第30話 唐揚げは正義
* * *
「鍵城くん、暇なら伝票整理手伝ってよ」
喫茶店「ミチクサ」で空が声をかけてきたのは、
ランチの客足が一段落した頃。ジョウはカウンターの隅で頷き、
伝票の束を受け取る。
「これ、日付順?それとも金額順?」
「日付順に決まってるでしょ。金額順にする意味ある?」
「いや、なんとなく聞いてみただけ」
「なんとなくで聞くな、時間の無駄だから」
ジョウは口を尖らせながらも、素直に伝票を並べ始めた。
「そういえば鍵城くん、この前のシフト希望さ、水曜また入れないって言ってたよね」
「あー、うん。ちょっと大学の用事があって」
「用事って何。サークル?」
「......まあ、そんな感じ」
「歯切れ悪いなー。彼女とデートとか言えばいいのに」
「いないし! なんでそうなるんだよ」
空がケラケラと笑った。
「だってさ、鍵城くんいつも歯切れ悪いんだもん。バイトの休み理由も、体調不良の理由も、いっつも『ちょっと』とか『まあ』とか。ミステリアス系ぶってんの?」
「ぶってないよ! 普通に説明が面倒くさいだけ」
「余計怪しい」
厨房から片桐さんが顔を出した。
「お前らまた油売ってんのか。伝票、まだ半分も終わってないぞ」
「今やってますー」
「鍵城、お前この前『階段ですっ転んだ』って言ってた絆創膏、まだ貼ってるじゃないか」
「あ、これは、その、治りが遅くて......」
「治りが遅いんじゃなくて、また転んでるんだろ」
「な、なんで分かるんですか」
「顔に書いてある」
空が横で盛大に吹き出した。
「片桐さん、鍵城くんの顔読めるの? 占い師かなんかですか」
「長年の勘だよ。バイト十人以上見てきたけど、鍵城みたいに分かりやすい奴は珍しい」
「わ、分かりやすいって、何がですか」
「隠し事してる時の顔だよ。お前、絶対嘘つくの向いてないぞ」
図星をあちこち突かれ、ジョウは伝票の束に顔を埋めるようにして俯いた。空がまだニヤニヤしている。
「まあまあ、鍵城くんにも人に言えない事情の一つや二つあるでしょ。青春だもんね」
「青春って言葉、なんか違う気がするけど......」
「じゃあ何、犯罪?」
「犯罪じゃない!」
「え?怪しい宗教?」
「違うって!」
「じゃあ、地下アイドルの追っかけ?」
「なんで急にそこ具体的なんだよ」
片桐さんが厨房の奥から、呆れたように口を挟んだ。
「お前ら、伝票整理の速度と喋る速度、反比例してるぞ」
「すみませーん」
二人で同時に謝り、ようやく手を動かし始める。しばらく黙々と伝票を並べていたが、空がふと思い出したように言った。
「そういえば、来週のまかない何がいいか希望ある? 片桐さん、また魚安く仕入れたいとか言ってたけど」
「唐揚げがいい」
「魚の話してるのに唐揚げ?」
「唐揚げは正義だから」
「正義って何、意味わかんない」
「わかるだろ、揚げたてのあの音とか匂いとか、あれはもう理屈じゃなくて本能」
「鍵城くんの語彙力、唐揚げの時だけ豊かになるよね」
片桐さんが笑いながら会話に加わった。
「唐揚げか。じゃあ今度、鍵城の当番の日に揚げてやるよ」
「マジすか! ありがとうございます!」
「その代わり、伝票終わらせろよ」
「はい! 全力でやります!」
ジョウは急にやる気を出し、伝票をものすごい速さでめくり始めた。
その様子を見て、空が肩を揺らして笑いを堪えていた
「単純だなあ、鍵城くん」
「単純で悪いか」
「悪くはないけど、面白いわ」
それだけの会話で特別なことは何も起きていない。
伝票が並び替わり、唐揚げの約束ができて、なんの変哲もない昼下がり。
ジョウはその間、自分の喉の奥のことも、法鍵士のことも、何一つ思い出さなかった。ただ、伝票をめくる手と、隣で笑う空の声と、厨房から漂う出汁の匂いだけが、世界のすべてだった。