約束(中編)
床に埋まった白い石板をふたりがかりで動かすと、そこには下町と同じように、真っ暗な縦穴が開いていた。
ピーターが杖明かりを掲げてみるが、穴の底は見えない。銅貨を落としてみると、しばらくして「チャリン」と音が聞こえた。かなりの深さがありそうだ。
ココは止める間もなく穴の中へ飛んでいってしまったが、すぐに戻ってきた。
「だいじょうぶ。なんだか、広いお部屋につながってるみたい」
結局ココが先導して、ピーター、ティアの順に縦穴を降りていくことにした。
ティアのランタンは割れてしまったので灯りはピーターの杖頼みだ。杖を持ったまま手すりを掴むピーターは、かなり降りづらそうにしていたが、一歩一歩ゆっくりと下っていく。
ティアは段数を数えながら降りていたが、23段目まで来たところでココの声が足元の暗闇から届いた。
「えっとね、もうすぐだよ」
「よかった......あっ!」
そうピーターの声がしたと思ったら、杖灯りが消え、カランと遠くで木が落ちる音がした。同時に「うわぁぁぁ」という彼の悲鳴が遠ざかっていく。
「ピーター!」
ティアは暗闇の中、手探りで手すりを探しながら急いで降りた。途中何度か足を滑らせたが、ついに左足の裏に固さを感じた。床がある!
右足も床に降ろそうとして、ぐにゃりとなにかを踏んだ。「ぐえっ」という声が聞こえて思わず転びかけるが、手すりを掴んで耐える。
「ティア、それ、ピーターだよ!」
「ごめんなさい。大丈夫?」
「いてて......へ、平気だよ。ボク、うっかり杖を落として慌てちゃって......ココ、どこに落ちてるかわかる?」
「こっち」
やたらと声が響きわたるので、かなり大きな部屋なのだろう。暗闇の中、ココの弱々しいきらめきを頼りに手探りで進む。
落ちていたピーターの杖を拾おうと手を伸ばしたその時、突然ぱっと視界が明るくなった。あまりにまぶしくて、とっさに目を閉じる。
「な、なに!?」
ピーターの困惑した声がする。ティアは目の前に手をかざし、うっすらとまぶたを開けた。視界は強烈な白い光で満たされていたが、次第に目が慣れてまぶしさがやわらいでいく。
ココが言っていたとおり、広い部屋だった。だが、ただ広いだけではない。壁がまったく見えないほどの、とてつもなく広い空間にティアは立っていた。
部屋の中には無数の太い柱が立っている。これが天井を支えているのだろうか?
それぞれの柱の上部に光源があり、強い光を放っていて、広大な空間をあますところなく照らしている。いったいどういう仕組みなのかよくわからない。
柱にも床にも装飾の彫りこみが施されているが、家具のようなものはいっさい見当たらなかった。
「こ、これ......」
ピーターの声にふり返ると、背後にはちゃんと壁があった。さきほど降りるのに使った手すりが、壁から天井の縦穴へと続いている。
そしてその左右に長く広がる石壁には、びっしりと絵が彫りこまれていた。耳のとがった大きな人物と、小柄な人物......それらがさまざまな場面で描かれている。
壁面の下部にはいくつもの台座のようなものがあり、そこに四角い石板がはめ込まれていた。
「これ、古代エルフ語で書かれてるわ」
石板を見ながらティアが言うと、ピーターは震える手で石板にふれ、そして壁画を見た。
「も、もしかして......これは......カリギュラスと村人の出会いが記されてるんじゃ?」
食い入るように壁画を見つめ、声も震えている。
「ほら、見て! この大きくて耳が長い人、これってエルフだよね? たぶん、ここが始まりなのかな......」
縦穴につながる手すりはちょうど壁の中心にある。そこを起点として、左右へゆくにつれ場面が展開されているように見えた。
右の壁画の最初の絵は、海辺へとエルフが流れ着いた様子だった。浜に倒れたエルフを小柄な人物が抱き起こしている。
次は、エルフが小屋で介抱されているようだ。そして回復したのか、小さな村で複数の小柄な人びとに取り囲まれている。
そこから先は、農作物を育てたり、大きな船を作っていたり、いろいろなものを人びとに渡していたり......エルフと人が共同で何かをしているように見えた。場面がかわるにつれ、どんどんと人が増えていく。
「見て、ティア! ここ......」
ピーターが示したのは、幾人もの人が床に倒れている場面だった。全員、体が妙に細い。背景には大きな放射状の丸いものが強調して描かれていた。
「これは......?」
ティアは壁画下にある台座の石板に目を向けた。刻まれている古代エルフ語を見る。
「ティア、読める?」
「全部の意味はわからないけど、簡単な単語ならところどころ......日光......水......あと、これは乾燥かしら......」
わかる部分だけ読み上げていると、ピーターは息をのんで壁画を見上げた。
「そうか――この大きな丸いのは太陽じゃない? きっと干ばつだよ。雨が降らなくて作物が育たずに、飢饉(※農作物の不作で多くの餓死者がでる事態のこと)が起きたんだ!」
ピーターの言葉に、ティアははっと思い出した。
「大きな樹の絵本では、村人たちは育てた種から雨が降ったことを喜んでたわ......それは、干ばつで水不足に苦しんでいたからなの?」
右側の壁画はここで終わっていて、壁も途切れている。
ピーターはばたばたと走っていくと、手すりの左側の壁画を食い入るように見た。
「こっちに続いてる!」
ここまでわかれば、あとはもう石板を読まずとも理解できた。
左側の壁画には、エルフと人びとが協力して地下水路を作る様子が描かれていた。山から石を切り出し、地面に穴を掘り、水路を組み立てていく。
最後は完成した下層水路に蓋をして、エルフと人びとが握手をする様子で終わっていた。この壁画にだけ、古代エルフ語が添えられている。
――《|セレント・スティラン《約束を守れ。なれ》|トス・ルーロ・トラン《ば光は共にある。》》――
「ここにも書いてあるわ。結局、村人とカリギュラスの約束はなんだったのかしら」
「わからない。この石板にそれが書いてあるのかな......」
「ねえねえ、ティア。こっちにも絵がいっぱいあるよ」
その声に振り向くと、ココは一番近い柱を見ていたようで、柱の模様を指さしていた。
「絵? どこに?」
「ここ。ぐねぐねしてて、へこんでる」
ココと柱に近づきながら、ティアはふと思った。なにやら前にも聞いたような言葉じゃないか?
――うーん......なんかね、ぐねぐねした模様で、へこんでる!
その言葉を連想して立ち止まる。そうだ、天井の魔法陣を見つけた時のココの言葉......。
ティアは柱に駆け寄って手を触れた。ココの言うとおり、ぐねぐねとした古代エルフ語がまるで装飾のように柱に刻まれている。一定の間隔でぐるぐると螺旋模様のように柱をまわり、そのまま床に続いていた。
終わりが見えない広い床には、無数の模様がまるで無限に広がっているように見える。
「ピーター......」
呼びかけるが、ぶつぶつとつぶやきながら壁画に見入っているピーターからは返事がない。
「ピーター!」
「わっ! な、なに?」
ティアは驚愕に目を見開きながら、果てしなく広がる床を見つめた。
「これ、全部魔法陣だわ!」
「え?」
ピーターがぽかんと聞き返してくる。
「この部屋についてる装飾に見える模様......これも天井の溝と同じで装飾じゃない、古代エルフ語よ」
「えっ」
「だからここには床と柱以外になにもないんだわ......この部屋は、巨大な魔法陣を刻むためにつくられた空間なのよ!」
ばたばたとピーターは駆け寄ってくると、床に張り付くようにしてしゃがみこんだ。
「そうか......これが全部魔法陣なら、下層水路の魔法陣よりももっとずっと大きい......」
這いつくばって模様を食い入るように見つめる。
「ティア、これだよ! きっとこの魔法陣が、セレストの地下水に、そしてリュネ湖の地下水に魔力を流してたんだ。きっとカリギュラスが、干ばつに苦しんだ村人を助けるためにこの魔法陣を作ったんだ!」
ピーターは立ち上がると背後の壁画をふり返り、そしてもう一度ぐるりと空間を見渡した。
「ボクは正しかったんだ――いや、違う。たしかに水にもともと魔力はなかった......でもカリギュラスの魔法陣で、セレストの水にはちゃんと魔力が含まれてた! 父さんが魔法計算に失敗して事故を起こしたのにも理由があった。これが......これが、その証拠なんだ!」
そう叫ぶピーターの目は、柱から放たれるまぶしさを反射して、きらきらと光を宿している。そのとなりで、ココもうっすらときらめきながら、不思議そうに魔法陣を眺めていた。
ティアは革鞄から【大きな樹】の絵本を取り出した。ピーターが亡き父親からもらった、捨てたくても捨てられなかった絵本。
「約束を守れ。なれば光は共にある......この約束は、きっとあの石板の蓋を開けないことだったのね。石板が封印されていれば、魔法陣が傷つくこともなく、村人たちはずっとカリギュラスの水の恵みを受けられる......」
ティアはそうつぶやいて、ピーターに絵本を差し出した。この本は、やはり彼が持っているべきものだ。
ピーターは赤い瞳を潤ませながら、震える手で絵本を受け取る。ぎゅっと両手で抱きしめると、改めて空間に広がる魔法陣を見つめた。
【エルフの歴史と魔法】にあったカリギュラスの没年が正しいなら、彼が生きていたのは2000年も昔のことだ。この超巨大といえる魔法陣がそれだけの長い間、カリギュラスの意図どおりに機能していたとして、なぜ今、魔力濃度に変化をきたしているのか......それはわからない。
だが、その調査は港湾ギルドに任せれば大丈夫だろう。きっとロイドもピーターの話を聞いてくれる。
「ふーん、そういうことかぁ」
突然背後から割りこんできた声に驚いて振り向く。
そこには、プラチナブロンドをツンツンとさせたレイが立っていた。
壁面の手すりの前で、いつもの長いローブを着て、左手に光球を浮かせている。その背後で、ゲイリンがふわりと浮かびながら縦穴を降りてきた。