記憶
彼女の名前はモッカといって、ロットとは夫婦らしい。
パーム族は見た目こそ小柄で子供のようだが、当然成人している者もいる。
虹の欠片は夫婦できりもりしているガラス工房で、五年前に立ち上げたらしく、ロットが制作、モッカが事務処理を担当しているということだった。
「ごめんね、ロットは口が悪いでしょ? どんだけ言っても直らないんだよね」
ティアがココを待つ間、モッカはお茶を用意してくれた。
乾燥させた林檎の皮をブレンドした薬草茶で、ドライフルーツを練り込んだ甘い焼き菓子も添えられている。
ティアは昼食がまだだったので、文字どおり噛みしめてゆっくりと味わった。
「いつもあんな感じだから、よくお客さんともトラブルになっちゃうんだよね」
「青い鳥にたくさんあった彼の作品を見たわ」
ティアが言うと、モッカはにっこりと微笑んだ。
「あそこは前の工房にいたときからの付き合いなの。店のおばあちゃんがロットのことを気に入ってくれて、まるで息子みたいに世話を焼いてくれてるんだ」
そのロットは真剣なまなざしで、一心不乱にココのスケッチを描いている。角度を変えて、何枚も書き直しているようだった。
「ロットったら突然妖精をつれてくるから、びっくりしちゃった。あたしが何度も話をしてたからかなぁ......あのね、あたし、君みたいに妖精を連れたエルフに会ったことがあるんだ」
ティアが驚いて顔をあげると、モッカは思い出を懐かしむように目を細める。
「もうかなり昔だけど......あたしが住んでた村に、エルフがしばらく滞在してたの。きっと旅人だったんだと思う。そのエルフもすごくきれいだったよ。でも、彼女がつれてる妖精はもっときれいだったの。体が透きとおるように光ってて、羽根も薄い光でできてるみたいに儚げで......夜なんか、まるで月から降りてきたみたいで、幻想的だった」
モッカは楽しそうにくつろぐココをじっと見る。
「その妖精ともいろいろ話をしたけど、すごく神秘的なかんじだったなぁ......ふふ、勝手にロットについてきちゃうなんて、この子はあんまり妖精っぽくないんだね」
そう言われて、ティアはどきりとした。カップを持つ手がわずかに震える。
彼女はもしかして、そのエルフから聞いたのだろうか。妖精の祝福と契約について......契約妖精が主の意思に反する行動を決してとらないということを。
「妖精にも......いろいろいるから」
ティアがそう言うと、モッカは自分のカップを両手で持ちながら、微笑んだ。
「でも、すごく可愛いね。まるで子供みたい」
まるで子供みたい。
その言葉が、ティアの心にずしりと重くのしかかる。
たしかに、いまのココは幼子そのものだ。記憶をなくし、目にするものすべてに興味を持ち、まわりの声など聞こえない。ティアの声さえも。二年前の、あの日からずっと......。
それからずいぶん待ったあと、ロットのスケッチはようやく終わった。今日はガラスの色調整を重ねて、明日いよいよ本制作に入るつもりらしい。
その際にココを見ながら作業をしたいということで、翌日もまた来ることになった。ココ本人もやる気満々だ。
ティアは明日も港湾ギルドでの仕事があるので、その間ココを預けるのにもちょうどいい。
一日何があったか、どれだけ楽しかったか、というココの報告を聞きながら、ティアはかもめ荘へと帰路についた。
その夜、ティアは夢を見た。
ここはリュシール家の屋敷の中だ。ティアの家、ティアの部屋。
部屋の奥には長い髪の男がいる。
ティアと同じ、朝露にぬれる若芽を宿したような、光に透ける長い髪......。
「ティア――いけない――」
おじさまの声だ。
おじさま、なにを言っているの?
目の前にいるのに、遠くから、近くから......どこから聞こえているのかわからない。
「――っては、いけない――」
なにがいけないの?
おじさまはいつも厳しい。どうしていけないの?
ふと気が付くとココがいる。ココは楽しそうに笑って、ティアのまわりできらめいている。
いつも一緒、ずっと一緒、大好きなココ。
「――掟を破っては――でないと――」
ココはきらきらと羽ばたきながら、飛んでいく。
ティアから離れるように、高くたかく舞いあがる。
目の前には大きな扉があった。白い、大きな扉。決して越えてはいけない扉。
待って、ココ、そっちに行かないで。
戻ってきて......わたしを置いて行かないで。わたしを思い出して......。
きらきらと美しく飛んでいくココのむこうに、おじさまがいる。
いつも厳しい、そして正しいおじさま。
「セレスティア、掟を破ってはいけない。でないと――のように――」
おじさま、なにを言っているの?
掟をやぶると、どうなるの?
おじさま! ココ!
ティアの目が覚めたとき、すでに陽は高くのぼっていた。
かもめ荘の大きな格子窓から差し込むまばゆい朝日とは裏腹に、ティアの心はずっしりと暗く重かった。いやな夢だ......昔のことなど、思い出したくないのに。
枕もとを見ると、ココが丸くなって横たわっている。ティアが目覚めたことに気づいて、すぐにぱちりと目を開けた。
「ティア、おはよう!」
朝日を受けてきらきらと輝く笑顔のココに、ティアは安堵しながら微笑みを返した。
朝食をすませたあと、ココを虹の欠片まで送り届けると、ティアは港湾ギルドへ向かった。
三階の応接室へと案内され、中に入って驚いた。
先日来たときは、まさに接待用の上品な応接室といった雰囲気の部屋だったが、今は大きな木机が運び込まれ、その上には大量の紙が積みあげられている。
すでにタラサたちは中にいて、それぞれ資料に目をとおしているところだった。
それから半日かけて全員で資料を読みあさり、わかったことはそう多くはなかった。
・地下水路は、少なくとも300年前から定期水質検査を行っている。だがこれは、それ以上古い記録は破棄されているという可能性もある。
・水門や通路など、小規模な補修や修繕は何度かされている。しかし建造したという記録はない。
・湖から町へ引き込んだ水は、最終的に海へと流れている。つまり下層水路はただの貯水槽ではなく、常に水が流れる導水路である。
・水路の石板以外で古代エルフ語が見つかった記録はない。
「この水質検査の結果がさぁ、妙に安定してるのが気になるんだよねー。記録が残ってる300年間、ほとんど変化がない。水量だってそう。日照りの年もありそうなもんだけど」
レイの疑問はもっともだ。ティアも記録に目をとおす。
半年前にマーラットによる水の汚染があったものの、それ以前に大きな水質の変化があった年はないようだった。
「水源となるリュネ湖は水深がかなり深いみたいね......よほど地下水が豊富なのかしら」
ゲイリンを見ると、彼は地下水路の見取り図と修繕記録を熱心に見ていた。
「......間違いないな。この町は、地下水路が先にあり、市街地はその後にできている」
「え?」
「これを見ろ」
彼が示したのは、セレスト市街地の地図のようだった。
「市場区のこの地区は、約150年前に拡張されている。これがその記録だ。だが地下水路には拡張された記録がない。なにより、最古の水路図と現在の水路図を照らし合わせても、地下水路自体の形状にほとんど変わりがない」
「ということは......」
「セレストは地下水路にあわせて発展した町だろう。現在の町よりも先に、この巨大な水路が建造されている」
そう言うゲイリンに、ティアは考えた。
「火の七日間で町の記録が焼失したのは、約700年前......その時に都市構造も打撃を受けて、町の規模が縮小された可能性はあるわ」
「そうだな。そのあたりは王都からの回答を待つしかない。だが......」
ゲイリンは、言葉を切って見取り図に目を落とす。
「これだけの規模の水路が、少なくとも数百年の間、大きく破損することもなく、町に良質の水をもたらし続けている。そこにエルフ語の石板があった。これらは無関係ではないはずだ」
そう言って、タラサを見た。
それまで静かに資料に目をとおしていたタラサは、ゆっくりと顔をあげる。
「下町......でしたわね」
澄んだ美しい声で言うタラサに、ティアは首をかしげた。
「下町?」
「この町に、あの石板と形を同じくする、地下への繋がりがあるというお話でしたわ。セレストの暗き案内人はそうおっしゃっていました」
思い出した。
地下水路を案内してくれた港湾ギルドの女性職員は、たしかにそう言っていた。あの石板と似た形状の地下への古い出入り口があり、下町には少し残されていると。
「それを見に行くべきでしょう。なにか、導きがあるやもしれません」
そう言うと、タラサはゆっくりと優雅に立ち上がった。