起死回生
絶対に弓だけは手放すまいと握りしめたが、数回転は転がったはずだ。しかし、息ができないほどの痛みではない。
ティアが顔を上げると、ピーターとココがすごい形相で駆け寄ってくるところだった。
「テ、ティア、大丈夫!?」
「ええ......いったい、なにが起きたの......?」
「ティア、血が出てる!」
ココがぴたりとティアの左耳に寄り添った。耳全体がじんじんする。触れると、指先にべっとりと血がついていた。
「大丈夫よ。それより、なにがあったの? 石兵の腕が動いたように見えたわ......」
ピーターは鞄を必死でかきまわし、奥からくしゃくしゃになった青いハンカチを取り出した。それをティアの左耳にあてる。触られると激痛が走った。
「そうだよ、石兵が......ティアが近づいた瞬間に、あいつが突然腕を振りまわしたんだ! ほかには? ほかにあたったところはない?」
そういうことか。わざわざ腕がついているのだ、理由があるに決まっている。ちゃんと考えるべきだった......。
「ないわ。耳もかすっただけだから大丈夫」
やんわりとピーターの手をおしとどめると、ティアは石兵を見た。まだ魔法陣は光っている。
立ち上がり、近づいて目をこらすと、わずかに陣の中心部に傷が入っているのが見えた。
「削れてる! やっぱり至近距離なら効果があるわ! 何度かやればきっと......」
そう言って腰の矢筒に触れて、はたと目を向けた。そして絶句する――矢筒の中はからっぽだった。
石兵をもう一度見ると、足元近くに何本もの矢が散らばっている。
「ティアが倒れて転がった時に、矢が全部落ちちゃったんだ......それに、ボク見てたよ。あいつの攻撃は二段構えなんだ。多分、ある程度近づいたら空気の攻撃を放って、さらに腕の届く範囲に入ると振りまわしてくるんだと思う......危険すぎるよ」
泣き出しそうな顔で言うピーターに、ティアは言葉を返せなかった。矢がなければ弓は役に立たない。
ティアとピーターが立ち尽くしていると、ココが心配そうな顔できらきらと寄ってきた。
「ねえティア......あそこにひとつ、落ちてるよ」
ココの光る指が示す先を見ると、たしかに1本のボドキン矢が落ちていた。ゴーレムからは離れた、通路とは反対側の壁際に......。
なぜこんなところにと考えて、ティアはすぐに思い出した。
「そうだわ......天井の魔法陣を削った矢よ。あの時、すぐに石板を確認しにいったから拾ってなかった!」
ティアは走り寄り、矢を拾ってぎゅっと握りしめた。たった1本しかない。だが、すでに魔法陣には傷が入っている。もう一度至近距離から撃ち込めば、なんとかなるかもしれない。
ふりかえると、ピーターは心底不安そうな顔をしていた。
「ピーター。石兵の腕を見て」
石兵を指さし、ティアはピーターをじっと見る。
「腕の攻撃を思い出して。どう動いてた?」
「どうって......ぐるんぐるんってまわってたよ」
「まわってただけ? 伸びてはいなかった?」
「うん。最初は左腕が垂直にまわって、そしたらティアが右に避けたから、今度は右腕が横向きにまわってた......もし、次はどこかに直撃したらどうするの? 耳から血が出るくらいじゃすまないよ......」
それを聞いて、ティアは確信した。やはりなんとかなりそうだ。
「石兵の腕は長いけど、地面につくほどじゃないわ。床から腕先までは少しだけ隙間がある。腕が伸びないなら、地面すれすれは安全よ」
ティアの言葉に、ピーターはぱかっと口を開いた。
「石兵のあの構造が原因なのよ。首は横にまわるだけ、腕も縦か横にまわるだけ。足は動かない......だってどう考えても、歩行できたりしゃがんだりできる構造じゃないわ。だから足は太くて短くて、上体を支えているだけなのよ。きっと土台なのね」
石兵に向かって近づくと、ティアはピーターとココを順番に見た。
「今度は地面すれすれに滑っていく。床から魔法陣の欠けてる箇所を追い撃ちするわ。きっとうまくいくはず――ふたりとも、協力してくれるでしょ?」
ティアは決意を込めてそう告げた。
目を閉じて、深く深呼吸をした。ライトを唱えた時のピーターのように。彼はちゃんと成功した。大丈夫、ティアにもできるはずだ。
「いい? 投げるよ......」
ピーターの声が聞こえる。
今回は正面からではなく、石兵の斜め右から飛び込む手はずだった。
さきほどは正面にいた。おかげで両方の腕から攻撃を受けてしまったが、ここからなら右腕だけを警戒すればいい。
「ティア、今度はアタシ、ずっとうしろにいるから!」
ココの声が耳後ろで聞こええる。ティアは小さくうなずいた。
「ピーター、おねがい」
ぎゅっと弓とボドキン矢を握りしめ、ティアは石兵を見据えた。前かがみに姿勢を下げ、息を止める。
ピーターが銅貨を投げた。すぐにあの「ボウン」音が聞こえる。
ティアは右足で強く地面を蹴った。前かがみに低く走り、石兵の空気圧の中に頭からつっこむ。
上半身が圧力をうけてのけぞるが、今度はその力に身を任せた。背中から腰にかけてココの強い風を受け、足先を前にして地面を滑るようにつき進む。
足を開き、ブーツの裏を石兵の太い足にぶつけた。がくんと体が止まる。
地面に仰向けになった状態で、ティアは石兵の魔法陣を斜め右から見た――その時、胴体が「ゴリゴリ」と音を立て、ぐるりとティアに向けて回転した。頭の魔法陣と、胴体の古代エルフ語が正面になる。
なるほど、胴も横にまわるのか。予想外だったが、正面だと魔法陣の傷ははっきりと見えて狙いやすい。
まず右腕がぐるん、ぐるんと二回まわって攻撃を放った。その次に左腕が同じように二回まわる。鼻先すれすれで風を感じながら、ティアはタイミングを待った。腕の回転が止まる――今だ!
素早く半身を浮かせて、魔法陣へ向けて弓を引き絞り、一瞬で放った。
――カンッ!
狙いどおりに傷あとを射抜き、極小の石の欠片がぽろりとティアの顔に落ちた。あっというまに魔法陣の光が消える。
できた......成功した!
そう思った時、魔法陣にゆっくりと亀裂が走った。頭がぱかりと四つに割れる。ちがう、割れたのではない......魔法で引き寄せられていたのが、陣が停止したことで離れたのだ。
すべてがゆっくりに見える。
ゆっくりと頭が割れ、胴体が割れ、腕も割れていく。石兵ではなく、ただの石に戻っていく。
繋がりを断たれた石は元のひと抱えほどの大きさに分かれて、ゆっくりと、ティアに向かって落ちてきた。4トンの重さの石が。
ティアは今、地面に寝転がっている――だめだ、押し潰される。
右頬になにかが横切るような風を感じた。視界の端に、淡く光る小さな両手が見える。まっすぐと落ちてくる石に向かって伸ばしている、ふたつの手が。
ココが目を見開きながらティアの前に出た。口を大きく開いている。
「だめぇぇぇ!」
その口から放たれた絶叫と同時に、ティアの耳に一気に音が戻ってきた。
――パリン!
なにかが割れる音、そしてごうっという聞いたことのない轟音とともに、ティアは目が開けていられないほどの豪風を体の全面に感じた。