石板(前編)
灯りを頼りに、水流に逆らって排水路を進んでいく。
今のところ一本道なので迷いようはないが、ずっと中腰なのと、水深がティアのすねの高さまであるので、足をとられてかなり歩きにくい。
「ティアー! もうすぐ別の道があるよ!」
暗闇のむこうからココの声が聞こえる。妖精は夜目がきくので、先に進んで様子を見てくれているのだ。
別の道ということは、おそらく排水路と下層水路がつながっている接続地だろう。書き写した見取り図を見てもそうなっている。
ほっとした半面、これだけ長く水に浸かっているとさすがに手入れしているブーツでも水が染みはじめてきて、かなり不快だった。
「ピーター、大丈夫?」
「だ、大丈夫......」
返ってきた声はちっとも大丈夫そうではない。中腰なのに加え、あの重い肩かけ鞄が足をひっぱっているのだろう。彼は何度か滑って転びかけていた。
「下層水路へ出れば天井が高くなるから、あと少しよ。がんばって」
「そ、そっか......よかった......」
ぜいぜいと言いながらも希望が見えたのか、ピーターの足取りが少し早くなる。
しかし、ティアもそろそろ限界だった。レイが文句を言う気持ちもわかる。
記憶のなかの下層水路と比べても、排水路は狭くてうす汚れている。ぬるついていて転びそうなので、右手を石壁につき、左手を腰に添え、しばらくそのまま進み続けると、やっとランタンの灯りが広い空間を照らしだした。
排水路のわきに小さな石階段があり、そこをあがった先は高いアーチ形の天井に太い水路、澄んだ水......見覚えのある下層水路だ。
「よ、よかったぁ......ちょっとだけ、休ませて......」
そう言うと、ピーターはぐったりとその場に座りこんだ。石壁にもたれかかり、手にした杖の灯りもほとんど消えかかっている。
彼が休んでいる間に、ティアはランタンで照らしながら手帳の見取り図を見た。排水口の位置から現在地はなんとなく想像がついているが、どこかで交差路の壁に刻まれた数字を確認したい。
「ピーター、つかれたの?」
ココはふわふわとしながら不思議そうにピーターを見ている。
「そうね。この先、石板まではかなり歩くから、ちゃんと休んでから進んだほうがいいわ」
ティアは鞄から紙の小袋を取り出すと、結んである紐を解いた。中にはタビオ食料品店で買った乾燥木苺が入っている。
一粒をピーターへ渡し、一粒をココへ、そして一粒を自分の口に入れた。噛むとむっちりとしていて、酸味のあとに甘みがやってくる。
袋を鞄に戻して革の水筒から水を飲んでいると、ピーターは手にのせた木苺を見つめ、ぼんやりとした声で言った。
「すごいなぁ......ランタンもそうだけど、ティアは準備がいいんだね。ボク、本を持ってくることだけで頭がいっぱいだった......」
「わたしは旅人だから、こういうのが当たり前なだけよ」
「このイチゴはね、エスト平原の妖精が育てたんだよ! だから、きっと元気がでるよ。あげる!」
ココはおおきく息を吸うようにして木苺の匂いを嗅ぐと、ピーターのてのひらの上まで飛んでいき、自分の木苺をぽんと置いた。
「えっ、でも、ココの分が......」
「ココは匂いを嗅ぐだけで食べないから、大丈夫よ。それより、ここを右手沿いに行けば、たぶん交差路に出ると思う」
ティアが見取り図を見ながら言うと、ピーターは慌ててココに「ありがとう」と言い、木苺を口に放り込んだ。
「うん、もう大丈夫。行ってみよう!」
排水路を水流に逆らって歩いていたときとは違い、下層水路はちゃんと通路があるので、進みも早い。
しばらく黙々と水路を右手沿いに進むと、思ったとおり交差路に出た。壁に刻まれた数字も想定どおりだ。
手元の見取り図では、ここを左折し、まっすぐ進んだ先の数回目の交差路を右折して北方面に進めば【23】につく。たしか【23】の交差路近くの水門が閉じていて、その奥に石板があったはずだ。
あとはもう手帳を片手に、ひたすら歩くだけだった。ランタンで足元を照らし、交差路があれば番号を確認する。
ココが先行したり戻ってきたりと楽しそうに飛びまわる中、ティアとピーターは無言で歩き続け、やっと【23】の交差路へとたどり着いた。前と同じく、ちゃんと水門も閉じたままだ。
「この先よ」
足早に奥へ進むと、水路の底に白い石板が見えてきた。
ピーターが肩かけ鞄を揺らしながら走り寄っていくが、深い水路の底へ降りる方法が見つからず、きょろきょろとする。
「どうやって降りよう!?」
「ちょっと待って」
ティアはココをちらりと見ると、そのまま水のない水路に向かって軽く飛んだ。
ピーターの「え!」という声と同時に、ブーツの裏を風が押し上げ、ティアの体はふわりとやさしく着地した。
「ココが助けてくれるから、あなたも同じように飛べば大丈夫よ」
「だいじょうぶだよ!」
力強く言うココに、ピーターは一瞬戸惑いの表情を浮かべる。しかし決意したように通路の端に立つと、目を閉じて「えいっ」と飛び降りた。
すぐにココの風がふわりと体を押し上げるが、ピーターはバランスをくずしてひっくり返り、水路の床にごろごろと転がった。杖があさっての方向へ飛んでいく。
あわててティアが助け起こそうとすると、彼はすぐにむくりと起き上がり、鞄から飛び出た本には目もくれず、一目散に石板へと駆け寄った。
「こ、これが、その石板なんだね?」
そう言って食い入るように真っ白な石板を見つめる。六つの交差する円に、ふちにある二つの丸いくぼみ、そして中央の古代エルフ語......前と変わらぬ石板が静かに埋まっていた。
「《セレント・スティラントス・ルーロ・トラン》......約束を守れ。なれば光は共にある。そう書かれているの」
「こんな小さな石板が......この町の地下水と、遠く離れたリュネ湖の地下水に魔力的な影響を与えているかもしれないなんて、そんなことがあり得るのかな......」
ピーターは石板を見て、不安そうにぽつりとこぼす。
しかし、その疑問はもっともだ。正直いうとティアも同じことが気になっていた。
仮にこの石板が古代魔法によって作られたもので、セレスト港の水に魔力を与えているのだとして、その魔力はどこから供給されているのだろうか。
通常、魔法を行使するために作られた魔法具というのは、人が魔力を注いではじめて機能するはずだが......。
「きれいすぎるよ」
そうつぶやくと、ピーターは水路の壁をぐるりと見て、石板を見た。
「床も壁もあんまり黒ずんでない。それに、石板はまるで新品みたいに真っ白だ......たとえ誰かが掃除してたってこうはならないよ。この石板に魔法がかけられていたとして、仮に水をはじいてるにしても、全然経年劣化が見られない......」
ぶつぶつと言いながら、ピーターは水路全体を見まわした。
「この水路だって変だ。排水路はぬるぬるしててコケみたいなのもついてたけど、こっちの水路は壁も床もずいぶんきれいだよ。何百年も水が流れてるなら、石の境目の目地だってもっとすり減ってるはずなのに」
そう言われて、ティアは水路の底を見た。
「たしかに地下水路にはじめて降りたとき、古びたような印象は受けなかったわ......記録がないだけで、大がかりな修繕がされたのかしら?」
「............」
ピーターは立ち上がると、じっと天井を見つめた。