かもめ荘の夜
「えっ、あんた、旅人の止まり木に行ったの?」
かもめ荘の店主はソノという名の女だった。
年のころは20代後半だろう。はつらつとした明るい女将で、ずいぶん話好きらしく、ティアが聞かれるままにかもめ荘に来た経緯を答えると、とたんに大声で笑い出した。よくとおる、はりのある声だ。
「ごめんごめん――そりゃ、ダグのやつも仰天しただろうね。自分の店にこんなべっぴんさんが泊まりに来たらさ。あいつ、愛想悪かっただろ? 昔からそうなんだよ」
そう言いながら、ソノは目じりの涙をぬぐった。
「あんた、うちに来て正解だよ。ダグのとこは昔ちょっと色々あってさ、それで慌ててあんたをうちに寄越したんだね。港で荷運びしてるやつとか金のない旅人連中とか、そういうのばっかなのよ......そりゃ、あんたを泊めるのは無理ってもんよね」
そしてちらりとココに目を向ける。
「それにしても、びっくりだよ。まさか本物の妖精をこの目で見られるなんてね。ごめんねココちゃん、かもめの寝床はなくってさ」
「ううん! かもめはね、好きなところで羽を休めることができるんだよ。だから、だいじょうぶ!」
ココはゆらゆらと揺れながら、嬉しそうにそう言った。
そんなココを見ながら、ソノはため息をつく。
「あたしはセレストから出たことがないからよく知らないけど、本で読んだことはあるんだよ。エルフの森にはあんたみたいな妖精が山ほどいるんだって?」
「うん! 大妖精の森にはたーっくさん妖精がいるよ。アタシはね、森の風から生まれた風の妖精なんだ。だから、さっき風鈴をたくさんつついてきたの!」
「はぁー......すごいねぇ。自然豊かなところに妖精は生まれるって書いてあったけど、本当にそうなんだ」
感嘆しながらココを見つめるソノの背後から、体格の良い大柄な男がのっそりと現れた。両の手にそれぞれ料理をのせた盆を持っている。
「飯、できたぞ」
ぼそりとそう言って、ティアの前に次々と料理を並べていく。
いったい何日ぶりのまともな夕食だろうか。目の前の料理が神々しくすら見えて、思わずごくりと喉が鳴る......。
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~かもめ荘の夕食メニュー~
・季節の野菜と海藻のプチプチサラダ
・にんじんとキノコのとろとろシチュー
・潮角貝の香草焼き
・自家製りんごの果実水
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「うわぁー! すごい、いろんないい匂いがする!」
ココはいつもどおり目をきらきらと輝かせているが、ティア自身も同じ気持ちだった。
サラダはいかにも港町らしく、海藻がたっぷりと盛られている。その上には赤や黄色のちいさな実が散らされ、海の緑にあざやかな彩りを添えていた。
シチューは具だくさんで、大きく切ったにんじんやキノコが白いとろりとしたスープの中にごろごろと入っている。一緒に食べるための白パンは、ふわふわとまるくて柔らかそうだ。
それに潮角貝の香草焼き......これがノクソン村で耳にしたセレスト名物の貝だろう。
ぐるぐると渦を巻くとがった殻ごと皿に盛られていて、殻の口から焼けた貝の汁がきらきらと滴っている。香ばしいハーブの香りが鼻をくすぐった......。
ティアは果実水のグラスをつかむと、ココの前に差し出した。これならココもすこし飲める。ココは「きゃーっ」と歓声をあげると、その場でくるりと回転しグラスのふちに手をかけた。
「あら、もしかしてココちゃんも飲めるの?」
ソノは目をぱちくりとさせると、「ちょっと待ってて」と言い残し、ぱたぱたと厨房へ入っていく。
しばらくして戻ってきたソノの手には、小さなカップと皿がひとつ乗っていた。
「このミルクピッチャーなら小ぶりだし、ココちゃんにピッタリじゃない? ちょっと大きいけどさ。あとこっちはティア、あんたにね」
そう言って、ココの前に果実水が入った小さなミルクピッチャーを、ティアの前にはパンケーキが乗った小皿を差し出した。
パンケーキは焼き立てのようでたっぷりと蜂蜜がかかっており、とろけるような甘い香りを放っている。
「これ、あたしが裏で食べようと思って旦那に焼いてもらってたんだけど、あんたにもあげるよ。お腹すいてるんでしょ? ダグの紹介ならサービスしなくちゃね」
あいつとは腐れ縁でさ――そう言いながらソノは、よくとおる声で快活に笑った。
ティアは、まだ食事には手を付けていないのに、胃のあたりがあたたかいなにかで満たされていくような気がした。なんと言ったらいいのかわからない。
ミルクピッチャーを両手で抱くようにして果実水を飲むココを見つめながら、「ありがとう」と小さくつぶやくのが精いっぱいだった。
夕食のあと、部屋に戻ったティアは大きな格子窓から外を眺めていた。
ココが手元をのぞき込んでくる。
「ティア、描けたー?」
「ううん、まだ」
ティアは手元に手帳をひらいていた。
スケッチを描いているところだったのだが、窓からふきこむ風があまりに心地いいので、思わず手を止めて景色をながめていたのだった。
見事な夕日だ。
この部屋は、小高い立地のかもめ荘の二階部屋なので、両開きの大きな窓からは水平線が一望できる。
海は西へとしずむ真っ赤な太陽を一面に受けて、斜線上に赤く色づいていた。
反対の東の空は、すでに夜のとばりが降りている。
「きれいな町ね......」
「うん。すっごく楽しい町だね!」
「大きな港町だって聞いていたから、もっとよそよそしいところかと思ってたんだけど。親切な人も多いみたい」
ティアはベッドの上に広げた紙包みを見つめた。青い鳥で老婆からもらった石鹸だ。小さな鳥の焼き印をそっとなでる。
「ちょっとだけ森を思い出すね」
ティアの言葉に、ココは不思議そうに首をかたむけた。
「うーん。アタシ、よくわかんない......でも、森も同じくらい楽しかった気がするかも!」
ティアは胸の奥のなにかがキュッとしめつけられたような気がして、うつむいた。
「......そうよね、ごめん。変なこと言って」
「ねえねえ、石鹸のつづき、描かないの?」
わくわくした顔で見つめてくるココに、ティアは微笑んだ。
「ねえココ。明日市場区に行くなら、朝は早いわ。疲れもたまってるし、はやめに寝ないと。このあと港を見に行こうかと思ってたんだけど、あんまりゆっくりはできないかも。どうする?」
ココはまるで難問を問われたかのように険しい表情をして、うーんと首をかしげてうなった。
「えーっと......今から海にいくと、あんまりたくさん見られないってこと? 妖精をさがしにいける?」
「そう。港まではそれなりに距離があるみたいだから、ちょっとだけ見ることはできるけど、すぐ帰ってきてはやめに眠らなくちゃ。もし海に妖精がいたとしても、ついて行かないで我慢できる?」
「えっ、そうなの? 一緒にあそんできちゃだめ?」
「今日はね。明日ならいいよ」
そう聞いて、ココはぱっと顔を明るくした。
「そうなんだ! じゃあ、明日いきたい!」
「そっか。明日は市場区をのぞいて、そのあと港を見にいこう。今夜は、スケッチが終わったらかもめ荘のまわりをぐるっと散歩だけしようか」
「うん! お散歩する!」
ごきげんでくるくるまわりはじめるココを見ながら、ティアは鉛筆を手に取った。
今日、セレスト港ですごした半日を思い返してみる。
青い鳥の老婆も、かもめ荘のソノも、妖精のココを見て驚いていた。それを考えると、セレスト港の海に妖精がいる可能性は低いかもしれない。
「お散歩♪ お散歩♪」
羽をきらめかせながら踊るように空中で跳ねるココを見ながら、ティアはくちびるをきゅっと結んだ。
ここセレスト港は大きな町だ。各地からあつまる船とともに、たくさんの人や情報も流れてくるだろう。ココの記憶が戻る手がかりが、ほんの少しでもいいから何かつかめると良いのだが。