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第22話 由貴という名前

「大きくなったね、ヨシ」

ヨシは何も答えなかった。
銀白の鍵を握る手が、白くなるほど強く握りしめられている。
トウゴが、静かに一歩前へ出た。庇うでもなく、 ただ二人の間に立つような位置に。

「......どうしてここに」
「通りかかっただけだよ。本当に、ただの偶然」
「よっさん、この人知り合いなの?」
「うん...この人はね――」

そうヨシが言いかけたその時、来縁は割り込んで答えた。

「どうもー!解放派・首領の来縁だ」

来縁らいえんはそう飄々と言ったが、その目はまるで笑っていなかった。

「貴方が......解放派の首領」
「そうそう。さっきの連中、ワシの名前も誰かも知らなかっただろう?」
「......分かっていてあんな堂々と出来たのか」
「ああ。だから雑な喧嘩ができたんだよ」

来縁らいえんは路地の奥、末端たちが消えていった闇を一瞥した。

「末端まで顔が割れてちゃ、動きづらくてね。
ちゃんと知ってるのは――限られた人間だけでいい」

その視線が、もう一度ヨシへと戻る。

「例えば、君みたいにね」

ヨシは、それでも答えなかった。
ジョウはその横顔を見て、何も聞けなかった。
知らない方がいいのか、知るべきなのか、
自分にはまだその判断すらつかないと分かっていたからだ。
来縁らいえんが、改めて三人を見回した。

「にしても......B-ブロード、だよね」
「......俺たちのことを知っているのか」

トウゴが問う。声には、まだ硬さが残っていた。

「噂は聞いてるよ。ミッド、バス、トレブル―― 三声が完璧に揃ったチームが現れたってね」

来縁らいえんの視線が、再びジョウへと移動する。
一瞬だけ――何かが止まるような間があった。

「元気そうで、本当によかった」

ジョウはその言葉に首を傾げた。
だが、今度は誰にも尋ねなかった。
さっきのヨシとトウゴの反応を見た後では
「知り合いかな」と軽く聞ける空気ではないと、
直感的に分かっていたからだ。
来縁はそれ以上、深追いさせなかった。

「今夜はもう帰りなさい。封印派がまた増援を寄越すかもしれない。ここに長居すると面倒なことになる」
「貴方はどうするんですか」

ジョウが問うが、来縁はすでに歩き出していた。

「ワシは大丈夫。こういうことには慣れてるからね」

トウゴが、その去り際をじっと険しい目で見つめていた。

「......あの人、末端の連中は誰も名前を知らなかったな」

ジョウが小声で言うと、トウゴが小さく頷いた。

「そうだ。あの男は、わざとそうしている」
「わざと?」
「顔と力だけを見せて、名前は見せない。 知っている人間だけが知っていればいい――そういう動き方だ」

トウゴの声には、どこか苦いものが混じっていた。

「......封印派に、ワシの存在が伝わっていたな」
「うん」

ヨシが静かに応じる。来縁はジョウの目を真っ直ぐに見据えた。

「次は組織として、本腰を入れて動いてくる可能性があるよ。覚悟しておいた方が良い」

ジョウは小さく頷く。喉の奥が、まだ嫌に熱かった。

「行こう」

トウゴがジョウの肩に手を置き、拠点の方向へと促した。
ジョウは頷き、踵を返した。
だが、数歩進んだところで、忘れ物に気づいた。
バイト先の店に置いてきたはずのイヤホンが、 ポケットの中で見当たらない。

「......ごーさん、先行ってて。財布と一緒に落としたかも」
「探すなら急げ」

トウゴはそう言うと、そのまま拠点へと歩き去っていった。
ジョウは踵を返し、来た道を戻る。
イヤホンはすぐに、さっき座っていた場所の近くの側溝の縁に落ちているのが見えた。
拾い上げようとしゃがんだ、その時。

「大きくなったね、ヨシ」

再び声が聞こえた。来縁らいえんの声だ。
歩き去ったはずなのに、まだこの場に残っていたのだ。
距離があるせいで、暗がりで輪郭は淡かった。
ジョウは咄嗟に動きを止め、暗がりの陰に身を潜めた。
覗き見るつもりはなかった。
ただ、なぜか――足が、その場から動かなかった。

「......最後に会ったのは――お前が十四のときだったか」
「十二です」

ヨシの声は、いつもよりずっと低く、硬かった。
ジョウの知らない声色に感じた。
風向きのせいか、途中から言葉が途切れ途切れにしか届かなくなる。
「父親」「由貴ゆき」という単語が、 切れ切れにジョウの耳に流れ込んできた。
意味は分からない。
それでも、その響きだけで何か重大な話をしているのだと肌で感じ取れた。

「――お前が両親の血を引いて生まれたとき......」

そこから先は、風にかき消されて聞こえなかった。
ヨシの肩が、ほんの少し強張るのが遠目にも分かった。
ジョウはイヤホンを握りしめたまま、それ以上近づくことができなかった。
近づいてはいけない、という直感が強く働いていた。
同時に、これは自分に関係のある話なのではないか、
という予感もまた、拭いきれなかった。
やがて来縁らいえんの背中が路地の奥へ消え、
ヨシが一人、暗い空を見上げているのが見えた。
ジョウは静かにその場を離れ、拠点への道を歩き出した。

(由貴ゆきって、誰だ......)

耳に残った単語を、ジョウは頭の中で何度も繰り返した。
答えは出なかった。
ただ、いつかこの名前が、自分の記憶の断片と重なる日が来る――
そんな予感だけが、靴音とともに胸の奥深くへと沈んでいった。

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法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
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第22話 由貴という名前

「大きくなったね、ヨシ」

ヨシは何も答えなかった。
銀白の鍵を握る手が、白くなるほど強く握りしめられている。
トウゴが、静かに一歩前へ出た。庇うでもなく、 ただ二人の間に立つような位置に。

「......どうしてここに」
「通りかかっただけだよ。本当に、ただの偶然」
「よっさん、この人知り合いなの?」
「うん...この人はね――」

そうヨシが言いかけたその時、来縁は割り込んで答えた。

「どうもー!解放派・首領の来縁だ」

来縁らいえんはそう飄々と言ったが、その目はまるで笑っていなかった。

「貴方が......解放派の首領」
「そうそう。さっきの連中、ワシの名前も誰かも知らなかっただろう?」
「......分かっていてあんな堂々と出来たのか」
「ああ。だから雑な喧嘩ができたんだよ」

来縁らいえんは路地の奥、末端たちが消えていった闇を一瞥した。

「末端まで顔が割れてちゃ、動きづらくてね。
ちゃんと知ってるのは――限られた人間だけでいい」

その視線が、もう一度ヨシへと戻る。

「例えば、君みたいにね」

ヨシは、それでも答えなかった。
ジョウはその横顔を見て、何も聞けなかった。
知らない方がいいのか、知るべきなのか、
自分にはまだその判断すらつかないと分かっていたからだ。
来縁らいえんが、改めて三人を見回した。

「にしても......B-ブロード、だよね」
「......俺たちのことを知っているのか」

トウゴが問う。声には、まだ硬さが残っていた。

「噂は聞いてるよ。ミッド、バス、トレブル―― 三声が完璧に揃ったチームが現れたってね」

来縁らいえんの視線が、再びジョウへと移動する。
一瞬だけ――何かが止まるような間があった。

「元気そうで、本当によかった」

ジョウはその言葉に首を傾げた。
だが、今度は誰にも尋ねなかった。
さっきのヨシとトウゴの反応を見た後では
「知り合いかな」と軽く聞ける空気ではないと、
直感的に分かっていたからだ。
来縁はそれ以上、深追いさせなかった。

「今夜はもう帰りなさい。封印派がまた増援を寄越すかもしれない。ここに長居すると面倒なことになる」
「貴方はどうするんですか」

ジョウが問うが、来縁はすでに歩き出していた。

「ワシは大丈夫。こういうことには慣れてるからね」

トウゴが、その去り際をじっと険しい目で見つめていた。

「......あの人、末端の連中は誰も名前を知らなかったな」

ジョウが小声で言うと、トウゴが小さく頷いた。

「そうだ。あの男は、わざとそうしている」
「わざと?」
「顔と力だけを見せて、名前は見せない。 知っている人間だけが知っていればいい――そういう動き方だ」

トウゴの声には、どこか苦いものが混じっていた。

「......封印派に、ワシの存在が伝わっていたな」
「うん」

ヨシが静かに応じる。来縁はジョウの目を真っ直ぐに見据えた。

「次は組織として、本腰を入れて動いてくる可能性があるよ。覚悟しておいた方が良い」

ジョウは小さく頷く。喉の奥が、まだ嫌に熱かった。

「行こう」

トウゴがジョウの肩に手を置き、拠点の方向へと促した。
ジョウは頷き、踵を返した。
だが、数歩進んだところで、忘れ物に気づいた。
バイト先の店に置いてきたはずのイヤホンが、 ポケットの中で見当たらない。

「......ごーさん、先行ってて。財布と一緒に落としたかも」
「探すなら急げ」

トウゴはそう言うと、そのまま拠点へと歩き去っていった。
ジョウは踵を返し、来た道を戻る。
イヤホンはすぐに、さっき座っていた場所の近くの側溝の縁に落ちているのが見えた。
拾い上げようとしゃがんだ、その時。

「大きくなったね、ヨシ」

再び声が聞こえた。来縁らいえんの声だ。
歩き去ったはずなのに、まだこの場に残っていたのだ。
距離があるせいで、暗がりで輪郭は淡かった。
ジョウは咄嗟に動きを止め、暗がりの陰に身を潜めた。
覗き見るつもりはなかった。
ただ、なぜか――足が、その場から動かなかった。

「......最後に会ったのは――お前が十四のときだったか」
「十二です」

ヨシの声は、いつもよりずっと低く、硬かった。
ジョウの知らない声色に感じた。
風向きのせいか、途中から言葉が途切れ途切れにしか届かなくなる。
「父親」「由貴ゆき」という単語が、 切れ切れにジョウの耳に流れ込んできた。
意味は分からない。
それでも、その響きだけで何か重大な話をしているのだと肌で感じ取れた。

「――お前が両親の血を引いて生まれたとき......」

そこから先は、風にかき消されて聞こえなかった。
ヨシの肩が、ほんの少し強張るのが遠目にも分かった。
ジョウはイヤホンを握りしめたまま、それ以上近づくことができなかった。
近づいてはいけない、という直感が強く働いていた。
同時に、これは自分に関係のある話なのではないか、
という予感もまた、拭いきれなかった。
やがて来縁らいえんの背中が路地の奥へ消え、
ヨシが一人、暗い空を見上げているのが見えた。
ジョウは静かにその場を離れ、拠点への道を歩き出した。

(由貴ゆきって、誰だ......)

耳に残った単語を、ジョウは頭の中で何度も繰り返した。
答えは出なかった。
ただ、いつかこの名前が、自分の記憶の断片と重なる日が来る――
そんな予感だけが、靴音とともに胸の奥深くへと沈んでいった。

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