約束(前編)
一瞬のことのようにも感じたし、ずいぶんと長い時間がすぎたような気もする。ティアがまぶたを開けると、薄暗く、穴だらけの石の天井が遠くにうっすらと見えた。
ゆっくりと体を起こす......そして、目にした光景に言葉を失った。
強烈な破壊跡だ。石兵......いや、さっきまで石兵だった石は、吹き飛んでばらばらに割れていた。その残骸が扇状に散らばり、さらにその先の通路壁は、床も壁も天井も、まるで機嫌をそこねた巨人が大暴れしたかのように大きくえぐれ、広範囲にひび割れている。
破壊跡の起点はティアだった。正確にはティアではなく、その右手のあたり......そこにはココが落ちていた。
「――ココ!」
拾い上げると、ティアの両手の上でココは力なく横たわる。
「ココ、ココ!」
呼びかけても揺すってもココは動かない。いつもの四枚羽も、小さな両手も、宝石のような美しい瞳を隠すまぶたも、ぴくりともしない。
ティアの手はがくがくと震えていた。まさか、そんな。まただ。また同じことが起きた――わたしのせいで!
「いや......ココ、起きて。お願い、起きて!」
動悸が止まらず、肌は粟立ち、全身から汗がふき出てくる。頭も体も冷水を浴びたように冷たい。
腕だけでなく体まで震えてきた時、手の中のココは、ほんのわずかに身じろぎをした。
「......ン......」
「ココ!」
ココはゆっくりとまぶたを開ける。そして眩しそうに眼を細め、ぼんやりと、弛緩した表情でティアを見た。
「ココ、わかる? わたしがわかる?」
「............」
すがりつくように言ったティアの言葉に、とろりとした目をしていたココはゆっくりと二度、気だるげに瞬きをした。
「......ティア......だいじょうぶ......?」
ティア――そう名前を呼んだ。ちゃんとわたしを覚えてる。
その事実にティアはすっと体の力が抜けていくのを感じた。うつむいて、手の中のココに額を寄せる。
忘れてない......ちゃんと覚えていた......。
「テ、ティア......」
いつの間にかピーターがすぐ後ろにいたようで、遠慮がちな声が聞こえた。ティアはさっと頬をぬぐうと、ココを手に乗せたまま立ち上がる。
「これはいったい......」
杖灯りが照らし出す石兵の惨状を見て、ピーターは呆然としていた。
「ティアが魔法陣を撃ったと思ったら、突然ものすごい音がして石兵が吹き飛んだんだ......これ、まさか、ココが?」
信じられないものでも見たような顔で、ココを見つめる。
ココはピーターを見上げてまたゆっくりと瞬きをすると、ふわりとティアのてのひらから飛び立った。
「アタシ......よくわかんない。ティアがつぶれちゃうと思ったの」
ピーターとティアの間でふわふわと羽ばたくココは、いつもより光がずいぶんと弱い。
「ココ、いいのよ、わたしにつかまってて」
「ううん......だいじょうぶ」
ココはじっとティアの右耳を見た。
「ティアのきらきら、壊れちゃった......」
そう言われて右耳に触れると、耳飾りの精石がなかった。足元を見ると、そこに割れた精石の欠片が落ちている。
精石はエルフと妖精をつなぐ石で、その内に精霊を宿している。ココが放とうとした風があまりに強力で、精石に宿った精霊も使い果たしてしまったのだろう。
左耳にも触れてみると、突然思い出したようにじんじんとした痛みが襲ってきたが、こちらにはちゃんと精石がついていた。
「さっき、耳元で割れるような音を聞いたわ。これだったのね」
「ねえ、いったいなにが起きたの? ココは竜巻みたいな強い風は出せないって、ティア、そう言ってたのに......」
困惑しながら言うピーターに、ティアは石兵の残骸と通路の破壊跡に視線を戻した。
「ごめんなさい。出せないわけじゃないの。出させたくなかっただけ」
「出させたくなかった?」
「ええ」
ティアはココを指先でそっとなでると、自分の手の甲にやさしく座らせた。
「妖精は精霊エネルギーの塊よ。あなたも魔法使いなら知ってるでしょ? 自然界には精霊が満ちあふれてる......特にリスフェリアの森のような豊かな大自然では、人里の比じゃないわ。その精霊が具現化したのがココのような妖精。だから妖精は、魔力を必要とせず自由に精霊を扱える。でもそれは、妖精自身を構成している精霊を消費するの」
石造りの地下水路を、ぐるりと見わたす。
「ココは風の妖精だから、こういう風の吹かない場所で精霊を使うには、自分の体を取り崩さなくちゃならないわ。少しなら問題ないの。また風の舞う場所へ行けば、ゆっくりと満たされていくから。でも、極端に大きく使ってしまうと......」
そこまで言ってティアは言葉を止めた。手の甲に座るココは、弱々しい光をまとってティアを見ている。この先は口にしたくない。
ピーターは黙り込んだティアにはなにも告げず、じっとココを見た。そして、ひとりで納得したようにウンウンと首を振る。動きにあわせて長い耳が揺れた。
「そっか。じゃあ町に戻ったら、ココにたっぷりと海風を浴びせなくちゃね。また精霊を補給できれば、もとの元気なココに戻るんでしょ?」
「ええ......時間はかかるけど」
こくりとうなずく。深追いしないでくれた彼にほっとする。
ピーターは満足そうに息をつくと、ばらばらに割れて散らばる石兵の残骸に近づき、観察した。
「これ、ひとつひとつの石に小さな魔法陣が刻まれてる。この陣同士が引き合って、大きな石兵になってたんだ。あれだけの重量の石の塊を吹き飛ばすなんて、妖精の力ってすごいんだね。もしココが吹き飛ばしてくれなかったらって思うと......」
言葉を切って、ピーターはうつむいた。
ティアの脳裏にもあの瞬間がよみがえる。石兵が石に戻って落ちてくる様を......ココがいなければ、ティアは石に押しつぶされていた。そのあとどうなっていたかは明白だ。
ティアは床に埋まった白い石板に歩み寄り、石兵の残骸を手ではらった。
「あの石兵は、この石板を守ってた。だから一歩も動かないで、近づいたものをはじき飛ばすことしかしなかったんだわ」
「うん、ボクもそうだと思う」
石板に刻まれた古代エルフ語をゆっくりと指でなぞる。石兵の胴体にも浮かび上がっていた、その文字を。
「約束を守れ。なれば光は共にある......カリギュラスは、よっぽどこの石板を開けてほしくなかったみたいね」
「彼が伝えようとしてる約束がなんなのか......わからないけど。でも石板の封印はもう解いちゃったし、それにここまでボクら三人で頑張ってきたんだ」
ピーターはティアとココをじっと見る。決意に満ちたまなざしだ。
「絶対に水の魔力異常とも無関係じゃないと思う。ボク、港湾ギルドを呼ぶ前に、この先を自分の目で見ておきたい」
彼の赤い瞳を見つめながら、ティアはうなずいた。
「ええ。わたしたち三人で行きましょう」