第10話 碁羅秀美
僕たちは公子に対し、軽く一言二言挨拶をすると目的の場所へと再び向かった。
ようやく辿り着いた部屋の中には大量の本が所狭しと置かれていた。一瞬ここも商品である本がストックしてある物置かとも思ってしまったくらいだ。だがよくよく見てみると、その大半は表紙の文字さえ読むことができない難しい文字でありとてもじゃないが大学すらない斗鬼和島のニーズに合っているとは思えない。そんな本の中にある紙の山の一つの裏から赤色の眼鏡をかけた背の低い女性が現れた。
「おう、碁羅さん。例の奴が来たぞ」
「そうですか。ちょっと待ってください」
パソコンを目にもとまらぬ速さでタイピングした後に腰を低くして、碁羅と呼ばれた女性が僕たちの前に出てくる。見た感じは40歳前半と言ったところであろうか。ただメイクやスキンケアのようなものに気を使っているようには見えないのでひょっとしたら実年齢はもう少し若いのかもしれない。
「どうも、碁羅秀美です。貴方が真砂暁人さんですね」
「はい、今日はお時間いただきありがとうございます」
碁羅さんの垂目の隅には紅魅が映っていた。闖入者に口に手を当てて驚いている様子である。そんな視線を鋭敏に感じ取ったであろう紅魅が恭しく頭を下げる。
「初めまして紅魅です。今日は暁人のサポートをしに来ました」
「そ、そうですか。初めまして」
有無を言わさぬ恭しさを発する紅魅に言葉を発することができなかったのか、弱々しく笑い僕の方に目をやった。
「じゃあ碁羅さん、そいつのことよろしく頼んます」
「はい」
「暁人、紅魅、くれぐれも迷惑かけるんじゃねーぞ。あと、気づいたことがあったら遠慮なく言えよ」
「分かってるよ。ありがとね江川さん」
江川さんが部屋から去った後、僕たちに適当な椅子を促した後碁羅さんが口を開く。
「それで本日は斗鬼和花について知りたいとのことでしたね」
「はい、よろしくお願いします」
紅魅が一瞬だけ僕の方を見た。分かるぞ、今更どうしてそんなことを知りたがるんじゃないかって思ってるんだろ。僕がお前の立場ならきっとそう思う。
「ふふふ」
紅魅は僕に心の奥を読まれたくないのかいつものように微笑んだ。だがその笑みに碁羅さんが少し意表を突かれたように反応する。
「どうしたんですか?」
「ああいえ、ちょっと夢浦さんのことを思い出してしまいまして。お孫さんも同じだったらちょっとなぁって」
碁羅さんは実際に会うのは初めてだけど話だけは聞いている。斗鬼和花について興味を持った新米学者さんを江川さんがこの店に住まわせているんだとかなんとか。住み込みの仕事(店では見たことないから多分裏方)と斗鬼和花についての研究をする代わりに、衣食住を保証する契約なのだろう。失礼ながら実績のない学者さんだと今時パトロンになろうなんて酔狂な人はそうそういない。まして斗鬼和花なんて言うおとぎ話を真に受けて研究しているのならなおさらだ。
そして紅魅の祖父、怜人さんは島外民のことを理由もなく嫌っている面倒なお人だ。彼女がどんな扱いを受けているのか想像に難くはない。
「大丈夫ですよ。あたしは島の外にも強く興味を持っていますから。祖父には後で強く言っておきます」
「そ、そうですか。ほどほどにお願いしますね。私の名前とかは出さないでくださいね。それでえっと、お2人は斗鬼和姫の伝説についてどのくらいご存じなんですか?」
まるで人生初のアルバイトのようにおどおどしていた。
「そうですね、まぁガキの頃に聞いた話くらいのものですかね」
紅魅も「あたしもそのくらいですね」と追随する。
「なるほど」
「ただ」
もう終わったかと思っていた紅魅の動きが再始動する。
「どうしても気になる噂は知っています」
どういうわけか、普段通りに動いているだけの紅魅の唇がスローモーションに映る。
「碁羅さん、斗鬼和花は死体に根を張って、その死体と同じ人間を蘇らせるというのは本当なんですか?」
今の僕にとっては髄まで染みる質問だった。これこそが、江川さんが公子の死体を今でも保存しており、斗鬼和花を見つけようとしている最大の理由である。
言葉にし難い驚きを表面に出さないことに苦心していると、碁羅さんが少し前のめりになった。少し頬を紅潮させながら萎縮していた様子は何処へやら、だんだん疾く動いていく。
「はい。だいたいその認識で合っています。ただ、正確に言うと少しだけ違いますけれどね」
親指と人差し指を近づけてほんの僅かな隙間を作った。想ったよりも少しだけの違いらしい。
「違うと言うのは?」
「貴方達が知っているおとぎ話の中で、斗鬼和姫はお姫様とそのお姫様に恋をした少年の両方に似ているとされていますよね」
「ああ、そうですね」
「私は斗鬼和花についての文献を読み漁り、分析を繰り返し、1つの結論に行きつきました」
碁羅さんは机の上に置かれた本をトントンと叩き頬を緩ませる。
「斗鬼和花は死体に根付くのは間違いありません。そして美しい赤い花を咲かせ、その花から生物を産み出すのです。それも花や種ではありませんよ、私達人間をなのです!」
「人間を? それって、子供を産むってことですか?」
紅魅が珍しく目を大きくして問うた。碁羅さんは上から下へとしっかり頷く。
「生物は根付いた死体に入っていた血液、より正確に言えば遺伝子情報をそのままコピーした生物を産み出す。私はそう推測したんです!」
......なに?
「それってつまり......」
碁羅さんが薄くて流麗な文字と少し雑な絵で白いノートを黒く染めていく。図解してくれているようだ。
「つまり、死体に死体以外の遺伝子が何らかの形で入っていれば――例えば妊娠などがあげられますね――それら複数の遺伝子を持った新しい赤子が産まれるってことですよ。凄まじいことだと思いませんか!? 発見することさえ出来ればこれからの人類史が一変する植物です!」
「新しい赤ん坊が......」
「そうです、赤ちゃんです。江川さんが望むように死んだ人間でも生き返らせることが出来ますし、より研究を続ければ......」
碁羅さんの熱弁も聞こえなくなるほど血液が苛烈な音と共にグルグルと勢いよく巡りだす。僕を十六年間見守ってくれていた大切な物が......
「どうしました? 何か心当たりでもありましたか?」
「暁人、心ここにあらずって感じだけど平気?」
「いや......何でもない」
予断は許さない。確信と言うほどの確信はない。だがもしこの推理があっているとしたら。
「狂ってる」
「暁人? 今なんか言った?」
「ああいや......悪い。ちょっと具合が悪いみたいだ。碁羅さん、すいませんが今日のところはこのくらいでお暇させていただきます。こんな中途半端な形になってしまい、すいません」
「え? はい、えっと、お大事になさってください」
碁羅さんは少し消化不良そうに表情筋を歪ませたがぺこりと頭を下げてくれた。
「暁人? ちょっと、暁人」
泥濘に思考と魂がはまっているようだ。その中を覗けば覗くほど混沌とした色が見える。ハッキリと見えてしまう。
一旦深呼吸がしたい。魂の深呼吸が。