ラ・ミュレ(後編)
ふたたび貸馬車に揺られながらセレスト港へ戻ったのは夕刻だった。
いまだにココは港へ行きたがらないので、水魔力研究所で留守番をさせることにして、ティアとピーターはさっそく地下水路へと向かった。
しかし南門をとおることすらできなかった。門に立つ若い兵士に、ピーターが止められてしまったのだ。
ティアの許可証を見せて知り合いだと説明しても、兵士はがんとしてピーターの通行を認めてくれなかった。たとえ港湾税を払ってもとおさないと頑なだ。
それどころか、「なぜこいつと一緒にいるんだ? ロイドに報告する!」とまで言って問い詰めてくるので、強引に突破するわけにもいかず、いったん水魔力研究所へと戻ることにした。
「もう! あいつらは頭が固すぎていやになるよ!」
ピーターは憤懣やるかたない様子で怒っているが、兵士の対応は仕方がない。
ぽっと出のティアの話よりも港湾ギルドの指示を守るのは当然だ。ピーターの悪名が足かせになってしまった。
「どうやって地下水路に入ろうかしら......別の方法を考えないといけないわ」
「変装するのはどうかな? こう、目深にフードをかぶって、旅行客のふりをして......」
「たとえフードでごまかしても、あなたはどう見てもラビット族よ。ラビット族自体がめずらしいセレスト港では変装にならないわ」
そう言いつつも、ティアにも妙案は浮かばなかった。なにより、さっきのやりとりでティア自身も兵士に警戒されてしまっただろう。
下町にあった、上層水路へ通じる縦穴から入るという手も考えた。
あそこは鉄柵で囲われていて、その一部が壊れていたが、ティアやピーターがとおれるほどの隙間ではない。それに鉄扉には鍵がかかっていたし、その鍵は港湾ギルドが管理している。
「なんとかロイドを説得できないかしら」
「無理だよ。あいつはボクのことを目の敵にしてるんだ!」
「そんなことはないと思うけど......」
「そんなことあるんだよ!」
ピーターはなおもプンプンとしている。
とはいえ、リュネ湖での話を説明したところで、ロイドはティアのように妖精を信頼しているわけではない。今朝の彼の様子――まさか、信じたわけじゃないよな?――それを思い出すと、理解してくれる望みは低そうだった。
むしろピーターにそそのかされたと言われて、ティアまで港に立ち入れなくなるかもしれない。それでは本末転倒だ。
「うーん、なにか方法は......」
ピーターは頭をかきむしりながら本棚から本を何冊も取り出し、ああでもない、こうでもない、と言ってページをめくりだす。
その時、ひとつの小さな本がティアの目にとまった。
本棚の中でたくさんの本と本にはさみこまれている、薄い背表紙の【大きな樹】という文字。
「この絵本......下町の路地に落ちてたのと同じだわ」
思わず手に取って表紙を見ていると、ココが興味深そうにのぞき込む。
「ティア、それなんて書いてあるの? 読んで!」
そういえば、この絵本を下町で見つけた時もココが気に入りそうだと感じたことを思い出した。
本を開き、海の神様と村人たちの話を読み聞かせてあげると、ココは思ったとおり喜んで、にこにこしながら大樹と村人の絵に見入っている。
「それ、気に入ったならあげるよ」
ピーターがそう言うので驚いて見ると、彼はこちらを見もせず本に集中している。
「昔、父さんにもらったんだ。でもボクにはもう必要ないから」
「ホント? やったぁ! ティア、くれるって!」
「だめよ、ココ」
ティアは絵本を閉じると、ピーターに向きなおった。
「そんな大切なもの、貰えないわ」
「大切じゃないよ。ボク、その本好きじゃないんだ」
ピーターはそう言うと、ちらりと絵本を見る。
「だってさ、そんな簡単に海の神様なんてものが現れて、村人を助けてくれるなんておかしいよ。ボク、子供のころはその本が大好きで、きっと海には神様がいるんだって信じてた。でも、今はわかる......海の神様なんていないし、困ったってだれも助けてくれない。自分でなんとかするしかないんだ」
ティアが言葉を返せないでいると、ピーターはぷいと顔をそむけて手元の本へと視線を戻した。
「ずっと捨てようと思ってたのに、なんとなく捨てられなかっただけ。だから、ココが気に入ったならあげるよ」
そう言うと、ピーターは「そんなことより、地下水路へ行く方法をなんとか考えなくちゃ!」と手元の本を食い入るように読みだした。