第21話 疼きだす古傷
「あれー、随分と物騒なことになってるねぇ」
呑気な声が、路地の入り口の方から響いた。
封印派の男が、鋭くそちらへ視線を向ける。
「何者だ」
一人の男が立っていた。五十代ほどに見える。 背が高く、白髪交じりの髪が夜風にさらさらと揺れていた。 服装こそ和服姿だが、放つ存在感が尋常ではない。
封印派の男は、警戒はしたものの――初めて見る顔だ、
という以上の反応は起きない。
解放派の若い二人も同様だった。互いに顔を見合わせ、誰が呼んだ増援なのか。
あるいは第三勢力なのか測りかねている。
どちらの陣営からも、膝をつく者はいない。頭を垂れる者もいない。
ただの、部外者の乱入としか映っていなかった。
だが。
ヨシの身体が、あからさまに強張った。
銀白の鍵を構えたまま、その眼球だけが男を捉えて動かなくなる。
隣で低く構えていたトウゴもまた、 群青の光がほんの一瞬、
揺らぐほどに動きを止めていた。
(――らいえん)
声には出さなかった。出せなかった。
末端の連中が誰一人としてその名を知らないことに、
ジョウは戦闘の最中だというのに一瞬だけ違和感を覚えた。
だが、事情を問う余裕はなかった。
「ワシもお邪魔......していいかなぁ?」
男――来縁が、誰にともなく言った。
拘束が解けたばかりの封印派の男が舌打ちし、鍵を構え直す。
「部外者は下がっていろ。これは我々の――」
「部外者、ねぇ」
来縁は特に気分を害した様子もなく、軽く肩をすくめた。
歩みは止めない。ゆっくりと。
しかし迷いのない足取りで 包囲の中央へと入っていく。
トウゴの喉が、微かに鳴った。声にはならない。
――止めなければ。
だが、何を根拠に、どう止めればいいのか
言葉にする前に、来縁はすでに双方の間合いの内側にいた。
封印派の男が、痺れを切らしたように鍵を振るう。
漆黒の一閃が来縁の首筋を狙って走った。
来縁は避けなかった。
ただ、右手の指先を軽く弾いただけで。
鍵の軌道が、まるで見えない壁に当たったかのように弾かれる。
男の腕が痺れたように大きく跳ね上がり、体勢が崩れた。
「うわ、危ないなぁ。もう少し丁寧に振ってくれない?」
軽い口調で答える言葉はまるで冗談を言っているようにしか聞こえない。
だが、鍵一つで防がれたという事実だけが、その場の空気を凍らせた。
解放派の若い二人が、明らかに顔色を変えた。
「な......今の、術式も使わずに......」
解放派の一人が呻いた
「ただの人間じゃない......」
封印派の男も掠れた声が漏れる。
それでも、名前までは辿り着かない。 封印派も解放派も、
ただ「異様に強い何か」としてしか 来縁を認識していなかった。
ジョウはその光景を見ながら、隣のヨシへと視線を走らせた。
「よっさん......知り合いか?」
ヨシは答えなかった。答える余裕がなかった。
その顔から、いつもの飄々とした色が完全に抜け落ちている。
かわりに浮かんでいたのは、警戒でも敵意でもない――
もっと個人的な、古い痛みに触れたときの顔になっていた。
* * *
Bブロードが結成される15年前のその頃、
封印派と解放派。
二つの流儀を持つ法鍵士たちは、互いの違いを認めながら、
同じ目的のために肩を並べていた。
異型の影を封じるか、あるいは解放するか――
手段は違えど、世界の均衡を守るという一点において、
誰もが同じ場所を向いていた。
対立など、想像すらできなかった時代の話だ。
「来縁、またそこで寝てるのか」
夕暮れ時の拠点の長椅子に大の字になって転がっていた来縁に、
封印派の宝璽が呆れたように声を掛ける。
不器用なほど真面目な青年が、そこにいた。
「寝てないよ。考え事をしていた」
「天井を見ながらか」
「天井は思考を邪魔しないから好きなんだ」
来縁はのそりと身を起こし、くしゃりと白髪交じりの――いや、
この当時はまだ黒々とした髪を掻き回した。飄々とした笑みは今と変わらない。
ただ、その笑みの底にある重さが、この頃はまだずっと薄かった。
「ねえ、今夜飯にしようよ。三人で」
突然、長髪が揺れる姿の女性......莢が提案してきた。
「どこに?」
「どこでもいい。来縁の行きつけでいいから」
「僕の行きつけは宝璽が嫌がるやつばかりだけど」
「うるさい」
「ほら、もう嫌がってる!大丈夫。片桐くんの所だから」
莢がまた笑った。宝璽が盛大に舌打ちをした。来縁が肩をすくめた。
* * *
トウゴが目の前の来縁を見て......小さく、ジョウにだけ聞こえる声で言った。
「......知っている」
「誰なんだよ」
「今は言えない。だが――味方だ、おそらくは」
「おそらく」という言葉の重さに、ジョウは何かを察した。
トウゴ自身も、確信を持って言っているわけではない。
来縁は、封印派と解放派の間に立ったまま、 穏やかな声で続けた。
「今夜はここまでにしないかい? 双方とも、これ以上は消耗するだけだ」
「貴様に指図される謂れはない」
封印派の男が吐き捨てる。
だが、その声にはさっきまでの 自信が明らかに欠けていた。
目の前の男の実力を、 身体で理解してしまったからだ。
「指図じゃないよ。提案。......でも、聞いてくれないなら」
来縁の声のトーンが、わずかに低くなった。
「もう少し、痛い目を見てもらうことになるけど」
その一言で、空気が変わった。 誰も、それ以上動けなかった。
封印派の末端も、解放派の末端も、静かに武器を収める。
名前も知らない。所属も分からない。
それでも、この男に逆らってはいけないという直感だけが
その場の全員を等しく縛りつけていた。
やがて、双方が無言のまま踵を返し、それぞれの闇へと消えていく。
名乗りもせず、礼もせず、ただ逃げるようにして。
静けさが戻った路地に、四人だけが残された。
来縁が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「やあ、B-ブロード」
その呼び名に、ジョウは目を丸くした。
「......俺たちのこと、知ってるのか」
「そりゃあね」
来縁は軽く笑った。
だが、その視線がヨシに向いた瞬間――
笑みの質が、ほんの少しだけ変わった。
「大きくなったね、ヨシ」