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番外編 普通の味がする夜

ある日の夕方、ジョウの腹の虫は盛大に鳴り響いていた。

五限の講義が長引いたせいもあるが
拠点の扉を開けた瞬間に漂ってきた、あまりにも良い匂いのせいでもあった。

「......え、何この匂い。ごーさん、なんか食べてるの?」

ジョウが鞄を置いて奥を覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
いつもなら古い資料や法鍵士の物騒な道具が並んでいるはずの長机に
無造作にカセットコンロが置かれ
その上で土鍋が白い湯気を威勢よく立てている。

そして、黒いカーディガンを腕まくりしたトウゴが
真剣な面持ちでネギを切っていた。

「座れ。もうすぐできる」
「えっ、ごーさんの手料理!? 嘘でしょ、明日雪でも降るんじゃ......」
「うるさい。嫌なら食うな」
「食います!!」

ジョウが慌てて椅子を引くと、トウゴは醤油ベースの寄せ鍋を目の前に置いた。
鶏肉と白菜、ネギ、豆腐。どこにでもある、至って普通の家庭の鍋だ。

トウゴがこんな風に生活感を出すのは、極めて珍しいことで。
いつもはコンビニのゼリー飲料や、味が薄い携帯食料のようなものばかりを
無機質に口にしている男なのだ。

「......どうしたの、急に」
「お前が『普通の大学生』なら、これくらいが妥当だと思っただけだ」

トウゴはぶっきらぼうに言いながら、ジョウの器にドサドサと肉や野菜を盛っていく。

「動けなくなるまで消耗した身体には、
ただの栄養剤より、まともな出汁(だし)の方が吸収率が良い。」

相変わらず言い訳のような能書きに思えたがジョウは気付いた。
クラヴィスとの戦い、そして過去の因縁で
トウゴ自身やヨシが一番傷ついているはずなのに
彼は彼なりに、ジョウの消耗や、張り詰めていた重い空気を
ほぐそうとしてくれているのだ。

「いただきまーす」
ジョウがハフハフと口に運ぶ。
出汁の優しい味がじゅわっと染みて、冷え切っていた身体の芯へと
驚くほど心地よく染み渡っていく。

「うま......っ、めちゃくちゃ美味いよ、これ!」
「当然だ。火加減と食材の投入タイミングは完璧に計算している」
「料理にまで精度求めてるの、ウケるんだけど」

ジョウが声を上げて笑ったとき、ガチャリと扉が開いた。

「ただいまー。......あれ、なんかすごく楽しそうなことしてるね?」

入ってきたのはヨシ。手にはコンビニの袋を持っている。

「ちょうどよかった。これ、お土産」

ヨシが袋から出したのは、人数分のプリンと、少し高めの炭酸飲料をコトリ。と置いた。

「わ、よっさんナイスタイミング! ちょうど甘いものが欲しかったんだ!」
「ふふ、良かった。トウゴが料理するなんて珍しいね。僕も混ぜてもらっていい?」
「当たり前だろ、座れ」

トウゴが今度はヨシの分の器を用意する。
狭い拠点の机を三人で囲み、ひとつの鍋をつつく。

ヨシが「大学の講義はどう?」と気遣うように聞き、
ジョウが「教授の滑舌が悪くて、中音域のノイズにしか聞こえないんだよ」と
愚痴をこぼし、トウゴが「それを聞き取るのも聴覚の訓練だ」と的外れな説教をする。
世界を揺るがすような大事件は何一つ起きない。
敵の襲撃も、緊迫した術式の詠唱もない。

ただ、箸が器に当たるカチカチという音と、
誰かの他愛のない笑い声だけが部屋に優しく響いている。
あの朝、笑えなかったヨシの口元にも、今は穏やかな
本物の灯りのような微笑みが浮かんでいた。
ふと、ジョウは自分の喉にそっと手を当てた。
ゴールドの光は漏れていない。
でも、胸の奥が、それ以上に温かい光で満たされているような気がした。

「......あーあ。ワシ、やっぱり普通の大学生で良かったわ」

プリンの蓋をペリリと剥がしながら、ジョウがしみじみと呟いた。

「何の話だ」

トウゴが怪訝そうに眉をひそめる。ヨシはプリンを一口食べて、
嬉しそうに目を細めた。

「うん、ジョウはそれが一番強いよ」

外からは、遠くを走る電車の音が小さく、規則正しく聞こえていた。
明日になれば、また過酷な現実が待っているかもしれない。
それでも、この「普通の味」がする夜がある限り、
きっとどこまででも走っていける。
ジョウは心から、そう思った。
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法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
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番外編 普通の味がする夜

ある日の夕方、ジョウの腹の虫は盛大に鳴り響いていた。

五限の講義が長引いたせいもあるが
拠点の扉を開けた瞬間に漂ってきた、あまりにも良い匂いのせいでもあった。

「......え、何この匂い。ごーさん、なんか食べてるの?」

ジョウが鞄を置いて奥を覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
いつもなら古い資料や法鍵士の物騒な道具が並んでいるはずの長机に
無造作にカセットコンロが置かれ
その上で土鍋が白い湯気を威勢よく立てている。

そして、黒いカーディガンを腕まくりしたトウゴが
真剣な面持ちでネギを切っていた。

「座れ。もうすぐできる」
「えっ、ごーさんの手料理!? 嘘でしょ、明日雪でも降るんじゃ......」
「うるさい。嫌なら食うな」
「食います!!」

ジョウが慌てて椅子を引くと、トウゴは醤油ベースの寄せ鍋を目の前に置いた。
鶏肉と白菜、ネギ、豆腐。どこにでもある、至って普通の家庭の鍋だ。

トウゴがこんな風に生活感を出すのは、極めて珍しいことで。
いつもはコンビニのゼリー飲料や、味が薄い携帯食料のようなものばかりを
無機質に口にしている男なのだ。

「......どうしたの、急に」
「お前が『普通の大学生』なら、これくらいが妥当だと思っただけだ」

トウゴはぶっきらぼうに言いながら、ジョウの器にドサドサと肉や野菜を盛っていく。

「動けなくなるまで消耗した身体には、
ただの栄養剤より、まともな出汁(だし)の方が吸収率が良い。」

相変わらず言い訳のような能書きに思えたがジョウは気付いた。
クラヴィスとの戦い、そして過去の因縁で
トウゴ自身やヨシが一番傷ついているはずなのに
彼は彼なりに、ジョウの消耗や、張り詰めていた重い空気を
ほぐそうとしてくれているのだ。

「いただきまーす」
ジョウがハフハフと口に運ぶ。
出汁の優しい味がじゅわっと染みて、冷え切っていた身体の芯へと
驚くほど心地よく染み渡っていく。

「うま......っ、めちゃくちゃ美味いよ、これ!」
「当然だ。火加減と食材の投入タイミングは完璧に計算している」
「料理にまで精度求めてるの、ウケるんだけど」

ジョウが声を上げて笑ったとき、ガチャリと扉が開いた。

「ただいまー。......あれ、なんかすごく楽しそうなことしてるね?」

入ってきたのはヨシ。手にはコンビニの袋を持っている。

「ちょうどよかった。これ、お土産」

ヨシが袋から出したのは、人数分のプリンと、少し高めの炭酸飲料をコトリ。と置いた。

「わ、よっさんナイスタイミング! ちょうど甘いものが欲しかったんだ!」
「ふふ、良かった。トウゴが料理するなんて珍しいね。僕も混ぜてもらっていい?」
「当たり前だろ、座れ」

トウゴが今度はヨシの分の器を用意する。
狭い拠点の机を三人で囲み、ひとつの鍋をつつく。

ヨシが「大学の講義はどう?」と気遣うように聞き、
ジョウが「教授の滑舌が悪くて、中音域のノイズにしか聞こえないんだよ」と
愚痴をこぼし、トウゴが「それを聞き取るのも聴覚の訓練だ」と的外れな説教をする。
世界を揺るがすような大事件は何一つ起きない。
敵の襲撃も、緊迫した術式の詠唱もない。

ただ、箸が器に当たるカチカチという音と、
誰かの他愛のない笑い声だけが部屋に優しく響いている。
あの朝、笑えなかったヨシの口元にも、今は穏やかな
本物の灯りのような微笑みが浮かんでいた。
ふと、ジョウは自分の喉にそっと手を当てた。
ゴールドの光は漏れていない。
でも、胸の奥が、それ以上に温かい光で満たされているような気がした。

「......あーあ。ワシ、やっぱり普通の大学生で良かったわ」

プリンの蓋をペリリと剥がしながら、ジョウがしみじみと呟いた。

「何の話だ」

トウゴが怪訝そうに眉をひそめる。ヨシはプリンを一口食べて、
嬉しそうに目を細めた。

「うん、ジョウはそれが一番強いよ」

外からは、遠くを走る電車の音が小さく、規則正しく聞こえていた。
明日になれば、また過酷な現実が待っているかもしれない。
それでも、この「普通の味」がする夜がある限り、
きっとどこまででも走っていける。
ジョウは心から、そう思った。
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