第九十一話 追憶
病室のベッドの上から窓の外を眺める千佳伊。
「あれから三ヶ月も経ったのに」
まだ記憶は戻っていない。
世の中はすでに大きく変わり始めている。
「私だけが取り残されているのかな?」
退院予定日が近づき、不安から独り言が増えていた。
訪ねてきた仙と弧見が、病室の扉を開く。
「やっほ~~チカチカ! 元気してた?」
「私、ちょっとあの世にいってたかも?」
「千佳伊。そこは異世界だろ」
千佳伊は軽く首を傾げる。
「異世界?」
「わりぃ、20年前はほぼ無かったよな」
罰が悪そうな仙。
第二子を出産して身軽になった弧見が、仙の背中を勢いよく叩く。
「ごめんね~気の利かない旦那で。どう? 仙と一緒に暮らせる?」
「はい......多分。お子さん、可愛いですね」
「でしょ~! 次女の菜世だよ~。可愛いすぎるし!」
千佳伊が、菜世へためらいがちに手を伸ばす。
「ふふっ。よろしくね」
空気が柔らかくなったところで、仙が一つのスマホを千佳伊へ差し出す。
「ほい、これ千佳伊のスマホね」
「なんですかこれ?」
「マジか......20年前だとiPhoneがまだなのか」
目を点にする仙と弧見。
それを見て不安そうにする千佳伊。
「あ、あの。退院の前に仙と二人で話がしたいんだけど、いい?」
千佳伊が声を向けた先は弧見。
「明日まで仙を貸したげるよ! ゆっくり話してみてね!」
そう言った弧見は娘たちを引き連れて帰った。
二人きりになった病室には、微妙な空気が流れる。
「あー、千佳伊。どっか移動して話すか?」
「うん。でも、仙のその呼び方、まだ慣れないな......」
「それはこっちのセリフだぜ。調子狂うよ」
千佳伊の口調は出会った当時のまま。
中学の頃は女性らしい喋り方だったし、仙も「勘」と名字で呼んでいた。
いつから変わったのか。
仙は思い出そうとしつつ、病室の窓を閉める。
「少し、外の空気を吸いにいかないか?」
「うん」
リハビリテーションセンター。
ピアノのあるキッズルーム。
最後に屋上庭園へつくと、日没が近づき薄暗くなり始めていた。
「本当に別人みたいだ」
「どこか私、変でしたか?」
歩く速度。歩き方。
当時はこんなにも自信なさげだったのかと、仙は改めて気づかされた。
「変ではないよ。それは千佳伊の個性だから」
それを言葉にした瞬間、千佳伊の頬に涙が伝う。
「20年経っても仙は変わらないんだね。同じ言葉をくれるなんて......嬉しい」