第42話 同じ空の下を
* * *
数日ぶりに、喫茶店「ミチクサ」のドアベルが、あの軽やかな音を立てた。
顔を上げた瞬間、喉が小さく鳴った。
「久しぶりだね」
解良は柔らかく笑って、いつもの窓際の席に腰を下ろした。
「ちゃんと、店から来たでしょう」
「そうですね」ジョウは声を落とした。「ご注文は」
「ブレンドで」
コーヒーを淹れる手が、いつもより慎重になる。
厨房の奥で、片桐さんが鍋をかき混ぜる音がしていた。
男は窓の外を眺め、ゆっくりとカップを傾け、いつも通り会計に来た。
小銭を数えながら、独り言のように呟く。
「頑張ってね。淡いゴールドくん」
手の中の伝票を、強く握りしめていた。
「......今、なんて」
「聞き間違いじゃないよ」
男は変わらぬ笑みのまま、レシートを受け取った。
「じゃあ、また」
ドアベルが鳴って、扉が閉まる。
(淡いゴールド......)
自分の鍵の色だ。噂で聞いたのは、青と白だけだった。
大学の噂話では、一度も聞いたことがない。
「鍵城くん? また幽霊でも見た顔してる」
「な、なんでもない」
空の苦笑を遠くに聞きながら、ジョウはもう一度、ガラス扉の向こうの、
何もない歩道を見つめた。
* * *
莢が鍵となってから、宝璽と来縁が言葉を交わすことは、
ほとんどなくなった。
来縁は解放派へ、宝璽は封印派の頂へ。
それぞれが答えを抱えて、別々の場所へ歩いていった。
それでも、あの夜のことだけは、来縁も忘れられずにいた。
正確な会話も、歩いた距離も、もう朧げだ。
それでも、あの時の温度だけは鮮明に残っている。
隣にいるだけで安心できる人間が、確かに二人いた。
それだけで、他には何もいらないと思えた時間があった。
あの温度が永遠に続くものだと、来縁は信じて疑わなかった。
*
綴との一件から、数日が経っていた。
古びた喫茶店の隅の席で、来縁は窓の外を見ていた。
人が歩き、車が走る。誰もが自分の日常の中にいる。
テーブルの上のコーヒーは、とっくに冷めていた。
スマートフォンが震える。画面には解放派の幹部の名前。
来縁は伏せたまま、鳴り止むのを待った。
向かいの席は空いている。
椅子は、誰かが座っていたように、少しだけ引かれていた。
窓の外を、学生が一人、足早に通り過ぎていった。
ジョウと同じくらいの年頃だった。
「......ジョウは、強くなったよ」
向かいに向けた声は、それきりだった。
続きを探すように口が動いて、何も出てこなかった。
冷めたコーヒーを、一口だけ啜るも苦いだけだった。
来縁はカップを置き、指先でソーサーの縁をゆっくりとなぞり、
そのまま、しばらく動かなかった。