うつろな宴会
結局その場では良い案が浮かばず、いったん解散しておのおので考えることになった。
ティアが思案に暮れながらかもめ荘に戻ると、一階の食堂がたくさんの人でごったがえしていた。なにやらがやがやと騒がしい。
「あらティア、おかえり!」
「......これはいったいどうしたの?」
ソノも両手に酒瓶を持って忙しそうだ。
いつもならこの時間の食堂は、宿泊客が夕食を食べているころだ。しかし、いまはまるで宴会場のような騒ぎになっていた。
「それが市場でひと騒動あってさ。今日の漁で銀目魚の群れにぶつかったらしくて、漁師どもが大量に魚を持って帰ってきたのよ!」
よくよく見てみれば、食堂中の机が部屋の中心に集められ、そこに大量の料理がならんでいる。あきらかにかもめ荘の客ではない者も大勢いるようだ。
「全部市場に出したら値崩れしちゃうからって、うちみたいな得意先にタダで配ってくれてさ。そんなら、あたしらだってお金取るわけにいかないじゃない? だから知り合いあつめて宴会にしちゃったってわけ」
「それでこの騒ぎなのね」
「ティア、今夜はあんたも無料よ!」
ソノはそう言ってウィンクすると、客のもとへと酒瓶を配りに行った。「あんたら、料理はタダだけど酒は別だからね!」と大声を張りあげている。
食堂の机の上は、魚料理の見本市のようだった。
かもめ荘の自慢料理である銀目魚の煮込みに、香草をつめてこんがりと焼いた焼き魚、そのとなりには一口大に切った揚げ魚......そしてつやつやに磨かれた大鍋からは魚介の香りたっぷりのスープの湯気が立ちのぼっている。
「すごーい! お魚がいっぱいだよ!」
ココは目を輝かせているが、ティアは地下水路のことが頭から離れなかった。食欲をそそる香りにもあまり気が惹かれない。
「おう嬢ちゃん、いたのか!」
そう声をかけてきたのは、日焼けした肌に緑色のバンダナをつけた、市場区の魚屋のトニー爺だ。酒瓶を片手に持っている。
「こいつも食ってみろ。うめえぞ」
「......これはなに?」
トニー爺が差し出す皿には、魚の切り身を玉ねぎや香草で和えた料理がのっていた。身はオイルでつやつやとしている。
「銀目魚のマリネだよ。新鮮な魚で作ったマリネは身がしまってて一味違うからな、食っといて損はねえ。しっかし、ソノもたまにゃ気の利いたことするもんだ。今日は酒がすすむな!」
赤ら顔のトニー爺から渡されたマリネを食べてみると、鼻にツンとくる酸味とともに、ぷりぷりとした身から魚の淡い甘みがした。香草の香りがさわやかで、たしかにおいしい。
食堂いっぱいのすばらしい料理を見ながら、ティアはぼんやりとピーターを思い出した。
彼は、もう長いあいだ自宅に客を迎えていないと言っていた。今日もあの散らかった研究所でひとり食事をとるのだろうか。
こんなにごちそうがあると知っていたら、ピーターをかもめ荘につれて来たのに。
「ねえねえティア、このたくさんのお魚は、海の神様にもらったの?」
ココは料理を見ながら嬉しそうにしている。よほどあの絵本が気に入ったようだ。
「そうね......海の神様が、漁師たちに海の恵みを与えてくれたのかも。おすそ分けにあずかってるんだから、わたしたちも村人みたいに海の神様に感謝しないとね」
「なんだぁ? 嬢ちゃん旅人なのに、カリギュラスの樹を知ってんのか」
「カリギュラス?」
トニー爺の言葉に、ティアは首を傾げた。
カリギュラス......なにやら聞き覚えがある気がするが、なんだったのか思い出せない。
「セレストに昔っからある絵本だよ。ここらで育ったやつならみんな知ってる本だぜ」
「でも......わたしが見たのは、大きな樹という題名だったわ」
そう言いながら、革鞄から【大きな樹】の絵本を取り出す。
結局、ピーターから強引に渡されたのだ。
「へぇ、今はそういう名前になってんのか? ま、俺がガキのころに持ってたのは爺さんから譲ってもらったやつだからな。俺の爺さんはカリギュラスの樹って言ってたぜ」
「そんなに昔からある絵本なのね」
「なんせ爺さんがガキの時分にもあったらしいからなぁ」
トニー爺は酒瓶をかたむけ、絵本を見ながら懐かしそうに言う。
「あのころは貧乏でよ、持ってる本なんて爺さんにもらったその一冊だけだったからな。頁がとれてもまだ読んだんだぜ。最後は表紙まではがれてボロッボロで、いつのまにかなくなっちまったけどな......遊び場なんてのもなくてよ、よく水路に入り込んで遊んでたよなぁ?」
トニー爺は、隣に立つよく日焼けした老人と一緒にがっはっはと笑い声をあげたが、ティアは絵本を手に思わず体をこわばらせた――なんだって?
「......水路に入り込んだって、どういうこと? 地下水路は港湾ギルドが管理していて、鍵がなければ入れないわ」
ティアが聞くと、トニー爺とその友人らしき老人は、赤ら顔で楽しそうに笑った。
「それが入れるんだよ! 東門を出て南に抜けたところにある排水口の格子がな、こう......クイッとひねるとはずれるのよ」
「はずれるのよ、じゃねぇよトニー。おめぇがはずしたんじゃねえか!」
「そっから入ると下層水路につながってんだけどよ、ロウソクひとつ持って探検すんだよ。入る時にびしょぬれになっちまうから、いつも裸になって中に入ったよなぁ。いつだったか、お前の服が排水と一緒に流されちまって、すっ裸で家に帰っておふくろさんにぶん殴られてたよな!」
そう言って、ふたりは大声でゲラゲラと笑う。
ティアはもう話を聞いていなかった。排水口の格子をはずすことができて、そこは下層水路につながっている。
地下水路へは正規の入り口から入れたとしても、下層へ降りるまでに鍵のかかった扉があるので、どうするべきかと悩んでいたが......これなら下層に直接入り込める。
ティアの脳裏にピーターの喜ぶ顔が浮かんだ。
明日、彼に話しにいこう。しっかり準備をしなくては。