第7話 仮面の下の哄笑
*
「......あの仮面の男のこと、知ってるのか?」
ジョウの問いに、ヨシは少しだけ間を置いた。
「顔は知らない。でも、あの術式――奪った鍵を保管する、あの特殊な封印は」
「知ってるんだな」
「前に......噂で聞いたことがあるんだ。名はクラヴィスと呼ばれてる」
ジョウが「クラヴィス」と言い終わらないうちに、ヨシがふっと視線を伏せた。
その横顔を、トウゴがじっと見つめていた。
トウゴはそれ以上追及しなかったが、その目はじっとヨシの横顔を捉えていた。
ジョウは地面に手をついたまま、二人を見上げる。
「......なぁ。喉の...あんた等が言ってた鍵?を奪われたら、その人はどうなるんだ?」
重苦しい沈黙が降りた。ヨシとトウゴが一瞬だけ視線を交わし、
それからジョウを見つめる。やがて、トウゴが口を開いた。
「死ぬ」
ジョウは二人の答えを無意識に自分の喉へと手を伸ばした。
さっき、あの男の冷たい指先が触れる直前の、あの瞬間。
――死ぬ。
その二文字が、いま触れている喉の皮膚感覚と恐ろしいほど合致した。
説明としての言葉ではなく、生々しい実感として脳髄に突き刺さる。
ジョウの手のひらの下で、淡いゴールドの振動が未だに小さく震えていた。
「仮面の男は――クラヴィスはそれを知っていて、奪おうとしてるのか」
「多分、知っているんじゃないかな」
ヨシの零した声は、どこまでも静かに流れた。
夕方の風が、三人の間を通り抜けていく。
「あの人にとってはね――他人の鍵も、命も、ただの『コレクション』なんだよ。
それだけのために、人を殺めてでも、魅力的な鍵を奪おうとするんだと思う」
ジョウはなんとか立ち上がったものの、その場に立っているのがやっとだった。
声を出しただけなのに、なぜこれほどまでに身体が泥のように重いのか
まだ理解が追いつかない。
「とりあえず、来て」
突然、ヨシがそう言った。理由は説明されなかったが
ジョウは大人しく二人の後ろをついて行くことに決めた。
* * *
人影からの報告は、簡潔に済んでいた。
「――封印が、緩んでいる」
先ほどまで三人の様子を覗いていた人影は
通話口から聞こえてくるその言葉を待った。
待ち慣れた無言に感じていた。
「例の声紋は」
「記録されていない。聞いたこともない声紋だ。 本部のデータベースにも――未だ、どこにもない」
「......あり得るのか、そんなことが」
問いは、宙に浮いたまま消えた。
あれほどの力を持ちながら、いまだ登録されていない素質者だという事実が、
人影には信じ難かった。
「追跡を続けろ」
それだけを告げて、通話が切れた。
人影は通話を止め、窓の外に目をやった。
夕暮れに沈むキャンパスが、遠くに見える。
街灯が一つ、ポツリと灯る。
あの淡いゴールドの光を見た瞬間から、不味いとは思っていた。
しかし同時に、面白い、とも感じていた。
任務を忘れてそんな思考を抱く自分自身が一番不味い。
そう自覚しながらも、口元に笑みがこぼれてしまう。
そう思っていた矢先、背後の暗闇から声が響いた。
「未登録の声紋の力......やはり面白いですねぇ」
「誰だ!」
人影は鋭く振り返る。
そこには、素顔を隠す仮面と、マントを翻す全身スーツの気配だけ。
クラヴィスがそこに居た。
「貴方も面白いと感じて、今、笑みを零したではありませんか......?」
姿を隠すために、この一帯には隠蔽の封印空間を張っていたはずだ。
それなのに、一体どこの誰が侵入してきたというのか。
人影は周囲を油断なく見回したが、誰もいない。
すると次の瞬間、仮面の奥から端正な顔立ちがぬるりと滲み出るように現れ、
クラヴィスはニタリと笑った。
人影は息を呑み、思わず一歩後退する。
「話は聞かせていただきました。その鍵、私のコレクションに加えたくなりますねぇ......」
「盗み聞きとは、悪趣味な男だな......!」
人影は自身の鍵を紡ぎ出し、即座に間合いを測った。
そんな人影の鍵を見てクラヴィスは何かに気付いた。
「おや、あなたは封印派の方でしたか?異形も扉も、すべて閉じ込めることを正義とお考えの?まぁ私は組織の陰謀とか、そういったものには一切興味がないのですよ。
......ですが、今、興味があるとすれば」
クラヴィスは再び、底の知れない歪んだ笑みを深める。
「......貴方の、その独特な声。くらいでしょうか?」
人影は声紋鍵を構え直し、地を蹴った。
踏み込みは速く、鋭かった。これまで幾つもの異形を屠ってきた動きだ。
――届く、そう確信した刹那。
クラヴィスは、動かなかった。
避けるでも、防ぐでもない。
ただそこに立ったまま、笑みの形を崩さないままに不気味な笑みが終わらなかった。
振り下ろした鍵の切っ先が、クラヴィスの輪郭に触れる――そのつもりで向けた先。
だが、感触がなかった。
まるで最初から、そこに何もなかったかのように。
気づいたときには、視界が反転していた。
抗う間も、声を上げる間もなかった。
痛みすら、追いついてこなかった。
クラヴィスの影が、人影の影を包み込むように重なり合う。
ふっ、と。
蝋燭の火が吹き消されるように、あまりにも呆気なく。人影の姿が、掻き消えた。
静まり返った草原に、何かが軽く落下する音が小さく響く。
「......ふふ。これで、また一人。人間とは、実に......都合よくできているものですね」
そこにあったのは一つの小さな灰色の鍵――
人影が持っていた声紋鍵と、良く似た形をしていた。
「さて。あの子の鍵はこれからどんな力を見せてくれるのか......今からワクワクしますねぇ」
クラヴィスは床に落ちた鍵を拾い上げると満足げにそう呟き、闇に溶けるようにその場を立ち去った。