水魔力研究所
下町のはずれの細い路地を抜けた先。そこに、その家はあった。
二階建ての古い家で、外壁はところどころ剥げ、薄汚れた窓のむこうになにやら小瓶がたくさん見える。
玄関わきには樽が複数ならんでいて、ひとつの樽からは謎の管が飛び出ていた。家の壁沿いにどこかへ続いているようだ。
そして、なによりも目を引くものがあった。壁に貼りつけられた【魔力水あります】と大きく書かれたビラはもちろん、玄関ベルの横にまで【水魔力研究所】と刻まれた木札がぶら下がっている。
「ここがボクの家だよ。どうぞ入って」
ピーターと名乗ったラビット族の青年は、そう言ってティアを玄関へと招き入れた。
家の中は、それはもうごちゃごちゃだった。
はっきりいって、居間なのか研究室なのかわからない。大小さまざまな瓶や実験器具と思われるものがそこかしこに散らばっていて、壁には走り書きされた紙が大量に貼られている。
極めつけなのは家の中にまで樽があることだ。のぞいてみると、中にはなみなみと水が入っていた。
「すごーい......どうしてこんなに瓶がたくさんあるの?」
ココがきょろきょろとしながら無邪気に聞くと、ピーターは慌てたように手近な瓶をかき集めだした。
「散らかっててごめん。うちにお客さんが来るなんて、もうずっとなかったから......」
彼はがちゃがちゃとかき集めた瓶を、手近な木箱の中に放り込む。
その隣の戸棚の中に、箱詰めされた小さな小瓶がびっしりとならんでいるのが見えた。箱には【魔力水】と書いたラベルが貼られていて、うっすらと埃がつもっている。
実験場と化している丸い机のまわりにピーターがなんとか空間を確保してくれたので、ティアは手前の小さな椅子に座った。
「それで、聞いてほしい話っていうのは?」
「うん......えっと。ボクは、水魔力研究家なんだ」
ピーターは緊張した面持ちでそう言うが、それは表の木札を見たのでティアにも想像がついていた。
「あなたが商業区でビラを配っているのを見たわ。魔力水って書いてあったけど」
ちょうど、同じビラが机の上にも束になって積まれていた。先日見たのと一字一句変わらず、うさんくさい魔力水の宣伝が書かれている。
ティアの表情からにじみ出る不信感を嗅ぎ取ったのか、ピーターはキッと視線を鋭くすると、早口で、そして怒涛のように一気に話しはじめた。
「あのね、魔力水っていうのは、ボクが水に含まれる魔力の濃度を調整して、人の体に取り込まれやすくした特別な水なんだ! いい? 水っていうのはね、もともと魔力を含んでるんだよ。でも、ただ魔力が多ければいいってわけじゃない。濃度や性質のバランスが重要なんだ!
水の中の魔力濃度を調整して、吸収効率を高める。そうすることで、魔力水はちゃんと生理作用を発揮できるようになるんだ。
魔法だってそうだよ。魔法使いは体内で生み出したエネルギーを魔力に変換して、それを魔法として放出するよね。つまり、魔力はどう使うかが重要なんだ。魔力水も同じで、水に含まれる魔力を人が効率よく利用できるように、最適なバランスに調整したすごい水なんだ!」
鬼気せまる勢いで言い切るピーターに、ティアは唖然として言葉が出なかった。
一度に言われて何がなんだかわからないが、それよりも......水がもともと魔力を含んでいる? とんでもない理論だ。しかし、彼の表情は真剣そのものだった。
「......水に魔力は含まれていないわ。魔力は人が放出するものであって、自然界には存在しないのよ」
「するんだよ!」
ピーターはもどかしげに机を力強く叩いた。ココが隣でびくっとする。
彼は背後の棚からいくつかの器具を持ち出すと、机にばらまいた。
「これは、ボクが作った魔力計測器。魔力の濃度を測定する装置なんだ」
ピーターが示したのは四角い箱型の器具で、側面にはなにやらごちゃごちゃとしたものが取り付けられている。上部に秤の針のようなものもついていた。
彼は机の上に転がっている小瓶を手に取り、室内にある樽の中から水を汲んでくると、それを器具の土台らしき部分の上に置く。
「これはセレストの井戸水。いい? この針を見ててよ」
そう言うと、彼は土台の横にあるレバーを倒した。しばらくすると、針がゆっくりと右に傾いていく。
「ほら! ねっ、わかった?」
ピーターは期待をこめた目で迫ってくるが、ティアは返答に困って彼を見た。
「......針が右に傾いたわ......」
「そう、魔力があるってことだよ!」
そうなのか。いったいなんの根拠があるのかわからない。
ピーターはまたひとつ小瓶をつかんでどたばたと玄関から出ていくと、今度は外にある樽から水を汲んで戻ってきた。
「これは雨水! いい? 見ててよ!」
そう言ってふたたび土台に瓶を置き、レバーを倒す。ところが今度は針が動かない。
「......針が動かないけど......」
「ね? これでわかった!?」
ティアが困った顔で口をつぐんでいると、ピーターは苛立たしげにがしがしと頭をかきむしった。長い耳がプルプルと揺れる。
「あー、もう! だから、雨水には魔力がないんだよ! わからない? 井戸水には魔力があって、雨水には魔力がない。井戸水は地下水を汲み上げたものだから、もとは雨水なんだよ。なのに魔力の有無に差があるなんて、おかしいと思わない?」
「はあ......」
そう言われればおかしいと思うが、それはこの魔力計測器とやらが正しい前提での話だ。
ピーターが自分で作ったあやしげな機器で魔力を測定されても、ティアにはそれが本当に魔力なのか判断できない。
「ボク、雨水に魔力が含まれないって、最近まで気づかなかったんだ。ずっと、手軽に採取できる井戸水を使ってたから。いつもここの机で魔力水を作ってた......でも半年くらい前から、魔力濃度の調整がうまくいかなくなってきたんだ」
ピーターはそう言って、棚の中の埃をかぶった魔力水を見る。
「これまで何度も同じ手順で作ってきたし、濃度も成分比もちゃんと記録してる。それなのにどうしても魔力のバランスが合わなくなってきたんだ。何度やっても生体利用率の高い魔力水にならない。それで、これはボクの調整方法じゃなくて、原料になる水そのもの......つまり水質に問題があるんじゃないかって考えたんだ。だから港湾ギルドに相談しに行った! なのに......」
その話を聞いて、ティアは思い出した。
そういえば、前に港湾ギルドへ行った時、誰かが暴れていると言ってロイドが席をはずしたことがあった。あの時聞いた名は、たしか、ピーターではなかったか?
「港湾ギルドに押しかけて暴れていたのは、あなただったの!」
ティアの言葉に、ピーターは不満げな表情を見せた。
「こっちだって好きで暴れてるんじゃないよ。もう何か月も毎日訴えてるのに、港湾ギルドのやつら、全然話を聞いてくれないんだ!」
「ちょっと待って......わたし、港湾ギルドで水質悪化の話を聞いた。たしかに半年前だって言ってたわ。でもそれは下層水路にマーラットが住み着いていたからで、すぐに討伐されて汚染された水も元どおりになったのよ。検査結果の記録も見たわ」
間違いない。一日中港湾ギルドにこもって、大量の資料に目をとおしたのだ。
半年前の水質悪化は、その後ちゃんと改善したことが記録されていた。
「そうだよ、あいつらもそう言ってボクの話を聞いてくれないんだ! 港湾ギルドが検査したのは飲用に適するかどうかの水質の話でしょ? ボクが言ってるのは魔力濃度の問題なんだ、別の話なんだよ!」
ピーターはそう言ってきゅっと口を結んだ。
「ボクが嘘つきラビットだから......魔力水は本物なのに、あいつらはそう思ってるから、誰もわかってくれないんだ」
そう言って視線を落とすピーターに、ティアはなんと言ってよいかわからなかった。彼が必死なのは見ていればわかるが、港湾ギルドが間違っているとは思えない。
「だから、ボク決めたんだよ。自分で調査するって」
「調査?」
「そうだよ。セレスト内で採取できる水は、井戸水も取水場の水も雨水も、全部調べた。それではじめて雨水に魔力が含まれないって気づいたんだけど、もうひとつ重要なことがわかったんだ。井戸水と取水場の水とでは、魔力調整のしづらさが違うって」
ピーターは、机に転がる水入りの小瓶を立ててならべ直す。
「井戸水よりも取水場で採取した水のほうが、より調整がしにくいんだよ。この水は地下水路を経由して取水場に流れてくる。だから、どうしても地下水路を直接調べに行きたい。あいつらが話を聞いてくれないなら、ボクが自分で調べに行く......ねえ、君は地下水路に自由に入れるんでしょ? お願いだよ、ボクを一緒につれて行って!」
ティアを真剣なまなざしで見据え、ピーターはそう訴えた。