罪
だがゲイリンが素早く左手をかざすと、ティアの体は風で吹き飛び、長椅子へと叩きつけられた。
次いで、すぐに右手をかざす。ティアの体に黒い木の根が絡みついた。地下水路のときと同じだ......長椅子ごと絞めつけられ、ぎりぎりと音を立てる。
「ううう......」
ティアが無我夢中で体を動かすと、パン! という乾いた音が響いた。同時に、黒い木の根は塵のようにさらさらと消え去っていく。
「ちっ、死んだか。使いすぎたな」
彼は右手で耳を触った。そこにあった精石の耳飾りが砕けてなくなっている。
地下水路でもそうだった。ゲイリンは今、呪文を唱えずに魔法を使っている。まるで妖精がそうするように......。
「どういうことなの? 死んだってなに?」
「まだわからないのか」
ゲイリンが左手をかざす――ティアは体をひねって長椅子から転がり落ちた。その直後、長椅子は大きな音を立てて吹き飛び、壁に当たった。
またすぐに左手を向けてくる。ティアは背を向けて床から跳ね上がった。飛んできた風に足を向け、力を抜く。そのまま風と一緒に飛び、受け身をとりながら転がった。キャビネットにぶつかり、飾られていた大量の精石がばらばらと落ちてくる。
「なるほど......お前に対して風の妖精では、さすがに相性が悪いな」
ゲイリンのその言葉の意味を、ティアは必死で考えた。
彼は風を使っている。風の妖精と契約しているのか? しかしどこにも妖精の姿は見当たらない。それに、さっきは木を使っていた......。
「複数の妖精と契約しているの? あなたの妖精はどこなの!」
「そこに散らばっているのが見えないのか?」
ゲイリンはそう言って、ティアの足元を見る。
「間違っても踏みつけるなよ。すべてわたしのものだ」
「え......」
ティアは足元に散らばるたくさんの精石を見つめた。さまざまな大きさの、精石の結晶。すべて成熟した深い青色をしている。
ひとつの考えに思い至って、背筋がひんやりと冷えていく。そんな、まさか――。
「......精石に......精石の中に......妖精を、閉じ込めているの?」
「当然、それが一番効率のいい使い方だ」
そう言いながら、ゲイリンは歩いてくる。
「精石は結晶化する過程で精霊を宿し、それが妖精とエルフの魔力連携を強化する。だが妖精自体を精石内に入れておくことで、魔力連携すら必要がない。わかるか? 妖精を介さずとも、エルフの意思で自由に精霊を扱えるようになる――わたしは長年この研究をしてきた。誰よりもうまくこれを使える!」
ティアは震えが止まらなかった。恐怖ではない、怒りだ。
妖精同士はただ存在するだけで互いを理解できる。きっとココは、精石に閉じ込められた妖精たちの苦しみを感じ取っていたんだろう。だから様子がおかしかった......そして今もなお、その痛みに苦しんでいる。
「絶対に、あなたにココは渡さない......この妖精たちも、みんな!」
ティアは散らばった精石を、思い切り腕で払った。精石は床をすべり、寝台の下へと入り込む。
ゲイリンを避けて左まわりに部屋を横切り、机の上のココへと手を伸ばした。ガラスをつかみ取り、そのまま大きな窓へと走る。
窓枠にココが入ったガラスを叩きつける。激しい音がして割れ、左手に鋭い痛みが走った。それを無視して素早くココをてのひらで包む。
「ココ、逃げて! 港湾ギルドまで飛んでロイドに伝え――」
窓を開けようとして、手を止めた。開けられるような取っ手がない。
窓の外には月夜に照らされた海面が広がっている。
天井の紋章を見た時にエルフの帆船の中だろうと思ってはいたが、外には港がなかった。灯台も、町の灯りも何もない。
そこには大海原だけが、まるで夜闇にとけこむように伸びていた。
あのきしむ音とめまいはそういうことだったのか。ここは航海中の船の中だ......。
「おい、ゲイリン! さっきからガタガタとなにやってんの? すごい音がしてんだけど!」
部屋の外からレイの声がした。
ティアは呆然と海を見て、ココをぎゅっと握った。ずきずきと痛む左手の甲をつうっと血が伝っていく。
「なんでもない。気にするな」
「気にするな、じゃないよ。すごい音だって言ってんじゃん! まさかティアが起きたんじゃないよね? ロストデールに着くまで眠らせとくって話はどうなったんだよ!」
「少し手違いがあっただけだ。こっちで対処する」
「ゲイリンはだめだって! 説明は全部俺がするって言っただろ? おい、ここ開けろって」
ガタガタと扉が揺れる。
ゲイリンはこちらを見据えたまま......いや、ティアの手の中のココを見据えたまま、動かない。
「ねえ、また乱暴なことしてんじゃないよね? マジで俺まで嫌われるからやめてよ。寝てる間に妖精を取るだけだって言ってたじゃん!」
ティアは室内をもう一度見た。どれだけ探しても自分の荷物は見当たらない。革鞄も、弓も、矢筒も......武器になりそうなものは、なにひとつない。
ココは力なくくたりとしているが、うっすらと目を開けてティアを見つめている。ますます輝きが弱まっているように見えた。
「ああ。予定とは違う状況だが、今からやろう」
「えっ?」
かつかつと足音を立て、ゲイリンが歩いてくる。
ティアは散らばったガラスの破片を拾い、ゲイリンに向かって投げつけた。彼は左手の指先だけを振ってそれをはじき飛ばす。
手近にある投げれるものはすべて投げた。ガン、ガシャン、と音を立ててすべてはじかれる。
「おい、やばいよ......マジでタラサにばれるって!」
ガタガタと、レイはまだ扉をゆすっている。
ゲイリンは机の前まで来ると、机上に広げられていた紙を手に取った。両手でそれをするりと伸ばす。紙は縦長の巻物で、端から端までびっしりと小さな文字が書き込まれている。
「意味はなく偶然にお前が選ばれ、契約の名のもとに享受してきたその力......これからはわたしのものとなる。だが、代わりの妖精が欲しければひとつくらいはくれてやろう。いくらでもあるからな」
「なぜココなの!? ココはこんなにも弱ってる......それがわからないの? あなたが求めてる力なんてないのよ。どうしてそんなに欲しがるの!」
「愚か者め」
ゲイリンは吐き捨てるように言うと、冷たい目でティアの手の中のココを見た。
「大妖精は世界に四体しかいないとされている。シルフ、ウンディーネ、ノーム、サラマンダー......古から蓄積されてきた、大量の精霊を蓄えている器だ。他の妖精とは比べ物にならないほどに大容量のな」
その瞳はぎらぎらとして、ふたたび燃えるようなゆらめきを宿している。
「たとえ力が一時的に失われたとしても、器自体が縮小するわけではない。その大妖精はお前を蘇生させたがために力が枯渇したが、それはいくらでも補給ができるものだ。器さえ残っていれば」
「精霊の補給には途方もない時間がかかるわ。風を浴びたからってすぐに満たされはしない! あなたが望んでる力なんて......」
「リスフェリアはまったく進歩していないんだな。幻想にとらわれた、哀れな国だ」
軽蔑のにじむ目でティアをとらえる。
「精霊の補給など簡単なことだ。妖精同士は精霊を分け与えられる。あまたの妖精を消費すれば、大妖精シルフに本来の力を取り戻させることなどたやすい。リスフェリアはそれを妖精殺しだと言って頑なに認めようとしないが、これは事実だ」
ココを握る手が震えた。
「妖精殺し......」
言葉にしただけで怖気がはしる。
この男はいくつもの妖精を捕らえ、その自由を奪うだけでなく、殺してまでいるのか。さっきも言っていた。死んだか、と。
あの右耳の精石に閉じ込められていた妖精は、彼に使われて死んだのだ。自由を奪われ、抵抗できず、その身を形作る精霊をすべて使い果たされて。
「それが......それが、あなたの犯した罪なの!」
ティアは自分でも気づかぬうちに、涙が頬を伝うのを感じていた。
「罪? 違う」
「いいえ、罪よ。あなたは妖精を力としてしか見ていない。まるで強力な武器でも手に入れたかのような口ぶりだわ......妖精とエルフは生涯をともにするのよ。家族と同じ――それ以上の存在よ。リスフェリアに生まれて、なぜそれがわからないの?」
「くだらない。わたしはあの進歩のない森を捨てた。わたしを認めようとしないあの森を、わたし自身が見限ったのだ」
「嘘よ。あなたは大罪を犯して故郷を追放された、ただそれだけ。認めてもらえないから、自分を守りたくて拒絶したふりをしてる罪人なのよ。その証拠に、今でもこんなに妖精に執着してる!」
ゲイリンの目に初めて怒りが宿るのが見えた。
「罪ではない、これは進化だ。お前にはわからないだろうが――あの愚かな国の誰ひとりとして、理解ができなかったのと同じように!」
そう言うと、ゲイリンは巻物をティアに向けた。