帆船
商店街を抜けた先、目の前に見えてきたのはセレスト港の南門だった。
町をぐるりと囲むように築かれた石壁......その一部に大きな門がぽっかりと口を開けていて、門の上には帆船を描いたセレスト港の紋章が掲げられている。
開け放された門扉の両脇には見張り台があり、何人かの兵士が立っていた。
今日も天気がよく、朝の光を浴びながら、門の外から次々と荷物が運ばれてくる。野菜を山積みにし、樽をいくつも積んだ荷車......きっと、今朝届いた荷物なのだろう。
「すごい、おっきいねえー!」
ココはまばたきを忘れて巨大な門を見上げている。
たしかに、昨日セレスト港に入る時にとおってきた北門よりも大きな門だ。ソノに聞いた話だと、セレスト港はこの南門がメイン・ゲートらしい。
門の先はもう港で、遠くには何本もの帆柱が立ちならび、その向こうには青く美しい海が見えた。
「みてみてティア、あそこ、船がいっぱいだよ!」
「行ってみよう」
「うん!」
吸い寄せられるようにして南門へ近づくと、「ちょっとあんた!」と呼び止められて、ふりかえる。
声をかけてきたのは、門のわきに立っていたずんぐりとした兵士だった。
「だめだよ、勝手に入っちゃ。許可証は?」
「許可証?」
ぽかんとするティアに、老齢の兵士はしかめっ面で腕を組んだ。
「港湾関係者じゃなさそうだな。船に乗るのか? 乗船券は?」
「アタシたち、船を見に行くんだよ。それに、海の妖精がいるかもしれないの!」
純真そのものといったまなざしで、ココが兵士に向かって言う。
兵士はじろじろとココを見ながら、
「珍しいな、妖精連れか? 許可証も乗船券も持ってないなら、勝手に入られちゃ困るね。こっちで港湾税を払ってもらわないと」
そう言われて、ティアは反射的に腰帯にくくりつけた革袋へと手をやった。中には全財産が入っているが、港湾税......いやな予感がする。
「......有料なの?」
「そりゃそうだ。誰でも入れてひまつぶしにウロウロされちゃ邪魔だからな。ひとり銀貨2枚だよ」
「銀貨2枚......」
ティアは腰帯から革袋を取り外し、ゆっくりと開いた。そう多くはない枚数の銀貨と銅貨が、袋の中でさみしげに横たわっている。
銀貨2枚。まだ数日はセレスト港に滞在するつもりでいたので、それを考えるとかなり痛手だ。
ココは乾燥木苺を抱きしめたまま、きょとんとした顔でティアと兵士を交互に見つめている。その無邪気な顔を見て、ティアはもう一度革袋の中に目を落とす。
タビオ食料品店であの木苺を買ったことを少し後悔した。しかし、もうあとの祭りだ......。
数日、食費を切り詰めればなんとか払えなくはないかもしれない。かもめ荘のあの数々の料理が食べられないのは辛いが、仕方がない。
ティアは魚市場でのトニー爺の言葉を思い出した――「今夜は銀目魚の煮込みだろうぜ。あいつと旦那が作る煮込みは天下一品さ」――いったい、どんな味なんだろう......。
歯をかみしめながら、銀貨2枚を兵士の手に渡そうとした。
「おいおい、ひとりって言っただろ? そのチビの分もいれて、銀貨4枚だよ」
唖然とするティアに、兵士は呆れた様子でそう言ってのけたのだった。
強い風の音がかけぬけていく。
潮風が吹きすさぶ門の上の回廊からは、さきほどはちらりとしか見えなかった港がずっと遠くまで一望できた。
海沿いには石造りの桟橋がいくつも突き出していて、その間をさまざまな船が行き交っている。
停泊中の船は荷物の積み下ろしの最中だ。朝から大勢が働いていて、樽や木箱をのせた荷車が走り、外壁沿いに立ちならぶ倉庫へと運ばれていく。
そのむこうには、どこまでも続く青い海が広がっていた。
あのあと、兵士はあまりにも落ち込むティアとココを見て、ばつが悪そうにしていた。
港湾税のなりたちや一人一税の理由などをブツブツとならべ立てていたが、その話によると、港の中に入るには税がかかるが、見るだけなら無料だと言うのだ。
そこで、一般用に解放されている門の上の回廊を案内してもらい、すっかり機嫌をなおしたココとともに、こうして景色を見ているのだった。
「ねえねえティア、あの白いの、なに?」
ココが指さす先にあるのは、大きな塔だった。
港の一番先、海へ突き出した防波堤のむこう側......そこにひときわ高い、真っ白な塔が立っている。朝日を受け、白い壁が海面に負けじとまぶしく輝いていた。
「灯台よ。海に出た船が迷わず港に帰ってこられるように、灯りをともして、港の場所を教えるの」
「じゃあ、港が船のおうちなの?」
「そうね......たしかに、船にとって港は家なのかもしれないわ」
「あのたくさんの船も、みんなこれからおうちに帰るんだ!」
海上に浮かぶ船を見ながら、ココはそう言って嬉しそうだ。
ティアは風の強さに目を細めながら、ココを見つめた。
ココにとって、帰る家とはなんなのだろうか。
森にいたころのすべての記憶を、そっくりまるごと失ってしまったココ......たとえ大妖精の森へ一緒に帰ったとしても、ココにとってははじめて来た場所のように感じるのだろう。今セレスト港で、そうしているように。
記憶喪失の理由がわからないのだから、手がかりの探し方もわからない。
だからこそこの二年間、ともにあちこちを旅して歩いてきたが、記憶が戻りそうな兆しはついぞなかった。
ボォォォォ―――......
海のほうから低く長い音がひびいてくる。
見てみると、遠くで大きな帆船が波をかき分け、悠々と進むのが見えた。帆がみっつあり、船体も変わった形をしている。
「わあ! いまの、船の音?」
「そうみたいね」
船は遠く離れていると、ゆっくり進んでいるように見える。
しかし近づいてくると、その大きな船体は思いのほか速く海をすべっていることに気づいた。
「すごーい! あの船は模様がいっぱいあるよ。みんなでお絵かきしたのかな?」
無邪気にそう言うココに、ティアは答えることができなかった。
港へとなめらかに入ってきたその船は、ただ大きいというだけでは足りない。ほかの船と比べて明らかに巨大だ。船体にはびっしりと装飾が刻まれ、船首には女神像のようなものが取り付けられている。
それに何よりも、異様なのが帆だ。ほかの船舶はみな白い帆を張っているが、その船は白銀の布地にきらめくような星の紋章が大きく描かれ、まわりには円状に装飾がちりばめられていた。
ティアは記憶を探った。あの紋章に見覚えがある。
「なんだ、ありゃぁ?」
回廊にちらばっていたほかの客も、巨大な帆船をみて戸惑いの声をあげている。
ティアはじっと目を凝らした。女神像のように見えた船首の装飾は、女神像ではなかった。
すらりとした体躯で優雅に左手を伸ばし、その手に帆の紋章と同じ星を掲げている。流れるような長い髪は背になびき、その髪の隙間からツンとした長い耳がのぞいていた。
間違いなかった――あれはエルフの帆船だ。