「あっ、起きたわね」
不意に輪が僕のことを覗き込んできた。その顔は大分朗らかに緩み切っており、滑稽と言う文字がピタリと似合う。人様の寝顔をガン見するとは良い度胸だなと軽口を投げつけてやろうとしたが、これまた不可解なことに投手である唇が動かない。喉から口に上手く息を送ることも、それを声に変換することも出来ないのだ。
そんな僕の動揺を知ってか知らずか、輪は慈愛に満ちた母親のように微笑む。よくよく見れば、髪は短くなり、おまけに元の茶髪に戻しているようだ。ついこの前は大学デビューした田舎者丸出しの髪だったのにどういう心境の変化だろうか?
「可愛いわね、私の天使さん」
にわかに輪の唇が僕の頬に触れた。
「......!?」
恥じらいや下心を一切感じさせない、あまりにも自然な動作。これまでの人生全部を振り返ってもこんなことされたことがない。
何やってんだこいつ、頭イカれたのか? それともこれは夢か? いやでも、夢にしてはあまりにもリアルな触感だった......
超速のエレベーターにでも乗ったかのように視界が遥か高みに上がる。少し上には輪の顔がそびえており、思考が白くなってしまいそうだ。
「お腹減ってるでしょう。ごめんね、おっぱいあげられなくて」
.........は? は? はぁ?? おっぱい?? 痴女ったのか???
その時、激しく見覚えのある姿見に僕たちの姿が映った。いや、これは本当に僕の姿なのだろうか。
この無駄に美麗で竜の鱗や虎の毛並みまで見事に表されている姿見は輪の家にあるものだ。それに輪だって、髪こそ少々イメチェンしたがそれ以外は僕の知る輪そのもの......?いや、少し大人びたか?
いやいや、だがそんな微々たる違いはどうでもいい。問題は僕だ、輪の胸に抱かれている僕と思しき存在が問題なのだ。
どう見ても赤ん坊にしか見えない僕がいる......おかしい。どう考えてもおかしいだろそんなの。だが、筋肉を必死に動かした腕や指の動作は残酷なまでに姿見に反射されている。それに、輪に持ち上げられているという事実がより色濃く僕が赤ん坊になっていると突きつけてきてしまっていた。
輪が手慣れた様子で哺乳瓶にミルクを注ぎ、自分の頬に当てた。
「よし、良い温度。はい暁人(あきと)、あーん」
理性よりも先に本能が動いた。口が哺乳瓶に吸い込まれていったのである。吸啜反射というやつであろうか。とにかく僕はミルクを飲んでいく。
その濃厚な味に舌鼓を打っていると、不意に自分が何かに轢かれた記憶がありありと蘇ってきた。刹那の間も置かずに身体に鋭く、鈍く、激烈な痛みが身体に反芻していった。叫びそうになったがそれが幻痛であると気づく。
「大丈夫暁人?」
心配する輪に不気味さと頼もしさを覚えてしまった。そして否が応でも頭が答えを導いてしまう。
僕は......岩寄夕斗は死んだのだと。そして、再びこの世に転生をした。
輪の息子の暁人として.........
ぞくりと身体が震えた。頭の中に白黒赤黄、と様々な光がパチパチと線香花火のように弾けて、やがて消えていった。