ホーム›法鍵士は夕暮れに鳴る›第26話 半分だけの鍵
← 次の話目次前の話 →

第26話 半分だけの鍵

静寂が満ちていた。
けれどそれは、先ほどの虚無とは違う、世界の音が正しく存在する本物の自然音に戻ってゆく。
風の音や虫の声が、次第に耳に馴染んでくる。
けれど、三人ともしばらくはその場から動けなかった。
ジョウは淡金の鍵を固く握りしめたまま立ち尽くしていたが
全身の震えが止まらず、喉の奥が焼けるように熱い。
封印が強引に割れた部位が、痺れるように激しく痛んでいた。

けれど――鍵は、まだそこにあった。
淡いゴールドの光が、美しく揺らめきながらも、
消えることなくジョウの手の中に存在し続けていた。

「......ごーさん」

ジョウが、掠れた声で呼んだ。
トウゴが、ゆっくりと壁から背を離した。足元の呪縛はすでに解けている。
極度の負荷のせいで膝がガタガタと笑っていたが、
彼は自らの足でしっかりと立っていた。

「......ああ、無事だ」
「よっさんは――」

トウゴの促すような視線に従い、二人は同時に地面を見下ろした。
ヨシが、泥に汚れた手を地面につき、激しく咳き込みながらも
ゆっくりと起き上がろうとしていた。
声紋鍵を強制破壊された反動で、その顔は死人のように真っ青だ。
けれど、その目はしっかりと開かれていた。

「今回は......完全にやられちゃったねぇ〜......」

ヨシが言った。声はガラガラに掠れていたが、いつもの調子を崩そうとしない。

「よかった、無事なんだね」

ジョウが慌てて隣にしゃがみ込んだ。


「無理に動かないで。......鍵は、大丈夫なのか?」
「少し、待ってくれたら......またすぐに出せるようになるよ」

そこに灯る、淡いゴールドの光を、ヨシは見つめた。

「鍵......ちゃんと出せたんだね」
「うん。半分だけだけどね」
「半分でも――あの絶望的な場面で出せたなら......」

ヨシが、ふっと口角を上げた。
青白い顔のまま。掠れた消え入るような声のまま。
けれど、彼は確かに笑った。

「十分すぎるよ」

トウゴが二人の元へと歩み寄って来た。言葉は何も言わなかった。
けれど、ヨシの反対側へと静かにしゃがみ込み、
彼の身体の状態を確認するように一瞬だけ視線を這わせた。

「......立てるか」
「立てるよ。......たぶんね」
「たぶん、ではない」
「......うん、立てる」
「なら立て。長居する場所ではない」

ジョウとトウゴが、ヨシの両脇を支えるようにして肩を貸した。
三人で、しっかりと地面を踏みしめて立ち上がる。
ジョウの手の中で、金色の光が優しく揺れている。
封印はまだ半分残ったままだ。けれど、こうして目の前にある――その事実だけは、確かにここに存在した。

*
拠点の地下室にヨシが床の簡易ベッドに横たわっていた。
その身体には、誰の手によるものか、分厚い毛布が一枚そっと掛けられている。
本人はそれに気づくこともなく、泥のように深く眠り続けていた。
トウゴはコンクリートの壁にもたれかかって座っていた。
一睡もしていない様で、その手の中で、群青の鍵を出しては消し、
まるで、自らの武器がまだそこにあることを、必死に確かめているかのように、
消しては出すという行為を静かに繰り返している。

ジョウは床に膝を抱えて座り、自分の喉元にそっと触れていた。
金の残光が、今もかすかに皮膚の隙間から揺らめいている。
封印の割れた裂け目から、少しだけ光が漏れ出しているのだ。
昨夜の戦いの直後に比べれば、消耗のせいで光はひどく弱々しい。
けれど、決して消えることはなかった。

部屋の中は静かで。 長い間、誰も何も喋らなかった。

ヨシが目を覚ましたのは、夜が明ける頃。
ゆっくりと目を開け、見慣れた天井をじっと見つめてから上体を起こした。
「......みんな、おはよう」
「起きたか」

トウゴとジョウが顔を上げた。

「二人とも、もしかして一睡もしてないの?」
「俺は少し寝た」

明らかな嘘にジョウはすぐに分かったが、あえて何も指摘しなかった。

「ジョウは?」
「寝てないよ」
「寝てよ」
「眠くないんだ」

ヨシがベッドから身体を完全に起こし、自分の左腕を見つめた。
昨夜の壮絶な戦闘の痕跡が残っている。
鍵を強制封印された反動は、外傷としては現れない。
けれど、身体の内側が、鉛を詰め込まれたように酷く重かった。

「鍵は?」

ジョウの問いに、ヨシは手を広げて深く息を吐き出した。

「出せるよ。なんとかね......」

微かな精神の集中とともに、彼の掌から――白銀の光が、頼りなくも溢れ出た。
昨夜に比べれば格段に薄い光だが、具現化の領域まで回復している。

「よかった......」

安堵のため息を漏らすジョウに、ヨシが優しく問いかけた。

「ジョウの方は、どう?」
「半分だけ使えるみたい。昨夜よりはちょっと弱くなっちゃってるけど」
「過度に消耗したからね。しっかり休めば、ちゃんと元に戻ると思うよ」
「本当に?」
「......たぶんね」
「たぶん、か」
「だって、封印が『半分だけ割れた状態』なんて前例がないんだ。
だから、たぶんとしか言えないさ」

ジョウは再び、自分の喉に指先を当てた。
「......不思議と、痛くはないんだよね。でも、なんか――変な感じがするんだ」
「変な感じ?」
「封印が割れている隙間から、何かがずっと漏れ出している感じがする。
声じゃない。でも、声に酷く似た何かが......」

ヨシが、その言葉を聞いてほんの少しだけ目を細めた。
「それが、ジョウの......『ミッド』の声紋鍵の本質だよ」
「声紋鍵が、漏れてる?」
「完全に封印されてたときも、かすかなノイズとして漏れ出してはいたんだよ」

ヨシは白銀の光を手の中に仕舞って答えを続けた。

「半分解けた今は――もっと明確に主張し始めている。お前の身体が、まだその出力に慣れていないから違和感があるだけさ」
「慣れたら、普通になるのかな」
「なると思うよ」

トウゴが、手の中で弄んでいた群青の鍵を静かに仕舞い込んだ。

「ジョウ」
「うん?」
「昨夜は――よく、あの状況で声を絞り出したな」

短く、淡々とした声音。感情の起伏はまるでない。
けれど、その言葉の奥には、確かに剥き出しの何かが存在していた。
あのトウゴが、明確にジョウを肯定している。

「ごーさんが死にそうだったからさ。気づいたら、勝手に声が出てたんだ」
「勝手に人を死なせるな」
「いや、実際死にそうだったって」
「......まあ」

トウゴが気まずそうにふいと視線を逸らした。

「......助かった......礼を言う」

蚊の鳴くような、ひどく小さな声。聞き落としてしまいそうなほどの微音。
ジョウは何も言わなかった。 ヨシも何も言わなかった。
ここで何も言わずに受け止めることこそが、唯一の正解だと二人は知っていた。
トウゴという男が、そういう不器用な人間であるということを、誰よりも理解しているからだ。
シェア
前の話 →
第25話 淡金の咆哮
← 次の話
第27話 三つの影
法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
目次を見る
ホーム›法鍵士は夕暮れに鳴る›第26話 半分だけの鍵

第26話 半分だけの鍵

静寂が満ちていた。
けれどそれは、先ほどの虚無とは違う、世界の音が正しく存在する本物の自然音に戻ってゆく。
風の音や虫の声が、次第に耳に馴染んでくる。
けれど、三人ともしばらくはその場から動けなかった。
ジョウは淡金の鍵を固く握りしめたまま立ち尽くしていたが
全身の震えが止まらず、喉の奥が焼けるように熱い。
封印が強引に割れた部位が、痺れるように激しく痛んでいた。

けれど――鍵は、まだそこにあった。
淡いゴールドの光が、美しく揺らめきながらも、
消えることなくジョウの手の中に存在し続けていた。

「......ごーさん」

ジョウが、掠れた声で呼んだ。
トウゴが、ゆっくりと壁から背を離した。足元の呪縛はすでに解けている。
極度の負荷のせいで膝がガタガタと笑っていたが、
彼は自らの足でしっかりと立っていた。

「......ああ、無事だ」
「よっさんは――」

トウゴの促すような視線に従い、二人は同時に地面を見下ろした。
ヨシが、泥に汚れた手を地面につき、激しく咳き込みながらも
ゆっくりと起き上がろうとしていた。
声紋鍵を強制破壊された反動で、その顔は死人のように真っ青だ。
けれど、その目はしっかりと開かれていた。

「今回は......完全にやられちゃったねぇ〜......」

ヨシが言った。声はガラガラに掠れていたが、いつもの調子を崩そうとしない。

「よかった、無事なんだね」

ジョウが慌てて隣にしゃがみ込んだ。


「無理に動かないで。......鍵は、大丈夫なのか?」
「少し、待ってくれたら......またすぐに出せるようになるよ」

そこに灯る、淡いゴールドの光を、ヨシは見つめた。

「鍵......ちゃんと出せたんだね」
「うん。半分だけだけどね」
「半分でも――あの絶望的な場面で出せたなら......」

ヨシが、ふっと口角を上げた。
青白い顔のまま。掠れた消え入るような声のまま。
けれど、彼は確かに笑った。

「十分すぎるよ」

トウゴが二人の元へと歩み寄って来た。言葉は何も言わなかった。
けれど、ヨシの反対側へと静かにしゃがみ込み、
彼の身体の状態を確認するように一瞬だけ視線を這わせた。

「......立てるか」
「立てるよ。......たぶんね」
「たぶん、ではない」
「......うん、立てる」
「なら立て。長居する場所ではない」

ジョウとトウゴが、ヨシの両脇を支えるようにして肩を貸した。
三人で、しっかりと地面を踏みしめて立ち上がる。
ジョウの手の中で、金色の光が優しく揺れている。
封印はまだ半分残ったままだ。けれど、こうして目の前にある――その事実だけは、確かにここに存在した。

*
拠点の地下室にヨシが床の簡易ベッドに横たわっていた。
その身体には、誰の手によるものか、分厚い毛布が一枚そっと掛けられている。
本人はそれに気づくこともなく、泥のように深く眠り続けていた。
トウゴはコンクリートの壁にもたれかかって座っていた。
一睡もしていない様で、その手の中で、群青の鍵を出しては消し、
まるで、自らの武器がまだそこにあることを、必死に確かめているかのように、
消しては出すという行為を静かに繰り返している。

ジョウは床に膝を抱えて座り、自分の喉元にそっと触れていた。
金の残光が、今もかすかに皮膚の隙間から揺らめいている。
封印の割れた裂け目から、少しだけ光が漏れ出しているのだ。
昨夜の戦いの直後に比べれば、消耗のせいで光はひどく弱々しい。
けれど、決して消えることはなかった。

部屋の中は静かで。 長い間、誰も何も喋らなかった。

ヨシが目を覚ましたのは、夜が明ける頃。
ゆっくりと目を開け、見慣れた天井をじっと見つめてから上体を起こした。
「......みんな、おはよう」
「起きたか」

トウゴとジョウが顔を上げた。

「二人とも、もしかして一睡もしてないの?」
「俺は少し寝た」

明らかな嘘にジョウはすぐに分かったが、あえて何も指摘しなかった。

「ジョウは?」
「寝てないよ」
「寝てよ」
「眠くないんだ」

ヨシがベッドから身体を完全に起こし、自分の左腕を見つめた。
昨夜の壮絶な戦闘の痕跡が残っている。
鍵を強制封印された反動は、外傷としては現れない。
けれど、身体の内側が、鉛を詰め込まれたように酷く重かった。

「鍵は?」

ジョウの問いに、ヨシは手を広げて深く息を吐き出した。

「出せるよ。なんとかね......」

微かな精神の集中とともに、彼の掌から――白銀の光が、頼りなくも溢れ出た。
昨夜に比べれば格段に薄い光だが、具現化の領域まで回復している。

「よかった......」

安堵のため息を漏らすジョウに、ヨシが優しく問いかけた。

「ジョウの方は、どう?」
「半分だけ使えるみたい。昨夜よりはちょっと弱くなっちゃってるけど」
「過度に消耗したからね。しっかり休めば、ちゃんと元に戻ると思うよ」
「本当に?」
「......たぶんね」
「たぶん、か」
「だって、封印が『半分だけ割れた状態』なんて前例がないんだ。
だから、たぶんとしか言えないさ」

ジョウは再び、自分の喉に指先を当てた。
「......不思議と、痛くはないんだよね。でも、なんか――変な感じがするんだ」
「変な感じ?」
「封印が割れている隙間から、何かがずっと漏れ出している感じがする。
声じゃない。でも、声に酷く似た何かが......」

ヨシが、その言葉を聞いてほんの少しだけ目を細めた。
「それが、ジョウの......『ミッド』の声紋鍵の本質だよ」
「声紋鍵が、漏れてる?」
「完全に封印されてたときも、かすかなノイズとして漏れ出してはいたんだよ」

ヨシは白銀の光を手の中に仕舞って答えを続けた。

「半分解けた今は――もっと明確に主張し始めている。お前の身体が、まだその出力に慣れていないから違和感があるだけさ」
「慣れたら、普通になるのかな」
「なると思うよ」

トウゴが、手の中で弄んでいた群青の鍵を静かに仕舞い込んだ。

「ジョウ」
「うん?」
「昨夜は――よく、あの状況で声を絞り出したな」

短く、淡々とした声音。感情の起伏はまるでない。
けれど、その言葉の奥には、確かに剥き出しの何かが存在していた。
あのトウゴが、明確にジョウを肯定している。

「ごーさんが死にそうだったからさ。気づいたら、勝手に声が出てたんだ」
「勝手に人を死なせるな」
「いや、実際死にそうだったって」
「......まあ」

トウゴが気まずそうにふいと視線を逸らした。

「......助かった......礼を言う」

蚊の鳴くような、ひどく小さな声。聞き落としてしまいそうなほどの微音。
ジョウは何も言わなかった。 ヨシも何も言わなかった。
ここで何も言わずに受け止めることこそが、唯一の正解だと二人は知っていた。
トウゴという男が、そういう不器用な人間であるということを、誰よりも理解しているからだ。
シェア
次の話第27話 三つの影
法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
目次