星の宣託(前編)
「あんた、エルフと会話はできるか!?」
そう言われて、ティアは思わず目を瞬かせた。
兵士がティアを連れて来たのは、港湾ギルドの事務所だった。書類や本が山と積まれた木机の向こうで、ギルド職員らしい中年の男がくたびれた様子で両手をついている。
「エルフと、会話?」
「ああ。エルフと話せるのか?」
どういう意味なのかわからず口ごもると、職員は大きなため息をついた。
「ここに来るときに大きな船が見えただろう。今セレストに、ヨルシア大陸からエルフが来ているんだ。昨日からうちで彼らの相手をしているんだが......とにかく、まったく会話ができない。あんた、エルフならエルフ語は話せるんだろ?」
「会話ができない?」
彼の言葉に、ティアは思案した。
エルフ語というのはあるにはあるが、リスフェリアでは現在使われておらず、いわゆる古代エルフ語という位置づけになる。それこそ何千年も前のエルフたちが使っていた言葉だ。
エルフはさまざまな種族の中でもとりわけ長寿で、だいたいは700~800年、稀に1000年生きる者もいる。老齢のエルフなら古代エルフ語に多少なじみもあるかもしれないが、ティアは学問として学んだにすぎない言語だった。
ロストデールのエルフが今も古代エルフ語を使っているとは思えないが、もしそうなら、アストリア語しかわからないギルド職員とは会話が成立しないのかもしれない。
「一応、古代エルフ語も少しならわかるわ。流暢にとはいかないけど......」
ティアがそう答えると、ギルド職員は疲れた顔を輝かせた。
「おお......そうか、そりゃ助かった! もう途方に暮れていたんだ。なあ、ちょっと通訳を頼めないか。あんたがいてくれりゃ話が進む。頼むよ」
そう言われて、ティアは藁にもすがるような顔をしている職員を見つめ返した。しばし思案する。
「仕事として......ということなら、受けるわ」
「よっしゃ!」
ギルド職員は、ばん、と机をたたき、破顔する。
「よし、さっそく来てくれ。報酬は後払いでもいいな? あとで予算状況を確認してみないと細かいことは言えないが、銀貨をいくらかは出せると思う」
彼の口から出た銀貨という言葉に、ぴくりと体が反応した。なんとかまともな仕事が見つかりそうだ。
廊下を急ぐギルド職員の背中を追いかけながら、ティアはほっと息をついた。
「ここだ」
ギルド職員につれられて来たのは、港湾ギルドの三階の応接室だった。大きな両開きの扉の前で、職員がティアを振り返る。
「朝からずっとここにいる。だが、誰も一言もしゃべらないんだ。入ったら適当に挨拶をして、エルフ語で何か話しかけてみてくれ」
そう言われて、ティアは眉を寄せた。一言もしゃべらない? 言語の壁で会話が成立しないわけではなくて?
その疑問を口に出す暇もなく、ギルド職員は扉を開いて中に入った。
部屋の中の大きな窓から夕日が差し込んでいる。中心には来客用と思われる大きなソファがあり、そこにエルフが三人座っていた。
女がひとり、男がふたり。全員、髪の隙間からツンとした長い耳がのぞいている。
ギルド職員のあとに続いてティアが部屋に入ると、三人の視線がティアへと集中した。なんと挨拶をしようか......そう考えたとき、女のエルフが静かに立ち上がった。
背が高く、体にぴったりと沿う上品な長いローブを着ていて、つるりとした額には放射状の模様が描かれている。
そしてそのまま、ゆっくりとした動きでティアに向かって歩いてきた。ティアの横で、ギルド職員が息をのむ音が聞こえる。
「やっと来てくださったのですね。わたくし、陽の傾きとともにあり、時を刻む音を聞きながら、ずっとお待ちしておりました」
彼女は、早朝の鳥の鳴き声のような美しい声、そして流暢なアストリア語で、ティアに向かってそう言った。古代エルフ語ではない、アストリア語だ。
ティアが思わずギルド職員を見ると、彼はあんぐりと口を開けていた。
「わたくしは、星の伝道師タラサテユール・ルド・ラニスタ・ボワーリューゼン。悠久の知を刻む星の都ロストデールから、星渡りの海を越え、碧海のさざ波を聴きながら、ここセレストへとやってまいりました。この縁、ともに刻めることを感謝いたしますわ」
彼女は歌うようにそうささやくと、両手を広げてゆっくりと......それはそれはゆっくりとお辞儀をした。プラチナブロンドの長い髪が、さらさらと肩からこぼれ落ちる。
やたらと名前が長い星の伝道師が姿勢を正すころには、ティアはなんとかぽかんと開けた口を閉じることができていた。
室内の全員からの視線を感じて、ティアも慌てて背筋をのばす。
「わたしは......セレスティア。港湾ギルドから通訳を頼まれてきたの」
そこまで言って、言葉を切った。
エルフ語の通訳が必要だということで雇われたばかりだったが、ロストデールのエルフたち......少なくとも、この星の伝道師は問題なくアストリア語を理解できるようだ。ティアはあっと言う間にお役御免かもしれない......。
「あなた方が一向に話をされないので、必要かと思って彼女を通訳として連れてきたんだ。しかし、アストリア語を話せるのか?」
ギルド職員は、困惑した様子でそう問いかける。もっともな疑問だ。
星の伝道師はティアから目線をはずさず、おだやかな微笑みを浮かべた。
「わたくしたちに、意思のゆき違いが生じているのは気付いていました。しかし、それは詮なきこと。それよりも先に、あなたは星の宣託を受けねばなりません」
職員ではなくティアに向かってそう言うので、ティアはまた口をぽかんと開けた。
「宣託? わたしが?」
「こちらへ、いらしていただけますか?」
星の伝道師は、ふたたびゆっくりとした足取りで、ソファへと戻っていく。
ソファには残ったふたりのエルフが座ったままだった。彼らは一言も話さないが、視線はじっとティアに向けられている。
「いえ、あの......通訳がいらないのなら、彼らと直接話しては?」
そうティアが言うと、星の伝道師は笑みをたたえたまま振り返った。
「あなたの疑問は、陽が沈んだあとまた昇るのと等しく、当然うまれるものでしょう。ですから、お答えいたします。わたくしはまだ彼らと知を交わすことはできません。星の宣託がくだり、あなたに紹介していただくまでは」
「し、紹介?」
「さあ、こちらへお掛けください」
そう言って向かいのソファに座るよう促される。
困惑してギルド職員を見ると、彼もまったく同じような表情を浮かべていたが、ティアに向かって小さく何度も頷いた。言われたとおりにしろ、ということだろう。
ティアがソファに座ると、ココがふわふわと耳元を横切った。そういえば、さっきからずっと異様に静かだ。
ちらりと見ると、ココはティアの肩の後ろにぴったりと張り付いていた。「どうしたの?」と視線をおくっても、何も答えない。
「では、はじめましょう。あなたの軌跡をたどる、星の宣託を――スティラ・オラクール」
星の伝道師は左手を伸ばし、てのひらを空に向けた。