ハッチの奥へ
砂を除け始めてしばらくすると、白い粒の下から四角い金属板が現れた。
縁に沿って慎重に掻き出せば、片側へ腐食した蝶番が見える。
表面は砂と錆で一体化していたが、中央には窪んだ 取っ手らしきものがあった。
保守用のハッチだ。
セヴァンが手を伸ばす。
「待った」
太く筋肉質な手首をぺしっと叩くと、大きな手が空中で止まった。
「まさか、本当に力ずくで開けるつもりだった?」
「開くか確かめようと思った」
「それを力ずくって言うんだよ。外側が残ってても、下の天井まで無事とは限らない。蓋だけ引っこ抜いて、オレたちごと穴の底へ落ちたらどうすんの」
「落ちたら助ける」
「一緒に落ちたら誰が助けるんだよ」
セヴァンは少し黙った。
本気で考えているらしい。
「そのとき考える」
「先に考えろって言ってるの!」
オレは細い工具を縁へ差し込み、内部の留め具を探った。
古い遺跡では、見えている蓋や扉だけを調べても足りない。
砂の下で建物がどのように傾き、どこへ重さが掛かっているか。留め具を外したとき、別の壁や天井が動かないか。空気が抜けたことで、砂が一気に流れ込まないか。
何十年、何百年と放置された建物は、見た目以上に危うい均衡で形を保っている。
だから、まず構造を読む。
次に、罠や作動中の機械がないかを探る。
最後に、壊さず開ける。
セヴァンの力は、そのあとに借りればいい。
指先へ伝わる感触を一つずつ拾う。
二本。
いや、三本。
一つは完全に錆びているが、残りは動きそうだ。
「右側を押さえて。持ち上げるんじゃなくて、押さえるだけ」
「分かった」
「オレがいいって言うまで、本当に動かすなよ」
「ああ」
「おまえの『ああ』は、ときどき信用ならないからね」
「今回は信用していい」
「毎回そう言うんだよ」
セヴァンが身体を屈め、ハッチの端へ手を添える。
額へ落ちた黒髪が目元へ掛かる。普段は眠たげなほど穏やかに見える蜂蜜色の瞳も、作業へ集中するときは、磨かれたトパーズのような鋭い輝きを帯びる。
知らない人間が見れば、機嫌の悪い傭兵にでも見えるだろう。
鍛えられた筋肉。
逞しい身体。
背は高く、肩は広い。
顔立ちまで精悍で、黙って立っていれば近寄りがたい。
けれど、その大きな掌は、オレの工具を邪魔しない位置でぴたりと止まっていた。
太い指の関節には古い傷が幾つもある。
岩も梁も持ち上げられる手だ。
それなのに、壊れやすいものへ触れるときだけは、驚くほど繊細に力を加減する。
「リュカ」
「何?」
「髪が出ている」
「今それ言う?」
「留め具に絡む」
頬へ垂れていた髪を、砂除け布の中へ押し込む。
「これでいい?」
「ああ」
「じゃあ、余計なところ見てないで手元を見て」
「見ていたから気づいた」
「理屈で返すなっての」
ひとつ目の留め具が外れた。
二つ目は固い。
工具の角度を変え、金属が軋む向きを確かめながら、少しずつ奥へ滑単語り込ませる。
ここで焦れば、使える部品まで壊れる。
オレは旧時代の機械について、何でも知っているわけではない。動力の仕組みも、失われた材料の作り方も分からない。
けれど、どこに無理な力が掛かっているか、何を外せば全体が動くかなら分かる。
壊れたものを掘り出して生きてきた。
だからこそ、まだ壊れていないものを見分けることには自信がある。
「オレの腕を舐めてもらっちゃ困るな」
思わず口にすると、セヴァンが目だけをこちらへ向けた。
「舐めていない」
「そういう意味じゃない。遺跡を見つけて、罠を調べて、機材を直して、売れるものだけ持って帰る。ここまで全部できる奴、そうはいないからね」
「確かにそうだな」
「でしょ?」
「でも、料理はできない」
「今それ、関係ある?」
「全部と言ったから」
「あのね、何でもかんでも含めるなっての!」
本人は、オレの自慢に正確な訂正を入れただけのつもりかもしれない。
けれど最近のセヴァンは、無表情のまま、オレが腹を立てる言葉を選んでいるようにも見える。
もしそうなら、かなり性質が悪い。
腹を立てながら力を掛けると、二つ目の留め具が鈍い音を立てて外れた。
「ほら、見た?」
「見た」
「さすがオレ」
「料理以外は」
「まだ言うの?」
最後の留め具も外す。
「よし。ゆっくり上げて」
セヴァンの腕が動く。
長く閉ざされていた隙間から、ひやりとした空気が吐き出された。
砂埃と錆、乾ききった石。
それから、人の出入りが途絶えて長い場所だけが持つ、古く澱んだ匂い。
ハッチの向こうには、暗い縦穴が口を開けていた。
壁沿いに続く梯子は、途中から何本か欠けている。
灯りを向けても、底までは見えない。
「オレが先に行く」
「俺が先に――」
「おまえが降りたら、残ってる足場まで全部折れるじゃん」
セヴァンは梯子を見た。
それから、自分の身体を見下ろす。
「そうかもしれない」
「そうなの。オレのほうが軽いし、中の構造も見られる。おまえはここで索を持ってて。何かあったら引き上げて」
オレが先に入り、セヴァンが上から安全を支える。
遺跡へ潜るときには、いつもそうやって役割を分けている。
独りでも探索はできる。
けれど、崩落や罠に巻き込まれたとき、引き上げてくれる者がいるかどうかで、生きて帰れる確率は大きく変わる。
一年以上、一緒に旅を続けている理由のひとつだ。
「絶対に索を離すなよ」
「離さない」
「オレが二回引いたら来て。三回なら引き上げる。一回だけなら、少し待って」
「ああ」
「分かってる?」
「何度もやった」
「確認は大事なの」
索を固定し、縦穴へ身体を滑り込ませる。
外の暑さが嘘みたいに、壁は冷えていた。
上から差す光はすぐに細くなり、落ちてくる砂粒だけが淡い金色を帯びている。
一段。
もう一段。
足場へ荷重を掛ける前に、つま先で強度を確かめる。錆の浮いた金属が鳴るたび、息を止め、音の変化を待った。
半分ほど来たところで、靴底の下の金属が折れた。
「っ!」
身体が沈む。
けれど落ちるより早く、上から伸びた腕がオレの腰をつかんだ。
息が詰まるほど強くはない。
それでも身体は、宙でぴたりと止まった。
「離して」
「足場を見つけてから」
「落ちてないって」
「落ちかけた」
「似たようなもんだろ」
「違う」
セヴァンの声は低く、妙に頑固だった。
たとえオレが大丈夫だと言っても、自分で安全を確かめるまでは離さないつもりなのだろう。
こういうときのセヴァンは、岩より動かない。
仕方なく壁の突起を探り、靴底を載せる。
「もう大丈夫」
「本当に?」
「大丈夫だから。いつまで腰つかんでるつもり?」
手が離れる。
安全のために身体へ触れられることは、今さら珍しくない。
川床跡の亀裂を跳び越えるときにも、砂嵐の中ではぐれそうになったときにも、何度も腕や肩をつかまれてきた。
それでも腰へ残った感覚だけが、布越しに少し遅れて消えていく。
セヴァンは何も悪くない。オレは遠い記憶が呼び戻されそうな感覚に、無理やり蓋をする。
そう、今、そんなことを気にしている場合ではない。
オレは気持ちを切り替えるように下まで降り、床へ着くと索を二度引いた。
「......よし。来ていいよ」
ほどなくして、セヴァンの大きな身体が暗がりへ下りてくる。
欠けた梯子を避け、壁へ長い脚を掛け、索を使ってほとんど音も立てずに着地した。
「......意外と静かに降りるんだな」
「うるさく降りたほうがよかった?」
「そんなわけないだろ」
「大きいから、うるさいと思った?」
「少し」
「そうか」
傷つくでもなく、真面目に頷く。
こういう返しをされると、こちらが悪いことを言ったような気になる。
「......あの、冗談だからね」
「分かっている」
「分かってるんかい!」
何の会話をしているんだ、オレたちは。