約束(後編)
「レイ!」
「なんだ、ただの水脈調整魔法だったんだ。せっかくこんな遠くまで調査に来たっていうのに、既知の魔法じゃ持って帰る価値ないじゃん」
レイはそう言いながら興味なさそうに広い部屋を見わたすと、背後の壁画と石板をじっと見た。
「原住民に介抱されて、知見を授けて、あげく飢饉から助けるためにこんなものまで? カリギュラスが変人なのは知ってたけど、こりゃよっぽどだねー。ご丁寧に封印と守護者まで配置しちゃってさ」
「あなた......どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだよ、ティア」
レイは手をふって光球を消すと、腰に手をあてティアをじっと見た。
「俺たちは王都から返事が来たんだ。たいした情報はなかったけど、この町の成り立ちに冒険家カリギュラスの名前があるって書いてあってさ。カリギュラスといえば魔法陣だからね、水路の見取り図を見てすぐにピンときたんだけど」
そう言って、魔法陣の前でぽかんとレイを見ているピーターに目を向ける。
「ねえ、あそこのあれさ、君の知り合い?」
「......ピーターよ。彼のおかげで石板の謎が解けたの」
あれ......なんだかいやな言い方をする。
少し眉をしかめながらティアが答えると、レイは嘆息し、こちらに歩いてきた。
「こないだのこと、まだ怒ってるの? ごめんって。俺、水路に降りるならティアも一緒にと思って、あの宿まで迎えに行ったんだよ。出かけてるって言われたからゲイリンとふたりで来たのに、まさか先に降りてるなんて思わなかった」
そのゲイリンはいつもの無表情で石板を見ている。
「水脈調整魔法の効果で水質と水量を維持していたようだな。ここまで巨大なものは初めて見るが、目新しい知見は得られなさそうだ」
「タラサは一緒じゃないの?」
「いまは星の休息日だ。あと二日は部屋から出てこない」
「タラサは真面目だからねー。俺たちの自由時間もあと二日ってこと」
「上のあれは誰がやったんだ?」
ゲイリンはそう問いながら、ティアと、その背後に立つピーターに視線をむけた。
「上の?」
「守護者だ」
「ああ......石兵のことね? ごめんなさい、ほかにどうしようもなくて。やっぱり壊したらまずかったのかしら」
「あれは並大抵の魔法使いに成せるものではない。あいつがやったのか?」
ゲイリンは口調を変えずにふたたび聞いたが、ピーターを見る視線にいやな色がにじんでいる。ティアはちくりと胸に刺さるものを感じて、また少し眉をしかめた。
「ピーターじゃないわ。ココだけど......でも、わたしを助けるためだったのよ。石兵がくずれて倒れてきて......」
その時、ふと気づいた。そういえばココがいない。
さっきまでいたのに――そう思って背後を見ると、ピーターがきょとんとした表情でティアの背中を見ていた。
「ココ、どうかしたの?」
ピーターの言葉につられて視線を追うと、ココがティアの右肩のうしろにぴったりと張り付いていた。
「ココ?」
ティアも声をかけるが、ココはうつむいたまま返事をしない。
どうしたんだろう? このあいだレイと出かけた時は楽しそうだったのに、またエルフの帆船を見た時のようになっている。ここに船はないのに。
「それは風の妖精だと言っていたな」
ゲイリンの鋭い声に振り向いて、そしてティアはたじろいだ。
「ただの風の妖精ではないのか?」
彼の表情はまるで別人のようだった。
目を見開き、その瞳には熱がこもり、まるで炎がゆらめいているようだ。食い入るようにティアを凝視するその顔は、いつもと同じ精石を耳で揺らしているが、ほんの数秒前までと同じ人物とは思えない。
ティアは困惑してゲイリンを見返した。しかし視線は合わない......ちがう、ゲイリンはティアではなく、ティアの肩を見ている。その右肩を。
「あ、ちょっと、ゲイリン――」
ゲイリンの豹変ぶりを見てレイが口をはさんだその瞬間、ティアは体に衝撃が走った。
「っ......!?」
一瞬びくりと跳ね上がると、まるで何かにがんじがらめにされたかのように体が垂直に固まった。足も腕も動かせない。
「な......」
「ゲイリン!」
ゲイリンは右手をティアに向けて伸ばしていた。レイの声を無視して、両目に熱を宿したまま、つかつかと足音を立てて近づいてくる。右肩のうしろでココが身じろぎするのを感じた。
「ダメ......ダメ......来ないで......」
ココは小さな声で泣くようにささやいている。
頭は動かせる。ティアは必死で首をひねってココを見た――ココは丸くなって両腕を抱きしめ、がたがたと震えていた。
「ココ......」
ティアの体が動かないのは、黒い木の根のようなものが体中に太くとぐろを巻いていたからだった。ぎしぎしと音を立て、全身に絡みついている。締め付けがあまりにきつく、息もうまくできない。
「......な、なにするんだ、やめろぉ!」
ピーターは動揺しながらも、杖を振り上げて、ゲイリンに飛びかかっていく。
ゲイリンは左手をピーターに向け、その手から風のようなものを放った。ピーターはものすごい勢いで吹き飛ばされると、柱に激突して床にくずおれた。そのまま動かない。
「寄るな、獣人め」
明らかに嫌悪を込めて、ゲイリンはそう吐き捨てた。
「ピー、ター......!」
――どういうこと? なぜゲイリンが?
苦しさにあえぎ、混乱した頭でレイを見ると、彼は呆れ顔でゲイリンを見ていた。
「あーもー、妖精のこととなると本っ当に見境ないんだからさぁ、ちょっとは......あっ」
ゲイリンは、ティアには一瞥もくれずに突き飛ばすと、空中でうずくまって震えるココを掴んだ。
ティアは受け身も取れず床に倒れたが、必死でココを見た。やめて、触らないで!
「ただの風の妖精にあの力は出せない。お前はなんだ? 答えろ」
「ダメ......ダメ......」
「......ココに......さわら、ない......で......」
必死に身をよじり、声をしぼり出すと、ゲイリンがちらりとこちらを見た。
「レイ、視ろ」
「え?」
倒れたティアを起こそうとしていたレイは、そう言われて顔を上げた。
「セレスティアを視ろ。この妖精についてだ」
「えっ、いまぁ?」
レイは面食らった顔でゲイリンとティアを交互に見ている。ティアはぞっとして、しかしうまく声も出せず、レイを強く睨みつけた。
レイは困惑の色を浮かべたままもう一度じっとティアを見て、そして少し目を伏せた。
「俺、ヨルシアに帰ってからもティアに文通相手になってもらおうと思ってたのにさぁ、これじゃもう無理じゃん。めちゃくちゃだよ......」
そうこぼして大きくため息をつくと、諦めたような顔でティアの瞳を見つめる。
「ま、しょうがないか。調査もこんな結果で終わっちゃって、すぐ帰るだろうし。ティアはぜんぜん俺の質問にも答えてくれないしさ」
悲しげにそう言う。
「じゃ、悪いけど――」
レイに抱き起され、ティアは恐怖で身がすくんだ。頭が真っ白になり、鼓動が急激に早くなる。落胆を宿した瞳で見つめてくるレイは、その右手でティアの頬を包み込むように触れた。
「や、め――」
「オザーブ」
ティアにしか聞こえないほどの小さな声でつぶやいた言葉とともに、レイの両眼が金色に輝き、ティアの視界はその光で覆われた。