ホーム白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く箱が目覚める瞬間
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箱が目覚める瞬間

 小部屋の中だけは、時間から取り残されたようだった。
 ほかの区画ほど砂が入り込んでいない。床も壁も黒灰色こくかいしょくのままで、中央には金属製の台座がえられている。

 その上に、旅行鞄かばんほどの大きさの箱が固定されていた。
 角の丸い、黒い箱。
 つやを失った金属と、白い陶器に似た素材が組み合わされ、側面には見慣れない端子が幾つも並んでいる。

 ほとんど傷がない。
 薄く積もったほこりの下には、淡い光沢さえ残っていた。

「......当たりだ」

 思わず声が弾んだ。

蓄電器バッテリー?」

 セヴァンが尋ねる。

「たぶん。少なくとも、ただの箱じゃない」

 台座の支持具しじぐにも純度の高そうな金属が使われている。これだけでもかなりの値がつくだろう。
 箱の中身がまだ生きているなら、もっと高い。
 ナジュラなら、用途を見抜ける技師も、古い機械を買い取る商人もいる。

「これ、売れるよ。かなり高く」
「安全か確かめるほうが先だ」
「これだけ長く置かれてて爆発してないんだ。いまさら爆発しないだろ」
「リュカが外そうとした瞬間に、ということもある」

「縁起でもないこと言わないでよ」
「気をつけて」

「分かってる。オレを誰だと思ってる?」
「料理のできない発掘屋」
「おまえ、さっきからそれ気に入ってるだろ」

 セヴァンの口元がわずかに動く。
 やっぱり、わざと言っているのかもしれない。

 固定具は四か所。
 箱の底から太い接続具が台座へ伸びている。力任せに外せば、箱も端子もまとめて壊れる。

「右のはりを支えて」
「上げる?」
「まだ。重さを受けるだけでいい」
「ああ」

 天井を支える梁には、髪の毛ほどの亀裂が入っていた。箱を外したことで重量の掛かり方が変われば、部屋ごとつぶれるかもしれない。
 セヴァンが外套がいとうを脱ぎ、そでひじまでまくる。
 日に焼けた腕には、長い筋が浮いている。

 身体が大きいから太く見えるのではない。肩から手首まで、余分なものをぎ落としたように堅く引き締まっている。
 はりへ両手を添えた途端、肩から背にかけての筋肉が衣服の下で盛り上がった。
 
 あれだけの身体がありながら、力を誇る素振りはない。
 オレが指定した位置へ立ち、指定した角度を守り、動くなと言われれば岩みたいに動かない。

 オレが機構きこうを読み、セヴァンが重さを支える。
 どちらか一人では、この箱を無傷で持ち出すことはできない。
 遺跡いせきを探索するにあたって、こういう役割のみ合い方は、気に入っている。

「ひとつ目、外すよ」
「ああ」

 二つ目。
 三つ目へ工具を掛けたところで、天井の奥が低くきしんだ。
 白い粉がぱらぱらと落ち、セヴァンの黒髪へ積もる。

「動かさないで」
「動かしていない」

 声はいつもと変わらない。
 けれど腕には筋が浮き、太い指は梁へ深く食い込んでいた。
 人間一人で支えられる重さには見えない。

「無理なら言って」
「まだ大丈夫」
「『まだ』って何。限界になる前に言えよ」

「ああ」
「本当に分かってる?」
「リュカは心配性だな」
「誰のせいだと思ってんの!」

 返事の代わりに、セヴァンは少しだけ目を細めた。

「最後を外す」
「ああ」

 接続具の根元へ工具を差し入れる。
 見たこともないほど細かなみ合わせが、幾重いくえにも重なっていた。

 焦れば折れる。
 欲を出せば、価値のあるものから壊す。

 呼吸を整え、一つずつ爪を探った。
 押す、ずらす、わずかに回す。
 最後の爪が、小さな音を立てて外れる。

「今。まっすぐ持ち上げて」

 セヴァンが片手を梁から離し、箱の側面のくぼみへ指を掛けた。
 黒い箱が台座から浮く。

 その瞬間、部屋全体が低くうなった。

「出るよ!」

 工具をつかみ、先に小部屋を飛び出す。
 セヴァンが箱を抱えて続いた。

 背後ではりが沈み、隠し部屋の入口が半分ほど崩れ落ちる。
 砂埃すなぼこりが通路を満たした。

 喉へざらつくものが入り、何度かき込む。
 視界が晴れる前に振り返った。

「セヴァン!」

 セヴァンは立っていた。
 白い粉を被った黒髪の下で、蜂蜜はちみつ色の瞳だけがまっすぐオレを捉えている。

 たくましい胸と両腕に黒い箱を抱えても、長い身体はほとんど揺らいでいなかった。
 崩れた遺跡いせきの中に立つ姿は、建物を支えていた黒い柱だけが、まだ倒れず残っているようにも見える。

怪我けがは?」

 開口一番に、セヴァンが尋ねた。

「ない。おまえは?」
「ない」
「本当?」
「ああ」

 肩や腕へ瓦礫がれきが当たった様子はない。

「じゃあ、それ下ろして。端子を見る」

 通路へ布を敷き、箱を置かせる。
 床へ触れたとき、鈍く重い音がした。
 相当な重量のはずなのに、セヴァンの呼吸はほとんど乱れていない。

「やっぱり怪力オバケだな」
「オバケではない」
「まだ言うんだ」

 側面の埃を拭う。
 細い文字と記号が浮かび上がった。旧時代の文字は多少読めても、ここに並ぶのは見慣れない略号りゃくごうばかりだ。

「何て書いてある?」
「分かるなら、もう値段までつけてる」

 返事がない。
 顔を上げると、セヴァンは箱の上部をじっと見ていた。

「どうした?」
「音がする」

 オレも耳を近づける。
 聞こえるのは、自分の呼吸と、遠くで砂が落ち続ける音だけだ。

「何も聞こえないけど」
「低い音。奥で何かが回っているような」

「耳鳴りじゃない?」
「そうかもしれない」

 セヴァンが箱へ掌を置いた。

 その瞬間、外装の表面へ細い光が走った。
 青白い線が一筋だけ浮かび、呼吸一つ分にも満たない間に消える。

 オレも、セヴァンも動かなかった。

「......今の、見たよね」
「ああ」
「もう一回触って」

 同じ場所へてのひらを置く。
 今度は何も起きない。

「何か聞こえた?」
「声に似たものが」

「何て?」
「分からない。遠すぎた」

 いつも穏やかな顔に、珍しく戸惑いが浮かんでいた。

 恐れているような感じではない。
 何かを思い出しかけ、それが何だったのか分からずにいるような、遠い表情だった。

「残ってた電気が動いただけだよ」

 オレは箱を布で包んだ。

「壊れてない証拠。むしろ値が上がる」
「そうだといい」
「いいに決まってる。これで濾過ろか材も工具も買える。靴だって直せるし、宿にも――」

 言葉が勢いよく出たところで止めた。

「宿にも?」
「金が余ったら、って話」

「卵も?」
「何で先に卵が出てくるんだよ」

「欲しいと言っていた」
「まだ言ってない」
「顔に出ていた」
「おまえにだけは言われたくないな」

 箱を背負い具へ固定する。
 セヴァンが触れるまでは、何一つ光らなかった漆黒しっこくの箱。
 その事実だけが、喉へ刺さった細い骨みたいに残った。
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セヴァン、砂根を煮る
白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く作者:玻璃 れにか
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 小部屋の中だけは、時間から取り残されたようだった。
 ほかの区画ほど砂が入り込んでいない。床も壁も黒灰色こくかいしょくのままで、中央には金属製の台座がえられている。

 その上に、旅行鞄かばんほどの大きさの箱が固定されていた。
 角の丸い、黒い箱。
 つやを失った金属と、白い陶器に似た素材が組み合わされ、側面には見慣れない端子が幾つも並んでいる。

 ほとんど傷がない。
 薄く積もったほこりの下には、淡い光沢さえ残っていた。

「......当たりだ」

 思わず声が弾んだ。

蓄電器バッテリー?」

 セヴァンが尋ねる。

「たぶん。少なくとも、ただの箱じゃない」

 台座の支持具しじぐにも純度の高そうな金属が使われている。これだけでもかなりの値がつくだろう。
 箱の中身がまだ生きているなら、もっと高い。
 ナジュラなら、用途を見抜ける技師も、古い機械を買い取る商人もいる。

「これ、売れるよ。かなり高く」
「安全か確かめるほうが先だ」
「これだけ長く置かれてて爆発してないんだ。いまさら爆発しないだろ」
「リュカが外そうとした瞬間に、ということもある」

「縁起でもないこと言わないでよ」
「気をつけて」

「分かってる。オレを誰だと思ってる?」
「料理のできない発掘屋」
「おまえ、さっきからそれ気に入ってるだろ」

 セヴァンの口元がわずかに動く。
 やっぱり、わざと言っているのかもしれない。

 固定具は四か所。
 箱の底から太い接続具が台座へ伸びている。力任せに外せば、箱も端子もまとめて壊れる。

「右のはりを支えて」
「上げる?」
「まだ。重さを受けるだけでいい」
「ああ」

 天井を支える梁には、髪の毛ほどの亀裂が入っていた。箱を外したことで重量の掛かり方が変われば、部屋ごとつぶれるかもしれない。
 セヴァンが外套がいとうを脱ぎ、そでひじまでまくる。
 日に焼けた腕には、長い筋が浮いている。

 身体が大きいから太く見えるのではない。肩から手首まで、余分なものをぎ落としたように堅く引き締まっている。
 はりへ両手を添えた途端、肩から背にかけての筋肉が衣服の下で盛り上がった。
 
 あれだけの身体がありながら、力を誇る素振りはない。
 オレが指定した位置へ立ち、指定した角度を守り、動くなと言われれば岩みたいに動かない。

 オレが機構きこうを読み、セヴァンが重さを支える。
 どちらか一人では、この箱を無傷で持ち出すことはできない。
 遺跡いせきを探索するにあたって、こういう役割のみ合い方は、気に入っている。

「ひとつ目、外すよ」
「ああ」

 二つ目。
 三つ目へ工具を掛けたところで、天井の奥が低くきしんだ。
 白い粉がぱらぱらと落ち、セヴァンの黒髪へ積もる。

「動かさないで」
「動かしていない」

 声はいつもと変わらない。
 けれど腕には筋が浮き、太い指は梁へ深く食い込んでいた。
 人間一人で支えられる重さには見えない。

「無理なら言って」
「まだ大丈夫」
「『まだ』って何。限界になる前に言えよ」

「ああ」
「本当に分かってる?」
「リュカは心配性だな」
「誰のせいだと思ってんの!」

 返事の代わりに、セヴァンは少しだけ目を細めた。

「最後を外す」
「ああ」

 接続具の根元へ工具を差し入れる。
 見たこともないほど細かなみ合わせが、幾重いくえにも重なっていた。

 焦れば折れる。
 欲を出せば、価値のあるものから壊す。

 呼吸を整え、一つずつ爪を探った。
 押す、ずらす、わずかに回す。
 最後の爪が、小さな音を立てて外れる。

「今。まっすぐ持ち上げて」

 セヴァンが片手を梁から離し、箱の側面のくぼみへ指を掛けた。
 黒い箱が台座から浮く。

 その瞬間、部屋全体が低くうなった。

「出るよ!」

 工具をつかみ、先に小部屋を飛び出す。
 セヴァンが箱を抱えて続いた。

 背後ではりが沈み、隠し部屋の入口が半分ほど崩れ落ちる。
 砂埃すなぼこりが通路を満たした。

 喉へざらつくものが入り、何度かき込む。
 視界が晴れる前に振り返った。

「セヴァン!」

 セヴァンは立っていた。
 白い粉を被った黒髪の下で、蜂蜜はちみつ色の瞳だけがまっすぐオレを捉えている。

 たくましい胸と両腕に黒い箱を抱えても、長い身体はほとんど揺らいでいなかった。
 崩れた遺跡いせきの中に立つ姿は、建物を支えていた黒い柱だけが、まだ倒れず残っているようにも見える。

怪我けがは?」

 開口一番に、セヴァンが尋ねた。

「ない。おまえは?」
「ない」
「本当?」
「ああ」

 肩や腕へ瓦礫がれきが当たった様子はない。

「じゃあ、それ下ろして。端子を見る」

 通路へ布を敷き、箱を置かせる。
 床へ触れたとき、鈍く重い音がした。
 相当な重量のはずなのに、セヴァンの呼吸はほとんど乱れていない。

「やっぱり怪力オバケだな」
「オバケではない」
「まだ言うんだ」

 側面の埃を拭う。
 細い文字と記号が浮かび上がった。旧時代の文字は多少読めても、ここに並ぶのは見慣れない略号りゃくごうばかりだ。

「何て書いてある?」
「分かるなら、もう値段までつけてる」

 返事がない。
 顔を上げると、セヴァンは箱の上部をじっと見ていた。

「どうした?」
「音がする」

 オレも耳を近づける。
 聞こえるのは、自分の呼吸と、遠くで砂が落ち続ける音だけだ。

「何も聞こえないけど」
「低い音。奥で何かが回っているような」

「耳鳴りじゃない?」
「そうかもしれない」

 セヴァンが箱へ掌を置いた。

 その瞬間、外装の表面へ細い光が走った。
 青白い線が一筋だけ浮かび、呼吸一つ分にも満たない間に消える。

 オレも、セヴァンも動かなかった。

「......今の、見たよね」
「ああ」
「もう一回触って」

 同じ場所へてのひらを置く。
 今度は何も起きない。

「何か聞こえた?」
「声に似たものが」

「何て?」
「分からない。遠すぎた」

 いつも穏やかな顔に、珍しく戸惑いが浮かんでいた。

 恐れているような感じではない。
 何かを思い出しかけ、それが何だったのか分からずにいるような、遠い表情だった。

「残ってた電気が動いただけだよ」

 オレは箱を布で包んだ。

「壊れてない証拠。むしろ値が上がる」
「そうだといい」
「いいに決まってる。これで濾過ろか材も工具も買える。靴だって直せるし、宿にも――」

 言葉が勢いよく出たところで止めた。

「宿にも?」
「金が余ったら、って話」

「卵も?」
「何で先に卵が出てくるんだよ」

「欲しいと言っていた」
「まだ言ってない」
「顔に出ていた」
「おまえにだけは言われたくないな」

 箱を背負い具へ固定する。
 セヴァンが触れるまでは、何一つ光らなかった漆黒しっこくの箱。
 その事実だけが、喉へ刺さった細い骨みたいに残った。
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白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く作者:玻璃 れにか
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