番外編 顔バレ警報、誤報につき
* * *
四限の講義は、出席を取った後からが本番だった。
教授が黒板に向かった瞬間、教室の空気が変わる。
誰もが一斉に、やるべきことではないことを始めるのだ。
スマホ、イヤホン、隣の席との小声の会話。
ジョウはノートを開いたまま、ペンを動かさずに固まっていた。
前の席の二人組が、また熱心に話し込んでいる。
「聞いた? 昨日また出たらしいよ、法鍵士」
ジョウの手が、ぴたりと止まった。
「どこで?」
「大学の裏手。なんか光ったってさ。青っぽい光と、白い光」
(青と白――)
群青と白銀だ、と即座に思った。思ってから、自分が過剰に反応していることに気づく。
「しかも、二人じゃなくて三人いたって話だし」
(三人......)
ジョウは前を向いたまま、喉にそっと触れた。光は漏れていない。
封印はまだ半分残っている。大丈夫な筈だ。
「顔、見た人いるのかな」
「いるらしいよ。一人は黒いカーディガンで、髪が明るいやつ」
(ごーさんだ)
無意識に、背筋が伸びていた。
「もう一人は白いシャツで細いやつ。で、もう一人が――」
「なんか、普通の大学生っぽいやつだったって」
ジョウは、完全にフリーズした。
(普通の大学生っぽい......ワシのことか!)
頭の中で、最悪の想定が急速に広がっていく。顔を見られた。特定される。
法鍵士だとバレる。組織に報告が行く。トウゴに烈火のごとく叱られる。
ヨシに「ジョウ〜」と困った顔で肩を叩かれる。
片桐さんにまで、事情を聞かれる未来が見えた。おしまいだ。
「でもさ、法鍵士って都市伝説じゃないの?」
「いや、動画もあったし......」
そんな会話を尻目に、チャイムが鳴った。
ジョウは荷物をまとめ、階段を二段飛ばしで降り、廊下を競歩並みの速さで駆け抜けて、拠点の扉を勢いよく押し開けた。
「ごーさんっ!」
机で資料をめくっていたトウゴが、眉をひそめた。
「うるさい」
「それどころじゃないんだって! ワシらの顔、見られてたかもしれない!」
「......何の話だ」
「大学の裏手の噂、もう広まってて! 黒いカーディガンで髪が明るいやつとか、白いシャツで細いやつとか......あと、普通の大学生っぽいやつがいたって!」
「......普通の大学生っぽい」
トウゴが、その言葉を低く復唱した。
「絶対ワシのことじゃん! どうしよう、法鍵士だってバレたら、組織に――」
「バレない」
「なんでそんな言い切れるんだよ! 動画もあったって言ってたし!」
「封印空間で見たものは、外に出れば曖昧になる。顔は残らない」
「ほんと?」
「ただし、光は残る。宮田の件を忘れたか」
ジョウの喉が、ひくりと動いた。
「......じゃあ、やっぱり」
「光は二色だった」
トウゴは資料から目を上げないまま言った。
「お前は、出していない」
「出してないから、普通の大学生......?」
「そういうことだ」
ジョウは胸をなで下ろし、壁に寄りかかって盛大なため息を吐いた。
「あー、よかったぁ......寿命縮まるかと思った......」
「よかった、ではない」
トウゴの冷ややかな声が追撃した。
「戦いの中で存在感がない、と言っている」
「えっ」
「事実を言ったまでだ」
「ちょっと待って、それはそれで結構リアルに傷つくんだけど!?」
理不尽な追い打ちに口を尖らせながら、ジョウは椅子にどっかりと腰を下ろした。腹いせのように、缶コーヒーのプルタブをバキッと開ける。
扉が開いて、ヨシが入ってきた。部屋に漂う微妙な空気を察して、困ったように、けれどどこか楽しげに目を細める。
「お疲れ様。......何か面白いことでもあった?」
「ジョウが、都市伝説の目撃情報に自分が載ったと勘違いして、勝手にパニックになっていただけだ」
「え、ジョウは載ってなかったの?」
「『普通の大学生っぽいやつ』と、一言だけ書かれていた」
ヨシは、缶コーヒーを凝視して固まっているジョウを盗み見た。
一拍。絶妙な間を置いてから、微笑む。
「......うん。すごくジョウらしいね」
「だからどういう意味だよ、よっさん!」
ヨシは、ついに堪えきれず声を上げて笑い出した。
トウゴはフッと鼻を鳴らし、次の資料をめくる。
その手が胸元で一度だけ止まるのを、ジョウは見た。
ジョウはぶつぶつと文句を言いながら、コーヒーを喉に流し込んだ。
何も味がしなかった。