ルヴェル
「なぜ、こうなった!?」
部屋の外から怒声が聞こえる。
いつも冷静なおじさまが、声を荒げて怒鳴っている。
「落ち着きなさい、フェリエン」
「あの子には何度も言い聞かせていたというのに! だいたい見張りは何をしていた? やすやすと賊を取り逃がすなど......」
「密猟者は陽が落ちる前に森を去る。セレスティアを見つけた時には、もうすべてが終わっていたのよ」
「くそっ、なぜだ。なぜ森に......」
「あの子はまだ幼い。危うさを制御できなかった我らの失態。あれはやはりセスリーンの子よ」
「......その名は言うな!」
ティアは背の高い窓からそそぐ月明りに照らされながら、寝台にうずくまっていた。ココは退屈そうに窓辺から夜空を見上げている。
おじさまとおばあさまの話は、まだ途切れない。
「契約妖精がル・ココであったことがせめてもの救い。そうでなければ助からなかったわ」
「わたしはそうは思わん。ル・ココだからこうなったのではないか? ル・ココに護られているという驕りが、セレスティアを危険へと駆り立てたのではないか?」
「フェリエン......いずれにせよ、すでに契約は破棄されている。ル・ココもほとんどの力を失っていた。この盲いた目ではっきりと見たのだから」
「そうだ。このままでは幼いセレスティアは生きられん。妖精の守護なしには......大妖精だろうがなんだろうが、もうル・ココにはあの子を任せられない。すぐにもう一度祝福を受けさせる」
「フェリエン」
しんとした空気の中、おばあさまの声が響く。
「我らの生涯に祝福は一度だけ。リュシール家当主であるお前が、その掟をやぶるというの?」
「わたしはもう二度と子を失わない。なにがあろうとだ。必ず、あの子を守る」
「己の口癖を忘れたの? 決して掟をやぶるな、でなければ罪人ルヴェルのようになると......そうあの子に言い聞かせていたお前が。妹の二の舞を恐れていたのではないの?」
「母上、これ以上口を出すな」
がちゃりと音を立てて、部屋の扉が開いた。
おじさまが入ってくる。その後ろでは、深くヴェールを被ったおばあさまがこちらを向いていた。
「セレスティア、着替えなさい。すぐに祝福の祭壇へ向かう」
「おじさま......」
ティアは涙を拭った。
「お願い、二度と言いつけにそむきません。必ず約束します......だから、ココを取り上げないで。お願い......」
「ではこれが最初の言いつけだ。今すぐ支度をするように」
そう言うと、扉は冷たい音を立てて閉められた。
どうしたらいいの。ココがわたしを忘れてしまったのに、もう一緒にいることもできなくなっちゃう。全部、わたしが悪いのに......。
嗚咽をこらえきれないでいると、ココが不思議そうな顔で寄ってきた。
「ティア、どうしたの? どこか痛いの?」
月明りに照らされたココは、いつもとまったく変わらない。羽の輝きも、淡く光る手足も。それなのに、記憶がないだけでまるで別人のようだった。
ココと離れるなんて耐えられない。新しい妖精の祝福を受ける? そんなの、絶対にいや......。
ティアは窓を見た。両開きの大きな窓。この部屋は二階だが、風を使えば窓から出ることは造作もない。
月夜のリスフェリアはいつもと変わらない景色だ。遠くに森が見える。町と森を隔てる白い壁も。
森で起きたことを思い出すと、恐怖で身がすくむ。わたしにもう一度、あの白い扉を越えられるだろうか? その勇気が出るだろうか?
でも......ほかに方法はない。
「ねえ、ココ......一緒に逃げよう。わたしと来てくれる?」
そう問いかけるティアを、ココはやはり不思議そうな顔で見上げていた。
目が覚めてからも、ティアはしばらくまぶたを閉じていた。ずいぶん昔の夢だった。できるだけ蓋をしておきたかった記憶。
だが、同時に思い出したこともあった。なぜ今まで気づかなかったんだろう。
カリカリという音と、何かがきしむような響きが耳に伝わってくる。
ティアが目を開けると、そこは派手な装飾の部屋だった。しみひとつない真っ白な壁に、天井には大きな白銀の星の紋章がある。
部屋の中には、長い黒髪を背にたらしている男がいた......ゲイリンだ。こちらに背を向け、長机に向かってなにかをしている。
自分が長椅子の上にいることに気づき、ティアはゆっくりと半身を起こした。縦長の大きな窓には薄いカーテンがかかっているが、外は暗く、夜のようだった。
きしむような音と同時にめまいがする。手で頭を押さえるが、頭痛はない。
「起きたのか。想定していたよりも早かったな。腕が鈍ったか」
背を向けたままゲイリンはそう言った。カリカリという音が止まることなく続いている。ティアはその背中を見て、じっと思い出していた。叔父から何度も聞いた、その名前を。
「罪人ルヴェル」
カリカリという音がぴたりと止まった。
「ゲイリン・イド・ルヴェル。たしかにあなたはそう名乗ってた。耳なじみのある名前なのは、リスフェリア出身だからだと思ってたけど......そうじゃない。掟やぶりの大罪を犯して森を追放された、罪人ルヴェル......あれは、あなたのことなのね」
ゲイリンの肩がわずかに動き、カリカリという音がふたたび聞こえてくる。なにかを書いているのだろうか。
「なにも知らない赤子かと思ったが、そうでもなかったようだな」
ティアはまためまいを感じた。それにずっと壁から響いている、このきしむような音はなんなのか。
「ココはどこ?」
ティアの質問にゲイリンは答えない。
室内を見まわす。寝台に長椅子、長机に背の高い本棚。窓の横に大きなキャビネットがあり、その上にはガラスに入った精石が大量に飾られている。しかし、部屋のどこにもココのきらめきは見当たらない。
「ココはどこなの?」
「もうお前のものではない」
低いゲイリンの声に、ティアは唇をかんだ。
「もともと、わたしのものじゃないわ。ココはものじゃないのよ」
「ならば、なぜ取り戻そうとする?」
「あなたもリスフェリアにいたのなら......契約妖精がいるなら、わかるでしょう? ココはわたしのすべてなの」
ゲイリンはカリカリとなにかを書いていた手を止めた。彼の肩ごしに、ゆっくりと羽ペンを置くのが見える。そして深く息を吐いた。
「おまえも勘違いをしているようだな」
そう言って立ち上がり、こちらを振り向く。
ティアは息をのんだ――ゲイリンの机の上に、ガラスに入れられたココがいた。最後に見たときと同じく小さくうずくまっている。
「妖精の契約とはなんだ? 言ってみろ」
ゲイリンは冷たい目でこちらを見ている。ティアは彼をにらみつけ、立ち上がった。
「エルフの子が生まれたとき、祝福の祭壇で妖精から選ばれることよ。選ばれて祝福を受けると、その妖精は生涯の契約妖精となって、その子を護り、願いを叶え、恵みを与えつづける――」
「違う」
「違わないわ!」
「妖精の契約とは主従契約だ。自然界から発生した精霊をエルフに届けるため生まれたもの。森は精霊を妖精という形に変えてエルフに与え、エルフはそれを使役する」
その突飛な発言にティアは耳を疑った。
「――な、なんですって?」
「祝福だのなんだのと、誰もかれもが勘違いをしている。妖精は、エルフに使わせるために森が作ったものだ。そういった意味で恵みという解釈は正しい。だがこの仕組みの中にも間違いがある。なにかわかるか?」
淡々と言うゲイリンの言葉に、ティアは理解が追いつかない。
彼は眉ひとつ動かさず、後を続けた。
「選び方だ。妖精に意思など存在しないにもかかわらず、森では妖精にエルフを選ばせるという方法が習慣化されてしまった。それが間違いなのだ。その実はエルフが妖精を選ぶものだというのに」
ゲイリンはガラスに入ったココを手に取ると、持ち上げた。
「お前もこの大妖精シルフに選ばれたのだろう。なぜ自分が選ばれたのか、その意味を考えたことはあったか? これまで大妖精シルフの祝福を受けた者はいなかったにもかかわらず、なぜ自分がと考えたことは?」
ガラスの中で、ココは身じろぎしていた。身を守るように抱え込んだ腕の間からティアを見ている。その小さな体が小刻みに震えている......。
「意味などないんだ。妖精に目的はなく気まぐれで、そこに意思も理由もない。必要なのは、正しさを知る者が正しく使うことだ。お前ではなく、このわたしが」
「ココに触るな!」
ティアは激高して自分でも止められず、ゲイリンに飛びかかった。