二年前(前編)
頭の中にものすごい勢いで記憶が流れていく。時をさかのぼるように。
一時間前、十時間前、二日前、セレストに着いた日、ノクソン村を発った日――どんどん、どんどんと時間を越えていく。
「えっ、ティアってハーフエルフなんだ。タラサの宣託にその質問がなくて良かったかもね......」
視界は金色でなにも見えないのに、頭の中に流れる記憶がまるで今経験しているかのように、目まぐるしく過ぎ去っていく。
「いつもこんなこと考えてるの? クールにふるまってるのに、わりと女の子っぽいんだね。まわりにもそういうの見せたらいいのにさ」
金色の向こうからレイの声が聞こえる。あまりに不快で吐きそうだった。
「もうちょっと先を見せてよ。あの妖精に関する記憶をさ。ちょっと飛ぼうか......」
ティアはリスフェリアにいた。
目の前には白い扉がある。見上げるほどに背の高い、大葉樹くらいに大きい扉。
「ねえティア、本当に行くの?」
肩の近くで、ココがふわふわと飛びながら聞いてくる。
「そうよ。だって今しかないもん。夜になるとおじさまが帰ってきちゃう」
「うーん、やめたほうがいいと思うなぁ......」
「行くの! 前におじさまと行ったとき、絶対にあそこにあったんだから。ココだって精石を欲しがってたじゃない」
「そうだけど、掟を破ったのがバレちゃったら、フェリエンすっごく怒るんじゃない?」
「バレなければいいのよ。さ、行こ!」
ココは困ったような顔をしているけど、ティアにはわかっている。いつだってココはティアのお願いを聞いてくれるのだ。
扉の両脇には、扉と同じ高さの白い壁が、左右に遠くまで続いている。リスフェリアの町と森を隔てる壁だ。成人するまで、決してひとりで越えてはならない壁。
ティアが足に力を入れて地面を蹴ると、体はふわりと青空へと舞い上がった――ほら、思ったとおり。ココはちゃんと力を貸してくれる!
白い扉をかるがると飛び越えて、ティアは森側に着地した。靴裏がさくさくとした草を踏む。
ちらりとココを見る。ココもこちらを見ていた。目を合わせてクスッと笑いあう。
ココと一緒に森を駆けて、ときどき飛んで、霧の泉に寄り道して......おじさまと一緒の時にはできない楽しみ方で森を進みながら、ティアとココは世界樹を目指した。もちろん、すれ違う妖精にあいさつすることも忘れない。
世界樹はリスフェリアの中心にある、それはそれは古くて巨大な樹だ。
樹と呼ぶのもためらわれるほど、森にそびえ立つ壁のような大樹。だから、遠くからでもすぐにわかる。空高く枝葉をのばし森を包み込む世界樹は、その葉を追って行けば必ず根にたどりつく。
「ここらへんだったんだけど......」
世界樹の根本にある祝福の祭壇を越えて、さらに東へ進み、ティアは周囲を見まわした。このあたりに古い大葉樹があったはずだ。
「あれじゃない?」
ココが指す先を見ると、あった! 大きなうろ(※木にできた洞窟状の空洞)のある大葉樹だ。
うろの中に頭をつっこむと、ティアはにんまりと笑みを浮かべた。
大葉樹のうろの奥には、木の裂け目に沿って小さな結晶がいくつも突き出している。大妖精の森で生まれる、精霊を宿した精石だ。
「ほら、あったよ、ココ!」
ティアが手招きすると、ココはきらめきながらうろの中へと入りこみ、結晶を見て目を輝かせた。
「うわぁ、やっぱりきらきらしてる!」
「ふたつくらいはもう取れそうだね。もらっていこう!」
結晶の中でもとくに深い青色のものを選び、肩から下げたポシェットから取り出した小型ナイフを根元に差し込む。何度か叩き、軽くひねってみると、ぽろりと取れた。
もうひとつ採取して、ふたりでうろに寝転びながらしばらく眺めたあと、絹のハンカチでていねいに包み、ポシェットの中にしまう。
目的は達したが、おじさまが帰ってくる夜まではまだ時間がある。ティアは霧の泉にもう一度寄った。身につけているものを取り払って肌着だけになると、ココとふたりで泉へと飛び込む。
妖精たちと一緒にひとしきり泳いだあと水面から顔をだすと、反対側の湖岸に大型の鹿がいるのに気づいた。
「白角鹿だわ!」
つややかな毛並みの牡鹿で、その大きな体と空を刺すように伸びた真っ白な角が、静かな波紋をたてる水面にうつっていた。
白角鹿は長い首をゆっくりと下げ、水面に鼻先を近づける。泉の水を飲みはじめると湖面が揺れ、白い角の影もかすかに震える。長い脚にはしなやかな筋肉が浮かび、首を動かすたびに肩から背にかけた曲線がゆっくりと動いた。
その神秘さに見とれて、ティアはそのまましばらく眺めていた。
「すごい......きれいだね」
「......ティア、帰ろう」
「え?」
突然ココが言うので、ティアは目を瞬かせた。
「もう? まだ時間は大丈夫よ」
ココは顔から笑みを消していた。白角鹿をじっと見つめている。
「......風がよくない。なにか聞こえるの」
そうココが言った瞬間、ティアの視界を横切るようになにかが飛んで行った。風を切るような音とともに、白角鹿が悲鳴をあげる。
見ると、白角鹿の首を貫通するように、赤い風切り羽のついた矢が突き刺さっていた。
白角鹿は狂ったように暴れたが、その場で倒れて身もだえするとすぐにこと切れる。
「よしっ、仕留めたぞ! やったな、これで当分は食いっぱぐれねぇ」
「わかったから、とっとと切っちまえ。エルフたちに見つかるとまずい」
ティアがショックのあまり動けないでいると、木陰の奥から人間の男がふたり、そう話しながら白角鹿へと近づいた。手には大きな狩猟弓を持っている......密猟者だ!
男は足につけたベルトから大ぶりのナイフを抜くと、日焼けした太い腕で白角鹿の角をつかんだ。あの美しい角を切ろうとしている。
「やめて!」
ティアはとっさに叫び、飛び出していた。
「なんだ!?」
「まずい、エルフだ!」
男たちは慌てて逃げ出そうとしたが、ティアの姿を見ると、動きを止めてさぐるように凝視した。
「待て......ありゃガキだ、武器も持ってねぇ」
「なに?」
「ついてるぞ。せっかく白角鹿なんて大物を仕留めたのにこのまま捨ててくわけにゃいかねえ。仲間を呼ばれる前に殺しちまえ」
そう言うと、ティアに向けて弓をかまえた。