ホーム白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼くそれは、風の匂い
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それは、風の匂い

 地下区画は、期待していたほど豊かではなかった。

 細い通路の両側に幾つかの部屋が並んでいたが、扉は歪み、中身の大半が砂と腐食ふしょくに侵食されている。

 配線は指で触れただけで黒い粉になった。
 樹脂じゅし製の箱は、持ち上げると角から崩れた。

 壁へ埋め込まれた表示板も、曇った硝子ガラスの奥で沈黙したままだ。

「ハズレかな」

 オレは床へしゃがみ、千切れた導線どうせんを拾った。
 被膜ひまくは駄目でも、中の金属は使える。め具や端子たんしも、種類ごとに分けて袋へ入れる。
 大物がなくても、手ぶらで帰るつもりはない。
 
 旧時代の部品には、今の職人では作れないものが多い。

 何に使うか分からない小さな端子でも、合う機械を持つ誰かにとっては、二度と手に入らない最後の一個になることがある。

 そういう相手と出会えれば、びた部品が水や食料へ変わる。
 小さな部品だって、集めれば水一杯にはなる。

 水一杯は、命一日ぶんだ。
 この世界では、水より大切なものなどないと言っても過言じゃない。

 珍しいから価値があるわけではない。

 どれだけ長く歩けるか。
 どれだけ万全な状態の身体をたもてるか。

 荒野で物の値打ねうちを決めるのは、最後にはそこだ。

 セヴァンは部屋のすみから、ふたの割れた容器を拾い上げた。

「それ、売れないよ」
「分かっている」

「じゃあ捨てて。余計な荷物を増やさないでよ」
「内側は傷んでいない。乾燥茸きのこを入れられる」

「いまの保存袋で足りてるじゃん」
「袋より湿気を防げる」
「......料理の話になると、急に理屈が増えるんだよなあ」

 セヴァンは容器の内側へ灯りを向けた。トパーズの瞳はいつになく好奇心にきらめいているようだ。

「砂も入りにくい」
「はいはい。好きにすれば。ただし、自分で持ってね」
「ああ」

 口元が、ほんの少し緩む。
 笑えば、切れ長の目尻がわずかに下がる。

 さっきまで近寄りがたく見えていた顔が、その瞬間だけ穏やかになることを、オレは知っている。
 奴は本当に、調理に関する物事と向き合うことを至極しごくの喜びとしている。

 昔ここで、その容器が何に使われていたのかも分からない。
 飲み物か、工具か、薬か。

 壁際には脚の折れた椅子と、机らしきものが残っていた。机の上には、小さな器が一つある。
 中は白い砂で満ちていた。

 誰かが最後に使ったまま置いていったのだろう。 
 その誰かが何者で、どこへ行ったのかは分からない。とうに骨さえ砂へ混じっているかもしれない。
 
 知らない時代の、知らない人間だ。
 それでも、その器を踏み砕く気にはなれず、オレは足をずらして避けた。

 砂は何もかも同じ色にする。
 だからこそ、まだ形を残しているものを見ると、少しだけ気になる。

 ここに誰かがいた。
 器を使い、椅子へ座り、何かを食べ、明日のことを考えていた。

 その事実が、今のオレたちの腹を満たすわけではない。
 けれど、なかったことになるよりはいい。

「リュカ」

 セヴァンが通路の奥で立ち止まっていた。

「何か見つけた?」
「この向こうから空気が流れている」

「空気?」

 壁へ近づき、てのひらをかざす。
 何も感じない。

「気のせいじゃない?」
「弱いけど、流れている」

 セヴァンの指が壁の継ぎ目をなぞる。

 目を凝らすと、確かに周囲とは砂埃すなぼこりの積もり方が違った。床の細かな粉が、一つの方向へ薄く引かれている。
 オレには感じ取れないほど弱い風を、セヴァンは見つけたらしい。

「よくそんなささやかな風に気付いたな」
「匂いがした」
「匂いって......風の?」

「そう」
「風の匂いねえ......詩人みたいなこと言うじゃん」

 オレはつちの柄で壁を叩いた。
 左側は、詰まった鈍い音。
 右側はわずかに響く。

「隠し区画か」

 床をう配線も、壁の内側へ集まっていた。
 外れではなかった。
 
 胸の奥に、期待と好奇心の熱が灯る。
 口元まで浮かんだ笑いを、隠すつもりはなかった。

「セヴァン、灯り。ここ、絶対何かある」

 返事より先に手元が明るくなる。

「ずいぶん嬉しそうだ」
「そりゃ嬉しいだろ。オレのかんが当たったんだから」

「勘だった?」
「観察と経験に基づいた勘。素人の当てずっぽうとは違うからね」

「風に気づいたのは俺だ」
「......二人の成果ってことにしよう」
「分かった」

 セヴァンはそれで納得したらしい。
 たまにひとこと多いときがあるけど、奴は謙虚だ。もう少しくらい、得意そうにしてもいいのに。

 壁の継ぎ目には、砂へ埋もれた小さな解除口があった。
 中を掻き出し、細い工具を差し入れる。

 仕掛けは複雑だった。
 けれど、壊れてはいない。

 壊れていないものは、壊れたものより素直だ。

 正しい場所へ、正しい順番で触れれば、長い沈黙の後でも応える。
 三つの爪を外し、最後の板を押す。

 壁の一部が低い音を立て、ゆっくり奥へ沈んだ。
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白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く作者:玻璃 れにか
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 地下区画は、期待していたほど豊かではなかった。

 細い通路の両側に幾つかの部屋が並んでいたが、扉は歪み、中身の大半が砂と腐食ふしょくに侵食されている。

 配線は指で触れただけで黒い粉になった。
 樹脂じゅし製の箱は、持ち上げると角から崩れた。

 壁へ埋め込まれた表示板も、曇った硝子ガラスの奥で沈黙したままだ。

「ハズレかな」

 オレは床へしゃがみ、千切れた導線どうせんを拾った。
 被膜ひまくは駄目でも、中の金属は使える。め具や端子たんしも、種類ごとに分けて袋へ入れる。
 大物がなくても、手ぶらで帰るつもりはない。
 
 旧時代の部品には、今の職人では作れないものが多い。

 何に使うか分からない小さな端子でも、合う機械を持つ誰かにとっては、二度と手に入らない最後の一個になることがある。

 そういう相手と出会えれば、びた部品が水や食料へ変わる。
 小さな部品だって、集めれば水一杯にはなる。

 水一杯は、命一日ぶんだ。
 この世界では、水より大切なものなどないと言っても過言じゃない。

 珍しいから価値があるわけではない。

 どれだけ長く歩けるか。
 どれだけ万全な状態の身体をたもてるか。

 荒野で物の値打ねうちを決めるのは、最後にはそこだ。

 セヴァンは部屋のすみから、ふたの割れた容器を拾い上げた。

「それ、売れないよ」
「分かっている」

「じゃあ捨てて。余計な荷物を増やさないでよ」
「内側は傷んでいない。乾燥茸きのこを入れられる」

「いまの保存袋で足りてるじゃん」
「袋より湿気を防げる」
「......料理の話になると、急に理屈が増えるんだよなあ」

 セヴァンは容器の内側へ灯りを向けた。トパーズの瞳はいつになく好奇心にきらめいているようだ。

「砂も入りにくい」
「はいはい。好きにすれば。ただし、自分で持ってね」
「ああ」

 口元が、ほんの少し緩む。
 笑えば、切れ長の目尻がわずかに下がる。

 さっきまで近寄りがたく見えていた顔が、その瞬間だけ穏やかになることを、オレは知っている。
 奴は本当に、調理に関する物事と向き合うことを至極しごくの喜びとしている。

 昔ここで、その容器が何に使われていたのかも分からない。
 飲み物か、工具か、薬か。

 壁際には脚の折れた椅子と、机らしきものが残っていた。机の上には、小さな器が一つある。
 中は白い砂で満ちていた。

 誰かが最後に使ったまま置いていったのだろう。 
 その誰かが何者で、どこへ行ったのかは分からない。とうに骨さえ砂へ混じっているかもしれない。
 
 知らない時代の、知らない人間だ。
 それでも、その器を踏み砕く気にはなれず、オレは足をずらして避けた。

 砂は何もかも同じ色にする。
 だからこそ、まだ形を残しているものを見ると、少しだけ気になる。

 ここに誰かがいた。
 器を使い、椅子へ座り、何かを食べ、明日のことを考えていた。

 その事実が、今のオレたちの腹を満たすわけではない。
 けれど、なかったことになるよりはいい。

「リュカ」

 セヴァンが通路の奥で立ち止まっていた。

「何か見つけた?」
「この向こうから空気が流れている」

「空気?」

 壁へ近づき、てのひらをかざす。
 何も感じない。

「気のせいじゃない?」
「弱いけど、流れている」

 セヴァンの指が壁の継ぎ目をなぞる。

 目を凝らすと、確かに周囲とは砂埃すなぼこりの積もり方が違った。床の細かな粉が、一つの方向へ薄く引かれている。
 オレには感じ取れないほど弱い風を、セヴァンは見つけたらしい。

「よくそんなささやかな風に気付いたな」
「匂いがした」
「匂いって......風の?」

「そう」
「風の匂いねえ......詩人みたいなこと言うじゃん」

 オレはつちの柄で壁を叩いた。
 左側は、詰まった鈍い音。
 右側はわずかに響く。

「隠し区画か」

 床をう配線も、壁の内側へ集まっていた。
 外れではなかった。
 
 胸の奥に、期待と好奇心の熱が灯る。
 口元まで浮かんだ笑いを、隠すつもりはなかった。

「セヴァン、灯り。ここ、絶対何かある」

 返事より先に手元が明るくなる。

「ずいぶん嬉しそうだ」
「そりゃ嬉しいだろ。オレのかんが当たったんだから」

「勘だった?」
「観察と経験に基づいた勘。素人の当てずっぽうとは違うからね」

「風に気づいたのは俺だ」
「......二人の成果ってことにしよう」
「分かった」

 セヴァンはそれで納得したらしい。
 たまにひとこと多いときがあるけど、奴は謙虚だ。もう少しくらい、得意そうにしてもいいのに。

 壁の継ぎ目には、砂へ埋もれた小さな解除口があった。
 中を掻き出し、細い工具を差し入れる。

 仕掛けは複雑だった。
 けれど、壊れてはいない。

 壊れていないものは、壊れたものより素直だ。

 正しい場所へ、正しい順番で触れれば、長い沈黙の後でも応える。
 三つの爪を外し、最後の板を押す。

 壁の一部が低い音を立て、ゆっくり奥へ沈んだ。
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